みんながパソコン大王
雑談<NO.284>

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総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.285
2636 技術は上でも日本のガラケーがiPhoneに敗れた訳 磯津千由紀 21/11/09
2635 <高齢者になれば、成る程に>転倒災害リスクが高くなる/癌と診断される確率は低くなる シバケン 21/11/09
2634 ≪新型コロナ≫ワクチン後の症状が長引く人たち 海外報告なし 磯津千由紀 21/11/08
2633 私が思う日本:先進国・日本の「ITアナログ文化」 全角・半角、ファクスの苦(毎日新聞) 磯津千由紀 21/11/08
2632 人気医療漫画「リエゾン」が伝える、ヤングケアラーのリアル 磯津千由紀 21/11/08
2631 静岡知事の「御殿場はコシヒカリしかない」発言が波紋 抗議100件 磯津千由紀 21/11/06
雑談NO.283

NO.2631 静岡知事の「御殿場はコシヒカリしかない」発言が波紋 抗議100件<起稿 磯津千由紀>(21/11/06)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/06 (Sat) 23:26

 こんばんは。


 だいぶ前からローカルニュースでは散々報じられてきましたが、とうとう全国紙に。
 川勝静岡県知事が浜松で、浜松出身の参院補選の候補者に対する応援演説の際、前御殿場市長の対抗候補との比較で、御殿場と比べた浜松の優位性を強調して御殿場を貶めたことに、批判が集まっています。言ってはならぬことを言ったと。


> あちら(御殿場市)はコシヒカリしかない。だから飯だけ食って、それで農業だと思っている――。川勝平太・静岡県知事が10月24日投開票の参院静岡選挙区補選の応援演説で発言し、波紋が広がっている。県によると、4日夕までに100件の抗議が寄せられた。

> 10月23日に応援弁士を務めた候補者の出身地である浜松市と対立候補が市長を務めた御殿場市を比較する中で、川勝知事が発言。県広聴広報課によると、電話やメールで「傷ついた」「残念だ」「問題視している」といった声が届いているという。

> 自民党県連の野崎正蔵幹事長は1日、「御殿場市民を辱める内容の発言。御殿場市民も県民。県政トップとしていただけない発言だった」と批判。5日に勝又正美・御殿場市長が「市民の心を傷つけた言葉で、看過できない」とコメントし、非難の声が次々と上がっている。2日に川勝知事と会談した勝又市長は「申し訳ない」と謝罪されたことも明かした。ただし、御殿場市議会は5日、謝罪を求めるなどする決議案の提出を決めている。

> 川勝知事は5日、毎日新聞の取材に「(対立候補が)『御殿場はコシヒカリがあれば十分である』と言ったのを強調しただけ。御殿場をマイナス評価したのは事実ではない。誤解が拡散されてしまったことは残念。御殿場は東部で最も好きな場所だ」と釈明した。【金子昇太】


<参考=「静岡知事の「御殿場はコシヒカリしかない」発言が波紋 抗議100件」(毎日新聞、11月6日)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/08 (Mon) 01:46

<参考>

<参考=雑談NO.2610 参院補選(静岡)、立憲民主と国民民主が推す山崎が自民公認で公明が推す若林に勝利>(起稿21/10/25)


NO.2632 人気医療漫画「リエゾン」が伝える、ヤングケアラーのリアル<起稿 磯津千由紀>(21/11/08)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/08 (Mon) 01:41

 こんばんは。


 最近になって、ヤングケアラー問題が社会の関心を集めるようになってきましたが、まだまだ実態の啓蒙不足です。


> 子どもたちにどう分かりやすく伝えればいいのか――。政府が、家族の介護や世話を担う子ども「ヤングケアラー」の認知度向上を模索する中、厚生労働省が注目した漫画がある。青年漫画雑誌「モーニング」(講談社)で連載中の人気医療漫画「リエゾン」だ。児童精神科医らが発達障害や虐待など、さまざまな事情を抱える子や親と向き合う物語。今年6月から7月にかけてヤングケアラーを取り上げ、ストーリーは車いす生活の母の介護や家事で疲弊していく小6の女児を軸に展開した。支援策を検討する政府のプロジェクトチームのヒアリングに招かれた作者2人に、作品に込めた思いなどを聞いた。【山田奈緒、三上健太郎/デジタル報道センター】


> 原作の竹村優作氏「子どもの視点で書いた」

> 児童精神科医が関わる事例や子ども支援などを調べる中で、ヤングケアラーという言葉を知りました。明確にテーマにしたのは今年の連載ですが、もっと前の連載初期、2020年春ごろにもヤングケアラーが登場します(1巻収録)。

> アルコール依存など精神疾患のある父と暮らす小学生の女の子です。作中でヤングケアラーという言葉は使いませんでしたが、SNS(ネット交流サービス)上に「あの女の子はヤングケアラーだよね」などの読者の反応がありました。社会の関心が高まってきていると感じましたし、国が全国調査する動きもあったので、改めてケアする子ども側の視点で書いてみようと。

> ただ、ヤングケアラーの大変さは伝わりづらい。「自分だって子どものころ買い物ぐらいした」「祖父母の介護をしている人も昔からいた」など、自らの経験や身近な物差しで「たいしたことない」と深刻さを測ってしまう人が多いからだと思います。「遊ぶ時間がない」「勉強する時間がない」というように、ちょっとずつ生活が侵食されていくつらさは想像が難しい。なので、漫画は分かりやすさを意識しました。

> ランドセルを背負う年ごろの子が車いすの母を介助しているというビジュアルは、インパクトが強い。ヤングケアラーの問題がダイレクトに伝わりやすいのではないかと考えました。体の小さい女の子が家事をする姿は読者の想像を広げられる。どれぐらいケアをしていたらヤングケアラーなのか、言葉の定義は曖昧でいいと思います。「リエゾン」に出てきたような子どももヤングケアラーなんだって、ふわっと捉えてもらうことで、自分の身の回りの人についても想像する余地が生まれてくれればいい。

> 20代のころ、グループホームなど福祉施設で働きました。出会った家族を思い返すと、親が亡くなったらきょうだいに障害者の面倒を見るプレッシャーがかかるなど、家族が大きなケア負担を抱えるのは当たり前という感覚が福祉の現場にもありました。そんな中でSOSを出すのは難しい。だけど、人を頼る選択肢はいろいろある。だから、SOSを出していいと子どもたちに伝えたいです。周りの大人もヤングケアラーについて知ることで「家族が背負って当たり前」という認識を変え、SOSを受け止められるようになってほしいです。

