不可思議の世界NO.31

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目次

不可思議NO.32

NO.340 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(3)

NO.339 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(2)

NO.338 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(1)

NO.337 我が祖父の話(9)

NO.336 我が祖父の話(8)

NO.335 我が祖父の話(7)

NO.334 我が祖父の話(6)

NO.333 我が祖父の話(5)

NO.332 我が祖父の話(4)

NO.331 我が祖父の話(3)

不可思議NO.30


NO.331 我が祖父の話(3)

そんな次第の、斯くなるでの。
云うたら、夢で、祖母が、我が枕元に。
イヤイヤ、くれぐれもの、夢見の世界での。別段にの、祖母と、勝手に判断してるのダケでして。イヤ、当人、当方、そのよに、感じた故、間違いは無く。
何でやろと。

そして、又、数箇月経って、若い頃の祖母が、日本髪で、当方寝てるのソバを、スと、素通り致し。
云うとくの、若い頃の祖母なんか、知らんですが。写真でなら、見てるですが。その当時の祖母、妙齢の美女でして。ほんまやでと。
<参考1=「不可思議の世界NO.27NO.28」枕元に祖母の話>
<参考2=「不可思議の世界NO.28」NO.307 夢で、京都の家の話

要は、二度まで、我が夢にの、理由、分からんでして。
親父の年会なら、予定してての、事実、この、5月の、4日に、執り行おたですが。
祖母、その事を云いに来てるのなら、なれどの、予定通りに、してるしなあと。
まあなあ、その二度以降、現れると、するのか、夢で、出て来てえへんですが。夢で、出て来る、出てきいひんも、異なるの、表現なれど、です。
別段にの、顔なんか、見えてえへんし。感じただけの夢、なれどです。

そして、年会当日の、夜、次男嫁より、我が祖父の事をば、尋ねられ。
どんな人、やったの哉と。
そらなあ、我が親族、直系の、先祖の事を、尋ねられたら、嬉しいぞと。細々と、解説、演説、講演する程の、知識は、あらへんですが。年代ズレてての、実体、知りませんでして。

知らん、云うても、祖母、親父と、叔父達と。何と、まの、当時の、町内会の方、はきりとは、隣の小母さんからも、聞いててねえ。
聞いてるも、断片的での、バラバラの話での。情報乏しいですが。
そらなあ、我が祖父の事、故、興味あって、当然でして。ルーツでして。機会あらば、諸般、尋ねたいと、思いツツの、そらなあ、常に念頭にあるで無く。尋ねるが、出来ぬ間に、祖母、親父、他界致し。
隣の小母さんなんか、我が母よりも、若干の高齢での。生存してへんやろ、なあと。

オッとの、母と、小母さんでは、違うです。
小母さんなるは、元々が、そこに住んでたの方でして。母なるは、嫁いで来たの人でして。母が祖父を承知も、ホンのチラ哉の。知ってる、知らんも、知らんでねえ。
イヤ、そもそもがの、イツに結婚したかを、聞いてえへんわと。祖父、生存してたの間かをです。

オトトの、それでや。
過日の、5月23日の事。
こんな具合に、年会の話を掲載してての、いよいよの、祖父の話をと。
云うたってなあ。従前、何度か、掲載してるですが。
但しの、その時々にての、視点が違うわと。

オトトの、トットの、それでや。その、5月の、23日の夜やがな。何気<なにげ>に、仏壇の過去帳見て。
云うとくの、夜には、仏壇の扉、閉じてるわの。わざわざの、扉開けての、過去帳をと。紐解けばの、ンの、ゲの、ゲの、何とまの、その日、5月23日なるが、祖父の命日でして。へえと。
モ一発、云うとくの、それまでにも、度々の、過去帳なら、見てるわと。
見てても、見てるは、他界したの、年齢であるとか、没年でして。月日までは、素通りでして。

特には、祖父なんか。
なんか、とは、失礼千万なれどの、既に、50回忌、済ませてまして。満州にての、戦死の、叔父、祖父の次男でありの、親父の弟も、同年の、昭和20年<1945年>、終戦の年でして。
没年なら、当然の、覚えてましての。
見たは、年齢何歳やったの哉の。これも、正直には、承知してるですの、69歳<数え年>でして。
ならばの、何故に、過去帳をと、成るの。よて、何気にと、申してるわの、何気に見て、ビクリしたです。

くどいけどの、我が宗派、50回忌で、打ち止めでして。50回忌ならしてるの。
よて、60年も、してませんでして。
只なあ、親父の、25年をするの、ならです。70年は、昨年やったですが。数えの年での、それは、構わんしで、親父の年会にての、一緒に、祖父、叔父を供養してやれば、良かったのにと。

嗚呼、それで、二度も、祖母、現れたと、するも、変の、知らせに来たの哉の。
当方、皆目の、気が付かんでねえ。申し訳無い事やったなと。
何度でもの、くどいけど、過去帳なら、見てるわと。親父の年会に際しの、何度も、何度もでして。祖父と、叔父なら、昭和20年。コレ、一々の、見ずとも、分かるの、終戦の年。
見てても、2人のは、そこまで、でして。

云うてもたら、祖父、「亀吉」。叔父、「政治郎」。
親父なら、「亀太郎」でして。
「亀吉」、没なるは、5月23日。「政治郎」、8月9日、27歳。
親父なら、平成3年、5月31日での、81歳<数え年>の誕生日、6月1日の前日でして。
まあなあ、8月9日にでも。とするのか、お盆にでも、その辺り、念頭に、「光圓寺」住職に来て戴きの、読経故にと。

これなあ、過去帳の話、次男嫁に、祖父の事、尋ねられてえへんかったら、見てへんやろなあと。
正直、年会も、滞り無くの、執り行いの、ホと安堵してるわの。この日、5月4日の、主たるの話題、明日、どするやの件でして。
明日とは、5月4日の、明くる日故に、5月5日の、子供の日でして。孫共、子ども達に、何してやるかの、「丹波自然公園」に、でもと、相成って。そこしか、思い付かんでねえ。そしとこかと、インターネットで、調べたりと。

そこで、まさかの、祖父の事を尋ねられるは、夢想だにもの、へえのと、皆で、麦酒等々、当方、気分上々、缶酎ハイの酔い手伝おて。話、あちに、こちにの、支離滅裂、順不同の話をしたですが。
もしかして、もしかしたらの、次男夫婦の、申すの、お爺ちゃんとは、我が親父の事哉と。後刻、ハタと、思て、ねえ。

何気にの、過去帳をば、真夜中、チラのが、正直なるの、経緯やわの。
ここで、ハタの、ハタで、嗚呼の、アレ、祖母なるは、その事を、伝えにかいなの。それなら、そと、明確にと。思えどの、元々が、夢見の話。
夢見で、祖母故、嗚呼の、50年、50回忌の話も、しとこかの、年会、会席、お開きの挨拶にての、50回忌の件、触れたですが。
不正解と、までは、申さんの、徹底的、頭っから、祖父の事、頭の中に無かったなあと。
無かったけどの、結果的、命日の日に、命日、判明と、するのか、知ったなと。

オッとの、そんな事での。
先日、過日、5月の24日、次男一家、来るになってての。
ついでにと、申せば、異の、供養的意図もあっての、道中、こっちに、来しな、近在のケーキ屋にての、シュークリームなり、プリンなり。適当なるを、買おて来て頂戴なと。
嫁はんから、嫁にケータイでと。

