閻魔大王<NO.113>

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NO 表題 起稿 起稿日
閻魔大王NO.114
302 <秋篠宮殿下>59歳のお誕生日会見 閻魔大王 21/11/30
301 続6<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!> 閻魔大王 21/11/29
閻魔大王NO.112

NO.301 続6<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!><起稿 閻魔大王>(21/11/29)


【閻魔大王】 2021/11/29 (Mon) 10:59

<参考=NO.300 続5<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>



副題=眞子さんご結婚は「決別宣言」硝子の宮邸を飛び出たプリンセス

誠に、その通り<!>

この一連の結婚騒動なるは、眞子たんえの、認識を、ころりと替えたです。
尚且つの、宮内庁の、ダメさ。
秋篠宮殿下の、甘さ。

強いては、皇室えの概念を、頭っから、ひっくり返されたの気分。
イヤ、眞子たんの、人間宣言は結構なれど、です。
余りにも、ズレ有り過ぎたです。
圭君については、ハッタリ屋であるを、再認識させられたです。

まあねえ、
眞子たんの場合、その浅知恵で、何でもありかと。結果的、さての、これから先、どんな事にと。


>「眞子」という名前には「ありのままに人生を歩んでほしい」というご両親の思いが込められていた。だが、長女はそれ以上の自由を望み、選んで、家を出ていった。

>父と娘の思いが引き裂かれたのは、その舞台が皇室という「特別な場所」だったからだ。仲むつまじく暮らしているように見えても、実はそれぞれの思いはバラバラで、いったん事が起これば、硝子のようにひびが入り、割れてしまうのだーー。

>「こわい〜」

>93年8月のことだ。秋篠宮さまご一家が、軽井沢を訪れたとき、紀子さまに抱っこされた1歳の小室眞子さんに、散歩中の大型犬が、突然、飛びかかるというハプニングが起きた。

>驚いてしがみつく眞子さんに、

>「お友達になりたいのね」

>紀子さまの母親らしい機転が利いたひと言で、傍らの秋篠宮さまもほほ笑み、一気に場が和む。

>このシーンは、その後も眞子さんの成長が報じられるたびに繰り返し私たち国民も目にすることとなり、動物好きで、いつも笑顔に包まれた秋篠宮さまご一家を象徴する場面のひとつとなった。

>——それから30年近くたった今年の10月26日。30歳となり、結婚会見に臨んだ眞子さんは、報道陣とカメラを前にして話し続けた。あの、幼い日に見せてくれた笑顔は少なく、終始硬い表情のままだった。

>「私たちは2人で新しい生活を始めることになります。これから生きていくなかで、また違った形での困難があると思います」

>祝福に包まれた婚約内定会見からわずか3カ月後の17年末、週刊誌報道で婚約者・小室圭さんの母親・佳代さんに関する金銭トラブルが明るみに。

>以降、結婚延期や小室さんの突然の渡米など、3年10カ月もの波乱の歳月を経た末に、眞子さんは悲願ともなっていたご結婚の日を迎えた。

>嫁ぐ日の朝、住み慣れた赤坂御用地の宮邸の玄関前。優しい色のバラのブーケを手にした眞子さんと、送り出すご家族が向き合う。

>「お健やかに」

>秋篠宮さまが声をかけ、

>「体に気をつけて」

>「お元気で」

>瞳を潤ませた紀子さまとの挨拶を済ませ、最後には佳子さま(26)が姉に駆け寄りハグをして、眞子さまは家族との別れを終えた。

>こうして、ご誕生から長きにわたり、当時の「天皇家の初孫」として多くの国民から愛されてきた「眞子さま」は、皇室を離れ、民間人の「小室眞子さん」となった。

>■息苦しい皇室での暮らしから抜け出したい。そんなとき眞子さまは小室さんと出会った

>「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩んでほしい」

>眞子さんの名前に込められた、ご両親の思いのとおり、秋篠宮家では、お子さまたちへの教育もまた、自然体だった。皇室ジャーナリストは、こう証言する。

>「ふだんからの挨拶や感謝などのしつけに加え、秋篠宮さまが何より大切になさったのが、お子さまたちの個性を尊重し、自主性を伸ばすという教育方針です。それが形になって現れたのが、大学進学。過去の皇室の慣例に従う学習院大学ではなく、眞子さんは、皇族として初めてICU(国際基督教大学)へと進学しました。秋篠宮さまとしても、その後の国際的な活躍もお考えになって後押しなさったのだと思います」

>やがて海外留学が実現するのが、大学3年の秋。イギリス・エディンバラ大学にて、9カ月にわたり、日本では味わえなかった解放感のなか、眞子さんはさまざまな初めての体験をする。

>学生寮での生活、スーパーでの買い物、親友との旅行……。本誌が当時入手した留学体験レポートには、こんな記述も。 《生まれて初めて単位を落とすという経験もした》 《肩の力を抜きつつも、色んな人に話しかけるのが大切なのだということが心からわかる経験だったと思う》

>皇室担当記者は語る。

>「この短期留学で、眞子さんは、初めて真の自由を実感したのではないでしょうか」

>在学中には成年となり、その記者会見で、眞子さんは結婚についてこう語っていた。

>両親、特に父は、私の年のころには結婚を考えていたようですけれども、私はまだあまり結婚については考えたことはありません」

>これに対し、父親の秋篠宮さまは、2年後の誕生日会見で、眞子さん、佳子さまの結婚についての質問に、こうお答えになっていた。

>「娘ですので、近くにいてくれたらいいとは思いますけれども……」

>ICU卒業後には積極的に外国訪問を行うなど、眞子さんは皇族としての務めを果たしていく。

>「もともと“パパっ子”の眞子さんは、秋篠宮さまの教えに従い行動しながらも、同時に“自由に生きたい”との思いを強くしていったのでは。公務は真面目に、プライベートは自由にというのは、秋篠宮さま譲りの生活スタンスです。ときには、より活動的な性格の佳子さまと、お忍びでの買い物にも出かけたとも聞いています。息苦しい皇室での暮らしから早く抜け出したい、との思いを抱えていたのでしょう。そんなとき小室さんとの出会いがありました」(前出・皇室担当記者)

>ICUの同級生である小室さんからのプロポーズは、英国留学から帰国してわずか半年弱でのこと、共に22歳の若さだった。

>17年9月の婚約内定会見。眞子さんの発言は実に明快だった。

>「私の心は決まっておりましたので、プロポーズはその場でお受けしました」

>■祝福も批判も招いた結婚会見は、一人の人間として生きるための、皇室との「決別宣言」

>「私のことを思い静かに心配してくださった方々や事実に基づかない情報に惑わされず、私と圭さんを変わらずに応援してくださった方々に、感謝しております」

>10月26日の結婚会見で、眞子さんと小室さんが述べた言葉に「誠意を感じられなかった」と語るのは、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さん。

>「眞子さんであれば秋篠宮ご夫妻、圭さんであれば母子家庭で自分を育ててくれた母、それぞれへの感謝の言葉が出ないところに、本当の意味で喜べない雰囲気があったのだろうと感じました。また、結婚を許してくれた天皇陛下への感謝の言葉がなかったのは、いくら皇室を離れるにしても不自然でした。自分たちに好意的な人には感謝を述べ、そうでない人は誹謗中傷する人という構図を作って、皇室や国民を二分させてしまった面もあったのではないかと思います」