> 物語では、小6女児の「異変」をスクールカウンセラー(SC)がキャッチする。さらに、SC自身の生い立ちや家族への思いも見えてくる。この展開は漫画を担当するヨンチャン氏の提案だった。


> 漫画家のヨンチャン氏「知ることで寄り添える」

> 当初の脚本では、車いすの母親と女児のケースだけを描く予定でしたが、この親子だけではどうしても親側の気持ちが伝わりにくい。一歩間違えれば「ヤングケアラーがつらいのは、障害がある人のせい」などと、読者に思わしくない形で捉えられてしまうかもしれないと思いました。そこで、SC自身がヤングケアラーだったという設定で、SCの親子の振り返りも描く「二重構成」にして、ケアされる側の思いや気持ちに厚みを出し、漫画の中に落とし込もうと提案しました。

> 「リエゾン」は、主に発達障害やさまざまな精神疾患を取り上げていますが、身体的な障害のある家族についても、ケアされる側と、ケアする側の双方の痛みや葛藤を描きたいと思っていました。ヤングケアラーという言葉を知り、このテーマならそれが描けると感じました。

> 満足に動けなくなった絶望のあまり娘の気持ちが見えていなかったことに親が気付く場面や、ヤングケアラーだった子どもが将来の夢を見つけたことに親が心から喜ぶ場面があります。親子のやりとりを通じて、読者の視野が広がればいいと思いました。ケアする側、される側、どちらの気持ちも大切です。

> 漫画でヤングケアラーを取り上げることになり、自分も子どものころを思い返しました。身近な家族に暴力を振るわれてつらかった経験があります。そうした経験は大人になってもアイデンティティーに影響することを身をもって感じています。子どもの時の記憶は一生にわたって影響する。だからこそ、どうしたら今後、子どもたちに良い環境を作れるのかを考えています。

> 必要な支援やその情報が子どもたちに行き渡って、社会の人たちから見守られる形になってほしい。誰もが罪悪感なく支援を求められる社会になってほしいという思いを作品に込めました。作品に出てくるような状況は、自分のことかもしれないし、周りにいる人のことかもしれない。読者にも共感してもらいたい。解決じゃなくても、分かることで寄り添えるのではないかと思います。

>     ◇

> 「リエゾン」はヨンチャン氏と編集者で取材を始め、20年3月に連載がスタートした。竹村氏は3話目から加わり、脚本を担当している。監修医を加えたチームでテーマや物語の方向性を決めるなど、作品が出来上がるまでには作者と編集者たちが綿密に打ち合わせる。ヤングケアラー編を描くにあたっては議論の中で「(親族や近しい人たちが)今思えば、あの人もそうだったかもしれない」といった声も出たという。

> 「実は身近」なヤングケアラーをリアリティーをもって伝えるため、学校のカウンセリングルームの場面などは監修を担当する児童精神科医、三木崇弘氏の意見を取り入れた。SCの経験もある三木氏は「子どもはまじめさゆえに相談できなかったり、先生は日ごろの業務が忙しかったりするため、学校現場でヤングケアラーを発見するには限界がある」と実感しているという。「学校の外にも啓発を進めてほしい。ヤングケアラーという言葉の広がりは、『身内の問題は身内で』のように『家族の責任』という考えに縛られる社会の風潮を解きほぐすきっかけになるかもしれない」と話している。

>     ◇

> ヤングケアラー編(全5話)は12月発売予定の7巻に収録予定。オンラインでは、講談社の配信サイトで読むことができる。


> 竹村優作(たけむら・ゆうさく)氏

> ライター。1988年生まれ。2018年の「週刊少年マガジン×モーニング 第1回漫画脚本大賞」で奨励賞を受賞した。リエゾンでは原作を担当。


> ヨンチャン氏

> 漫画家。1992年生まれ。2017年、雑誌「モーニング」の新人賞「第4回THE GATE」で大賞を受賞。ボート競技を描いた「ベストエイト」でデビューした。


> 三木崇弘(みき・たかひろ)氏

> 児童精神科医。1981年生まれ。2008年愛媛大医学部卒。東京都内のクリニックや児童相談所で勤務し、小学校のスクールカウンセラーも務める。


<参考=「人気医療漫画「リエゾン」が伝える、ヤングケアラーのリアル」(毎日新聞、11月7日)>


NO.2633 私が思う日本:先進国・日本の「ITアナログ文化」 全角・半角、ファクスの苦(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(21/11/08)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/08 (Mon) 02:40

 こんばんは。


 昭和56年ごろ、試製OSを作るにあたって全ての文字を16ビットで表現したことがありますが、定着しませんでした。
 同じく昭和56年ごろ、其れまで天気図等にしか使われてなかったファクシミリがビジネス用に一気に普及しましたが、其の後に電算機が軒並み日本語を扱えるようになった後もファクシミリ文化が続いています。


> 東京に駐在する外国メディア特派員の目に、私たちの社会はどう映っているのだろうか。韓国、フランス、米国、バングラデシュの個性豊かな記者たちがつづるコラム「私が思う日本」(原則日曜日に毎日新聞デジタルに掲載)。初回は朝鮮日報(韓国)の李河遠・東京支局長が、日本のパソコン文化を取り上げる。


> 朝鮮日報 李河遠・東京支局長

> 1月のことだ。私を含め韓国人4人が集まったある会合で、日本での生活が話題になった。海外勤務が初めてだというAさんは、3年間の駐在員生活で、韓国より経済規模の大きい日本で人脈を広げられたことに感謝していた。また、日本のあちこちを旅行し、国土の広さに驚いたという。「支社長として再び日本に戻ってくるのが夢だ」とも語った。

> その一方で、とても不便だったことが一つあると言い、先進国にふさわしくないデジタル文化の遅れを残念がった。特に、パソコンで予約フォームなどを作成する際に「全角」と「半角」を区別して入力するよう求められることに首をひねった。

> すると、同席していたBさんも自分の経験を口にした。IT業界で働くBさんは、日本側の注文を受け、韓国の本社に「インターネット決済プログラムを作ってほしい」と依頼した。

