みんながパソコン大王
雑談<NO.53>

みんながパソコン大王
総 合 目 録 趣意書

表題一覧表

NO 表題 起稿 起稿日
雑談NO.54
821 千の証言:(その1) 密林に1年、戦友は次々倒れ メモ帳に「死の予感」(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/15
820 国産ステルス:1月初飛行 4年で実用化判断、三菱重方針(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/14
819 最近、兵士の夢を見る--漫画家・水木しげるさん(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/13
818 忠犬こゆき:飲酒運転犠牲に 遺影前で寝る犬(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/13
817 自動ブレーキなのに衝突、過信は禁物!(朝日新聞) 磯津千由紀 14/08/11
816 インド人はカレーばかり食べるのか(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/11
815 日本だけじゃない!オーストラリアにて、人々が電車を傾け、男性を救出。(日本電波連合) 磯津千由紀 14/08/09
814 <常識>「女子挺身隊」=工場労働者/「慰安婦」=戦地<!> シバケン 14/08/09
813 安倍首相、広島の平和祈念式典スピーチが去年と同じだった!?(NAVERまとめ) 磯津千由紀 14/08/08
812 二本足の犬(Two-Legged Boxer Dog Reminds Us To Carpe Diem)(95.7KJR) 磯津千由紀 14/08/07
811 特集:おしえてドクター 緑茶で認知症改善?(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/07
810 80年前のマンガ家志望者への先輩からの言葉が深い――「マンガの描き方本」の歴史1(SPA!) 磯津千由紀 14/08/07
809 弘前ねぷた:まつり中止…山車昇降機に挟まれ男性死亡(毎日新聞) 磯津千由紀 14/08/06
雑談NO.52

NO.809 弘前ねぷた:まつり中止…山車昇降機に挟まれ男性死亡(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/06)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/06 (Wed) 19:02

 こんばんは。


 死亡事故のため、中止されました。

> 5日夜、青森県弘前市で開催中の「弘前ねぷたまつり」のねぷた(山車)内の昇降機に男性が挟まれて死亡する事故があり、祭りを主催する同市や弘前商工会議所などは6日、7日までの予定だったまつりの中止を決めた。市によると、事故によるまつりの中止は1958年にねぷたの合同運行が始まって以来初めて。

> 県警弘前署や、弘前地区消防事務組合などによると、5日午後8時35分ごろ、参加していた40代の男性が、運行準備中のねぷた(高さ7.7メートル、幅7.1メートル)の昇降機の点検口に身を乗り出したところ、昇降機が何らかの理由で動き、首と左わき下をはさまれたという。救急隊員が死亡を確認した。弘前署が業務上過失致死の疑いで関係者から事情を聴いている。昇降機は、ねぷたの高さを調節するために取り付けられている。

> まつりは今月1〜7日の日程で予定されていたが、5日の事故のため途中で打ち切った。

> 弘前ねぷたまつりは、武者の絵などが描かれた扇形の灯籠(とうろう)を乗せた山車が市内を練り歩くまつり。国重要無形民俗文化財で、例年百数十万人の観光客が訪れる。弘前市の葛西憲之市長は記者会見し、「弘前を代表する祭りで、市民1人の命が失われたことを重く受け止めて中止を決めた」と語った。【松山彦蔵、石灘早紀】

<参考=「弘前ねぷた:まつり中止…山車昇降機に挟まれ男性死亡」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/09/11>


NO.810 80年前のマンガ家志望者への先輩からの言葉が深い――「マンガの描き方本」の歴史1(SPA!)<起稿 磯津千由紀>(14/08/07)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/07 (Thu) 09:48

 おはようございます。


 随分と古くからあったんですね。

> 『帽子男シリーズ』や『ギャグにもほどがある』など、作品ごとに惜しげなくアイデアを使い捨てるリサイクル精神ゼロのギャグ漫画家・上野顕太郎氏。実は「マンガの描き方本」を収集することをライフワークとし、現在、その数は200冊以上に及ぶという。

> そこで、上野氏所有の貴重な資料本をベースに「マンガの描き方本」の変遷を俯瞰する連載を開始する運びとなった。マンガへの愛情たっぷりなチャチャと共に奥深いマンガの世界を味わいつくそう。

<参考=「80年前のマンガ家志望者への先輩からの言葉が深い――「マンガの描き方本」の歴史1」(日刊SPA!)>


NO.811 特集:おしえてドクター 緑茶で認知症改善?(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/07)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/07 (Thu) 19:19

 こんばんは。


 掛川市のコホート研究でも有意な差が出ています。(NHK「ためしてガッテン」で取り上げられました)

> 緑茶を飲むことは健康に良いとのイメージがあるが、実際はどうなのか。体内で脂肪の吸収を抑えるなどの作用は以前から指摘されていたが、最近は認知症の予防を示唆するデータも出てきた。緑茶と認知症の関連をリポートする。【小島正美】

> ◆予備的試験で効果確認−−山田浩・静岡県立大教授

> 認知症は、記憶や時間、場所などを判断する能力が低くなって、社会生活を営むことが難しくなる。認知症になる要因は主に三つあり、代表的なのはアルツハイマー病によるもの。認知症患者のおよそ半分を占める。この他、脳卒中などによって生じた脳血管疾患に伴う認知症、たんぱく質の異常な構造物(レビー小体)が脳内にたまって生じるレビー小体型認知症などがある。

> 治療に関しては、いまのところ認知症の症状の進行を遅らせる薬はあるものの、根本的に治す薬はない。このため、生活習慣の改善を通じた予防策が重要となる。

> ◇カテキンなどの含有成分に注目

> そうした中で緑茶に含まれるカテキンやテアニン(アミノ酸の一種)の機能性が注目されている。細胞を使った実験で脳神経細胞を保護したり、ネズミを使った実験で認知機能の低下が改善されたりする研究報告があるからだ。

> 緑茶に含まれる成分の働きに注目した山田浩・静岡県立大薬学部教授(医薬品情報解析学)は伊藤園中央研究所、社会福祉法人・白十字会(東京都東村山市)と共同で緑茶が認知症の改善に効果があるかどうかの試験を一昨年に行った。

> 老人ホームに入居する認知症の高齢者12人(平均年齢88歳、男性2人、女性10人)を対象に、緑茶の粉末2グラム(カテキンの総量は1日227ミリグラム)を毎日、3カ月間飲んでもらい、3カ月後に認知機能検査の点数が上がるかどうかを調べた。12人の内訳は脳血管疾患による認知症8人、アルツハイマー病3人、レビー小体型認知症1人。

> 認知機能の検査は世界的に使われているMMSE(ミニメンタルステート試験)日本語版を使った。「いま季節は何ですか」「きょうは何曜日ですか」などの質問をして、点数の合計点(30点満点のスコア)で認知症の程度を知る検査法だ。

> この試験の結果、12人の平均スコアは、飲む前は15・3点だったが、3カ月後の検査では17点に上がった。特に「近時記憶」の検査では、12人のうち8人のスコアが上がった。

> この「近時記憶」は、試験者から出された「ボール」「旗」「桜」の3語を繰り返して言えるかどうかをまず答え、次の別の質問のあとに、この3語の単語を覚えているかどうかを尋ねるものだ。この検査では平均点も上がったことから、近時記憶の改善が目立ったといえる。

> ◇一般的煎茶なら1日に2〜3杯

> この試験で認知症の高齢者が飲んだ緑茶の量はどれくらいか。

> 人によってお茶のいれ方に差はあるものの、一般的に食卓で煎茶を飲む場合、100ミリリットルあたり80ミリグラム前後のカテキンが含まれる。この80ミリグラムを基にすれば、1日に2〜3杯の緑茶で効果があったことになる。通常の300ミリリットル容器の緑茶飲料は、煎じた場合よりもカテキンはやや少ないため、2本程度に相当するという。