>これに先立ち、結婚の発表と同時に明かされたのが、眞子さんが“複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)”と診断されていた事実であった。皇嗣職大夫は病名公表に際して、こう説明した。 「中学生のころから、身近な方々やご自身に対する誹謗中傷と感じられる情報を日常的に目になさり、精神的な負担を感じておられた」

>眞子さんが中学生だった時期は、ちょうど当時皇太子妃だった雅子さまが適応障害での療養を始められたころと重なる。しかし、精神科医の和田秀樹さんの見立ては、また違う。

>「私は、眞子さんは発表された複雑性PTSDではなく、雅子皇后と同じ、適応障害ではないかとみています。この症状は一般にいう“うつ”とは違い、自分が適応できないものに対してだけ具合が悪くなります」

>さらに、そこに、あるメッセージを読み取ったというのだ。

>「えてして真面目な人が適応障害になりやすい。たまたま皇室という環境に生まれ育ち、これまではいわば仮面をかぶってきたけれど、ここにきて『一人の人間としてこうしたい』という意思表示をできた。つまりは一般家庭でいえば、健全な“自立”や“親離れ”の一環だと思うのです。子供が自分の好きな人を見つけて親離れしていくことを、親も理解しなければいけない。その意味では、秋篠宮ご夫妻のほうが、まだ子離れできていらっしゃらないのかもしれません」

>眞子さんの自由を求める思いに常に寄り添ってきたのが、同じ環境で育った佳子さまだ。ICU卒業時の文書でも、

>《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています》

>と回答され、眞子さんの結婚を後押ししているのだと、姉妹の絆の強さが改めて話題となった。

>家の北原みのりさんも、結婚会見から、眞子さんのある覚悟を読み取ったと語る。

>「もう日本では暮らせない、という固い決意です。思春期に雅子妃の闘病を目撃したことよりも、私は、悠仁親王がお生まれになったことのほうが大きかったのではないかと思います。男児を産むことを求められ適応障害に苦しむ伯母ではなく、その求めに身を捧げようとする母の姿は、10代の娘にはどのように映ったのか。

>皇室に産まれた女性として、この国に関わって生きていくことに、早いうちから冷めていたのではないかと思えるのです。眞子さんにとって、自分らしく生きる唯一の選択肢が結婚だった。そこで結婚による皇室脱出計画を、小室さんに出会う前から練られていたように思えるのです」

>祝福と同時に批判も招いた結婚会見だったが、眞子さんにとっては、一人の女性、一人の人間として生きるための皇室との「決別宣言」だったのではないだろうかーー。

>「女性自身」2021年11月30日・12月7日合併号

<参考=「眞子さんご結婚は「決別宣言」硝子の宮邸を飛び出たプリンセス」(女性自身)>
(21/11/28)
<消滅・22/11/11>


【閻魔大王】 2021/11/29 (Mon) 11:54

前回投稿の、記事の、
「眞子さんご結婚は「決別宣言」硝子の宮邸を飛び出たプリンセス」(女性自身)

コレ、名実共の、「決別宣言」であって欲しく。
悪いけれどの、そこまで、嫌な、皇室故、二度と、戻って来るな<!>
です。

又、失礼乍らの、秋篠宮家の方々、大丈夫かと。
眞子、佳子、見てたら、更なるの、失礼ついでに、次世代の天皇、悠仁親王はと。

まあねえ、
次ぎの天皇なるは、秋篠宮殿下であり、平たくには、天皇家の家督は、秋篠宮家に移るに成るですが。

何ちゅうても、この、眞子が、次ぎの天皇の長女で、次世代の天皇の姉<!>


【閻魔大王】 2021/11/29 (Mon) 22:48

副題=おもしろい一文

似たもの同志としてるです。そかもなあと。
加えて、お二人共に、自尊心の高い方と。それも、正解かと。証拠として、圭駄文では、返済しないは、名誉のためと、記載してたです。アホかと。


一番におもしろいは、
「どうか恋の魔法がずっと溶けませんように」


>10月26日、秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんが結婚後、都内ホテルで記者会見を開きました。皇室を離れる際に支給される一時金を受け取らず、関連儀式は行わないなど、異例づくめとなった結婚。お二人の言葉に日本中が注目するなか、記者会見では11分間の“お気持ち”を読み上げ、質問には文書で回答しました。

>今回の記者会見について、『皇室へのソボクなギモン』などの著者もある、皇室ウォッチャーのコラムニスト辛酸なめ子さんはどうみたのか、寄稿いただきました。(以下、寄稿)


>「まるでアナ雪」、それなら小室さんは…
>国民が固唾を飲んで見守った小室夫妻の結婚会見。当初予定されていた質疑応答が直前でなくなるなど、想定外の事態で世間をざわつかせました。

>会見に向かわれる前、秋篠宮邸の玄関前で、佳子様が眞子様をハグした姿は感動を呼びました。まるで「アナ雪」のアナとエルサの抱擁のよう、とネットでも評判だったようです。そうなるとアナが婚約したのは悪の王子ハンスで、王に成り上がるためアナに近付いたのが発覚。海に突き落とされたり拘束されたりしたあと、強制送還の憂き目に合っていました。でも小室さんはそんな悪巧みはしていないと信じたいところです……。


>小室さんの不敵な笑みは自信の表れか
>会見に登場した小室圭さんはピンストライプのスーツで、眞子様は淡いブルーのワンビース姿で、4年前と比べると洗練度が高まった印象です。そしてこれまで数々の試練をくぐり抜けてきたからか、タフになられたような……。

>眞子様はご公務で人前に出ることは慣れていますが、小室さんは4年ぶりの表舞台。それなのに緊張感があまり感じられず、最初こそは不安げな眼差しでしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべられていたのが印象的でした。

>ちょうどニューヨーク州弁護士会の主催する論文コンペティションで1位になったので、その栄誉を思い出して自信がよみがえったのかもしれません。


>皇室からの卒業式のようだった
>目を合わせ「どうぞよろしくお願い申し上げます」と声を合わせてご挨拶されたお2人。その後は交互にかしこまった口調で文書を朗読していて、卒業式のようでした。「はじめて下級生ができた2年生」「生まれてからいろいろな人に支えられてここまできました」といった呼びかけがフラッシュバックします。

>これは皇室からの卒業式なのかもしれない……と感じました。ただ卒業式では、運動会とか遠足とかキャンプファイヤーとかポジティブな思い出がほとんどですが、この結婚会見ではわりと非難や怒り、悲しみの要素が多かったように思います。

>眞子様に関しては、4年前の結婚会見の時のたおやかな姿と比べても、マスコミやカメラの向こうの国民を見つめる眼力の圧がだいぶ強まっています。ご結婚を心配して勝手なことを申し上げた身としては、画面ごしに放たれる強い眼差しに恐縮し、これまでの非礼を謝罪しなければならないと思わされるほどでした。


>心に残った2ワード
>会見の内容については既に報じられていますが、心に残ったワードは、何度か出てきた「いわれのない物語」と「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問」です。