> その際、プログラミングする時には全角記号と半角記号が必要だと説明した。だが、韓国のプログラマーは「煩わしいのになぜそんなものが必要なのか」と、それを理解できなかったという。

> 駐在員Cさんは、2度目の日本勤務だった。だが、やはり彼も「全角」「半角」の壁を乗り越えることはできなかったと打ち明けた。

> この日の会話は、約3年前の出来事を思い起こさせた。東京に赴任する私のソウルでの送別会で、元東京支局長の一人が自身の経験を語りながらこう断言した。「日本がデジタル時代に後れをとるとしたら、それは全角入力と半角入力のせいだろう」

> 彼の話を理解するのに、さほど時間はかからなかった。日本でさまざまなインターネットプログラムや携帯のアプリに出てくる全角入力と半角入力は、その都度私を苦しめた。

> 「全角」と「半角」を切り替えるための手順を聞いたが、基本的にハングルのプログラムとハングルのキーボードで作動する私のパソコンは、操作が容易ではない。

> 正直に言おう。日本でネットを利用中に「全角」「半角」の切り替えを求められるたび、私は作業を断念している。何よりも私の頭の中で「なぜこのような変換が必要なのか」と、理解できないでいる。

> 日本に駐在する米国人数人とも「全角」「半角」の話をする機会があった。彼らも名前は全角文字で、IDとパスワードは半角文字で入力しなければならないことに適応できないでいた。暗証番号を全角で入力したのか、半角で入力したのか混乱する時があることも問題だと言っていた。

> 「全角」「半角」は、先進国でありながらデジタル文化がまだ定着していないことを表す事例の一つだと考えている。私は昨年、朝鮮日報に「日本で在宅勤務が難しい理由」、「ファクス ジャパニーズ」というタイトルのコラムを書いた。それぞれ日本のアナログ社会を象徴する印鑑とファクスを題材にしたものだ。

> 「ファクス ジャパニーズ」ではこう書いた。

> 「日本は地球から3億キロ離れた小惑星に探査機を送るほどの科学技術力を持つ国だ。月に宇宙飛行士を送る米国の『アルテミス計画』には、コアパートナーとして参加している。このような国が、ファクスに固執しているという不調和にはめまいがする。日本人は『パクス ジャパニーズ(日本による平和)』を夢見てきたが、その代わりにファクスを愛用する『ファクス ジャパニーズ』帝国を作ることに成功したようだ」

> ファクス文化は2020年、新型コロナウイルスの感染拡大を経て社会問題となった。新型コロナの感染者を確認した医療機関は、患者の氏名などを記載した「発生届」を管轄の保健所に報告。さらに保健所が都道府県に発生届を送ることで、各地の感染者数のデータが積み上がる。

> ところが、約1400万人の人口を抱える東京都では当初、発生届を1台のファクスで受信していた。情報収集の遅れや正確性が問題化し、その後、ファクスは増設されたが、20年5月には東京都の感染者111人が集計から抜け落ち、35人を重複集計していたことが騒動になった。

> 日本は他のどの国よりも伝統と固有の文化を守っている。重要な節目ごとに昔の姿をそのまま残した大規模な祭りを執り行い、女性たちが伝統衣装(着物)で歩くような国は先進国の中で日本しかないと断言する。

> しかし、これが行き過ぎてしまい、アナログ文化である印鑑やファクス「全角」「半角」の入力に度が過ぎるほどの愛着を感じ、デジタル化の速度を上げられずにいるのではないか――。


> 移住希望者も戸惑うのでは

> 日本は新型コロナが流行する前に、20年の東京オリンピック・パラリンピックを機に訪日外国人旅行者数を4000万人にし、30年には6000万人とする計画を立てた。

> 安倍晋三前首相の時代から「観光立国」政策を推進し、外国人の積極的な誘致に乗り出した。海外から日本へ移住しようとする人も増えている。しかし、そういう人は、時代に不相応な日本のITアナログ文化に戸惑うのではないだろうか。

> 河野太郎行政改革担当相は20年11月、行政手続きで必要な押印の99%超を廃止する方向が決まったと明らかにした。これは望ましい変化だと思う。また、河野氏は「メールやオンラインで情報を集めれば、企業や地方自治体の利便性が高まる」と、日本の官庁で根強いファクス文化を改革する考えも示している。

> 1月に東京の「フォーリン・プレスセンター」主催で、河野氏がテレビ会議方式でブリーフィングをした際、私は「全角」「半角」の変換を無くす計画はないかと聞く予定だった。だが、最近の河野氏の人気を反映し、他の外国人記者から質問が相次ぎ、その機会は得られなかった。

> 河野氏がもしこのコラムを読んでいたら「全角」「半角」を廃止することについての立場を伺いたい。21年が、先進国日本の「デジタル文化元年」として記録されることを願う。【訳・日下部元美】


> イ・ハウォン

> 高麗大政治外交学科を卒業し1993年、朝鮮日報入社。主に政治部畑を歩み、与党キャップ、ワシントン特派員、論説委員などを歴任。2014年から系列のTV朝鮮でメインニュースのアンカーマンも務めた。18年に東京へ赴任し、日本政治から高校野球まで幅広い分野の取材に取り組む。著書に「習近平とオバマ」など。


<参考=「私が思う日本:先進国・日本の「ITアナログ文化」 全角・半角、ファクスの苦」(毎日新聞、4月4日)>


NO.2634 ≪新型コロナ≫ワクチン後の症状が長引く人たち 海外報告なし<起稿 磯津千由紀>(21/11/08)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/08 (Mon) 21:46

 こんばんは。


 海外には見られぬものの、日本ではワクチンの副作用(副反応、後遺症)が長期にわたる人が居るといいます。


> 新型コロナウイルスに感染すると、無事回復しても、後遺症が残ることがある。このことはすっかり定着しました。では、新型コロナワクチンの接種を受けた後はどうでしょう。私が院長を務める太融寺町谷口医院(以下「谷口医院」)には、このところ「接種後に体調不良に陥り、1カ月たっても回復しきらない」というような相談が相次いでいます。海外の論文を調べても同様の報告はないのですが、日本では、ワクチンの影響は数カ月くらいは残ることがあるのかも、と思わせるデータが出始めています。