> これまでは緑茶を実際に人に飲んでもらって、認知症の症状の改善に効果があるかどうかの試験はほとんどなかっただけに、今回の試験の意義は大きい。ただ、山田浩教授によると、今回の試験では参加総数が12人と少なく、さらに緑茶を飲んだ群と飲んでいない対照群(プラセボ群)との比較がないのが課題として残った。

> そうしたことから、山田浩教授は「今回の試験は予備的な試験」と位置づけ、昨年秋から、同じ施設の認知症の高齢者30人を対象に、1年間の緑茶飲用の効果を見るための本格的な試験を始めている。結果は来年に出る予定だ。

> 共同研究した提坂(さげさか)裕子・伊藤園中央研究所長は「これまでの研究で、緑茶が人の認知症予防に効果がある可能性が示されていたが、今回の研究はそれを支持する結果ではないか」と話す。

> いま続けている試験について、山田浩教授は「認知症の高齢者は他にも病気があることが多く、試験を1年間継続するのはとても難しいが、なんとか結果を出したい」と意欲的だ。

> ◇コーヒーや紅茶、差は見られず

> 一方、緑茶の摂取が認知症の予防になるのを示唆する新たな疫学研究結果も出ている。金沢大の山田正仁教授(神経内科)や篠原もえ子助教らの研究グループが行ったもので、米国科学誌プロスワンにも掲載された。

> 同研究グループは2007〜08年、石川県七尾市中島町に住む60歳以上の高齢者を対象にお茶を飲む習慣を聞き出し、認知機能などを検査したうえで、認知機能が正常な490人を約5年間追跡した。

> その結果、緑茶を全く飲まない138人では43人(約31%)が認知症か軽い認知障害の認知機能低下が見られた。これに対し、週に1〜6日飲む195人では認知機能低下は29人(約15%)と低く、毎日緑茶を飲む157人では同18人(約11%)とさらに低かった。コーヒーや紅茶では差は見られなかった。

> 統計的な解析の結果、緑茶を全く飲まない場合に比べ、緑茶を毎日飲むと認知機能低下のリスクは3分の1に、週に1〜6日飲むと2分の1に減ることが分かった。

> 山田正仁教授によると、この研究手法は、研究開始時に生活習慣と認知機能を確かめたうえで追跡していくため、「前向き縦断試験」といい、信頼性は高い。緑茶のどんな成分が効いているかの解明は今後の研究課題だが、今度の疫学研究を受けて、山田正仁教授らは現在、アルツハイマー病の脳に蓄積するアミロイドという異常たんぱく質を阻害する作用をもつポリフェノールのカプセルをアルツハイマー病の患者に投与する比較対照試験を始めている。今後が注目される。

> ◆女性胃がん予防にも−−若林敬二・静岡県立大特任教授

> ◇お酒はほどほどに 禁煙、減塩もお忘れなく

> 毎年約5万人が死亡する胃がん。緑茶と胃がんの関係については、これまで数多くの研究報告がある。それらを総合的に解析した結果では、女性では胃がんの予防効果があるようだ。

> ◇リスク3割減、男性は差なし

> 国立がん研究センターの研究者らは2年前、日本で報告されている八つのコホート研究(コホートは集団の意味)と三つの症例対照研究を総合的に解析した研究結果を報告した。それによると、1日当たり5杯以上の緑茶を飲む女性は、1杯未満の女性に比べ、胃がんになるリスクが3割程度低かった。男性では差はなかった。

> 胃がんは、食道に近い方の上部(噴門部)にできるがんと出口に近い下部にできるがんがある。日本人に多いのは下部のがんで、緑茶を多く飲んで予防効果が見られたのは下部のがんだった。男性で差が見られなかった理由の一つは、男性は女性ほど緑茶を飲んでいないことが挙げられるという。

> では、緑茶はどんなメカニズムで胃がんにつながる炎症を抑えるのだろうか。食品とがんの研究で知られる若林敬二・静岡県立大食品環境研究センター長(特任教授)らは、胃がんを起こす原因の一つとされるヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)に感染しやすいスナネズミを使って実験を行った。

> 強い酸性の胃の中でもピロリ菌が生きていられる理由の一つは、ウレアーゼという酵素を生成しているからだ。ウレアーゼは胃の粘液に含まれる尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解する。ピロリ菌はこのアルカリ性のアンモニアで自身の体を守っているわけだ。ところが、このアンモニアなどの生成物は人の胃の粘膜に炎症を起こす作用がある。

> 若林特任教授らはウレアーゼの作用を抑える食品はないかとキノコ、ハーブ類などさまざまな食品を調べたところ、緑茶がウレアーゼの作用を抑えることが分かった。

> そこでピロリ菌を感染させたスナネズミに緑茶抽出物を飲ませて実験したところ、緑茶抽出物を飲んだネズミでは、ピロリ菌の活性が抑えられていた。こうした疫学研究や動物実験から、若林特任教授は「確定的なことは言えないものの、女性では緑茶に胃がんを予防する働きがあるようだ」と話す。もちろん、がんの予防には他にも大切なこと=表=はあるので、それらを心がけることも重要だ。

> ==============

> ■がん予防、心がけたいこと

> (1)喫煙をやめる

> (2)塩分の過剰摂取を控える

> (3)酒はほどほどに

> (4)野菜・果物を多く取る

> (5)脂肪の過剰摂取を控える

> (6)適度な運動

> (7)ピロリ菌、肝炎ウイルスなどの感染予防と除去(治療)

> (8)胃がんなどがん検診

> ==============

> ■人物略歴

> ◇やまだ・ひろし

> 1956年生まれ。自治医科大卒。同大学院博士課程修了。聖隷浜松病院総合診療内科部長、浜松医科大助教授などを経て現職。専門は内科、臨床薬理学、臨床統計学など。日本内科学会総合内科専門医。

> ==============

> ■人物略歴

> ◇わかばやし・けいじ

> 1949年生まれ。静岡薬科大卒、同大学院薬学研究科博士課程修了。国立がんセンター(現国立がん研究センター)研究所長などを経て、2011年から静岡県立大教授。専門はがん予防など。日本癌学会評議員。日本癌学会奨励賞などを受賞。

<参考=「特集:おしえてドクター 緑茶で認知症改善?」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/08/07>


【シバケン】 2021/04/20 (Tue) 13:47

副題=お茶のカテキン(アミノ酸)は、コロナ・ウィルスにも、効果<?>

<参考=NO.1357 <コロナ対策>アミノ酸に治療薬期待/お茶のカテキンで、無害化効果/研究始まる


<参考=NO.2361 <認知症改善>「カイコ冬虫夏草」に含まれる物質が寄与、岩手大発ベンチャー発表」


NO.812 二本足の犬(Two-Legged Boxer Dog Reminds Us To Carpe Diem)(95.7KJR)<起稿 磯津千由紀>(14/08/07)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/07 (Thu) 23:18

 こんばんは。


 後ろ足の代わりに車輪を付けている犬は偶に見かけますが、この犬は装具なしです。


<参考=「Two-Legged Boxer Dog Reminds Us To Carpe Diem」(95.7KJR)>
<消滅・削除・14/08/09>


NO.813 安倍首相、広島の平和祈念式典スピーチが去年と同じだった!?(NAVERまとめ)<起稿 磯津千由紀>(14/08/08)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/08 (Fri) 02:00