供養も、なの。
供養されるの方、喰えずの、生き仏様が、代行にての、味わうに成るですが。
万事、気持ちや、気持ちの世界也でして。
(15/05/26)


NO.332 我が祖父の話(4)

再度の、申すです。
この話の発端、次男嫁の、多分ならばの、何気<なにげ>の質問でして。
お爺ちゃんは、どんな人やったのかと。
<参考=NO.316 親父の25回忌の話(4)

よて、知ってる範囲の話をしたですが。ソラ、知らんの話、出来ひんわと。
只なの、もしかして、もしかしたらの、次男には、してるよに、思うですが。当方、想定外の、進路の件、聞いて、へえと。薬学ねえと。
全くの、想定外かと、なればの、ソラなあ、全く、では無いです。

但しの、主たる、祖父方よりも、祖母方なれど、です。
ンの、マの、祖父も、皆目、全然でも、あらへんでして。よて、主たると、したですが。云い出せば、当方にしたって、化学<ばけがく>興味あったわと。高校2年生では、化学部所属でして。ついでになら、化学部長でして。
簡単には、人居てへんが故の、部長での。

大体が、我が母校、京都市立堀川高校なるは、進学校でして。
当世とは、異なりの、クラブ活動なるは、当世なら、部活と、称するですが。強制でもあらへんでして。入部も、無視も、ご自由でして。
よて、1年生では、水泳部。コレ、只で、泳がせてもらえるが故に、所属の、内実、同好会みたいなモンでして。それでも、諸般の大会には、参加したですが。散々でして。
さりとての、新人戦では、ええ線、行ってたですが。近畿大会では、お話にならずの水準、思い知ったですが。

この時、来賓かで、フジヤマ<日本>の飛び魚の異名を冠したの、水泳選手、古橋廣之進が来てたの、記憶がと。
オトトの、この時、近畿大会会場、大阪、天王寺の水泳プールでして。水泳部として、京都から、他府県に出たは、この1度だけなれどです。

イヤイヤ、敗戦<1945年>直後の日本国なるは、オリンピックの参加が認められてえへんでねえ。記録上は、世界記録なれどの、1948年の、ロンドン・オリンピックには、出場してません、出来てませんでして。
敗戦国、日本なるは、当時、それ程に、差別、迫害受けてたわと。出場認められたの時、1952年、ヘルシンキ・オリンピックには、古橋選手も、ピークを過ぎててねえ。それでも、6位であったの哉と。

オトトの、可成りの脱線したですが。
高校入学、即の、水泳部に所属。お陰様で、成績ガタガタ。
1年生が終わりの、2年生に、成るの直前。担任の先生より、呼び出し喰らい。貴君、水泳選手に成るの積もりか、進学かと。ハイの、進学希望ですと。
進学希望ねえ。貴君の学業成績、水泳と一緒の、着実、確実にの、深く、深くの、静かに、沈黙の、潜水、潜行してるぞと。
水泳部退部せよの、化学部にでも、入部せよと。

イヤ、そこで、先生より、化学部を推奨されたか、記憶に定かに非ず、なれどです。
覚えてるは、進学なら、水泳部退部せよの、指示でして。勉学成績なるは、深く、静かに、沈黙、潜水、潜行してるの言葉でして。
ここで、目を覚ました、とも、云えるですが。オトトの、元々がの、水泳選手なんか、毛頭、皆目の、でして。下手の横好きの範疇でして。

そらなあ、今時なら、ご幼少のおりよりの、スイミング・クラブやろな。温水プールやろな。一年中、泳いでるやろなの。
当時になんか、そんなハイカラなるのは、無かったし。あっても、金掛かるわと。
最初っから、申してるの、只で、プールに行けるが目的の入部でして。鼻から、選手になんか、トンでもの。そもそもがの、近畿大会での、印象、体格が、全然の、異質の、違うわの。競泳相手、筋肉隆々の、ヨーイ、ドンで、プールに飛び込むに、見えたは、両脇選手の、足の裏。
勝負になんか、ならへんわと。
オッとの、小学校区の、町内会対抗水泳大会でなら、抜群の、1位なれどです。ソラ、一応は、水泳部。

それでや。
化学部の、部長就任も、他に、2年生居てへんからでして。1年生で、化学部でも、あらへんのに、入部即の部長やでと。1年生相手に、何してたの哉の。チャンと、部活はしてたわと。
理科実験室の、棚にあったの、本見て、金儲けでもするかと。人造宝石でも、造る怪と。
イヤ、本気の、実験したです。
坩堝取り出し、如何にして、高温得るか。そして、宝石特有の、不純物を混ぜるかと。

考えたら、怖い実験してたなと。そやけどの、高校の理科室にあるの範囲の材料での、実験故に、悉くの失敗の。不発に終わったですが。
モ一発、考えたら、坩堝で、宝石が出来るの筈、あらへんわと。されどの、本には、実験法、記載されててねえ。
それでや、当時の後輩、1年生から、次期部長指名の。それが、京都府立大学の先生してるの哉の。諸般の、農業関係の、研究者でして。大したモンでして。我が目、評価も、なと。

やのに、当方、何故に電気工学専攻かと、なればの、親父、電気屋でして。
だけでは無いの、電気、機械、化学なるは、似た面あるわと。されどの、電気屋、継ぐの気、無かったですが。


例によて、例の如くの、そんな話、こんな話、次男嫁には、してへんでと。
したは、祖父、染料屋でしたと。
それも、ドイツ製染料をば、輸入、販売してたの哉と。
とは、申してるですが。嫁に、でして。
それで、何故に儲かったかは、云うてえへんです。

ここで、チョとだけ、脱線しの、触れたならばの、京都なるは、着倒れでして。
大阪、喰い倒れで、神戸、履き倒れ。喰うは、説明不要の、履き倒れは、靴屋、サンダル屋等々が多いですて。神戸の細々、知らんですが。町工場でもが、多いんやろかと。
ならばの、京都の着倒れも、云うまでも無いの、京都は、呉服の町でして。
京都、室町の、呉服の問屋街を中心に、呉服関係の、店とするのか、生業されてるの家々多いわと。中心部なら、町内会の、半数以上、大半の宅様、その関係と、云うて、過言で無い程の、軒数でして。

呉服も、白生地では、意味が無く。絵を描きの、色染めて、値打ちの、加工、呉服に仕立てるの、でして。
染めるとなればの、染料でして。
安物で、変色したり、日が経てば、色褪せたり、では、あかんやろな。絵を描くにしたって、色の種類、鮮やかさが必要やろな。

そこで、ドイツ製、染料、脚光浴びたの哉の。品質優秀やったん、やろなあと。
短期間で、相当に稼いだみたいでねえ。そらなあ、京都、丸屋町<綾小路、大宮、東>で、可成りの広さの家屋敷を。借家を、何軒も、持っての、我が親父には、お付きの女中さんまでが、居たらしくの、聞けば、フウンの、ほんまかいなと。
聞いたは、主としての、祖母からなれど、です。
ソラ、当人、祖父とは、2年の間、スレ違てましての、面識無く。
ズレて無くの、面識あったって、1歳、2歳、3歳ならばの、記憶に残らんですが。
オトトの、祖父、染料で、儲かった、儲かったと、云うてるですが。そんな時代があったんやの、話でして。
(15/05/27)