> 新型コロナの後遺症

> 新型コロナが流行しだしてまだ間もない2020年3月下旬、私は、谷口医院に長年通院している40代の女性から相談を受けました。女性は「新型コロナに感染したと思う。その後1カ月がたつのに息苦しさとだるさがとれない」と言いました。感染したと「思う」というのは、当時はかなり重症化しない限りは検査を受けられなかったからです。

> 症状だけからコロナの診断をつけることはできませんが、昨年2月中旬、この女性は、ご主人と、海外から帰国した知人との3人で会食をし、数日後に微熱と倦怠(けんたい)感、せきに見舞われました。ご主人にも同様の症状が出現し、2人で保健所に相談したものの「軽症だから」と言われて検査を受けることができませんでした。しばらくしてご主人は回復しましたが、女性の症状はその後数カ月間続きました。

> この当時は新型コロナのPCR検査を受けるには保健所の許可が必要であり、許可が出るのは重症患者のみに限られていました。精度の高い抗体検査も存在せず、感染しているのか、あるいは感染していたのかを知るすべはありませんでした。しかし、この女性と同じように「新型コロナと思われる症状が出現し、その後何らかの症状が残る」という訴えが目立つようになり、私はそれを「ポストコロナ症候群」と名付けました。本連載で初めて触れたのは20年5月12日の「新型コロナ 治療後に健康影響の懸念」です。

> 「ポストコロナ症候群は存在する」と私が確信したのは、似たような症状を聞く機会が増えてきたからだけではありません。同時期に海外(特に欧州)から同じように、感染後の後遺症の報告が相次ぐようになり、それが確証の根拠となったのです。当初私はその原因を「体内に血栓ができるため」と考えていました。しかし、血栓形成を示す検査結果が出なくなった後も症状が残る事例が多いことから、今では別の要因を考えています(参考:「新型コロナ 後遺症の原因は『脳の酸素不足』か」)。起きるメカニズムはともかく、ポストコロナ症候群の存在を否定する人は、今ではほとんどいないでしょう。では「新型コロナワクチン接種後」の後遺症についてはどうでしょう。


> 倦怠感で「出社できなかった」経営者

> 21年7月上旬、40代のある男性が受診しました(なお、本事例を含む患者さんの詳細についてはプライバシー保護の観点から細部に変更を加えています。また誤解と混乱を防ぐためワクチンの製造会社名は伏せておきます)。

> 【事例1】40代男性 職業:会社経営

> 7月上旬、新型コロナワクチンの接種を集団接種会場で受けた。翌日から、これまでに経験したことのないような倦怠感が生じ、日常生活も維持できなくなった。出社もかなわず、数日に1度、自宅から部下に指示を出すのが精いっぱい。何らかの病気になったのかもしれないと考え、複数の医療機関を受診した。さらに人間ドックでフルコースの検査を受けたものの、どこに行っても「異常はない」と言われた。行くあてがなくなり谷口医院を初めて受診することとなった。

> 一般に、何かのワクチン接種を受けた後には、しばらく身体の不調を訴える人がいます。たとえばインフルエンザワクチンやHPV(ヒトパピローマウイルス)ワクチンなどでも、そうしたことはあります。ですが、たいていは軽症であり、さほど長続きしません。なかには「おそらくその症状はワクチンとは関係ないだろう」と思われるケースもあります。特に、日ごろから不安感が強い人やナイーブな人からそのような訴えを聞くことはよくあります。

> しかし、この男性は谷口医院初診とはいえ、話し方や社会背景から少々のことでは弱音を吐かないタイプであると思われます。男性は「原因はワクチン以外には考えられない」と言います。

> この男性の後も、次々とワクチン接種後の後遺症を訴える人が出てきました。もっとも、接種翌日にはほとんどの人に何らかの副作用(ワクチン後の症状を「副反応」と呼ぶ場合がありますが、本コラムでは副作用で統一します)が出現しますから、例えば接種後5日間にわたる発熱と倦怠感は後遺症とまでは言えません。ですが、それが2週間、さらには4週間も続けば単なる副作用ではなく「後遺症」と呼ぶべきでしょう。


> 海外からの報告はなし

> 何人かの患者さんを診るにつれ、私は1年半前のポストコロナ症候群を思い出しました。先述したように、私にそれを確信させたのは海外からの報告です。そこで、今回はワクチン接種後長期にわたる後遺症を「ポストコロナワクチン症候群」と(勝手に)命名し、海外での報告を探すことにしました。

> ところが、ないのです。接種直後の副作用についての論文やリポートはいくらでも見つかるのですが、長期、具体的には1カ月以上にわたる後遺症についての報告が見当たりません。ということは私が診ている患者さんたちは、本当はたいしたことがなくて「気のせい」や「単なる思い込み」なのでしょうか。とてもそうとは思えません。例えば次のような方もいます。

> 【事例2】20代女性 職業:フィットネスクラブのインストラクター

> ワクチン接種を受けた翌日から倦怠感、頭痛、動悸(どうき)が出現、翌々日から左わきの下のリンパ節が腫れた(ワクチンは左上腕に接種)。2週間経過しても改善しないため谷口医院を受診した(なお、谷口医院ではワクチン接種を実施しておらず、集団接種会場での接種を勧めています)。2週間経過後もリンパ節が腫れているのは触診上も明らかで、超音波検査でも皮膚の下でリンパ節が大きくなっていることが確認できた。また、診察の途中で動悸が始まり、心電図をとると波形は正常なものの心拍数が明らかに上昇しており、頻脈(脈拍が速くなった状態)が突然、生じたのは自明だった。つまり「気のせい」ではない。


> ありそうな「長期の影響」

> 読売新聞によると、聖路加国際病院(東京都中央区)の研究チームの調査で、新型コロナのワクチン接種後の女性の4割もが、わきの下のリンパ節が腫れる副作用が2カ月持続しているそうです。

> 4割が2カ月、とは驚くべき数字です。谷口医院の女性の患者さんで言えばここまで多くはないのですが、この記事が出てからワクチン接種後の女性患者さんに尋ねてみると、数名の女性は「他に症状がないし、さほど気にならないけども、わきにしこりが触れる」と言います。リンパ節の腫れが起こったからといって、それが必ずしも有害というわけではありませんが、他のワクチンで、これほどの割合で2カ月にわたりわきの下のリンパ節が腫れることは考えられません。ポストコロナワクチン症候群という後遺症が存在するかどうかは別にしても、リンパ節の腫れがこれだけ続くということは、ワクチンが長期間にわたり何らかの影響を及ぼしていると考えるべきでしょう。