 こんばんは。


 こんな人が首相では。

<参考=「安倍首相、広島の平和祈念式典スピーチが去年と同じだった!?」(NAVERまとめ)>
<消滅・20/09/30>


【シバケン】 2014/08/08 (Fri) 07:37

おはようございます。

これ、
スピーチなるは、首相自らの作文で無く。
スタッフがと、思うですが。

手抜きも、甚だしく<!>


NO.814 <常識>「女子挺身隊」=工場労働者/「慰安婦」=戦地<!><起稿 シバケン>(14/08/09)


【シバケン】 2014/08/09 (Sat) 09:39

<参考=NO.537 <今更ですが>朝日新聞・慰安婦問題記事の一部虚偽を認める>関連。


イヤ、
戦後産まれの、私でさえも、「女子挺身隊」が、何かは、承知してるです。

話簡単の、我が母<現、91歳>、動員されてまして。
戦争当時、多分なら、中学生年代以上の女性で、25歳以下なら、工場が近くならです。余程の事情でもの、ないの限り、動員され、経験されてるの、常識でして。
特段の秘密でも、何でも無く。


要は、男は兵士として、動員されてまして。
人手不足故、女は、工場で、働かさせられた。
と、ダケでして。


イヤイヤ、
工場近くの女性、殆ど、「女子挺身隊」として、動員されたのではと。
国のためと、皆様、誇りにされてたですと。

全国各地なら、20万人どころか、モっと、沢山での、桁違いと、違うの哉と。
オッとの、韓国女性なら、そんなモンかも、分からんですが。


この、
「女子挺身隊」を、朝日新聞が、「慰安婦」扱い致しましての、20万人云々の韓国女性をと。

コレ、
取材能力云々の範疇で、ありませんでして。

1980年代、90年代の記事なら、当時、概ね、50歳代、60歳代の方に聞けば、分かるの話でして。

この人物、吉見義明氏、私の一歳上でして。
戦後産まれなれどの、東大出身での、当然の、東京なるは、都会やなあと。首都やなあと。
工場なら、方々にあったの筈やなあと。

朝日新聞社にしてもです。
1980年、90年の当時なら、もしかしたらの、「女子挺身隊」に動員されたの経験者。
少なくともの、親から、聞いて、知ってるの、社員居てるの筈。

要は、朝日新聞社の中に、1人たりともの、「女子挺身隊」の事、知らんとなればの、嘘でして。

何かを、意図しての、事実の、ねじ曲げでして。
何かとは、日本を辱める、貶めるの以外、何があるの哉と。


【シバケン】 2014/08/09 (Sat) 13:18

副題=工場には、託児所設置<!>


「女子挺身隊」

コレ、私共、当時、子ども時代、方々から、聞かされたです。
当然の、記憶の範囲なれどです。

先の通りの、概ね、対象、年齢的、13歳辺りから、25歳見当の女性でして。

現在の労働環境からしたらの、長時間労働なるは、別としてです。
子持ち女性も、安心して、働けるよにと、託児所まで、設置されててねえ。

当世よりも、数段の、優れてるです。
ソラ、女性主体の、工場でして。

再度の、申すですの。
20年、30年昔の、朝日新聞社員の誰1人、この事、知らんは、嘘でして。


【シバケン】 2014/08/09 (Sat) 15:30

副題=強制性について=意識的、食糧難の時代、喰わせて戴いたの話


強制性についてなら、「皆無」とは、申せませんです。
ソラ、戦時中の事でして。
拒否でもしよもんなら、「非国民」呼ばわりされたやろと。
とは、戦後産まれの、私にでも、容易に推測出来るですが。

再度の、
私共、子ども時代、方々から、聞かされたです。

国防のため、お国のためと、「女子挺身隊」に行ったと。
自慢気に、申してたです。

何より、食料難の時代、食べさせて戴けるだけでも、有り難かったと。
賃金も、支払われてたと。
額までは、聞いてませんですが。


そらねえ、
朝鮮半島の方々とは、意識違うは、分かるですが。
一部、提訴の動きあるらしく。
<注=中国もです>

国家的規模での、正々堂々の、事実を論じるのべきでして。
「遺憾に存じます」程度では、困ったなあ的、響きでの、曖昧に過ぎるわと。

まさかの、現国会議員殿に、この程度の知識、伝聞無いとは、云わさせませんです。
朝日新聞社員にしてもです。


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/09 (Sat) 17:06

 シバケン様、こんにちは。


 母は昭和6年の早生まれですが、国民学校で、一学年上の生徒は、学徒動員で、沼津の海軍工廠で働いていたそうです。昭和19年になると、母も学校で兵器生産に携わっていたらしいです(何せ七十年も前のことなので記憶が曖昧の由)。
 卒業生は、女子挺身隊で、軍事工場で働いていたそうです。


【FH】 2014/08/09 (Sat) 17:50

シバケンさん こんにちは。

女子挺身隊ではないのですが学徒動員で

昭和4年生まれの母も14~15歳のころ深草にあった某工場から学校の講堂に持ち込まれたネジの整形をする作業をしていたと言うてました。イヤ、母今も健在ですが。(笑)

1学年下の子はボール盤を使い。

お国のために小さいころから頑張ってきやはったんですね。


【シバケン】 2014/08/09 (Sat) 18:00

諸般、有り難う御座います。

ソ云えば、「学徒動員」も聞いてるですねえ<笑>
総動員体制ですからねえ。

基本、小学生は無理としても、中学生年代から、動員ですからねえ。


での、
当時、戦時中、我が親族<叔父叔母含め>、その辺りの、学徒世代、居てませんでして。

「学徒動員」の文言なら、承知してたですが、経験談では無く、学徒までが、徴兵されたの、話でしたです。


当然の、戦争はダメですが。悲惨ですが。
事実の、ねじ曲げは、どかと、思うです。


NO.815 日本だけじゃない!オーストラリアにて、人々が電車を傾け、男性を救出。(日本電波連合)<起稿 磯津千由紀>(14/08/09)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/09 (Sat) 23:36

 こんばんは。


 オーストラリアでも、日本と同じような出来事が。

> オーストラリアのパースで6日、ホームと電車の間に男性が落ちて足を挟まれる事故が発生した。

> 現場に居合わせた乗客達が電車を押して車両を傾け、男性を救出した!

> 日本でも以前、電車に挟まった女性を乗客たちが電車を傾けて救出した事も記憶に新しい。

> やはり、人の優しさは万国共通なり。

<参考=「日本だけじゃない!オーストラリアにて、人々が電車を傾け、男性を救出。」(日本電波連合)>
<消滅・削除・14/10/29>


NO.816 インド人はカレーばかり食べるのか(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/11)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/11 (Mon) 21:01

 こんばんは。


 私も疑問に思っていたことでした。

> インドについてよく聞かれることの一つに、「インド人は本当にカレーばかり食べているのか」という質問がある。そしてこの問いに答えるのは、実はたいへん難しい。イエスのようでもあるし、ノーのようでもある。なぜか。それはおそらく、この質問が「カレーとは何か」という根源的な問いに直結しているからである。

> 「カレー」の語源には諸説ある。最も有力視されているのは、ソースを意味するタミル語の「カリ」。かつて大航海時代、インド南部にたどり着いたポルトガル人が料理名だと思って広めたというものだ。確かにヒンディー語には「カレー」という語句はない。最近はメニューに「カリー」などと書かれた店もあるが、あくまでも外来語として使われているだけで、元々あった単語ではないようだ。

> カレー。ひとくちにそうは言っても、実はインドには無数のカレーがある。例えばいわゆるチキンカレー一つとっても、トマトベースの「バターチキン」、タマネギをたくさん使った「チキン・ドー・ピャーズ」、土鍋で煮込んだ「チキン・カラーヒー」など、名前をあげればきりがない。