NO.333 我が祖父の話(5)

云うたって、なあ。
ソラ、方々、面々、断片的、色んな事、聞いてまして。
あっちから、ポツリの時。こっちから、あのなあと。祖父の事、聞いてるです。
聞いた時には、分からんでもの、こっちが、経験積み、年齢重ね、物事の道理、分かって来たら、理解出来るの事あれば、疑問も一杯、出て来まして。

兎に角、祖父を悪く云う人、居てませんでして。隣の小母さんまでが、ええ人やったと。ええ、商人<あきんど>やったと。
騙されたと、するのか、大変なるの、損害、被ったですが。
ソラ、折角の、財成し、家屋敷、資産、金銭、全て、取られたですが。取られたも、異なる表現での。
要は、知人の保証人に成りまして。判子<実印>一発、没収されたに成るですが。
その相手様の事を、当方、知らんです。聞かされてません、でして。

イヤイヤ、その当時、現在でも、です。連帯保証人に成れば、相応の責務、債務生じるです。相応も、同等の、でして。自分が借金したと、同等での、返済義務がと。
にしたって、どれ程の資産、財産あったか、知らんですが。家屋敷、借家も何軒かあって、親父、お付きの女中さんまで、居てからにの、一気、全てを失い、忽ちにしての、借家住まい。
更には、親父であるの、長男だけは、ええ目、してるですが。以降の、4人の弟妹の、長女、次男、三男、義務教育とするのか、当時の尋常小学校しか、出てませんでして。
での、一番下の叔父、四男なら、苦学生でして。夜間大学<立命館大学二部>出てるです。
これは、当人<叔父>の言より、次男の支援での学業続行出来てまして。次男なるは、先の大戦、満州にて、戦死してるですが。

ほならの、親父はと、なればの、当人、叔父達、祖母から、話を聞いてるですが。
辻褄合わんでねえ。
学校、「一商」と、聞いてるですが。旧制高等学校の事、なれどの、「一商」とは、現、何じゃと。「商」で無くの、「高」の、「一高」なら、現、東京大学でして。
「三高」なら、京都大学。
オッとの、現、どこか知らんの、分からんの、「一商」なる、旧制高校、卒業してませんでして。話でなら、折角の、難関高校、合格したのに、中退した、とかとか、での、へえと。
勿体ないなあと。
にしても、「一商」ねえ。コレ、「商」が、聞き間違いで、無いならの話。

<追記=当初、「三商」としてまして、「一商」に修正。「京都市立西京高等学校」の事>
<補足=「三商」は、京都に存在してるですが、「京都市立伏見商業高等学校」の前身で、当校、昭和23年<1948年>廃校。
状況的、京都は、学区制がため、下京区から、伏見区に通学は無い。但し、工業高校は数少ないため、有ります。>
<17/02/05>

まさかの、商学科なりには、「商」を、付けたの怪の、当時の中身、呼称、よお、分からんですが。
親父、趣味で、電気好きでの、商売なるは、電化製品、修理及び販売業なれど、です。要は、街の、電気屋、修理屋でして。
商売人には、全くの不向きの、技術屋はん、でして。「商」ならの、そもそもがの、志望学科、間違えたと、違うの、怪と。

オトトの、当時には、京都商業高等学校<現、京都学園高校>、通称、「京商」なるが、存在してるですが。これでは、無いです。悪いけど、昔、昔の、大昔の、「京商」に、ついてけへんなら、失礼乍らの、アホでして。
ここだけの話の、他言無用の、自身の名前が、さえ、書けたら、入学出来るし、卒業もと。
の、話、聞き及んでるです。
話簡単の、合格も、「京商」になら、自慢出来るの話に非ず。オトトの、自慢なら、出来るですが。義務教育で終わるの方、圧倒的多数の時代でして。

オッとの、親父の話になてるですが。
親父、超の善人でして。余所様を騙す。貶めるは、出来ぬ人でして。
祖父も、同様の性格哉と。話、聞いてるの範疇ならです。

祖父の時代、他人様、余所様の、連帯保証人として、判子一発、余程の事でして。現在でも、余程なれどの。
よて、人が、ええ人やったんやと。ええ人、過ぎたんやと。
それで、愚痴云うてえへんですて。云う、云わんも、一家、家族、悲惨でして。犠牲者でして。嫁はん、子ども達が、でして。
まあなあ、愚痴こぼして、財産、資産、戻らんですが。

そんな事で、祖母なりから、常々、聞かされてたは、判子一発、押すなと。保証人には、成るなと。
かと、申しの、諸般、成ってるですが。保証人に、でして。
そらなあ、親族の頼みには、実印押してるです。単なるの、保証人、認め印のなら、数知れずの、万が一の、負債額も、知れてるしと。

云いたいは、一代で財成し、人生途上で、全て失いの、祖父なれど。
所謂の、守銭奴では無いなあ、無かったなあと。守銭奴なら、絶対にの、親族でも無いの、赤の他人、余所様の、連帯保証人の、実印一発、お断りするです。
余程に信用したのか、断り切れんかったの哉の、騙されたの哉と。

云うたら、田舎の家屋敷と、違うわと。京都のド真ん中での、一軒分と、違うんやでと。何軒、所有してたか、までは、聞いてえへんしで、知らんですが。
知ってるは、引っ越した先の借家の中身でして。当方、そこで、産まれの、育ったですが。
立派なるの、家財なんか、殆どあらへんの、ガラクタが主の、ボロボロの仏壇等々でして。

いやなあ、仏壇ねえ。ボロボロの、ねえ。
祖父、長男やったんやと。ご先祖様を死守してるです。
トトトの、ボロボロの仏壇ねえ。もしかして、もしかしたらの、ボロボロにしたは、当方かもなあと、後年、新調してるですが。仏壇も、安いモノであらへんですが。
いやなあ、少なくともの、親父の代に買おてませんの、仏壇でして。ど考えたって、祖父の代でして。そらなあ、幾ら何でもの、当方、ご幼少のおりに、イタズラしての、ボロボロにしたとても、あそこまでは、してへんわの、古さで、ボロボロ具合でして。
云い出せば、「東大谷祖廟」の墓地も、でして。祖父の代でして。

ンの、まの、仏壇のボロボロ状態。多分なら、丸屋町から、喜吉荒神町に引っ越すの際、大慌て故に、ボロボロにと、推測してるですが。
仏壇だけはと、必死の移動、伺われるです。
仏壇までは、持って、行かれえへんかったんやろ、なあと。

とりあえずは、その先様が、誰か、なんか、誰からも、一切、聞いてませんでして。
聞いたって、ども、出来ずなれど、です。
その事を、祖母が、愚痴ったかと、なればの、コレ又、一切の、あらへんでねえ。概ね、こんな具合やったんやと。とは、聞くも、只々、判子一発、気ぃ付けやと。
祖父なるは、気の優しい人でしたと。

余所様を騙したり、貶めたりは、出来ぬ人でしたと。
それはなあ、分かるです。我が、親父、叔父達、叔母の様子見ててもの。既に、殆ど、他界してるですが。残ったは、下の叔父1人だけなれどの、その叔父にしたって、性格、円満、モ一寸は、したたかさも、あった方がの、人でして。
更には、我が親族に、余所様を騙したり、貶めたりは、あらへんわと。はったり、かますも、あらへんしと。
一言でなら、皆、バカの付くの、正直者でして。