> 大半は徐々に改善

> さて、問題は予後(いったん後遺症が出た後の経過)です。谷口医院の患者さんで言えば、外出が困難になるほどの後遺症があったとしても、大半は1カ月が過ぎる頃には徐々に改善してきています。少なくとも、次第に悪化しているという人は今のところ一人もいません。ですが、事例1のように仕事に完全復帰できない人や、1カ月たってもキャンパスに戻れない大学生もいます。

> ポストコロナワクチン症候群については問題がまだあります。おそらく後遺症を訴えて医療機関を受診している人は全国に多数いるはずです。ですが、その中でどれだけの人数が国に届け出られているかが疑問なのです。谷口医院では、一つの目安として症状が2週間以上持続する事例については、患者さんの許可をとった上で、独立行政法人の「医薬品医療機器総合機構」(PMDA)に報告しています(報告書には実名も記入しなければなりません)。それでも、おそらく報告されているのはごく一部だと思われます。そもそも「前の病院では『ワクチンとは無関係。単なる気のせい』と言われた」ために、谷口医院を受診しているという人も少なくないのです。

> 私が診ている範囲では今のところ、ワクチンの後遺症が生じた人全員が、少しずつ回復傾向にはあります。しかし、完治しているとは言えない人や、完全回復に1カ月以上かかっている人もいるわけです。こういう人たちは「3回目のワクチン接種は受けたくない」と言います。


<参考=「新型コロナ ワクチン後の症状が長引く人たち」(毎日新聞、11月8日)>


NO.2635 <高齢者になれば、成る程に>転倒災害リスクが高くなる/癌と診断される確率は低くなる<起稿 シバケン>(21/11/09)


【シバケン】 2021/11/09 (Tue) 16:56

<図1>
高齢者になるほど、転倒災害のリスクが高い
<厚生労働省「平成31年/令和元年労働災害発生状況の分析等」より作図>



<図2>
各年齢から60歳、65歳、70歳になるまでにがんと診断される確率
<国立がん研究センター「がん情報サービス」の「データ全国-年齢階級別累積リスク-累積リスク-2015年データ」より作図>



>本サイトの連載「誤解だらけの健康管理術」で「何歳まで働けますか? 75歳定年時代を生き抜くために」というテーマで寄稿してから3年余りがたちました。その折に加齢現象の個人差、加齢で衰える身体機能、セルフケアとしての運動習慣を解説しました。

>昭和から平成の初めであれば「60歳で定年」が普通だったでしょうが、今や50代を迎えて役職定年や、還暦間近では継続雇用制度の再雇用が想定される状況にあって、何歳まで働くかということは切実な課題です。この10年ほどは「65歳まで」だったのが、この4月に施行された改正高年齢者雇用安定法により「70歳まで」が標準に変わっていきます。来年4月から年金の受給開始時期がさらに繰り下げられ、75歳まで働く選択肢も視野に入ってきます。これらの理由が少子化に対する年金等の社会保険制度の維持であるのは言を俟(ま)たないですが、令和時代の高齢者は昭和と比べて心身の機能が改善しているという背景もあります。

>この3年間で厚生労働省の施策は着々と展開されているものの、加齢に伴うけがや病気の頻度が増える中、働く人と会社側の双方による高齢化に対する本格的な対応が遅れていることに目を向ける必要があると考えます。


>擦り傷程度では済まない転倒災害

>50代以降では、ちょっとした段差につまずいた時に次の足が出なかったり、手が出なかったり、体幹が反応できなければ転倒するリスクが大きくなります。滑りやすい床では後ろにひっくり返り、後頭部をぶつけて大けがをする人も増えます。工場だけでなくオフィスの中でもしばしば労災事故となり、健康に大きな影響を及ぼしますが、そのリスクは在宅勤務を中心とするテレワーク中でも同様です。

>中高年以上で転倒すると子供時代と違って擦り傷程度では済まないことが多いのです。置いてある荷物に引っ掛かることや階段の踏み外しも関係があります。転ぶまいと踏ん張った瞬間にギックリ腰を起こすケース、反射的に手をつき手首や腕を骨折するケースもあります。女性で骨粗しょう症の傾向があると股関節に近い大腿骨の骨折を起こす可能性もあります。同種の問題として、荷物を取ろうとして脚立の上から墜落して床に叩きつけられ、頚椎骨折等を起こして命を落とすことさえあります。

>厚生労働省の労災事故の統計によると、休業4日以上ないし死亡を伴う転倒災害の年間千人あたりの発生率(千人率)は次の図のようになります。こうした指標になじみのない方でも、年間千分の1前後かそれ以上のリスクには注意が必要です。男性の20代後半と比べて50代~60代後半では約3倍から4倍に、女性では実に9倍強から16倍に増加します。

>一番の課題はけがをする瞬間まで、意識的にせよ、無意識にせよ、そのようなことは起きないだろう、起きないはずだと働く人と職場の両方が考えていて、そのダメージを想定すらしていないことだと感じます。骨折等のけがの場合、高年齢になるほど休業見込み期間が1カ月からさらに長期に及ぶ傾向があり、仕事と日常には休業後も簡単に復帰できないこともしばしばです。


>がん・心臓病・脳卒中などのリスク

>高年齢労働で次に考えるべきはがん、動脈硬化による狭心症や心筋梗塞等の心臓病、脳梗塞やくも膜下出血のような脳卒中、日常に支障が出るような腰痛症、視力に影響する白内障や緑内障、聴力の低下する老人性難聴等の健康問題です。一例として、もしもがんと診断された場合に個人の立場で経験するであろうことを列挙してみました。

・心理的に強いショックを受ける。落ち込む。不安にとらわれる。
・可能な段階で家族に話す。相談する。
・主治医と精密検査や手術等について相談する。臓器や部位、進行の程度や全身状態を考慮し治療を選択する。
・上司に報告し、有給取得、休業、休職の見込みを伝え、担当業務の割り振り等を相談する。
・家族等に帯同してもらい入院する。