>「いわれのない物語」は映画のタイトルになりそうなキャッチーなフレーズでしたが、「誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問」は、かなり長くて回りくどい言葉なのによどみなく読み上げていたので、会見の文書の朗読は、それこそ卒業式並みにお2人とも何度も練習されて臨んだのかもしれません。


>嵐を巻き起こしながら新天地へ
>これまで世間の重圧に晒されながらも、愛を貫いていらっしゃった眞子様と小室さん。「いわれのない物語」が報道され、傷付くたびにお互いに励まし合って絆を強めていったのでしょう。結びつきが強固になられるお2人と対照的に、国民は分断されていきました。会見でも、「応援してくださった方々」と「結婚に否定的な考え」を持つ人を明確に分けていらっしゃるようでした。

>前者に対しては感謝を、後者に対しては厳しいまなざしを送っていて、プリンセスの迫力に圧倒されました。「誹謗中傷」ご発言以来、世間では様々な分断が生まれ、賛成派と否定派以外では、国民と皇族の間に溝ができた、というのが懸念されます。

>また眞子様が「日本雑誌協会」の質問に対し「恐怖心が再燃し心の傷が更に広がりそう」と、恐怖や不安を表明されたことで、マスコミ内でもテレビと雑誌が分断してしまったような……。他にも、ご結婚にまつわるニュースで、ヤフコメ欄がAIの判断で誹謗中傷が多いとされて閉じられてしまう件が頻発し、AIと人類の見えざる戦いもありました。嵐を巻き起こしながら、2人は新天地に飛び立って行かれるのでしょう。


>意外とお似合い2人かもしれない
>会見では、お2人とも心が強くてプライドが高い、というところが性格的に合っていたのかもしれない、と思いました。「圭さんが独断で動いたことはありませんでした」と眞子様はおっしゃっていましたが、「小室文書」に関しても、眞子様が関与されていたのでしょう。今思うと、「将来の私の家族までもが借金を踏み倒そうとした人間の家族として見られ続ける」ので借金だと認められない、といった記述に眞子様のプリンセスのプライドを感じます。


>小室さんの人生をプロデュースする眞子さま
>留学についても「圭さんが将来計画していた留学を前倒しして、海外に拠点を作ってほしいと私がお願いしました」と眞子様がおっしゃったのも驚きました。一般人から見ると、生まれたときから人々にかしずかれ、何不自由ない暮らしで羨ましいですが、眞子様は常に窮屈に感じられていて、早く飛び出したかったのでしょう。

>小室さんの人生は眞子様がプロデュースしていた……そしてそんな眞子様の意見を尊重し、意に添うように動く小室さん。これまで野心的でギラギラしている印象でしたが、実は結婚したら奥さん思いの旦那さんになるのかもしれません。

>ちょっと前までは母親が小室さんの人生を誘導していたのが、いつの間にか眞子様に引導が渡されていたようです。実は、染まりやすい男子なのかもしれません。今回、不適な笑み以外は存在が薄かった気がしますが、かわりに眞子様の凛としたお姿が引き立っていました。


>世間への純愛アピールもバッチリ
>そう思うと「眞子さんを愛しております!」という冒頭の叫びも、眞子様のアドバイスがあっての言葉なのかもしれません。次の言葉から文書読み上げモードになっていて、せっかくの愛のセリフの余韻が消えてしまったのが残念でしたが……。この言葉で純愛だと世間にアピールすることができました。決してハンス王子ではなく、2人の間には真実の愛があると……。2人の愛の力で、世間に生まれた分断を氷解させてほしいところです。


>どうか恋の魔法がずっと溶けませんように
>今回の会見で眞子様の強い思いや願望成就力に驚かされました。そして、どんな男性も、プロデュースによって、自分を連れ出してくれる白馬に乗った王子様に育てることができる、というのが眞子様によって証明されました。恋の魔法とインペリアルパワーが合体すると最強です。その魔法がずっととけないで、お幸せに過ごされることを祈ります。

><文/辛酸なめ子>

>【辛酸なめ子】
東京都生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。著者は『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」』(マキノ出版)、『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎)、『女子校育ち』(筑摩書房)など多数。

<参考=「小室圭さんをプロデュースする眞子さまに衝撃。会見で気になる2ワード/辛酸なめ子」(女子SPA!)>
(21/10/28)


【閻魔大王】 2021/11/30 (Tue) 08:35

副題=諸般、見解あるとは、思うですが。「眞子さまの乱」を妥当とするなら、皇室は意味なくなり、崩壊<!>

日刊ゲンダイの、この記事の筆者が、わからんですが。
兎角に、この件、小室家と、圭君を分離させての議論が主ですが。
結果、圭君、借金問題に無縁と。

閻魔大王的、この辺りの考え、詭弁と、するです。
確かに、法律上は、それで正解かも、ですが。
元婚約者君も、金の件、圭母であり、圭君には、無関係と、明言してるですが。結果的、影響するは、当然の事。

母子で、金銭の使途、全くの話せずは、有り得ませんです。
ましてやの、400万円の、拠出要請の、250万円程は、圭君の使途。
それを、圭君には、無関係とするの理屈なるは、全くの変でして。
圭君使途とは、言えずの拠出も、圭君には、全くの無縁の支出であるまいにと。意味なるは、小室家の生活費になら、その恩恵には、圭君も、あずかってるです。

まあ、言うてら、圭母の、だけの使途。服、バッグ、アクセサリー等々なら、又、考えあっても、それでも、尚、母子なら、圭君にも、責任と、するのか、家としての借金と、見るは、世間の常識也。
再度の、法律的なるの見解は、違う、でもです。

イヤ、圭母の、借りた金ではあっても、圭君、肩代わりで、返済して、当たり前の、それするなら、男として、その子として、一寸は、値打ちも上がるです。
イヤ、こんな場合、まずは、日本人の大方の面々、そ、すると、思うです。

まあ、つまり、法律論かざして、圭君には、無関係と、するは、詭弁の類の、屁理屈屋の言。
で、又、それを、全面に出すが故、圭君の値打ちがダダ下がり。
結果的、それを支持したの眞子たんなんか、メタメタの、アホウ丸出しの、2人して、非常識の度合い、ええ勝負。


での、その手の事、盾にするよな、圭君なら、信用出来ず。
母親が借りたであれ、その息子なりが、責任持って、返済すると、明言で、値打ち、一寸は上がるです。
そもそもが、拠出金なるは、如何なるも、返済当然。それを、この手、報道も、一緒に成って、借金は、親で、圭君には関係無いと、鬼の首取ったみたいに、論じてるですが、正気怪<?>

本気で、言うてるなら、その方の、信用も、失墜致すです。

「しかし、ここですでに誤解しているのだ。問題があったのは小室家であって、小室圭さんには何ら関係がない。もちろん世間も、結婚は個人と個人の意思で結ばれるのだから家とは関係がないと理解しているのだが、結婚は家同士が結ばれることが当たり前だった時代が最近まで続いたせいか、今でも完全に抜けきれないのだろう。小室家と小室圭さんをごっちゃにしてしまったのだ。」


>眞子さんはなぜ3年近くもバッシングされ続けるのか――。前回「眞子さんも…皇室の女性はなぜ叩かれ続けるのか? バッシングの歴史」に続いて考えてみたい。どうも、そこには複雑な国民感情があるようだ。