それで、結構なるの。
余所様を騙したり、貶めたりの、脅したり、しての、恨み買うよりはと。
騙すよりは、騙されてるの方がと。
そらなあ、諸般、アホ臭い時も、あるですが。
とかとかの、こんな話、までは、嫁には、してへんですが。
してへんよな、話ばかりを、掲載したり、して。
正直には、したか、してへんか、よ、分からんわと。
(15/05/28)


NO.334 我が祖父の話(6)

いやなあ、自身の親族。親父、祖父。
母に、祖母等々、知らんの事、多いなと。
こんな具合に、記載で、ンの、おかしいなあと。理屈がと。
されどの、常平生、そんな事、考えてませんでして。強いてなら、イツでも、聞けると、思てるの間に、聞くの相手、亡くなってもて。

ソレ、云い出したら、当方の事、息子共なりが、どれ程、承知してるかも、甚だの疑問。
まあ、知らんやろと。
大体が、自分の事なんか、喋らんわと。隠してるの意で無く、伝えるの機会が無いです。
モと、云うたら、親、祖父母の事、等々、知って、どするやの問題、あるですが。現在は、現在でして。過去は、過去。
祖父の時代が、華々しくとも、現実問題、その恩恵受けてませんでして。全くかと、なればの、ソラなあ、あるです。

新調したとは、云えどの、仏壇があるです。墓石も、祖父の代のは、欠けて来たし、新調したですが。墓石で無く、墓地は、資産である。とも、云えて。
中身、借地権なれどの、それで、百ン十万円、ン百ン十万円すると、云われてみい。それも、抽選で、倍率、ン十倍也と、聞いてみい。そは、易々の、挙手出来ませんでして。
入手当時の事、知らんですが。
とりあえずは、仏壇、墓地については、取られえへんかったんやと。ご先祖様の事、まではなと。
コレ、武士の情けの類か、そんなモン、召し上げ、没収しても、第三者、他人には、値打ちがあらへんし、気分的、チョとなあと。逡巡するの哉と。

それ以外と、なればの、黒檀の座敷机があるです。コレ、値打ちモノと、思うですが。方々、壊れてて、壊れてても、裏側なれどの、修繕するにも、費用、ン十万円と、聞いててねえ。
正式なるの、見積もりしてもろてえへんですが。
以外となればの、祖母の針刺し、小物入れの、引き出しがあるですが。
正確には、あった、ですが。針刺しはなあ、祖母には、悪いけどの、槇島から、亀岡に引っ越しの際、廃棄したの哉と。小物の、引き出しは、現役で、使用してるですが。
コレ、果たしての、祖父の代のかは、知らんの、大体が、親父の代のは、殆ど、あらへんの、ではと。

更なるの、それ以外にはと、なれば、ホントにガラクタばかりでねえ。
蓄音機の、全体があれば、なれどの、スピーカー部があらへんかったり。瀬戸物の、張り子の虎があったりしたですが。これも、尻尾無く、髭無くの、何で、こんなのを、置いてるの哉の、代物でして。
いやなあ、実は、仏光寺<喜吉荒神町>の家の、二階の部屋。中二階なれどの、三室あっての、前と、後ろの部屋には、ガラクタ一杯、置いててねえ。

綾小路<丸屋町>から、持ち出した、モノと、思うですが。
管理がされてえへんし、まともなのが、僅少と、するよりも、あらへんでねえ。
先の通りの、壊れてたり、部品が、無い、とかとかで。
ソレ以外には、本が沢山、あったですが。本もなの、ボロボロでして。触れば、崩れ出すよな、でして。紙質、保管方法、場所がなと。成ってませんでして。
世界文庫的なるも、あったですが。当方、その昔、学生時代かに、読んだですが。辛うじて、読める状態、その当時まで、でして。題目、忘れたですが。まあ、有名作家の、でもあらへんでねえ。

「銀杏本」なるも、チョっとだけ、あったですが。兎に角、触れば、壊れるの状態での。もしかして、もしかしたら、その一部のみ、仏光寺の家から、槇島、亀岡えと、持ち出してるの、可能性もあるですが。
残存してたら、処分せねばと、思てるです。
理由、まともな保管状態なら、或る意味、値打ちと、思うですが。触って、壊れるよでは、あきませんです。そのままでは、保管してるの押し入れまでが、腐って来る、かもなと。

それら、以外となればの、銅製なんやろかの、布袋さんの置物あるですが。
大体は、旧の仏壇に、鎮座なれどの、現在唯今、二階、和室の、床の間に、置いてるですが。
これも、なの、入手経路を知らんのやと。
布袋さんは、布袋さん、なれどの、実際には、誰が。多分なら、祖父が。何の目的で、単なるの、趣味哉の。どれ程の値で。金、銀でもあるまいにの、左程の値と、違うですが。
ならばの、何で、丸屋町から、持ち出したんやと。偶々の、かいなあと。値打ちで無いしで、持ち出し易かったん怪と。

本もなの、諸般、文庫本的以外にも、沢山あったですが。
易学のが、でして。兎に角、保管法、出鱈目での、仏光寺の家から、出しなに廃棄したですが。後刻、上の叔父が、勿体無い、勿体ないと、ウルサあてねえ。そんな事、云うなら、自分で、持ち出したらよかったのにと。止めへんわと。

事程左様の、この本なるは、中身からして、親父のモノと、思うですが。
その手、本、二階、表側の部屋の片隅でして。裏手は、ガラクタだらけの、部屋でして。山積みでして。内実、何があるか、全容知らんでねえ。知らんでも、値打ちのあるの、モノなら、引っ張り出してるやろと。
その引っ張り出して、実使用してたが、黒檀の机1つ。当方の勉強机になってたり、してた、ですが。ソラ、勉強机なんか、中学生になるまで、あらへんしと。

云い出せば、仏光寺の家、出るの際、モと、チャンと、調べるの、べきやった、ですが。
引っ越し屋に頼んで、引っ越したであらへんし。全部と、までは、申さんの、自力で、でして。トラックなんかは、会社のを、借りて。母方、従兄弟にも、応援頼み。それも、トラックを持って来てくれたの哉の。
当時の、引っ越しなんか、節約以前の、専門業者なんか、頼まんわと。会社の同僚、仲間にも、応援頼んだりで。


オッとの、祖父の話やった、なと。
云うてるは、祖父のモノと、なればの、引き継いでるは、新調すれどの、矢っ張り、仏壇、墓地、墓石と、黒檀の机と、布袋さんの置物哉と。
オッとの、その他、掛け軸もあるですが。誰作等々の、謂われを知らんわと。
値打ちモノか、名も無いの、そこらの、作者の駄作かを、でして。
銘見たって、何も書いて無いとか。書いたっても、さあ、なあと。聞いた事、あらへんわの、銘でして。ならばの、何故に、持ち出したの怪と。何の基準なん怪と。今更乍らの、よ分からんわと。

まあ詰まり、仏壇、墓地、墓石なるは、墓地以外、当方にて、新調してるも、コレ、祖父の代からの、継承也の、感覚での。
墓地なるは、借地権も、場所柄、値打ち的にもの、良くぞ、こんな、ええ場所をの、祖父には、感謝してるわと。自分で、自力でと、なればの、とてもや無いの、調達、よしませんでして。
親父も、相応に維持して来てるわと。
管理費、知れてるとは、云えどの、要りまして。
よ考えたら、親父と共にの、墓参、記憶があらへんですが。墓参は、祖母と、共に、でして。