> それだけではない。スパイスをどろどろに煮込んだいわゆる「カレー」の他にも、野菜をスパイスで炒め煮にした「サブジー」(野菜の意。これも具材ごとに料理名が違う)や、南インド料理の酸っぱ辛い「ラッサム」というスープ、「サンバル」という豆と野菜の煮込みなどもある。

> こうした多様なインド料理を「カレーかそうでないか」という基準で分けるとすれば、きっと多くの日本人はやっぱり「どちらかというとカレー」という結論を下すことになる。だが、同じ料理なのかというと、味や彩りは全く違う。アジの開きやブリの煮付けやサンマの塩焼きは「魚かそうでないか」と聞かれれば間違いなく魚だが、我々にはそれぞれ異なった料理であるように、おそらくインド人にとってはバターチキンやチキン・カラーヒーは全く異なる料理なのだと思う。

> ただ、多様なカレー料理の中にも一つだけ、絶対的な共通点がある。それは、「マサラ」(香辛料)を使っているという点だ。スパイスの調合は異なるものの、どんなインド料理にも必ずマサラが入っている。マサラがないと「味がしない」というインド人もいる。だからだろうか、ファストフード店のハンバーガーもふわりとスパイシーな香りがするし、安食堂の中華料理もやたらと辛いことがある。生野菜やフルーツにかける「チャート・マサラ」というものもある。

> だからたぶん、「インド人は本当にカレーばかり食べているのか」と聞かれたら、目下のところ、こう答えるのが一番正しいような気がする。「分かりません。でも、インド人はマサラばかり食べています」

<参考=「インド人はカレーばかり食べるのか」(毎日新聞)>
<消滅・18/11/16>


NO.817 自動ブレーキなのに衝突、過信は禁物!(朝日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/11)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/11 (Mon) 21:36

 こんばんは。


 航空機の自動化と同様に、運転者が機構を過信して事故に至る傾向にあるようです。

> 「ぶつからないクルマ」などのうたい文句で自動車メーカー各社が宣伝に力を入れる「自動ブレーキ」。だが過信は禁物。性能には限界もある。消費者に正しく伝わっているだろうか。


> ■試乗会の事故、操作ミス原因

> 昨年11月、埼玉県深谷市の試乗会で起きた事故。自動ブレーキを装着したマツダ「CX―5」を約7メートル先の障害物に向けて走らせ、その機能を体験してもらうはずだった。だが、車は障害物を倒して進み、金網に衝突。客と助手席の販売店員が重軽傷を負った。

> 埼玉県警は先月、販売店側の3人を業務上過失傷害容疑、客を自動車運転過失傷害容疑で書類送検した。車に構造上の問題はなく、人為的ミスが事故の原因と判断した。

> 一口に自動ブレーキと言っても、障害物を認識して止まる方式や作動条件はメーカーによって千差万別。明るさや天候に左右されない「ミリ波レーダー」や、歩行者も認識できる「カメラ」に対し、「赤外線レーザー」は安価だが、性能に制約もある。

> CX―5の試乗車はこのレーザー方式で、時速30キロ以下で作動するタイプだった。県警によると、客は販売店員から適切な説明を受けず、アクセルを一気に踏んで急発進し、30キロ超の速度で衝突したとみられる。


> ■安全性を強調、広告に苦情も

> 国土交通省によると、自動ブレーキ装着車の国内向け生産台数は2011年の約4万6千台から、13年は19万7千台に増加。装着価格を約10万円まで抑えた富士重工業の「アイサイト」のヒットに続き、ダイハツ工業が安価な軽自動車用を投入し、一気に浸透したとされる。他社も相次いで参入、安全性を強調する宣伝合戦になった。

> 日本広告審査機構(JARO)には13年度上半期、車の広告に関する苦情が54件寄せられた。多くは自動ブレーキに関してで、「脇見運転を助長する」という内容が目立つという。JAROは12年度、そうした指摘があるCMを流すメーカー1社に警告を出した。

> 業界団体も自動ブレーキの作動条件などを広告で明示する基準をつくったが、「テレビCMの注意書きは文字が小さく、時間も短くて読めない」という声が絶えない。ある国内メーカーの技術者は「守ってもらうべき扱い方をいかに認知、普及させるかは悩みどころ」と明かす。


> ■増える装着車、「知識広めて」

> 低価格化と高齢社会を支える機能としての期待を背景に、自動ブレーキ装着車は今後も増えそうだ。

> 日本自動車研究所は、国内市場が500万台で推移する前提で、16年度は265万台、17年度には292万台が販売されると予測。

> 国交省の報告書(11年6月)は、自動ブレーキの普及率が100%になれば、死亡事故の発生件数を年に約13・4%減らす効果があるとする。だが埼玉での事故のように、仕組みを十分理解せずにシステムを過信すれば、むしろ危険な運転につながりかねない。

> 自動車評論家の国沢光宏さんは、レーザー式なのにレーダー式と誤解を招くような売り方も目につくと指摘。「命を預かる道具を扱うプロとして失格」と批判する。「せっかくの技術も使いこなせなければ意味がない。メーカーやメディアには、正しい知識を広める責任がある」(富山正浩)

<参考=「自動ブレーキなのに衝突、過信は禁物!」(朝日新聞)>
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<消滅・削除・15/08/21>


NO.818 忠犬こゆき:飲酒運転犠牲に 遺影前で寝る犬(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/13)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/13 (Wed) 15:01

 こんにちは。


 何故、呑むことが分かっているのに自家用車で出掛ける人が多いのか、理解に苦しみます。

> 福岡県粕屋町で2011年2月、飲酒運転の車にはねられて亡くなった山本寛大(かんた)さん(当時16歳)の愛犬「こゆき」が出演する啓発用CMが完成した。寛大さんとの散歩道を1匹で通るシーンなどで、大事な人の命を奪う飲酒運転の根絶を訴える。撲滅のため活動を続ける寛大さんの母美也子さん(45)に共感した人たちが発案、協力した。街頭ビジョンやイベントでの上映を募っている。【尾垣和幸】

> こゆきは柴犬(しばいぬ)の雌で8歳。寛大さんが小学5年生の秋に家族の仲間入りをした。寛大さんはこゆきが小さい頃は自転車のかごに入れて出歩き、大きくなってからは散歩を欠かさなかった。

> 寛大さんは高校1年生の時、同級生とともに飲酒運転の男の車にはねられ亡くなった。事故後、こゆきは遺影の前で涙を流す美也子さんに寄り添い、仏壇の前の座布団が寝床になった。

> 映像は、飲酒運転根絶を訴える効果的な手段として、美也子さんの活動に協力する知人が提案した。つてをたどって大手自動車メーカーのCMなどを手がける映像クリエーターの服部正典さん(35)=水戸市=に依頼した。

> 服部さんは1月、仏壇の前で寝そべるこゆきを見て、一気にイメージが湧いたという。「寛大さんを今でも待っているように感じた」。5月末、散歩のコースだった寛大さんの母校の中学校などで約9時間かけて撮影した。

> CMは30秒間。寛大さんを探すようにこゆきが1匹で思い出の散歩コースを寂しそうにたどる姿が続き、夕日の中でたたずむ最後のシーンに寛大さんの同級生の愛知望美さん(20)が「やめよう飲酒運転」とナレーションを入れた。制作費は美也子さんの協力者からの寄付金でまかなった。

> 警察庁によると、飲酒運転による交通事故は厳罰化や取り締まり強化などにより、03年の1万6376件から13年は4335件に減少した。死者数も781人から238人に減っている。しかし、この5年間は200人台で横ばい状態が続いており、今年も5月末までに全国で102人(前年同期比5人減)が死亡するなど、飲酒運転根絶にはほど遠い状況だ。

> 美也子さんは「撮影中のこゆきに『寛大のために頑張って』と言葉をかけると、いい演技をしてくれた。大切な人を失った悲しみは誰にでもある。その悲しみを想像できるようになれば、飲酒運転もなくなる」と願う。