>眞子さんと小室さんが婚約を発表したのは、平成時代も終盤の2017年9月だった。久しぶりの慶事に誰もが喜んだはずだが、半年も経たないその年の12月になると、小室さんの母親の金銭スキャンダルが飛び出した。久々の皇室スキャンダルに世間は驚くと同時に注目したのだが、もしこれが高度経済成長期で起こっていたら、これほど長くバッシングは続かなかったのではないだろうか。

>残念ながら、かつて言われた「失われた20年」が「失われた30年」になっていて、世の中は沈滞ムード。そのうえアベノミクスで借金までして金をばらまき続けたのに、景気は一向に回復せず、金は庶民に渡らず富裕層にどんどんたまっていく。そんな時代に、父親が自殺して借金も返済していない家の息子が、あろうことか内親王と結婚するというのである。「小室家なんてうちより下じゃねえか」なんて言う人が出始めた。おかげで眞子さんが小室さんを「太陽のような明るい笑顔」、小室さんが眞子さんを「月のように静かに見守って下さる存在」を表現したことまでクソみそに叩かれ始めた。「こんな問題のあるヤツと皇族が結婚するなんてありえない」というわけだ。

>しかし、ここですでに誤解しているのだ。問題があったのは小室家であって、小室圭さんには何ら関係がない。もちろん世間も、結婚は個人と個人の意思で結ばれるのだから家とは関係がないと理解しているのだが、結婚は家同士が結ばれることが当たり前だった時代が最近まで続いたせいか、今でも完全に抜けきれないのだろう。小室家と小室圭さんをごっちゃにしてしまったのだ。また、かつて週刊誌を読むのは若い世代だったが、今は若くても50代で、中心は60代、70代だ。この人たちにはやっぱり結婚は家の結びつきというイメージが強く残っているから、混同したのも仕方がなかったのかもしれない。

>■「婚約破棄確実」からの逆転劇

>読者の興味をあおるように、眞子さんの記事が毎週のように、それもスキャンダラスに伝えられる。そして2018年2月、宮内庁は2人の結婚関連の儀式を2020年まで延期すると発表。その年の8月に小室さんはニューヨークのロースクールに入学した。「皇族は『私』を抑えて『公』を優先するのだから、小室さんのような“いかがわしい男性”と結婚するはずがない」―ー。そのうえ長期にわたって日本を離れ、2人は会う機会も失われた。どう考えても婚約破棄は確実だった。

>ところが眞子さんは違ったのだ。20年11月、周囲に否定的な意見があることを認めながら、お互いを「かけがえのない存在」として結婚への強い思いを示したのである。まさしくこれは「眞子さまの乱」だった。

>婚約破棄ではなく、これまでのバッシングを受け止めたうえで、あえて結婚すると宣言したのである。皇族である眞子さんは当然「公」を優先すると思っていたのに、結婚という個人的なことには「私」を優先したのである。ため息をついた人もいたし、皇室の未来を心配する人もいた。多くの人は驚いたが、エールを送る人たちも少なくなかった。

>平成の天皇は国民に寄り添ってきたが、眞子さんはさらに進んで、「私は国民のみなさんと同じです」と宣言したようなものだ。国民はバカじゃない。このあたりから「皇族も私たちと同じなら、眞子さんが好きな人と結婚したいなら認めてあげるべきじゃないの?」と変化しはじめたのである。

>内親王としての眞子さんは、決して「私」を優先してきたわけではない。皇族は「公」を優先すべきであっても、そのために「私」を犠牲にすべきではないーーと、ジェンダー平等が重視される時代にあって当たり前のことを言っただけなのだ。

>こうやって振り返ってみると、眞子さんの皇族らしからぬ強靱な意思のナゾも多少は解けるのである。=つづく

<参考=「「眞子さまの乱」(20年11月)は国民の常識の一歩も二歩も前を行っていた」(日刊ゲンダイ)>
(21/11/28)


<参考=NO.303 続7<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>


NO.302 <秋篠宮殿下>59歳のお誕生日会見<起稿 閻魔大王>(21/11/30)


閻魔大王】 2021/11/30 (Tue) 09:38

副題=秋篠宮さま56歳ご会見全文(上) 眞子さん結婚会見「双方向にしてほしかった


<参考=NO.293 <小室眞子、圭夫妻>の記者会見
(21/10/26)


記者会見故、引用符は最低限にする。

<写真>
56歳の誕生日を前に記者会見される秋篠宮さま=25日午前、東京都港区の赤坂東邸(代表撮影)



>秋篠宮さまは30日、56歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の赤坂東邸で行われた記者会見の全文は次の通り。

(問1)

--長女の眞子さんと小室圭さんの結婚は、皇室の儀式が行われず、一時金が支給されない極めて異例な形となりました。殿下は感想で、「皇室としては類例を見ない結婚となりました」、「皇室への影響も少なからずありました」とつづられました。「皇室への影響」とはどのようなことを指し、今回の結婚が今後の皇室にどのような影響があると思われますか。皇族としての「公(こう)」と一個人としての「私(し)」など皇室そのもののあるべき姿が議論されましたが、殿下はどのようにお考えでしょうか。複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された眞子さんの体調に影響を与えたと考えられる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについて、どのように受け止めておられますか。


「それでは最初に、私たちが10月26日に出しました感想に記した皇室への影響ということからお話をしたいと思います。いろいろあったと思いますけれども、私が感じるのは、主に二つです」

「その一つは、今回の長女の結婚が公になって以降、様々な媒体で、私たちの家、秋篠宮家以外の皇室にも影響が出たということを感じたからです。例えばそのことによって、天皇皇后両陛下がどういうふうに感じているとか、細かいことは私も記憶しておりませんけれどもありましたし、それからもっとはっきりしているのは、この娘の結婚に対して、上皇后陛下がいろいろ言われたとか、こういう考えを持っているというのが週刊誌に出たりもしました。このことは宮内庁のホームページでも二度か三度にわたってそういうことはなかった、実際に私もそういうことを聞いたことは一度もないわけですが、なかったということを説明しているのですけれども、それでもその後も続いたということがあり、やはり負担になったことには間違いないと考えています。それが、一つです」

「もう一つは、結婚に当たって普通であれば行われている三つの行事ですね。納采の儀と告期の儀と入第の儀、この三つの行事を行わなかったことで、これは私の判断で行わなかったわけですけれども、これは元々は、皇室親族令にあるものです。今はもうそれはありませんので、絶対にしなければいけないというものではないわけですけれども、慣習的に行われているものであり、私は本来であればそれは行うのが適当であると考えています。しかし、それを行わなかったそのことによって皇室の行事、そういう儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられます。本来であれば、その三つを行うのが繰り返しますけれども良かったと思っております。それが、あそこに書いた影響ということであり、その後に迷惑をかけた方々に対して申し訳なく思っているというのもそこにつながります。その次は何でしたか」

--公(こう)と私(し)。

「公(こう)と私(し)ですね。公(こう)と私(し)、そして皇室の」

--はい、あるべき姿。

「あるべき姿」

--はい。

「皇室のあるべき姿、これは上皇陛下が言われていた国民と苦楽を共にし、そして国民の幸せを願いつつ務めを果たしていく、これが基本にあると私は思います。そして、それとともにやはりこう時代というのは変わっていきますので、その変化にも即した皇室であることが大切ではないかと思っております」