ならばの、我が親父の形見なるは、三文判1個。
「柴田」の判子故に、持参、保管してるですが。使い道、あらへんですが。自分のは、自分ので、象牙の、ええのを、所有してて。
オトトの、そらなあ、形見と、するよりは、墓地の権利書なるは、祖父から、親父に。
親父名義のを、当方に、変更しの、継承してるですが。
トトトの、こんな話も、次男嫁には、してへんわと。
何故か、してへんの話、ばかりを、掲載してるですが。
(15/05/29)


NO.335 我が祖父の話(7)

祖父なりの、話を聞いてるは、極の僅かでして。
聞いた話、全部を記憶してるとは、限らんですが。大体は、覚えてまして。但し、主は、祖母からでして。祖母、昭和46年<1971年>に他界でして。
聞いてるも、主たる、小中学生の時やろな。当時の、感覚、知識の範囲での、記憶でして。
聞き間違い、解釈の違いが大きいと、思うです。冗談話をまともに、記憶してもたりの、事実はと。

その1つに、祖父の出生、出身地があるです。
丹波の篠山と、聞いてるですが。コレ、云うたは、上の叔父でして。大体が、冗談多いの叔父でして。
その当時の、丹波の篠山と聞けば、ド田舎を意味してて。そらなあ、当世とは、交通事情違うわと。車なんか、まだまだの、珍しい時代やでと。自家用車なんか、所有なら、金持ちやなあと。
そこらの道で、家の前で、ケンケンしてたり、キャッチ・ボールしてても、ローラー・スケートも、邪魔には、成らぬの時代やでと。
流石に、ローラー・スケートには、西本願寺に出向いたですが。コレ、アスファルトの、ええ道があった、からでして。ソラ、境内に、自動車なんか、走ってえへんしと。

での、何故に、祖父が丹波の篠山から、京都にが、分からんでして。
いやなあの、墓石、祖父の時代と、云うてるですが。にしては、墓石が古かったです。墓石なるが、二代、三代で、欠けたりするの怪と。
当たり前に、旧の墓石、承知してるですが。祖父の代に、造ったとしたらの話、古いもあるですが、少々貧弱でして。
云うてるは、一時であれ、一世風靡したの、祖父でして。やるなら、モと、立派なのをと。

そんな意味からは、祖父の代で、京都には、墓石も、移動させたの哉と。
ならばの、その以前より、長男家、本家に相成るですが。当家の墓に入ってるの、一番の古いは、祖父の母親でして。親父さんが、入ってませんでして。ンの、おかしいなあと。
まあつまり、祖父は、母親と共に、京都に引っ越した、出て来たに成るですが。ソレ以前の、ご先祖様はと。どなったんやと。但しの、以前の墓石の古さ具合から、でして。

とかとか、なるは、聞いてるの話と、我が承知の範囲からの、類推でして。
ソレ云い出したら、くどいけどの、その時代、明治の世で、丹波篠山と、彦根出身の、祖母が如何にして、知り合おたか、でして。
イヤ、見合いであるは、聞いてるですが。
見てるの日本髪の女性、妙齢の美女、祖母の若い頃のは、もしかしての、見合い写真哉と。当時で、見合い写真ねえと。

云うとくの、写真が流行出したと、するのか、巷で、使われ出した、なんか、精々が、大正時代から、昭和初期と、違うの怪と。
明治時代の、お見合いなんか、お見合い以前の、結婚式当日に、お互いを知るが殆どでして。相手も知らずに、でして。
その時代に、写真怪の、祖母の出生なるは、相応のと、類推出来て。

そこで、祖母のチラの話。
彦根が出生の、滋賀の、とは、一切の云わずの、江州<こうしゅう>と、申してたです。
これを、当方、ゴウシュウと、聞こえてて。ゴウシュウ、豪州。まさかの、オーストラリアとは、思てえへんの。滋賀県を、その昔には、豪州と、云うてたと、解釈してて。
後年、滋賀の一部、彦根辺りは、近江の国也の、「近江」の、「江州」かと。

コレ、祖母の口から故、間違いは無く。
一度だけ、祖母の祖母が、井伊直弼の、孫娘と、同級生也と。同級生とは、一緒に勉学したの意での、相応の身分であったと、解釈出来ての、どの代かは、知らんの、その当時やろかの、医者でしたと。
概ねの年代、合致致すです。イヤ、井伊直弼の孫娘と、祖母の祖母の、年代が、でして。
井伊直弼<1815年から、1860年>自身、近江の国、彦根藩、藩主也と。
とするよりも、祖母<1887年生まれ>の話故、信頼出来るわと。大体が、曲がった事、出来ぬ、させぬの人でして。そもそもがの、嘘云うても仕方無く。

且つは、祖母自身の事、云うてたは、少ないわと。
後は、旧姓、「豊田」也と、だけでして。
今になって、思うは、その彦根の祖母が、何故に、京都の、「柴田」に嫁いだの哉と。ソラ、祖父が、京都に来てからの、結婚と、思うですが。
京都と、彦根。ソラ、遠いわと。丹波篠山と、京都が遠いのにと。当世と、違うんやでと。交通事情、全くのと。

加えての、祖母長女での、三姉妹。中手、末の妹も、京都に嫁いでて。
ソラ、姉妹故に、当方、承知の、中手、大徳寺<北大路>の向かいに住みの。末のは、万寿寺通りでして。末の妹は、恋愛結婚を自慢したはったです。何度も、当人より、聞かされてるわと。
ワテ、恋愛結婚なんやと。
聞いて、へえの、恋愛結婚珍しいは、当方でさえも、認識してたわと。
先の通りの、我が親父の時代でも、結婚式当日、初めて、お互いを知ったが珍しいの話であらへんでして。

いやなあ、彦根の三姉妹が、何故に、京都なんやと。
恋愛結婚と、申すからには、末の妹、京都在住やったん怪と。何でやと。
いやなあの、一家、一族、彦根から、京都に、移住なら、です。実家程度、分かるですが。話にも、出るですが。出生、彦根と、祖母申してまして。
ならばの、「豊田家」どなったんやが、現在唯今の、我が疑問。

聞いてた当時、そんな事まで、考えもしてへんですが。考えもしてへんが故、聞きもせず。聞かされたの、覚え無く。
よて、彦根と、聞けば、懐かしいの思いあるですが。嗚呼、祖母の出生也と。されどの、彦根にご縁無く。とは、云えどの、一度、行ったの哉の。母方、従兄妹<女>の結婚式に参列のためでして。
イヤ、彦根の方と、結婚故で。
云うたってなあ。母方、年会でしか、会うの機会無く。

の、以前の、彦根のどの辺りにも、知らんがな。「豊田家」が、どなってるかも、知らんしと。一切、聞いた事があらへんしと。
一度たりともの、祖母が、彦根にも、帰った、里帰りしたの話、知らんわと。
そもそもがの、祖母の時代が、そんなモンやと。