>生命保険会社等の宣伝もあって、がんとなる確率が一生のスパンで男性が6割強、女性が5割程度であると聞いたことがあるかもしれないですが、我が事と捉えている働く人は少ない、と実感します。50代以降に就労期間中にがんと診断されるのは、以下のような確率です。例えば今、55歳の男性が70歳までの15年間に何らかのがんと診断される確率は18.0%、同じ年齢の女性では12.7%となります。この確率は「多分、大丈夫だろう」と楽観視できるレベルではありません。


>病気のリスクに応じた備えが大切に

>けがと同じように、がんと診断された場合にも、多くの働く人は休業、休職の手続きを踏まなければなりません。来る手術等を心配しながら、お金の面で自宅や自動車のローンや教育費の支払いを確認し、就労できない期間の収入確保や預金が十分であるのかにも思いを巡らせる必要があります。

>がんと診断された人のうち、少なからぬ人たちがそのことを告げずに職場を辞めていくという厳しい現実もあります。上司なり人事部門なりに素直に伝えられないとか、死を意識してそれまでとは異なる生活を望むこともあるかもしれません。単身の場合には打ち明けて、その後のことを相談する相手もないこともあります。

>手術を終え、退院して自宅療養から職場復帰する際には、低下した体力と気力を奮い立たせて乗り越えなければなりません。自宅療養等をしている間にうつ状態や適応障害といったメンタルヘルス不調を抱えてしまう人も少なくありません。そのことの影響も決してたやすくありません。さらに上司や同僚には負担をかけた後ですから、それまでの所属する部門での立ち位置と人間関係が変化している可能性があります。

>がん以外にも病気を持ちながら働く人は多く、心臓病は75万人、脳卒中は23万人というデータもあります。50代以降の働く人は動脈硬化による病気等にも、ご自身のリスクに応じた心構えが必要な時期に来ているのではないでしょうか。

>亀田 高志(かめだ・たかし)
株式会社健康企業代表・医師・労働衛生コンサルタント。1991年産業医科大学卒。大手企業の産業医、産業医科大学講師を経て、2006年から産業医科大学設立のベンチャー企業の創業社長。16年に退任後、健康経営やメンタルヘルス対策等のコンサルティングや講演を手がける。著書に「【図解】新型コロナウイルス 職場の対策マニュアル」「【図解】新型コロナウイルス メンタルヘルス対策」(いずれも新刊、エクスナレッジ)、「健康診断という病」(日経プレミアシリーズ)、「課題ごとに解決! 健康経営マニュアル」(日本法令)、「改訂版 人事担当者のためのメンタルヘルス復職支援」(労務行政)などがある。

<参考=「70歳までにがんになる確率は? 50代で増える病気とけが 70歳定年時代の健康管理(上) 健康企業代表・亀田高志」(BizGateリポート・日本経済新聞)>


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/09 (Tue) 21:05

 シバケン様、こんばんは。


 表題の「癌と診断される確率は低くなる」ですが、グラフに示されてるのは「各年齢から60歳、65歳、70歳になるまでにがんと診断される確率」であり、残された年数が減れば確率も減るのは自明ですので、表題にわざわざ取り上げることには違和感を覚えます。
 グラフが1年あたりの癌発症率であれば兎も角です。


【シバケン】 2021/11/09 (Tue) 23:01

磯津千由紀さん、こんばんわ。

自明の理と、されれば、殆どの事、自明の理<?>

転倒云々も、自明の理です。当方的には、その通りで、御座候故、用心、用心、火の用心と。
癌も、その昔には、癌が出来るまでに、亡くなってた。とも、言えるです。
とかとか、考え方なるは、色々あるですねえ。


NO.2636 技術は上でも日本のガラケーがiPhoneに敗れた訳<起稿 磯津千由紀>(21/11/09)


【磯津千由紀(寫眞機廢人)@ProOne 600 G1 AiO(Win10Pro64)】 2021/11/09 (Tue) 22:09

 こんばんは。


 日本製のケータイは、通話機能を基本に次々と機能を付加して高機能化してきたのに対し、iPhoneは多機能音楽プレーヤiPodに通信機能を付加したもので、元々の出自(発想)が違います。
 一般の方には知らない人が多いでしょうが、実は、スマ-トフォンの中ではiPhoneは後発でした。
 また、日本での発売は、世界共通通信規格「3G」が出来てからのiPhone 3Gからで、言い換えれば、其れまでのモデルにない「アップストア」からのアプリのインストール機能を備えた製品からです。
 それから、記事中で触れられてるマッキントッシュ、私は昭和50年代にはすでにマルチウインドウとマウスを備えたワークステーションを作っており、あとから出てきた初代マッキントッシュ(所謂512kのMac)はアップルの失敗作Lisaの後継としてはハードウェアがあまりにも貧弱だった印象があります。いずれにしろ、アップルが「発明」した機能はありません。
 ヒット商品になるか否かは、技術力とは関係ないと言ってよいでしょう。


> ニュースを読んでいて「そもそも、これ何だっけ?」と感じること、ありませんか。「ゼロからわかる」シリーズは、ニュースに登場する人物や企業、制度などを初歩から解きほぐし、ニュースを格段にわかりやすくします。

> 今回のテーマは、米アップルのスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」です。「あなたの生活をポケットに」というキャッチフレーズ通り、電話に電子メール、友人とのやり取り、ネット検索、スケジュール管理、音楽、読書、買い物など、日々の暮らしになくてはならない存在になったスマホ。その歴史をたどると、技術ではリードしていた日本企業がアップルに出し抜かれた理由も見えてきます。【中井正裕/北米総局】


> 「すべてを変える」初代アイフォーン登場

> 「すべてを変えてしまう革命的な製品が、ごくまれに現れる。今日、そんな革命的な製品を紹介しよう」。

> 2007年1月9日。米サンフランシスコで開かれたイベントで、米アップルのスティーブ・ジョブズ最高経営責任者(CEO、当時)はこう切り出した。

> トレードマークの黒いタートルネック姿で、ワイヤレスマイクを手にしたジョブズ氏は「タッチ操作できる大画面のアイポッド、革新的な携帯電話、画期的なインターネット通信機器、この三つが別々のものではなく、一つのデバイスになった」と会場の注目を引きつける。