「その上で、公(こう)と私(し)を考えますと、これは私は公(こう)は常に私(し)に優先されるべきものだと思います。もちろん、例外は存在すると考えますけれども、公(こう)は私(し)に優先されるべきものでありましょう。一方、それでは今の一連の御質問にあった、娘の結婚のことと、この公(こう)と私(し)のことを合わせて考えてみますと、これはどうなんでしょう、公(こう)と私(し)というものにうまく当てはまるものなのか、どうかという気もいたします」

「彼女は結婚するまでの間、皇族でいる間、公的なものと私的なものとの場合には、常に公的なものを優先してきていると私は思います。これは海外の訪問も含めてですね。論調の中の一部に娘が公(こう)よりも私(し)を優先させたというのがありましたけれども、仮に、もし結婚するという、これは私的なことだとは思いますけれども、これを優先させたとしても結婚することを公にしてから既に4年経(た)っているわけですね。もし、それを優先させた、優先させているということになれば、10年経(た)っても20年経(た)っても結婚はできないということになるかと思います。そのようなことから直接的に公(こう)と私(し)という二つの概念に当てはまるのかというのは少し疑問に思いました。もう一つありましたよね」

--PTSD。

「はい」

--複雑性PTSDと診断された眞子さんの体調に影響を与えられたと考えられる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについてどのように思われますでしょうか。

「そうですね、週刊誌これは文字数の制限というのはあります。一方で、そのネット上のものというのはそういう制限がほとんどないわけですね。それなので、その二つは分けて考える方が良いのかと思います。娘の複雑性PTSDになったのが、恐らくその週刊誌、それからネット両方の記事にあるのだろうとは思いますけれども、私自身それほどたくさん週刊誌を読むわけでもありませんけれども、週刊誌を読んでみると、非常に何と言いましょうか、創作というか作り話が掲載されていることもあります。一方で、非常に傾聴すべき意見も載っています。そういうものが、一つの記事の中に混ざっていることが多々あります。ですので、私は、確かに自分でも驚くことが書かれていることがあるんですけれども、それでもって全てを否定するという気にはなれません」

「一方、ネットの書き込みなど、これも私はそれほど多く見ることはありません。何と言っても、一つの記事に対してものすごい数のコメントが書かれるわけですので、それはとても読んでいたら時間も足りませんし、目も疲れますし、読みませんけれども、中には確かに相当ひどいことを書いているのもあるわけですね。それは、どういう意図を持って書いているのかは、それは書く人それぞれにあると思いますけれども、ただ、今そのネットによる誹謗(ひぼう)中傷で深く傷ついている人もいますし、そして、またそれによって命を落としたという人もいるわけですね。やはりそういうものについて、これは何と言いましょうか、今ネットの話をしましたけども、誹謗(ひぼう)中傷、つまり深く人を傷つけるような言葉というのは、これは雑誌であれネットであれ私としてはそういう言葉は許容できるものではありません。以上です」


(問2)

--30年間を過ごされた眞子さんとの印象深い思い出とともに、眞子さんがお住まいから離れ、アメリカで新生活を送ることへの心境をお聞かせください。小室圭さんと久しぶりに会われた時の印象やお話された内容についてもご紹介ください。殿下は小室さん側に「相応の対応」や「見える形での対応」を求め、「結婚する段階になったら、今までの経緯も含めてきちんと話すことは大事なこと」と述べられていましたが、記者会見の形式、内容を含めて一連の対応をどう受け止めておられますか。


「それでは、長女との思い出ですけれども、私が長女と一緒にどこかに出掛けたというのは、国内よりもどちらかというと海外に、数的には分かりませんですけれども期間としては長いですね。順に言うと二人で旅行したのは、マダガスカルが最初で次がラオス,その次がハンガリーになります」

「どれも非常に印象深い旅行でしたけれども、やはり一番長期間一緒に旅行したマダガスカルが思い出としては残っていますね。マダガスカルのトゥリアラというところからムルンベという場所まで車で12時間半ですかね。ドライブしながら、その植物景観の移り変わりを見たりとかですね。行った先での音楽だったり踊りだったりに触れたり、また、バオバブの巨樹の所に行ったりですとか、それがやはり一番印象深く残っていますし、数か月前にもたまたまその話が出て楽しかったねという話をしました。次は何でしたでしょうか」


--アメリカで新生活を始められた眞子様への今の御心境などをお聞かせください。

「本人たちがアメリカで生活すると決めたわけですから、それが本人たちにとって一番良いことなんだろうと思っています」

--そして小室圭さんと久しぶりに会われた時の印象やお話された内容はどのようなものだったのでしょうか。

「まず会った時の、どういう話をしたかについては、ここでは控えたいと思います。印象ですが面会していた時間が20分位でしたので、何か印象に残ることというのは特に私にはありませんでした。ごく普通の会話をいたしました」

--最後に小室さん側に相応の対応や見える形での対応を求め、結婚する段階になったら今までの経緯を含めてきちんと話すことは大事なことと述べられていましたけれども記者会見の形式、内容を含めて一連の対応をどう受け止めておられますか。

「そうですね。10月26日に婚姻届を出した後、記者会見というか、記者発表というかを行ったわけでありますけれども、私自身は一方向のものではなくて双方向での会見という形にしてほしかったと思います。ただ、長女の複雑性PTSDということもあり、直前まではそのつもりで本人もいたのですけれども、会見している間に何か発作とか起きることも考えられるでしょうから、やはり難しかったのかなと思います。一方で、夫の方については、私も結婚の段階になった時に経緯などを説明することは大切だということを以前に話をいたしましたけれども、確かに春ですか、文書ではそのことについての説明をしているわけですけれども、やはり私としては自分の口からそのことについて話をして、そして質問にも答える、そういう機会があった方が良かったと思っております」


<参考=「秋篠宮さま56歳ご会見全文(上) 眞子さん結婚会見「双方向にしてほしかった」」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2021/11/30 (Tue) 10:13

副題=秋篠宮さま56歳ご会見全文(中) 悠仁さま「机に向かう時間長く」(産経新聞)


(問3)

--ご家族について伺います。眞子さんの結婚までに、ご家族でどのような話し合いをしてこられましたか。佳子さまは全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員となり、眞子さんから日本テニス協会の名誉総裁も引き継がれました。今後の活動に期待されることや、結婚へのお考えについてお聞かせください。悠仁さまは来年高校に進学されます。ご成長の様子や進学先の検討状況についてお教えください。


「最初が結婚までの間ですね」

--御家族でどのようなお話が。

「そうですね。結婚までの間、直近になると結婚した後しばらく東京都内にいて、その後、アメリカの方に行くことになり、そうすると、今まで自分の所に置いておいた荷物などのことがどうしても本人もそうですし、私も気になるわけですね。それで、しかも私自身も貸していた本などもありますので、そういうことについてどうしようかということを話をしました。彼女も例えば、ニューヨークに荷物全部持って行けるわけではありませんし、さりとて、本人が持っている書籍の中には海外の公式訪問の時にいろいろ下調べした日系人関係の本等もありますので、そういう物は活用してほしいという意向を持っておりました。そのような物をどういうふうに、これから場所も移動させるわけですけれども、していこうかということが一番結婚する前の時点での話合いかなと思います」