<参考=「忠犬こゆき:飲酒運転犠牲に 遺影前で寝る犬」(毎日新聞)>
<消滅・削除・14/09/13>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/15 (Fri) 21:02

 こんばんは。


 CMの動画です。(「ゆるゆる倶楽部」より)

<参考=「亡くなった主人を待つ柴犬こゆきのCM」(ゆるゆる倶楽部)>
<消滅・17/09/14>


NO.819 最近、兵士の夢を見る--漫画家・水木しげるさん(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/13)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/13 (Wed) 20:46

 こんばんは。


 戦後69年です。

<禁止ワードに引っかかるので引用なし・・・「シバケンの掲示板」を参照>

<参考=「特集ワイド:この国で確かにあったこと・2014年夏/5 最近、兵士の夢を見る--漫画家・水木しげるさん」(毎日新聞)>
(閲覧には無料の会員登録が必要)
<消滅・削除・15/08/12>


<シバケンの掲示板>より、転載
<禁止ワードについては、確認してません><シバケン>
<確認結果、記事引用冒頭箇所の、「死ね」が、禁句でした。こては、「FC2」独自の設定です>

副題=最近、兵士の夢を見る--漫画家・水木しげるさん(毎日新聞)

 こんばんは。


 戦後69年です。

> ◇命懸けで合流した部隊で「死ね!」こみあげた怒り--水木しげるさん(92)

> 「最近、戦争の夢を見る夜が増えた」という。鬼太郎ブームを巻き起こした日本を代表する漫画家、水木しげるさん(92)が見る夢の中で、亡き戦友たちが無言で目の前を通り過ぎる。水木さんの右手は空をつかむようにして戦友を呼び止める。だが「『おーい!』と声をかけても誰も振り向いてくれない」。

> 東京都調布市の水木さんの事務所。鬼太郎や妖怪たちのフィギュアやお面が見守る。太平洋戦争中、激戦地、ラバウル(現パプアニューギニア・ニューブリテン島北東部)にいた。目の前の机に置いたのは、戦記漫画「総員玉砕せよ!」の初版本。「90%は戦地で自分が見聞きしたこと」という。

> 召集令状が届いたのは1943年春、21歳の時だった。古い船に乗せられラバウルに着いたのは秋。ラバウルはガダルカナル島などへの中継地点で、連合国軍の空爆の標的になった。すでに戦局は悪化し、水木さんの船はラバウルに到着した最後の船だった。

> 戦場は常識が通用しない世界だった。「上官から毎日50発ぐらいビンタされていました。水木さん(自分のことをこう呼ぶ)は、一秒でも長く寝ていたいから起床が一番遅い。だから朝から『ビビビビビン!』とビンタされる。銃の手入れが悪いと指摘されたり、軍の規則に少しでも外れる行動をしたりすれば、これまたビンタなのです」。兵隊は消耗品と位置付けられ、初年兵と畳はたたくほどよくなると言われていた。

> 「戦時中、特に前線では人間扱いされることなんてあり得ないことでした。人間なのか動物なのか分からないほど、めちゃくちゃだった」

> 分隊で、間もなく夜明けという頃に海岸線の歩哨に立った。望遠鏡でオウムを観察していて時間に遅れそうになり、慌てて隊に戻る途中、分隊は森側から敵襲を受け、全滅。水木さんは海に飛び込み、現地住民に襲われたり密林の中をさまよったりしながら本隊と合流を試みた。重い銃や弾は捨て、5日ほどの逃避行。「時間の感覚がまったくなかった。あるのは『生きて日本に帰りたい』という気持ちだけだった」と振り返る。

> 死線を乗り越えて部隊に合流すると思いがけない言葉が返ってきた。小隊長は「天皇陛下からもらった銃をなぜ捨てて帰った!」と怒鳴った。中隊長は「なんで逃げて帰ってきたんだ。みんなが死んだんだからお前も死ね!」と。

> 水木さんはこの時の心境について一言だけ述べた。「兵隊が逃げていたら戦争なんかできないから、生きて帰ったと叱られたわけですよ。だけどね、命からがら逃げてきて『死ね』と言われてもできるわけないですよ」

> 著書「水木しげるの娘に語るお父さんの戦記」(河出文庫)にはこう記されている。<中隊長も軍隊も理解できなくなった。同時にはげしい怒りがこみ上げてくるのを、どうすることもできなかった>

> 「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が、戦場にいた人の心を狂わせた。水木さんは口調に力を込めた。「体面を重んじたり、部下を忘れて美しく死のうとしたりする上官が多かった。玉砕という言葉が、生きたいと願う兵隊一人一人の人生に絡みついて離れない感じだった」。水木さんの直属の上官、27歳の大隊長は、皇国史観の下で「忠臣の鑑(かがみ)」とされた楠木正成に心酔していた。のちに戦況不利と判断すると玉砕を決行している。

> 爆弾で手足をもぎ取られたり、腹を撃たれたりしてうめく兵士。戦場では死は常に隣にあり、命は軽すぎた。作品では仲間の死に兵隊が涙を流すシーンがあるが、「水木さんは戦場ではあまり悲しんでなんかいられなかった。なんていっても誰かに次の死がやって来ましたから……」。水木さんがソファから背中を浮かすとシャツの左袖がひらりとした。そう、この人は命こそ助かったが、左腕を失った。

> マラリアで40度以上の高熱が出て兵舎でふせっていた時、空襲による爆発で左腕を負傷した。「バケツ1杯分の出血があった」(水木さん)。治らないと判断した軍医がナイフで腕を切断。傷口にウジ虫がわき、腕は顔よりも大きく腫れ上がった。マラリアもひどくなり、状態は悪化。「周りは『死ぬだろう』と言っていました」。実際、埋葬用の穴が掘られていた。

> 持ち前の体力でなんとか持ち直し、野戦病院に運ばれた。現地住民との交流で食べ物を得たことなどで回復。復員は46年、24歳の時だった。

> 戦時中にニューブリテン島にいた旧日本軍は約10万人。厚生労働省によると、戦没者は約1万3700人に上る。

> ふと気がつくと、水木さんが「総員玉砕せよ!」のラストシーンをじっと見つめていた。兵士たちが玉砕する前に好きな歌をうたう場面だ。命の最後に選択したのは女郎の歌だった。<私は〜 な〜あんで このよう〜な つら〜いつとめ〜をせ〜にゃなあらぬ>。突撃。体を吹き飛ばされる兵士、誰にもみとられなかった死体の山、そして白骨の山で作品は終わる。

> 「日本に戻ってからは『かわいそう』という言葉は使わなかった。この言葉は戦場で命を落とした兵士のためにあるのですから」。残った右手がページの上をなでるように動いた。「これを描いている時はアイデアを考えたりしなくても、何も意識しないで右手が勝手に動いた。あの島で死んでいった兵士がね、描かせたんだね」

> 再び戦争ができる国を目指しているかのような安倍政権。現状を戦友にどう伝えるのだろうか。答えはなかったが、「平和を維持するには」と尋ねると、こう返ってきた。

> 「水木さんは国のことはあまり考えません。それよりも自分の生か死−−。この二つを戦場では強烈に突き付けられていました。誰が何と言おうと『自分は生きたい』と思うことが大事なのです」

> ひょうひょうとした口調。「平和が大切!」と声高に叫んだりはしないし、国を批判するわけでもない。それでも「戦争は嫌だ」との気持ちが伝わってくる。

> 暑い。涼を求めて東京都内の大手書店に足を踏み入れると、特攻隊をテーマにした「永遠の0」が平積みされていた。一方、水木さんが「自身の著作の中で一番好きな作品」という「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)は棚に静かに置かれていた。戦後日本が変わりつつある今、政治家、そして若者に「死んでいった兵士たちが描かせた本」を手にしてほしいと切に願う。【瀬尾忠義】