> そして、こう宣言した。「我々はそれをアイフォーンと名付けた。今日、アップルは携帯電話を再定義する」

> ジョブズ氏の宣言は現実となった。今やアイフォーンの世界保有台数は10億台超。日本ではスマホの保有率が86%に達し、そのうち6割はアイフォーンだ。

> 日常生活に不可欠なデジタル機器となったアイフォーンは、どんなふうに生まれたのだろうか。


> 「革新」を生み出す企業アップル

> ジョブズ氏が76年に友人と創業した「アップル・コンピュータ」(現アップル)は、アイフォーン発表以前から革新的なデジタル機器を世に送り出してきた。

> 代表例は、84年に発売したパソコン「初代マッキントッシュ」と、01年発売の音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」だ。

> マッキントッシュは、文字ばかりだったパソコン画面に「ウィンドウ」「マウスカーソル」「タスクバー」といった、初心者でも操作しやすい工夫を持ち込んだ。その後、マイクロソフトの基本ソフト(OS)、ウィンドウズにも採用され、アップルの「発明」はパソコンを一気に身近なものにした。

> アイポッドは、液晶ディスプレーとダイヤル型コントローラー「クリックホイール」が特徴的なデザインの携帯プレーヤー。それまではカセットテープやCDを持ち歩かないといけなかったが、アイポッドならインターネットからダウンロードし、最大1000曲もの音楽を持ち運ぶことができる。若者文化の象徴だったCDショップや携帯CDプレーヤーは街から姿を消していった。


> 「直感的に操作できる」アイフォーンの衝撃

> そのアップルが「携帯電話を開発している」とのうわさが広がり、初代アイフォーンを発表するジョブズ氏の講演は熱気に包まれた。

> ジョブズ氏が大型スクリーンに映し出したのは、3・5インチの液晶ディスプレーと、その下部に丸い「ホームボタン」が一つというシンプルで斬新なデザイン。必須と思われてきたテンキーやキーボードはどこにもなかった。

> 約1時間を費やして、ジョブズ氏が実際に操作してみせると、会場はその機能と性能に圧倒された。初代アイフォーンには、現在のスマホでは当たり前になった基本的な機能のほぼすべてが詰め込まれていた。

> ホーム画面には、四角形のアプリのアイコンが格子状に並ぶ。電話、電話帳、メール、SMS(ショートメッセージ)、ネット閲覧の「Safari」、地図アプリ「グーグルマップ」、時計、天気、株価、音楽管理ソフト「iTunes(アイチューンズ)」などのアプリがそろっていた。側面には電源や音量調節ボタン、イヤホンジャック、背面に200万画素のカメラが付いていた。

> 何より圧巻だったのは、直感的に操作できたことだ。2本以上の指で画面をタッチして操作できる「マルチタッチスクリーン」、アプリやサイトの画面を指で弾けば画面がコロコロと勝手に進んでいく「慣性スクロール」、ページの終わりに突き当たれば軽く跳ね返る「ラバーバンド・エフェクト」も備わっていた。

> ディスプレーが大型化したことでパソコン用サイトの閲覧がしやすくなったのも画期的だった。当時、カナダ大手ブラックベリーなどが発売していたスマホは、小型キーボードを備えていたため、ディスプレーが小さく、パソコン用サイトは閲覧しづらかった。

> 一方、アイフォーンは大型ディスプレーなのに加え、2本の指でスムーズにスクロールしたり拡大したりすることもできた。もっとも、当時は通信速度が遅く、米紙ニューヨーク・タイムズのトップページがすべて表示されるまでに30秒近くかかった。


> スマホ黎明(れいめい)期とアップルの参入

> 電話機とコンピューターが融合したスマホが誕生したのは、初代アイフォーンから10年以上もさかのぼる90年代半ば。むしろアイフォーンは後発組だった。

> 世界初のスマホは、米IBMが94年に発売した「シモン・パーソナル・コミュニケーター」とされる。メールや電卓、カレンダー、ゲームなどのアイコンをタッチスクリーンで操作できた。しかし、レンガのような大きさで、バッテリーがもつのはわずか60分。結局、5万台しか売れず、半年で販売打ち切りになった。

> シモンの機能はアイフォーンと大差はなかったが、当時のネット通信は電話回線を使ったダイヤルアップ接続だったため、通信速度が非常に遅かった。シモンの失敗原因は、時代が早すぎたということに尽きる。

> アップルも93~98年に個人用携帯情報端末(PDA)の「ニュートン」を販売していた。電子ペンを使って手書き入力ができる液晶ディスプレーを備えた端末で、乾電池で稼働した。電話、メール、住所録、カレンダーなどの機能が使えたが、手書き文字の認識が遅く、誤変換が多発したことで評価は低かった。

> 00年代に入ると、ブラックベリーやフィンランドのノキア、米モトローラなどが、ポケットサイズのスマホを相次いで発売した。いずれもキーボードを搭載し、外出先でもメールのやりとりができるため、ビジネスパーソンに利用が広がっていた。

> そんな中、後発組のアップルがスマホ開発に乗り出したのは、なぜだったのだろうか。

> 当時、世界の通信規格が第3世代(3G)への移行期に差し掛かっていた。通信できる情報量の増大に伴い、スマホの飛躍的な性能向上と普及が見込まれる中、アップルのヒット商品だったアイポッドの機能が、他社のスマホに吸収されてしまうのは時間の問題だった。

> 実際、05年夏にモトローラがアイポッド機能を搭載した「ROKR(ロッカー)」を発売。アップルはこの製品を共同開発するなかで、スマホを自社開発しなければならないと考えたようだ。

> 社内で独自に研究が進められていたマルチタッチスクリーン技術など、複数の研究チームがジョブズ氏の号令で一つのプロジェクトに統合された。OSは、自社のパソコン「Mac(マック)」のOSをもとに作ることになり、「コンピューターを搭載したスマホ」という位置づけも加わった。


> 日本のガラケーもすごかった

> このころ、日本の携帯電話は独自の進化を遂げていた。

> アイフォーンが登場するまで、日本の携帯電話はNTTドコモやKDDIなど通信キャリアが開発を主導していた。

> NTTドコモが99年に始めた携帯電話用のインターネット閲覧サービス「iモード」は、iモード向けに作成された文字中心の簡易サイトでニュースや買い物、ゲームなど、さまざまなサービスが利用できた。携帯電話で多様なオンラインサービスを提供するという意味では、アイフォーンに9年も先行していた。