--佳子さまの今後の活動と結婚ですね。

「次女はこの春5月から、全日本ろうあ連盟で仕事をしておりますけれども、本人は大変有り難く思って仕事しております。上司の方々からいろいろ教えていただきながら、少しでもお役に立つよう勤めてくれれば私はうれしく思います。また、そのほかの仕事についても一つ一つ大切に思いながら丁寧にしていってくれればいいなと思っております」


--結婚については。

「結婚についてはそういう時期が来ましたらじっくりと話合いをしたいと思います」


--最後に悠仁さまの高校進学、成長の御様子などをお願いいたします。

「進学につきましては、本人とも相談しつつ進めております。また、成長の様子ですけれども、今、中学3年生でこれはどの中学3年生もそうなのでしょうけれども。1年前と比べると机に向かっている時間が格段に長くなっているんですね。そういう日々を過ごしているわけですけれども、私も時々、そんなしょっちゅうではないものの机に向かって問題を解いている様子などを見ることがあり、そのような時に改めて、今15歳で中学3年生ということを当然のことではあるんですけれどもそういうときに実感することがあります。以上です」

「先ほどの公(こう)と私(し)のことですけれども、一つ、女性皇族と男性皇族では手続においても、男性の方は皇室会議を経て行われますし、女性の方はそれがない。そこでも公(こう)と私(し)というのが、二つでもって性格が違ってくる。そういうことも頭に入れておきたいなと思います。一つ付け加えでした」


(問4)

--新型コロナウイルスの感染拡大以降、ご一家はオンラインを活用し、国民との交流を続けられました。「ポスト・コロナ」の社会に向けた動きも徐々に生まれていますが、このような時代に皇室が果たしうる役割について、どうお考えでしょうか。眞子さんの結婚で、公的活動の担い手が少なくなりました。今後の活動のあり方やその分担については、どのように思われますか。皇族数の確保についてもお考えがあればお聞かせください。

「この昨年からCOVID-19はずっと続いていて、日本でも多くの人が罹(り)患し、そして多くの人が亡くなっています。一方で、治療法などもかなり確立されてきたと聞いております。ワクチンの接種も進み、そのうち治療薬も普及してくると、ウィズコロナ、そしてポストコロナの時代になる可能性はかなりあるのではないかと思います。ポストコロナはまだしばらく先なのかなという気はしますけれども、こういう時代にあっても、皇室の役割とおっしゃいましたか」


--このような時代に皇室が果たし得る役割。

「果たし得る役割。なかなか役割と言ってもすぐに今答えを持っているというわけではありませんが、その基本的な考え方というのは先ほども1問目でお話をした国民と苦楽を共にし、常に国民の幸せを考えつつ務めを果たしていくということ。そして、それとともに、時代の移り変わり変遷に対応して即した形での皇室というのは在り方としてはそうだと思いますし、役割としてもそれまでと大きく変わるわけではないのかなと思います。しかし、一方で、もう一つ質問ありましたね」


--皇室の果たし得る役割についてどうお考えでしょうかに続いては、眞子さんの結婚後の公的活動の担い手が少なくなる。

「その前に何かなかった」

--新型コロナウイルスの感染拡大以降ご一家はオンラインを活用し国民との交流を続けてこられました。で、ポストコロナに向けて、ポストコロナの社会に向けた動きも徐々に。

「分かりました。確かに今、感染状況はかなり落ち着いて、日本は落ち着いている状況ですけれども、ついこの前までは第5波で大変な感染者が出ておりまして、そういう時というのは、何か行事にしてもオンラインにならざるを得ないと私は思うんですね。しかし、その一方で、感染状況によって、そしてまた今まで得られてきた知見を参考にしながら、どのようにすれば、人々との交流をすることができるかということは考えていかないといけないと思います」

「これは、完全に前と同じようにするとかそういう意味ではなく、その状況状況に合った形をどのようにすれば、こちらにいろいろ依頼してくれる人たち、それから、こちらがそのために行く場所の人たちの要請と言ったらおかしいかもしれませんけれども、それに応えることができるのか、そのことを考えていく必要があると思います。やはり、オンラインで確かに話もできますし、何かものを見ることもできますけれども、これは実際に行って何かを見たりそれから人から話を聞いたりするのとはやはりかなり違いがあると思います。私はできるだけ、その場所に行って、自分が依頼された仕事をし、また人々との交流をしていきたいと思います。繰り返しになりますが、そのためにどうすればそういうことができるかということをきちんと考えていくことが大切ではないかと思います。次が何でしたか」


--眞子さんの結婚で公的活動の担い手が少なくなりました。今後の活動のあり方やその分担についてどのように思われますか。皇族数の確保についてもお考えがあればお聞かせください。

「これは、人数というのは限られているわけですので、今いる人数で行っていく、公的活動を行っていく、現状ではそれしか恐らくできないと私は思います。ただ、その分担とおっしゃいましたか。分担の仕方によって多少は何かできることがあるかもしれません。例えば、普通であれば、夫婦で一緒に行っているものを夫と妻と別々に違うものに出れば、結局一つしかできないところ二つになる。そういうような、やり方を考えるということはできるのではないかと思っております。また確保でしたか」


--はい。皇族数の確保。

「これについては、制度の問題になりますので、私からお話をすることは控えることにいたします」

<参考=「秋篠宮さま56歳ご会見全文(中) 悠仁さま「机に向かう時間長く」」(産経新聞)>


閻魔大王】 2021/11/30 (Tue) 10:48

副題=秋篠宮さま56歳ご会見全文(下) 小室圭さん文書「みんなが納得できるものではない(産経新聞)


<参考=NO.223 新展開<眞子、圭問題>圭君、やっとで、見解文書公開
(21/04/08)



(問5)

--今年は東日本大震災から10年の節目となり、夏には東京五輪・パラリンピックが開かれました。この1年を振り返り、特に印象に残った出来事をお聞かせください。

「今お話のありました東日本大震災、今年で10年になります。10年を一つの節目と捉えることもできるでしょう。復興の方についても、総仕上げの段階と聞いております。ただ一方で原子力発電の被災地については、本格的な再生復興が始まった段階とも聞いております。また、被災者の心のケアなども課題として残っております。私自身は最後に被災地を訪れたのは昨年の2月だと思います。その時に歩きながら何げなく見た、目をやったところに、以前は普通の日常があった、普通に建物があったのが、今はほんとにその基礎の部分のみになっている状態そういう場所を何か所か見たんですね。それを見て、改めてこの東日本大震災の被災、大きな被害というものに思いを馳(は)せる機会になりました」

「そして、やはりまだまだその復興というか、そういうものが続いていてですね、果たしてその10年というのが節目と考えていいのか、そこのところは私もちょっとそのやはり節目ではなくて、こう連続して続いていることなのではないかと考えたりしております。しかし一方で、やはりあの災害をきちんと記憶の中にとどめておくことも大切ですので、そういうときにその10年とか20年とかそういう節目の時にきちんと思い出すということもやっぱり必要なのかなと考えたりしております」