祖母、三姉妹の長女。
「すゑ」と申すですが。中手、「すて」で、末のが、「とめ」でして。三人共なら、「すゑ」「すて」「とめ」でして。漢字でなら、一発の、「末」「捨て」「止め」でして。長女が、「末」なんやでと。
この、「すゑ」さん、しっかり者でして。
妹2人、始終、我が家に来てたわと。諸般の相談、愚痴こぼしに、でして。
姉さん、姉さんと、慕われて。
そら、そやろなあと。多分なら、京都での、身寄り、この三姉妹だけでして。コレ、今、思えばの話の、当時には、そこまで、分かるモンかと。

ここだけの話の、他言結構の。どちみちのと。
「すて」さん、泣き虫。口開けば、愚痴申しの、泣き出して。又かと。
「とめ」さん、自慢しい。口開けば、恋愛結婚なんやわと。それが、どしたんやと。
これが、当時の親戚付き合いでして。当方居てよが、居てまいがの、内部事情、筒抜けなれどの、当方には、さっぱりの話やわと。

にしてもの、三姉妹の、婿殿、当方、知らんの、既に、未亡人。
コレ又、当時、珍しくも無くて。
(15/05/30)


NO.336 我が祖父の話(8)

祖父、どこでと。
トイレでと。
とは、祖母から、聞いたです。
場所は、当時の、仏光寺の家やろなあと。
なんかは、次男嫁には、話してへんですが。
オッとの、隠すの積もり無く。そんな話まで、考えてえへんの、だけでして。

祖父、「亀吉」。親父、「亀太郎」。
下手したら、当方、名前、「亀雄」にでも、されてたの可能性がと。
とは、次男嫁に、話をしたですが。

親父、「亀太郎」の名が嫌で、「雪雄」と、名乗ってたですが。コレ、姓名判断から、でして。
ソラ、その手の事、好きやったらしく。らしくも、易学の本、処分してもたですが。沢山あったです。仏光寺の家に、です。易学と、姓名判断、四柱推命とは、異なるですが。
がしかし、「亀吉」「亀太郎」なら、ええ名前でして。「亀雄」よりは、数段のと。オッとの、実際には、「健雄<たけお>」でして。
コレ又、親父が、姓名判断にての、名付けたの筈でして。
イヤイヤ、当方も、一時、凝ったです。息子共の名前は、姓名判断から、でして。
となんか、までは、話は、してへんですが。コレ又、隠すの積もり無く。細々と、するのか、裏話的なんか、ハタと、想い出さん事には、話も出来ひんわと。


事程左様の、今になっての、つくづくの、思うです。しもたなあと。
祖父の事、祖母の事、肝心なるの事を聞いてませんでして。
肝心とは、余計なるの話なれどの、何故に、2人が結婚に至ったかと。見合いは、承知してるですが。
再度の、今に成って、思うは、祖母、相応の、でして。はきりとは、家柄でして。

祖父は、苦労人と、思われるです。
幼友達と、聞くですが。一緒に田舎から、京都に出て来まして。田舎は、多分ならばの、丹波の篠山哉と。
苦労して、一人前に成りので、謂わばの、戦友でして。
聞くの話なら、ドイツの染料を扱いまして。ほんとに、短期間で、財成して。結婚しの、子を授かりの。判子一発、私財、全てを失おたですが。その愚痴をば、祖母余り申しませんでして。
そらなあ、愚痴云うたって、戻るのモノで無く。

どの段階で、結婚したかは、知らんですが。
恋愛結婚では、無いにしろの、祖父が、祖母を見初めたの、可能性有りと。我が身贔屓、当然に存在致すの、美人で、しっかりモノの祖母故と。
オトトの、云うとくの、当方、生まれたは、祖母還暦でして。物心、付いた時には、婆様でして。今の、還暦と、当時の還暦では、全然の違うぞと。今時、梅干し婆、見ませんですが。その当時には、婆様なるは、皆、例外無くの、梅干し婆でして。
理由、超の簡単、歯抜けやわと。歯医者になんか、通てるモンかと。祖母にしたって、総入れ歯。その入れ歯、付けぬ故に、フガフガでして。
とは、申しの、還暦の頃より、総入れ歯かは、分からんですが。

いやなあ、祖母、云うたら、金持ちの家に嫁いだの哉の。それが、一気の、無一文。
果たしての、今時なら、どなんやと。今時で無くとも、どなんやと。
過去帳から、云えばの、姑も、居たんやでと。大正時代、12年、他界してるですが。コレ又、珍しくもあらへんですが。当たり前でして。

とかとか、ほんとはなあ、諸般、掲載したいの事、あるですが。
ここだけの話も、出来ぬの話もあるわいなと。出来ぬも、真相知らんも、あるですが。

さての、云えるの事。云えるも、従前にも、掲載してるですが。
故郷から、一緒に出て来ての、苦労したの、幼友達、竹馬の友とは、ソラ、仲も良くの。実はの、我が墓地に一緒に入られてましての。そこまでの、仲良しの友人、居て、祖父は、良かったですが。
それも、祖母、一時には、認めてたんやろなあと。

されどの、世の常識より、分骨してくれたは、祖母でして。
当方に対し、幾度も、申してたです。おまえ等には、知らん人故、出て戴くと。墓地より、その友人を、でして。
当方、その方の苗字なら、承知も。そらなあ、一度か、二度、墓参で、鉢合わせしてるです。鉢合わせ、したら、祖母に、あれ、あの人、誰なんやと、尋ねてるです。苗字なら、聞いたですが。ソレ以上は聞いてえへんでねえ。
ソレ以上とは、住所でして。

知らんで、宜しいと。親戚でも、何でも、あらへんしと。
結果、祖母の亡くなるの、一寸、前には、その形跡無くなったです。形跡とは、誰かしらが、墓参したの形跡での。時には、「樒<しきび>」があったり、致しまして。
樒なら、今でも、時々には、あるですが。ンの、先客かと。
但しの、誰かは、分かってましての、先程の宅様に非ずの、我が親族でして。そもそもがの、この頻度、月参りで、この、ン十年、祖母が宣言して以来の、祖父の親友の家族、子孫とは、会おてえへんわと。

そらなあ、先様にしたって、困るわと。
代が替われば、親友、戦友、幼友達も、無関係でして。自身の先祖代々の墓にと。コレ又、常識也でして。
そらなあの、祖父の気持ち、重々分かるですが。
孫の代、当方なれどの、祖父の顔、実物、知らんわと。ましてやの、親友がと、云われたって、困るわと。見も知らぬの方を含めの、拝むんかと。
少なくともの、我がご先祖様では、あらへんわと。

ででの、ソラ、祖父の気持ち、残念無念の、悔しかったやろと。判子一発、家屋敷、私財一切、家族がと。
我が身に置き換えの、この家、亀岡のを、取られてみい。どするやと。生活なんか、出来ひんぞと。借家結構も、家賃いるわと。家族を喰わせんならんぞと。祖父の、子ども達も、マダ、小さかったんやと。
それが、義務教育で、終わってまして。親父、長男以外はなと。

ここで、申すの、父方叔母、格致小学校、郁文中学校、我が母校なれどの。既に、少子高齢化で、廃校なれどの、答辞をしてるです。
とは、祖母から、聞いてましての、コレ、当世とは違いの、学業成績優秀の証、証左でして。
コレ又、身贔屓なれどの、美人やでと。

よ考えたら、祖母と、同じよな、運命、人生、辿ってましての。
夫に良く、仕えの、支えの、どこまでもの、云えるは、その義理の叔父も、やり手でねえ。苦労人で、努力家で。一言でなら、立派な方でして。
オッとの、恋愛か、見合いか、知らんですが。
印象的、祖父と、その義理の叔父が、重なる事、あるなあと。