> ==============

> ■人物略歴

> ◇みずき・しげる

> 1922年鳥取県生まれ。復員後、紙芝居画家から貸本漫画家に転向。65年に発表した「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞。代表作は「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童(かっぱ)の三平」など。

<参考=「特集ワイド:この国で確かにあったこと・2014年夏/5 最近、兵士の夢を見る--漫画家・水木しげるさん」(毎日新聞)>
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<消滅・削除・15/08/19>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/15 (Fri) 10:56

<決して石投げ返すな--漫画家・ちばてつやさん(毎日新聞)>

> ◇旧満州で終戦 一家で中国人に助けられ、引き揚げ−−漫画家・ちばてつやさん(75)


> 悲劇は、その日の夕方から始まった。

> 1945年8月15日。6歳だった漫画家、ちばてつやさん(75)は両親と弟3人で、父が勤める奉天(現瀋陽)の印刷会社の日本人社宅に住んでいた。「大きな木の陰で遊んでいると、工場長の家に集められた大人たちがぼうぜんとしたり、すすり泣いたりしながらぞろぞろ出てきた。玉音放送を聞いたのでしょう」

> 日本が占領し、かいらい政権として樹立した満州国(現中国東北部)には、国策で送り込まれた開拓団や新天地で一旗揚げようと考えた多くの日本人がいた。民間人だけで約150万人とも言われる。日本人も中国人も平等とうたわれたが、実際は日本人が特権階級。ちばさんの社宅も高い塀で囲まれた敷地にあり、銭湯や雑貨店があった。

> しかし、立場は逆転した。

> 日が傾くと、中国人暴徒が石や刀を手に社宅の塀を乗り越えてきた。母が「早く家に入りなさい」とちばさんの手を引いた。ちばさん宅は無事だったが、近所からは一晩中ガラスの割れる音や悲鳴が聞こえていた。金品が奪われ、暴力を受けた人もいた。

> 社宅の数十家族は、数日後の深夜0時、社宅から逃げることになった。

> 暑い盛りの東京・浅草寺は、外国人観光客でごった返している。その境内の一角に「まんしゅう母子地蔵」がある。母子3人が寄り添う姿の石像をデザインしたのはちばさんだ。満州からの引き揚げ中に犠牲になった人々を悼み、中国残留日本人孤児らの心のよりどころとするために、支援団体などが97年に建立した。由来を知ってか知らでか、中国語を話す若い男女が笑顔でカメラに収めている。

> 「まんしゅう母子地蔵」にちばさんはどんな思いを込めたのか。

> 69年前に戻ろう。逃亡決行の日、ちばさん一家は、ありったけの米でおにぎりをつくり、日用品や現金、通帳などをリュックに詰めた。「夏なのに防寒具を重ね着して。親は冬を越すだろうと分かっていたのでしょう」

> 安全と思って向かった警察署は窓ガラスが割られ、玄関前は投石やがれきで足の踏み場もない。「当時の警察は威張っていましたから。中国の人の鬱積した感情が爆発したのでしょう」。倉庫や学校、橋の下を転々とした。ちばさんの新しい靴にくぎが刺さり、歩く度に痛み、血がにじむ。父が石でくぎをたたき出してくれたが、一家はその間に集団とはぐれてしまった。

> 日本人への憎悪が荒れ狂っていた。途方にくれていると偶然、印刷会社で父の同僚だった中国人、徐集川(じょしゅうせん)さんに会った。「こんなところにいたら危ない」。一家を自宅倉庫の屋根裏にかくまってくれた。

> 一家6人が息をひそめる生活が数週間続いた。その間、徐さんと父は食べるため、野菜や食料品を仕入れて行商した。徐さんは父に「絶対に日本語は話すな」と言って中国人の服を着せた。日本人が隠れていそうな倉庫や学校を回り、食料を譲った。

> みつかれば徐さんの身にも当然危険が及ぶ。なのになぜ助けてくれたのか。「父は仕事後に徐さんを夕食に招いたり、一緒に銭湯に行ったり。競馬仲間でもあったようです。父が別の中国人と肩を組んでいる写真もあった。対等に付き合っていたのでしょう」

> 会社の仲間の居場所が分かり、再び集団で逃避行が始まった。季節は既に冬。昼でも氷点下20〜30度だ。国民党と共産党による内戦が始まっていた。頭上をヒューンという独特の音がして銃弾が飛ぶ。食べ物もなく、家畜の餌のようなコーリャンを食べた。果てしない距離を歩き、屋根のない貨車に乗り、ようやく引き揚げ船が出航する港町、葫蘆島(ころとう)の約50キロ手前まで来た時には冬が終わっていた。

> 「誰もが疲労しきった体で船に乗り遅れまいと、必死で歩いた。力尽きて倒れる子どもやお年寄りもいた。私の幼なじみもいつの間にか亡くなった。道ばたにはそうやって倒れ、置き去りにされた日本人の遺体がごろごろ倒れていた」。奉天からの移動距離は直線でも約250キロ。栄養失調でちばさん兄弟は、おなかが異常に膨らんだ姿になっていた。博多港に着いたのは、終戦翌年の7月21日だ。「あの時、徐さんに助けてもらわなければ、私たち家族も凍死か餓死していた」

> ちばさんの麦茶のグラスは手をつけられないまま、周囲の水滴が落ちきっていた。

> 混乱の中で20万人以上が、飢えや疫病、そして殺害や集団自決で犠牲になった。ちばさんの集団には日本兵らしき人が付き添っていたが、現地の日本軍の多くは敗戦直前、民間人を置き去りにして撤退した。国が把握している引き揚げ帰国者は49年末までで約127万人。何万人もの人々の行方が分かっていない。

> ちばさんは「これだけは言っておきたい」という表情で、政府が今月1日、158の無人島に名前を付けた話題に触れた。尖閣諸島(沖縄県)も含まれ、領土・領海を国際的にアピールし、中国をけん制する狙いがあると報じられた。「そんなことしない方がいいのになあ。今の日本は石を投げられたからといって、石を投げ返そうとしているように見えるんだよ。でも感情に任せて石を投げ合っていると、そのうちに収拾がつかなくなる。戦争はそうやって始まるものなんだ。僕は戦場に行ったわけじゃない。それでもこんな地獄を見た。兵士だけでなく、子どもも女性もお年寄りも犠牲になる。それが戦争なんだから」

> 避けるには、どうすればいいのか。「人間には言葉がある。だから外交や対話で知恵を絞り、争いを避けなければいけない。理想論かもしれないけどね。僕はそう思います。感情的になると人間というものは頭に角が生えて、鬼になって殺し合いをする。でもそうなってはいけない」

> 頭に角? 戦時中、中国人を差別して痛めつけた日本人も鬼なら、引き揚げの日本人を襲った中国人も鬼だったのかもしれない。しかし、鬼が横行する時代でも、ちばさんの父や徐さんは鬼にはならなかった。決して石を投げ返さなかったのだ。

> 日中関係は72年の国交回復以来最悪と言われ、双方が感情的対立を深めている。書店に行けば「嫌中」「嫌韓」をあおる本が並び、日中、日韓は首脳会談さえ実現できない……私たちの頭にすでに角が生え始めていないか。

> 取材翌日、もう一度浅草寺に行った。「まんしゅう母子地蔵」に手を合わせたかった。【小林祥晃】

> ==============

> ■人物略歴

> ◇ちば・てつや

> 1939年東京都生まれ。本名・千葉徹弥。生後間もなく朝鮮に渡り、その後満州へ。高校在学中に漫画家デビュー。主な作品に「あしたのジョー」「のたり松太郎」など。文星芸術大教授。日本漫画家協会理事長。