「今年のこの一年で特に印象に残ったこととしては、私は異常気象、日本でもしばらく夏になると豪雨とかで洪水があったりとか大きい被害が起こっていますけども、今年こう見てみますと例えば夏に7月ですか、ドイツを中心に洪水の被害がありましたし、中国の山西省でも豪雨による被害がありました。また今度はあれはアメリカでしょうか、熱波が来たり、それから干ばつが起こったり、それから確かブラジルのパンタナールの水の量も雨季に雨が降らなくて減ったということがあったかと思います」

「それでこういう自然災害であったり、自然現象、それといわゆる気候変動ですね。これが非常に密接に結びついていて、気候変動に関する政府間パネルの第6次報告書では、地球の温暖化についてその人間の活動に起因することは疑う余地がないという報告書を出しました。これはその前のときの第5次報告書だとその可能性は極めて高い95パーセント以上としていたのに加えて今度はもう疑う余地がないということを報告書で出したわけですね。そうするとやはりこの人間の活動、それから気候変動、そして災害、そしてもう一つそれによって生物多様性の消失。そういうものがこうつながってきているっていうのが、すごく印象に残る今年の出来事だったと思うんですね」

「しかも生物の多様性の消失により、感染症が広がるということにも影響があると言われています。これは生物の多様性が減少することによって好適宿主というんですかね、好適宿主が密度が高く、そうすると、これを主に節足動物媒介の感染症ですけれども、そういうものが増えやすくなる。一方でそれ以外の宿主とかがこういろいろな物がいることによって感染を制御できる可能性があるという希釈効果と言うそうですけれども、そういうことにもつながってきて、今いろいろなものが、事象がこうつながってきたなというのがやはり今年の私にとっては一番印象に残っていることです。そしてまた10月にはこれも気候変動と関係ありますけれども、日本出身の眞鍋淑郎さんがノーベル物理学賞を受賞されました。自然現象を物理学的にモデリングして、気候変動についての知見を出すということは非常に大事なことだと私は思います」

「そしてそれ以外では、今年も若い人の活躍があったのかなと思います。最近では5年に一度ですか、行われる国際ショパンコンクールで、約50年ぶりに日本人の反田恭平さんが2位になって、小林愛実さんが4位になるという話題が出ましたし、また、大谷翔平さんのMVPも非常に話題になりました。そして、オリンピックの時のスケートボードでも、若い人達がほんとに良く活躍したなという印象を受けました。ほかにもいろいろありますけれども、今思い付くものをお話しいたしました。以上です」


(関連質問1)

--この度のご結婚につきましては眞子さん、そして小室さんのみならず、秋篠宮家そのものにも批判やバッシング対象が向かいました。で、殿下はこれまで、一つ一つの事実と異なる報道に対して反論しないという立場を貫いてこられましたが、今後、佳子さまや悠仁さまが御結婚される際にも今回と同様の事態が繰り返される可能性も想定されます。で、殿下そして悠仁さまは今後皇位を継承される重い立場でもいらっしゃいますけれども、今後の影響を考えますとこれまで殿下が示してこられた方針がこれからも続けられるお考えなのか、それともまた、宮内庁とも話し合って新たに対策、対応についてお考えになるという、ご検討されるというお考えはあるのかお聞かせください。


「いろいろな報道がなされて中にはバッシングと取れるものもあります。それらのことについて1回ごとに対応しないというのは、記事というのはある一定の長さがあるわけで、その中の一つだけをこれは違うというふうにして、例えば宮内庁のホームページに載せたりとかそういうことをした場合に、それではほかの事柄については全て正確なことですねということになり得ると私は思います」

「一方で先ほども少し近いお話をしましたけども、記事の中にはもちろん創作もあれば正確なことを書いていること両方混ざっているわけですね。一つを採り上げてそれは違うと言うこと、もちろん言うことはできますけれども、そうしたらやっぱり、ここも違うし、これは正確だしというのを全部説明していかないと本当はいけないのではないかなと思うのですね。ただ、それは大変な労力を費やすと思います。一方でもし、そういう今言われたような関係の記事に対して反論を出す場合にはですね、何かやはり一定のきちんとした基準を設けてその基準は考えなければいけないわけですけれども、それを超えたときには例えば反論をする、出すとかですね。何かそういう基準作りをしていく必要が私はあると思います。今、おっしゃったように今後もこういうことは多分続くでしょう。その辺も見据えて宮内庁とも相談しながら何かその今言ったような基準であるとかそういうものをですね、考えていくことは私は必要だと思っております」


(関連質問2)

--先ほど殿下は結婚に関する三つの行事は、本来であれば行うのが適当だとおっしゃっていて、その中で、殿下の判断で行わないことにしたと。去る26日の宮邸の出発のお見送りされる場面、非常に心に残っていますが、殿下はどういうお考えで行事を行わない判断をして、どんな気持ちで、父親として眞子さんを送り出されたのかお伺いしたいのと、以前の、随分前の記者会見で、娘なので遠くなく結婚後もいてくれたらという思いをお話になったことありますけれども、遠いアメリカに送り出されたそのお気持ちも併せて伺いたいと思います。

「まず、三つの行事を行わなかったことは、以前に会見でもそれ相応の対応というお話をしましたし、それから経緯をきちんと説明することも大切と、何という表現をしたか忘れましたけど、見える状態にすることは大切だとお話をしました。それと多くの人が納得し、喜んでくれる状態というお話もいたしました」

「今回、その三つの行事を行わなかったことは、まず一つは、やはり言われているトラブルというのがまだ解決はしていなかったということもありますけれども。あとは、この春に娘の夫がかなり長い文書を出したわけですね。それは確かに説明はしたということにはなるかと思うんですが、あれを読んでどれぐらいの人が理解できるか。さっと見てですね、やはりじっくり読めば分かるけれども、さっと読んだだけだとなかなか分からないという、そういうものもあるわけで、やはり、それによって、じゃあ、これはもう私の独断です、私の個人の考えとして、あれを読んでみんながすぐに状況を整理して納得できるというものではないと私は判断しました。そのことから、三つの行事を行わないことにしました。それと何でしたか」


--26日の朝、そうした形で結婚される眞子さんを、どのような父親としての思いで送り出されたか。

「そうですね。どのような気持ち。元気で暮らしてくれればいいなという気持ちでしょうかね。そういうことを最後に言ったつもりなんですけれども、ヘリコプターの音で全てかき消されてですね。向こうも何か言ったのですが、結局、何も聞こえずに終わりました。それで、以前は近くにと申しましたけど、今、世界中どこに行ってもかなり近くなりました。先ほどのリモートの話ではないですけど、何か連絡を取ろうと思えば取れるわけですし、顔も見られるわけなのでそれはいいのかなと思います」


(関連質問3)

--今のお話に関連してなんですけれども、皆さんの納得を得られないだろうということで三つの儀式を行わない判断をされたと伺いましたけれども、今後の、御結婚された眞子さんや、また夫となった小室さんの皇室行事への参加などはどうお考えなのか。今後のお付き合いというのはどうなっていくのでしょうか。

「皇室行事への参加については、私がどうこうということではないですね。これはあくまでも天皇陛下のお考えということになりますので。それともう一つありましたか。それでよろしいですか」


--それで大丈夫です。あと1問目の中の、今後の御結婚の影響については、ちょっとお話が及ばなかったのかなという印象があるのですけれども、何かお考えがございましたら。