仏光寺の家なら、名実共の実家でして。泊まって当たり前の。
イヤ、京都在住と、違うしなあ。
そやけどの、祖母<母親>、居てへんの、亀岡の我が家に、泊まってくれたの事、あって。結果的、叔母他界の直前<約1年>に成るですが。

その時、諸般、ビクリしたです。
会社から、帰宅した時、我が息子共2人と、玄関で、迎えてくれて。その時、瞬時、ンの、えの、祖母がと。
いやまあの、そっくりでして。姿形が、顔がで、叔母も、相応の、年齢に成っててねえ。
そして、その時、叔母申したは、私は、ここから、嫁に出たんやわと。
叔母から、その言葉、聞いて、嬉しかったなと。その通りなんや、けどねえ。家そのものは、仏光寺と、亀岡での。全くの、違うですが。

「柴田家」でして。
叔母からしたらの、当方、居てるの家、そのものが、正真正銘の、実家でありの、里でして。
この時、血縁者、我が家に、当方のみ。親父は、明星園。叔父達なら、健在での、墓開き<墓石の新調>で、会おてるですが。
いやなあ、偶々なれどの、この時、墓開きで、父方、兄弟姉妹、会えたが、最後。
(15/05/31)


NO.337 我が祖父の話(9)

叔母婿殿と、我が祖父。
印象的、重なると、してるですが。

祖父は、実物、見た事が無く。
叔母婿殿なら、何度も会おてるですが。良くは知らんです。当方なんかが、直接の話なんか、する事あらへんわと。従兄弟達と、遊んでまして。
又、当方からしたらの、チョと、煙たいの存在でして。
何故にと、なればの、まずは、話もした事が無くの、我等、幼い頃から、自家用車所有。この意味なるは、お金持ちでして。諸般有りで、当方、中学生に上がるの頃、東京に引っ越したですが。甲斐性有りで、何がと、問われたならばの、返答に窮するですが。
そらなあ、中身、具体的には、知らんわと。知らんのに、甲斐性あると、するは、相応の理由あるですが。ここでは、割愛致すです。

どちにしたって、頭脳、良かったんやろなあと。
とするのか、商才あったんやろなあと。
少なくともの、祖父、多分なら、裸一貫にて、京都に出て来て、目の付け処良く。
その当時に、京都で、着倒れ、呉服の町で、ドイツの染料を扱おたは、秀逸でして。

問題はと、するのか、人が良過ぎたなあと。信用し過ぎたなあと。
基本的、悪い事では無いですが。騙すよりは、騙されてるの方がと、思うですが。判子一発の先様に騙された、とは、云えませんですが。その方も、精一杯の、何か知らんの、努力された、とは、思うですが。そと、信じたいですが。
そこまでの借金したら、あかんわなあと。

イヤ、当方、中身知らんわと。
誰様に、どの程度なんか、皆目の、伝え聞いてませんでして。
聞いたって、どするも、出来ませんでして。過ぎたるの話で、聞いて、元に戻るで無く。

只なあ、善人也とは、云えるです。
後世、末代、我々の世代にまで。更なるの、先にまで、後ろ指指されるの、よな、事してへんだけでも、宜しいわと。
ほならの、先様はと、なればの、当方、伝え聞かずで、あの人に、とは、成らへんですが。そこまでは、聞かんでも、どんな関係の方に、どの程度で。その方、どされたかの、範疇ならと。
それを、聞いても、ども成らず、なれどです。
祖父に一言でも、謝罪したのか。夜逃げ、してもたの、哉の。そんな事、さえ、聞いてませんでして。

とりあえず、我が家、家訓と、する程の、大層なるの、家柄でもあらへんですが。
教えなるは、判子一発、アカンぞと。アカン、云われても、諸般の事情もありまして。所謂の、赤の他人から、借金、連帯保証人の、頼みなんか、余程の事での。そこまでの、経験、あらへんですが。

イヤ、赤の他人に、連帯保証人にと、頼む方も、頼む方や、なと。
云うとくの、当世の、世間事情とは、異なりましての、住宅ローンも、あらへんでと。
銀行も、資産に見合うの分、までの、融資でして。堅実でして。
銀行に勤めてると、するだけで、信用されるの時代やでと。石部金吉と、評価されるの時代での。就職も、興信所で、諸般、調べられるんやでと。見合いも、行員なら、ええ、見合い話でして。
とは、聞いてるの、話なれどです。行員の、知り合い、居てへんしと。

云うてるの話、なるは、その当時、家がある。土地持ちである。
と、するだけで、資産家でして。事実、不動産なれど、です。
住宅ローンもあらへんの時代に、家屋敷、買えるは、所有してるは、大したモンでして。先祖代々からの、家屋敷も、相応に、代々が、努力してるのお陰様でして。

現に、当家、借家でして。
就職してから、でして。住宅ローンで、家主、家持ちになれたんやでと。住宅ローンが無いでは、貯金出来てから、買わねばならずの、そんな事、出来るかと。
住宅ローンで、給料からの、天引き故に、返済出来るです。
この分、返済分、貯金出来るかと、なればの、マア、無理、ムリ、無理の、定年まで、持ち家なんか、出来ひんわと。退職金で、でして。
さもなくばの、親なりが、相応の資産家で、資金援助なりが、なければ、なと。

云うてるは、そんな時代に、家屋敷、借家までを、所有の祖父なるは、大したモンやと。
されどの、判子一発、他人の借金のために、借家住まいに、相成って。一家、苦労も、借金、造ってえへんしで、立派でして。
隣近所の小母さんの評価も、上々での、へえと。
ええ人やった。ええ商人やったと。

事実、我が親族に、悪人、余所様を騙して、までのは、知らんわと。
その分、残念無念の、金持ち、居てませんでして。コレ、父方、母方、一緒での。
祖父母の代と、なればの、祖父の親族、知らんでねえ。多分なら、1人息子、やったん哉と。
祖母なら、三姉妹での。中手のも、末の妹の、までも、承知してるですが。強いてならの、中手も、末のも、大は付かんでもの、資産家と、とは、云えるですが。借家と、違うしで。

イヤイヤ、云うたら、祖母、一番の姉として、君臨してたなと。
ここだけの話、でも無いの。他言、結構の。されても、全くの、価値無いですが。
妹が来たら。
度々の、ショッチュウ、来てた、ですが。必ずや、ミカン、1個でもを、持ち帰れと、手渡してたです。中手のなら、電車賃で、軽くのミカン以上掛かるですが。
モノ、金、資産の問題に非ずの、当時、兄、姉なるは、そんなモンでして。気持ちや、気持ちの世界での。
コレ、兄、姉としての、自尊心哉と。

無い袖、振れんでもの、振れるの範囲の袖なら、振れるわと。
その程度でもの、妹達、大層の、喜んでたわと。それが、長男、長女の値打ちでして。さもなくばの、只、威張ってるだけの、ではなあと。
はきりと、申すの、ぼろくそやでと。弟妹も、寄り付かんわと。

それこその、ここだけの話の、他言、別段にの。
母方のが、その手、やったの哉と。長男なるが、次男から、ボロの、糞。コレ、その手の事、せず、年会も開催せず。
では、長男の値打ちがと。