<参考=「特集ワイド:この国で確かにあったこと・2014年夏/3 決して石投げ返すな--漫画家・ちばてつやさん」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/08/19>


NO.820 国産ステルス:1月初飛行 4年で実用化判断、三菱重方針(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/14)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/14 (Thu) 19:50

 こんばんは。


 国産できれば、技術の裾野が大きく広がります。

> 三菱重工業は、防衛省の委託を受けて研究開発を進めているステルス戦闘機の試作機を、来年1月に初飛行させる方針を固めた。国内企業による初のステルス戦闘機開発で、防衛省は性能やコストを確認した上で、実用化するかどうか2018年度までに最終判断する方針だ。【朝日弘行】

> ステルス機は中国やロシアが既に試作機を飛行させるなど開発を進めている。日本も09年に、世界最高のステルス性を備えた米国のF22の導入を目指したが、情報流出を警戒する米国の禁輸措置で断念した。このため、防衛力の強化には独自技術の蓄積が必要と判断。国内企業の戦闘機生産も、日米で共同開発した戦闘機F2全94機の生産が11年に完了してから途絶えており、国内防衛産業の生産基盤や技術の維持、向上を図る狙いもある。

> 政府は00年度以降、ステルス技術の研究に着手。09年度からは、総事業費392億円をかけて試作機の開発を進めていた。試作機のステルス関連技術はすべて三菱重工業など国内企業が開発。敵のレーダーから届いた電波を真っすぐに反射して探知されないよう、機体や外板接合面の形状を設計した。

> 航空自衛隊に配備予定の最新鋭ステルス機F35(米ロッキード・マーチン社製)はレーダー上で直径10センチほどの物体として認識されるとされ、試作機もこれと同水準の性能を目指している。IHIや富士重工業なども、エンジンや主翼などの主要部材を受け持つ。

> 三菱重工がエンジンやシステムの作動テスト、基本的な飛行試験などを行った上で、来年3月末までに防衛省に機体を引き渡す。同省は15年度から2年間かけて実戦を想定した試験飛行を重ね、ステルス性や飛行性能を詳しく検証する方針。航空自衛隊が保有する戦闘機のうち、F2が30年代ごろから退役するため、後継機の選択肢に国産ステルス機を加えたい考えだ。

> ただ、実用化には、高度な飛行性能やステルス性能の確保、コストなどの課題がある。ステルス性を高めるために機体の形状を変えるほど、機動性が低下する可能性があり、両立が課題だ。防衛省は、試験飛行で得たデータをもとに、機体の軽量化やエンジンのスリム化、センサーシステムなどの課題を洗い出した上で、実用化するかどうか判断する。性能面に加え、防衛産業への波及効果など費用対効果も見極める方針だ。開発費も5000億〜8000億円程度が必要とされ、自主開発の必要性に疑問が出る可能性もある。政府は国際共同開発の可能性も視野に入れている。

> ==============

> ■ことば

> ◇ステルス戦闘機

> 敵のレーダーから飛来する電波を別の方向にはね返したり吸収したりして、探知されにくいように設計された戦闘機。敵に発見されないうちに攻撃を開始し、優位に立つ狙いがある。高度な技術や巨額の費用が必要。日本は航空自衛隊の戦闘機F4の後継に米英など9カ国が開発したステルス機F35を選定しており、最終的に42機調達する予定。

<参考=「国産ステルス:1月初飛行 4年で実用化判断、三菱重方針」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/08/12>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/22 (Fri) 01:33

副題=純国産戦闘機を開発、政府検討 IHIなどエンジン試作(日本経済新聞)

 こんばんは。


 どうも、上記とは別途の計画が持ち上がっているようです。

> 政府は純国産戦闘機の開発に向けた本格的な検討に入る。2015年度から高出力なエンジン本体の試作に着手し、敵のレーダーに探知されにくいステルス性を持つ機体の実用化を急ぐ。米欧の最新鋭機に匹敵する性能をめざし、防衛省は15年度予算の概算要求に経費として約400億円を計上する。成果を踏まえ、最終的に純国産戦闘機を導入するかどうかを判断する。

> 現在は日米で共同開発した「F2」があるが、11年度を最後に生産を終え、28年度ごろまでに退役する見通しだ。

> 防衛省は純国産機の可能性を探るため、10年度から「先進技術実証機」を開発し、機体の軽量化や内蔵ミサイル発射装置などの研究を進めてきた。今後は15年1月に試験用のエンジンを積んで初飛行し、同年4月からステルス性を高める機体の形状試験を始める。

> 15年度以降は実戦用のエンジン本体の試作に入る。IHIや三菱重工業など防衛関連企業と協力し、5年程度かけて完成させる予定だ。高温に耐えられるよう高圧タービンの材質に日本が強みをもつセラミックスを使用。圧縮・燃焼装置を小型化し、軽量ながら高い推進力をもつエンジンをめざす。

> 戦闘機の実用化に必要な経費は、当面5000億~8000億円と見込む。実際には試験飛行や装備品などの開発でさらに予算は膨らむとみられる。日本単独での新鋭機の開発は、財政面でもハードルがかなり高い。

> 防衛省は最終的に純国産機の配備に結びつかなくても、日本が独自技術を持つことで国際共同開発への参画や他国からの戦闘機の購入時の交渉などで有利に働くとみている。

> 政府の中期防衛力整備計画は、18年度までに日本単独で手掛ける「純国産機」を開発するかどうか判断するとしている。

<参考=「純国産戦闘機を開発、政府検討 IHIなどエンジン試作」(日本経済新聞)>
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NO.821 千の証言:(その1) 密林に1年、戦友は次々倒れ メモ帳に「死の予感」(毎日新聞)<起稿 磯津千由紀>(14/08/15)


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/15 (Fri) 10:05

 こんにちは。


 戦争を知る人たちが急激に少なくなっていく今、語り継いでいく必要があると思います。

> ◇元通信兵が克明記録

> 濃紺の表紙のメモ帳は名刺大で、めくれば破れそうな古びたページに、万年筆の青い文字がきちょうめんに書き込まれている。「もう老眼で読めん」。福島県白河市で青果店を営む和田栄四郎さん(92)が笑う。<トンボ ネズミ カタツムリ ミミズ 何んでも喰(く)った>。日本兵として敗戦も知らず、フィリピンのジャングルを約1年間さまよった。その時の想像を絶する状況を克明につづった彼の「命の記録」から、「千の証言」を始めたい。【山田奈緒】

> 和田さんは白河市の農家に生まれ、国民学校を出て神奈川の飛行機工場で働いた。二十歳(はたち)の1942年に志願し入隊。飛行場で無線通信を担当する通信兵としてまず満州(現中国東北部)北部へ送られ、44年夏にフィリピン南部ミンダナオ島のコタバトへ移る。満州出発の際に両親に送った遺書を、今も保管する。「べいえい(米、英にけものへん)撃滅御国ノタメニ死ス」。「当時は鬼畜米英だから『けものへん』をつけたんだ」

> 配属先の部隊長は敗戦4カ月前の45年4月、米軍の猛攻で隊解散を決意する。23歳の和田さんは、心境をこう記した。<自分ワ泣イタ 泣イテ最后(さいご)ノ電鍵(でんけん)ヲ握ツタ手ガフルエタ>。「電鍵」はモールス信号を打つ無線機のレバー。震える手で<兵力不明ノ敵ハ昭和二十年四月十八日午前上陸ヲ開始セリ>と打電した。「日本はきっと巻き返す。それまでの辛抱だ」。無線機を壊し、暗号書を焼いて、兵士9人でジャングルの奥へ分け入った。