> 音楽プレーヤーや着信メロディー、絵文字、撮影した写真をメールで交換する「写メール」、携帯電話向け地上デジタル放送「ワンセグ」受信、非接触型決済サービス「おサイフケータイ」などが次々と登場し、高機能モデルにはパソコン用サイト閲覧機能や顔認証まで搭載されていた。ワンセグ機能を除き、いずれも後にアイフォーンに搭載されることになった。

> 例えば、アイフォーンとほぼ同時期に発表されたNTTドコモのソニー製「BRAVIA(ブラビア)ケータイ」は、3インチ液晶ディスプレーを備える二つ折り携帯電話で、ソニーの液晶テレビ技術を活用した鮮明な映像でワンセグ放送を楽しめるのが売りだった。

> 日本メーカーは画面を大型化することで、インターネット利用ではなく、テレビ放送を視聴することに比重を置いていたのだ。

> アイフォーン発売当時、日本の通信キャリアや携帯メーカーは「日本の携帯も十分に多機能だ」と反応した。それは間違いではなかったが、本質を捉えていなかった。

> 日本勢が見落としていたのは、動画配信サービスの「ネットフリックス」や「ユーチューブ」のようなネットコンテンツがテレビ放送をしのぐ時代が近づいていたことだ。やがて日本の携帯電話は世界の潮流から外れ、独自の発展を遂げた「ガラパゴス携帯(ガラケー)」と揶揄(やゆ)されることになる。

> ガラケーが衰退の道をたどるなか、日本勢のスマホはソニーの「Xperia(エクスペリア)」とシャープの「AQUOS(アクオス)」などが健闘しているものの、アップルや韓国のサムスン電子に太刀打ちできない状況が続いている。


> 初代アイフォーンに足りなかったもの

> アイフォーンの「i」は、インターネット、inform(情報を与える)、inspire(刺激する)、individual(個人)などの意味が含まれているという。実際に、アイフォーンのディスプレー大型化とマルチタッチ操作により、インターネットの使い勝手が格段に向上した。

> 初代アイフォーンのバッテリー持続時間は連続通話で5時間。価格も499ドル(当時の為替レートで約6万円)からと手ごろな値段に抑えられた。

> ただし、最初から大ヒットしたわけではない。通信規格の違いから、初代アイフォーンの販売地域は米国や欧州の一部にとどまった。販売台数は発売から74日後に100万台を達成したが、その後、伸び悩んだ。多くの消費者は、テンキーやキーボードに慣れていたため、全面タッチスクリーンのアイフォーンはすぐには受け入れられなかった。

> 足りない部分は他にもあった。初代アイフォーンには、アップル以外の事業者が開発したアプリを配信する「アップストア」という重要なサービスが抜けていた。

> ジョブズ氏は、デジタル機器とソフトを自社開発する「垂直統合」のビジネスモデルを貫いていた。それが利用者の使い勝手に細部までこだわるジョブズ氏の信念だった。

> しかし、ネット交流サービス(SNS)の「ライン」「ツイッター」「インスタグラム」などのアプリが存在しないスマートフォンを使いたいと思うだろうか。初代アイフォーンは、アプリ不足という問題を抱えていた。「端末からソフトまで自社製」という信念にこだわるジョブズ氏が、アップル以外のアプリを搭載することに断固反対していたのだ。

> それでも初代アイフォーンの販売伸び悩みを受け、アップル幹部がジョブズ氏を説得。アプリ開発業者の強い要望もあり、ジョブズ氏は最終的に「アップストア」を容認した。

> アップストアは、08年発売のアイフォーン「3G」に初搭載された。多くの国で使われる移動通信規格の3Gに対応。日本を含め22カ国で発売され、販売台数は発売わずか3日後に100万台に達する世界的な大ヒット商品になった。

> アップストアはアイフォーンの爆発的な普及を後押しした。SNS、動画配信、ネット通販、宅配サービス、配車サービスなど多種多様なデジタルサービスが発展し、経済のデジタル化を巻き起こしていく。「3G」以降、アップストアに登録されたアプリの数は当初の500から、現在は180万超に増加している。

> アップルは毎年、アイフォーンの新機種を発売し、新たな機能を追加した。2009年発売の「3GS」はビデオ撮影、10年の「4」はビデオ通話サービス「フェイスタイム」、11年の「4S」は人工知能(AI)型の音声アシスタント「Siri(シリ)」が搭載された。

> ジョブズ氏は「4S」の発表翌日に死去し、ジョブズ氏が関わった最後のアイフォーンとなった。


> 「ジョブズ後」のアイフォーン

> 米グーグルが08年、スマホ用OS「アンドロイド」を発表すると、多くの携帯メーカーがアイフォーンに似たスマホを発売し、急速に販売を伸ばした。

> そして、スマホは社会現象から必需品へと変わっていく。総務省の情報通信白書によると、スマホ保有率は10年の9・7%から20年は86・8%に達し、ネットの利用時間はテレビの視聴時間を上回るまでになった。

> 音楽プレーヤー、デジタルカメラ、テレビ、ゲーム機、手帳、新聞、雑誌、辞書、地図――。かつては別々に持ち歩いていたアイテムが、一つの機器に詰め込まれ、ポケットに収まるのが当たり前になった。アイフォーンが起こした変革は、おそらくジョブズ氏が想像した以上のものだっただろう。

> ジョブズ氏の後任となったティム・クックCEO時代、アイフォーンは半導体性能や通信速度の向上とともに大型化と高性能化、機種の多様化が進んでいる。

> 一方で、近年は新製品が発表されるたびに「期待外れ」「マイナーチェンジ」などと失望の声も上がるようになった。それはアップルが、再び「世の中を革新するデジタル機器」を世に送り出すことへの高い期待の裏返しに他ならない。

> 自動運転機能を備えた電気自動車「アップルカー」、現実世界とデジタル情報を重ねて表示できる「AR(拡張現実)グラス」――。「アイフォーンの次」を巡ってさまざまなうわさが駆け巡っている。ジョブズ氏のDNAを受け継ぐアップルは、これからどんな新製品で私たちの生活を変えてくれるのだろうか。


<参考=「iPhone創世記「技術は上」日本のガラケーが敗れたワケ」(毎日新聞、11月9日)>