「先ほどメディアのことの御質問がありましたけれども、今後の影響というのは、なかなか、今、私が言える範囲で読みにくいところがあると思います。もちろん、あくまで私が、今、ここでお話しできる範囲で、ということですが。

<参考=「秋篠宮さま56歳ご会見全文(下) 小室圭さん文書「みんなが納得できるものではない」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2021/11/30 (Tue) 13:34

<補足的内容>

副題=秋篠宮さま56歳 眞子さん結婚儀式なし「私の判断」 胸中明かされる(産経新聞)

「納采の儀」等、無くなったは、秋篠宮殿下の判断である。
とは、以前の記者会見で、仰ってるです。
一時金、辞退は、当人、眞子たんの判断。

「皇室への影響では、結婚をめぐり上皇后さまのご負担となるような週刊誌報道があったことや、儀式なしとしたことで、皇室の行事や儀式が「非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられます」とご言及。こうしたことが結婚当日に感想の文書でつづった「申し訳ない気持ち」につながると説明された。」

皇室行事が「非常に軽い」とは、閻魔大王的には、思てませんです。
その手、記事も、知らんです。
とするのか、そこまで、多くの、記事、見てませんです。


「小室さん夫妻が結婚に際して臨んだ記者会見については、質疑応答形式でなかったことをふまえ、「私自身は一方向のものではなくて双方向での会見という形にしてほしかった」との考えも明かされた。」

これは、当然でして。
眞子たんが、同席では、その手の質疑応答が無理なら、単独でやるのべきでしたです。
かと、申しの、この君では、無理<!>
その手、覚悟出来ませんの君故。

どちにしろ、最初っから、結婚まで、殿下の話なんか、無視でして。
殿下も、明確に、言うてやらんとと。
まあねえ、圭君、遂に、逃げ切ったです。
格好ワルツと。


>秋篠宮さまは30日、56歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の赤坂東邸で記者会見に臨み、10月の小室圭さん(30)と長女の眞子さん(30)の結婚で、一般の結納に当たる「納采(のうさい)の儀」などを実施しなかったことについて、「私の判断で行わなかった」と述べられた。婚約内定後の4年間を振り返り、「秋篠宮家以外の皇室にも影響が出たということを感じた」との胸の内も明かされた。

>秋篠宮さまは会見で、結婚関連儀式は本来、「行うのが適当」とご説明。その上で、小室さんが母親の「金銭トラブル」について説明するため、4月に公表した文書が「みんながすぐに状況を整理して納得できるというものではない」と判断し、秋篠宮家として納采の儀、告期(こっき)の儀、入第(じゅだい)の儀の3儀式を「行わないことにしました」とされた。

>皇室への影響では、結婚をめぐり上皇后さまのご負担となるような週刊誌報道があったことや、儀式なしとしたことで、皇室の行事や儀式が「非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられます」とご言及。こうしたことが結婚当日に感想の文書でつづった「申し訳ない気持ち」につながると説明された。

>小室さん夫妻が結婚に際して臨んだ記者会見については、質疑応答形式でなかったことをふまえ、「私自身は一方向のものではなくて双方向での会見という形にしてほしかった」との考えも明かされた。

>会見では、この1年で印象に残った出来事もご紹介。東日本大震災から10年を迎えた被災地の復興について「節目ではなくて、こう連続して続いていることなのではないか」とご指摘。一方、この機会に「災害をきちんと記憶の中にとどめておくことも大切」とも述べられた。

<参考=「秋篠宮さま56歳 眞子さん結婚儀式なし「私の判断」 胸中明かされる」(産経新聞)>


【閻魔大王】 2021/11/30 (Tue) 15:13

副題=過熱報道 対応ご言及 秋篠宮さま 反論の「基準作り」必要 宮内庁、情報発信を模索(産経新聞)

加熱報道ねえ。
閻魔大王的にも、それに、乗ってるですが。
基本的には、デマと、思しきは、採用せず。

皇室も、どんどんと、反論すべきは、したらと。
その機会なら、あるです。眞子たんは、無いと、言うたですが。

>30日に56歳の誕生日を迎えた秋篠宮さまは記者会見で、10月に結婚した長女の小室眞子さん(30)に対し一部週刊誌やインターネット上で続いたバッシングについて、反論する場合の「基準作り」の必要性に言及された。皇室の方々が報道対応について述べられるのは異例だ。宮内庁も新たな情報発信の「研究」に着手し、時代に適した在り方の模索が始まっている。

>宮内庁は10月1日、眞子さんが誹謗(ひぼう)中傷と感じられるできごとを繰り返し体験したことで「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と診断されたことを公表した。平成29年9月の婚約内定から結婚までの4年間、夫の圭さん(30)やその家族だけでなく、眞子さんや秋篠宮ご一家に対するバッシング報道も過熱。記事にコメントする形で、ネット上でも攻撃的な書き込みが相次いだ。

>秋篠宮さまは会見で、眞子さんが体調を崩した理由は「週刊誌」と「ネット」両方にあったとご指摘。その上で週刊誌には「創作というか作り話が掲載されていること」と「傾聴すべき意見」の両面があることに触れ、「全てを否定するという気にはなれません」と述べられた。誹謗中傷については雑誌かネットかを問わず「許容できるものではありません」と口にされた。また、次女の佳子さまや長男の悠仁さまが結婚される際、同様の事態が繰り返される可能性に関する質問には「今後もこういうことは多分続くでしょう」とご発言。報道に反論する際には基準が必要との考えを明かされた。

>皇室へのバッシングをめぐっては5年、上皇ご夫妻に対する報道が過熱し、上皇后さまがいわゆる失声症を発症されるまでの事態に発展。宮内庁は6年、報道対応を専門業務とする「報道室」を新たに設置した経緯がある。

>宮内庁はこれまで報道に反論する際、ホームページに掲載する形をとってきたが対処の基準はなく、「看過できないものに対応する形」(宮内庁関係者)だった。新聞やテレビ、雑誌、ネットも含めて膨大な数の記事を全て確認することは困難で、宮内庁幹部は「一つ否定すれば他は正しいとなりかねず、反論は簡単ではない」と明かす。実際に、宮内庁は眞子さんや秋篠宮ご一家へのバッシングにも積極的に反論してこなかった。

>しかし、眞子さんが体調を崩すに至ったことを受け、西村泰彦長官は10月、「情報発信は時代の変化に伴ってどういう在り方がふさわしいのか研究していきたい」と表明。既に過去の週刊誌報道への対応や、他省庁のSNSの使い方を確認するなど情報収集を始めている。

>ある宮内庁関係者は「試行錯誤しながら個別の対応を積み上げていくことで、対処の基準ができていくという形になるのではないか」と話した。

<参考=「過熱報道 対応ご言及 秋篠宮さま 反論の「基準作り」必要 宮内庁、情報発信を模索」(産経新聞)>


<参考=NO.303 続7<眞子・圭>歴代天皇、遂に、怒られた<!>/眞子たんの我が儘から、天皇制瓦解危機<!>


<参考=NO.305 <失礼乍ら>愛子さまと、眞子さん、佳子さまとでは、違う<!>/両陛下をお助けしたい。