> 暗い森をあてどなく行軍する日々。和田さんは米を持っていたが、マッチを使い果たし、火が使えなくなる。<米ヲ生(なま)ニテ喰ウ サル一匹打落シ コレモ生デ喰ウ>。食べ物は銃で撃ったサルやトカゲ、ヘビ。

> 塩がなく栄養失調に苦しみ、マラリアで高熱も出たが、和田さんは歩き続けた。動けなくなれば置き去りにされ、ジャングルの生き物たちの餌食となる。病んで衰弱した上等兵が歩けなくなり、森に残した。その後会わず、<死(しん)ダ物ト推定>した。少年通信兵は、喉を撃ち抜いて自決した。

> やがて二人となる。「白い飯とみそ汁が食べられたら死んでもいい」と毎日語り合った。ある朝、横たわる相手に水を飲ませようとしたら<モウ此(こ)ノ世ノ人デワナク冷(つめた)クナツテ居タ>。

> ついに一人。「次は自分の番だ」と思った。数日間その場にとどまったが、歩くしかなかった。

> しばらくして、ジャングルで「加藤」と名乗る民間の日本人男性と出会った。「兵隊さん、助けてください」。現地女性と結婚して島に根を下ろしていたが、地元ゲリラの襲撃を逃れ、3人の子を連れてさまよっていた。マッチを持っており、和田さんは久しぶりに米を炊き、分け合った。だが、男性は衰弱が激しく数日後に死亡。子供たち3人が残された。一番上の子を<信子十四才>とメモ帳に書きとめた。

> ==============

> ◇証言を紙面などで随時紹介

> 「千の証言」は、戦後70年の節目となる2015年夏に向け、戦争の時代を生き抜いた人々の証言を広く募り、次世代に語り継ぐ毎日新聞社とTBSテレビの共同プロジェクトです。戦争を知る世代の減少により「記憶の伝承」がますます重要性を増し、平和国家としてのあり方も問われています。お寄せいただいた証言は、毎日新聞の紙面やTBSの報道・情報番組、ホームページなどで、随時紹介していきます。(25面に応募方法)

<参考=「千の証言:(その1) 密林に1年、戦友は次々倒れ メモ帳に「死の予感」」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/08/19>


【磯津(寫眞機廢人)@ThinkPad R61一号機(Win 7)】 2014/08/15 (Fri) 10:14

副題=千の証言:(その2止) フィリピン密林 日系2世、元日本兵と生き延び 67年超越、メモの縁(毎日新聞)

> <1面から続く>

> ◇「父の国に来られて感謝」

> 陸軍通信兵だった和田栄四郎さん(92)は1945年4月、9人でフィリピン南部ミンダナオ島のコタバトからジャングルに入り、ただ一人生き延びた。現地住民が使った形跡のある小屋を見つけ、偶然出会った「加藤」という日本人男性の子供たちと暮らし始めた。長女「信子」が妹、弟の面倒をよくみた。半年以上一緒にいたかもしれない。死んだ日本兵の銃で狩りをし、敵に見つからないようにと火の扱いに注意して暮らした。

> 46年5月はじめの日中、森の中で突然声がした。米軍の投降工作隊だ。とっさに銃を構え、自決しようと手投げ弾を持つ……。だが、工作隊の中に見知った元日本兵の姿があった。戦争に負けたと知って動けなくなった。

> 戦況を知るすべはなかったが、敵機も飛ばず空が静かになったとは思っていた。仲間8人をのみ込んだ地獄のジャングルで日本の再攻勢を信じ、待ち続けていた自分は何だったのか。涙があふれた。

> 捕虜として中部レイテ島の収容所へ送られ、体力回復を待って46年12月に帰国した。実家には「銃弾の頭部貫通で死亡」という自分の戦死公報が届いていた。

> 生きて帰れる者がいたら、帰れなかった者の家族に最期を伝えよう。9人でそう約束していた。三重や新潟の亡くなった戦友の家を訪ねた。涙で迎えてくれた家族に、本当の状況は言えなかった。「果敢に敵に挑み、戦死した」。そう伝えた。

>      ◇

> 「信子さんをご存じですか」

> 昨年11月、和田さんのもとに予想もしない連絡があった。戦争の話もしなくなって久しい。それでも、67年前の記憶はすぐによみがえった。「あの時の女の子だ」

> 連絡を寄せたのは、フィリピンで無国籍状態にある日系2世を支援する団体だった。本名・加藤イニア信子さん(80)。大工や農業をしていた日本人の父とミンダナオ島の女性の間に生まれた。母は早くに病死し、父もジャングルで倒れ、無国籍のまま貧しい暮らしを送ってきた。

> 「自分は日本人」という思いで、日本国籍取得(就籍)を希望していた。父が日本人だと証明する明白な物証はなく、証言や記憶をつなぎ合わせるしかない。昨年8月7日、支援団体の計らいで来日した。「父がこの世にいないのに、日本に来られたことを感謝しています」。成田空港で通訳を介して語り、父の手作りという母の位牌(いはい)を手に、ハンカチで涙をぬぐった。

> ジャングルで会った「ワダ」という日本兵が、父を知っているはず……。信子さんのかすかな記憶を頼りに、支援団体は来日から3カ月後、本人にたどり着いた。東京家裁は今年1月、信子さんの就籍を許可した。和田さんの証言も有力な証拠の一つとなった。

> 「忘れるわけない。めんこくて、しっかり者だった」。和田さんは4月、記者が成田空港で撮った信子さんの写真を見ながら言った。「こんなにシワシワになって」。出会ったころも、骨と皮ばかりの様子だった、とメモ帳に記していた。「ずっと苦労したんだろうなあ」。妹と弟は就籍がかなう前に亡くなった。

> メモ帳の文字を追いながら、何度もつぶやいた。「あの戦争は何だったのか」。信子さんに会いたいと思うが、互いに高齢で、願いはかないそうにない。【山田奈緒】

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> ■ことば

> ◇フィリピン日系2世の就籍

> フィリピンに渡った日本人男性と現地女性の間に生まれ、父の戦死や戦後の強制送還などで家族が引き裂かれた日系2世は推定約3000人いる。同国はかつて子供に父の国籍を与える父系主義だったが、戦中戦後の混乱で証拠書類を紛失したり、反日感情で日本人であることを隠したりしたため無国籍となった人も多い。身分が不安定で十分な教育を受けられなかった。日本国籍を希望し父親の身元が判明しない場合、民間団体の支援のもと資料や陳述書を家庭裁判所に提出し、日本で新しい戸籍を作る「就籍」を申請。2006年以降129件が許可された。

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> 戦争の記憶を活字や映像として残す毎日新聞社とTBSテレビの共同プロジェクト「千の証言」で、募集するテーマは、戦争にまつわる「1枚の写真」「思い出の品」「心に残る風景」「忘れられない言葉」のいずれか一つです。

> はがき1枚にまとめたうえ、住所、氏名、年齢、連絡先を明記して、お寄せください。ホームページ(HP)の投稿フォーム(800字)からも受け付けます。応募の際、写真や思い出の品を送っていただく必要はありませんが、記者が取材をお願いし、見せていただく場合があります。

> 対象は戦争を経験したご本人のほか、そのご家族やご遺族。はがきの応募先は、〒100−8051 東京都千代田区一ツ橋1の1の1 毎日新聞東京本社 社会部「千の証言」係。HPは、

<参考1=「千の証言」(毎日新聞)>

<参考2=千の証言:その2止 フィリピン密林 日系2世、元日本兵と生き延び 67年超越、メモの縁」(毎日新聞)>
<消滅・削除・15/08/19>