実はの、我が親父も、その傾向あって。
それでもなの、両親<我が祖父母>と、一緒に暮らしの、相応の年月、妹、弟達も、一緒の屋根の下、やったんやでと。
少なくともの、当方、中学進学までは、上の叔父、一緒に居てたんやでと。高校進学の頃、下の叔父が出てった、ですが。

コレ、当方の成長に合わせたのか、その辺り、よ、分からんですが。
高校進学で、叔父達消えてもての、二階が、祖母と、当方の部屋になったんやと。一応は、狭くともの、使える部屋、2つやしと。仕切りなんか、あらへんけどや。元々が、スカスカ、スケスケの家で、部屋で。
何を云うてるかと、なればの、少なくともの、妹、弟達には、住み処提供、飯喰わしてたんやでと。
それ以上の事、出来ぬが故に、ボロの、糞。

まあ、云うたら、兄としての、やり方、下手やったんやと。
気持ちや、気持ちの、世界もあったん哉と。
イヤ、特段の、恩着せがましいの事、なら、云うてませんですが。云うてるの、場面、知らんですが。
無い袖、振れんは、云うてたなあと。
ならばの、振れるの範囲で、振れば、ええのになあと。

での、申すの、住み処、飯喰わすの程度、親、居てへんなら、兄であり、姉の、最低限の、やるの、べき事、でして。
要は、親の代行、するが、せねばならぬが、役目でして。
(15/06/01)


NO.338 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(1)

この話、「単なる雑談」の続きでして。
されどの、続きとも、云えませんですが。
ソラ、「単なる雑談」では、サンジさんが、亡くなったみたいやでと、聞いたのだけでの。そして、配りモノ、訃報にての、嗚呼、矢っ張りかと、相成ったの話、まででして。

それでや、サンジさんの葬儀。
告別式なるは、1月の27日、12時よりでして。

イヤ、12時丁度も、少々忙しないねえ。
昼飯喰てからにするか、帰ってから喰うかを迷たですが。喰てしもた方がと。結果、時間ギリギリになてもたわと。
そらなあ、礼服着んならんです。
着るに、白のカッター・シャツもで、諸般、数珠は、香典は、袱紗はと。ンの、皆、嫁はんが準備万端してくれてるですが。

さての、ここで申すの、何故に、以て、「不可思議の世界」に掲載するかの話をと。
何から、説明、解説を悩むですが。
まずは、昨年、6月、我が母、数えで、93歳にての、他界。

その3箇月経って、同じの組の方、婆様なれどの。婆様も、婆様には、間違い無いけどの、母より、年下、これも、数えなんやろなの、83歳でして。
よて、婆様と、表現も失礼とするのか、異なれどの、我が息子共、出来て以来、表現も、お婆ちゃんで、母の事でして。我が孫出来たら、自身、お爺ちゃんで、嫁はんは、お婆ちゃんなれどです。
ならばの、母、大婆ちゃんに相成るですが。
要は、基準、我々に非ずの、息子共であり、孫共での。
されどの、他家の方をば、そのよに、表現もなと。思いつつの、どしても、その方が、感覚的、ピタリでの、そのよに、致すわと。

でや、同じ組の婆様、昨年の9月に他界での。
ここまでは、特段にの、嗚呼、仲の良かったの婆様がと。当世、83歳なら、まだまだ、早いなと。
云うたら、当方、母の事もありでの、町内会の、又、周辺の、母年代の、云うたら、婆様、爺様とは、話慣れててねえ。婆様、爺様ったって、年齢幅広く。爺様には、話すの機会僅少なれどです。

この、同じの組の、婆様とも、会えば、一言、二言でも、話をしてたわと。遠目で、姿見たら、嗚呼、元気したはるなと。
されどの、ここ数年、見てへんなあと、思てたら、訃報が届きの、諸般、同じの組の方でもありの。親しくさせて戴いてたもありので、葬儀の受付、買おて出たですが。こんな事でしか、お役に立てずで、申し訳あらへんのけどや。

でや、その3箇月、とは、申さんの、4箇月経っての、年替わっての、1月でして。
サンジさんがや。
云うたら、当町内会、新興住宅も、最早の、約の、40年が経つの一帯での。
多少の新陳代謝もあるけれどの、年々の、少子で、高齢化。少子は、子ども世代は、出てくし、世帯主は、高齢化やし。子ども世代も、皆と、するのか、相応の、ええ歳になって来てるしなと。子も、親世代での。

オッとの、要は、当町内会の葬儀も、そんなには、あらへんの、数年に1回でして。ここ数年なら、まあ、年1回も、あればの数でして。葬儀がや。
こんな事、イツに誰がと、覚えてえへんけどや。

実はなの、申し述べてるの通りの、母が、同じの組の方が。
ここまでで、2件やでと。
2件も、前例に無いの、葬儀件数なれどの。ここまでは、諸般、左程にはなと。少子高齢化が進みの、今後、年2度も、有り得るの話での。
ここで、年越しての、1月なるは、町内会年度と、するのか、役員任期的、3月末までなら、サンジさんで、今期、3件目。
異例中の、異例の件数と、云えて。

とまあ、その程度の事象如きで、「不可思議の世界」の、話に致さんわと。

云うたろかの、この、3名様、当方、区長時代、2005年の事。
大井町の、「敬老会」に参加されたです。
当時なら、72歳からが該当での。「敬老会」年齢がや。

母なら、軽くの該当での、そらなあ、この時、82歳。
タタの、1人ででも、参加致してねえ。その時々の区長が、会場であるの、小学校に連れてってくれて。帰りは、当方が、車で、お迎えに参じたですが。
我が期、2005年には、その婆様、同じ組の、その方も、一緒に、車で、連れてったですが。帰りは、当方、区長故、後かたづけ等々、せねばの、嫁はんに託したですが。
いやなあの、サンジさんは、自力で、自転車で、行くと。

での、モ少し、その時の状況、申せば、我が町内会で、「敬老会」該当者、8名でして。要は、72歳以上が、8名なんやと。
やけどの、参加してくれたは、この3名様のみでして。以降も、この3名だけが、「敬老会」に参加での。年々の、該当者数、増えてるですが、尚、3名のみ。

ででや、母、転けて、転けての、要介護認定されて以来、参加してへんですが。ソラ、入退院の、繰り返しと、歩行に、杖でありの、歩行器の、車椅子では、どもならず。
連れが居てずで、その婆様も、以来、「敬老会」には、参加せずで。
サンジさんなら、別段にの、母等々が、連れとしての、参加でも無くの、一年、二年なら、1人で参加されてたの可能性あるですが。その辺り、よお、知らんですが。

何を云うてるかと、なればの、そのままの、3人共に、「敬老会」仲間。
且つは、我が区長時代の、2005年からの、でして。
実は、以降、1歳ずつ、該当年齢、引き上げられ、3年後の、2008年には、75歳以上が、「敬老会」年齢なれどです。現在唯今、我が町内会からの、「敬老会」参加者ゼロでして。
イヤイヤ、該当者数なら、年々、増えてると、申してるです。2008年までなら、そのままの、8名が、以降、増えて、昨年度なら、18名でして。

ここだけの話の、されどの、我が期以降、区長もなと。
「敬老会」に、参加で、迎えになんか、来てくれてえへんわと。当方が、連れてってるわと。ここだけの話の、左程に、何ちゅうかの、なと。
云うてもたらの、区長の考えなるが、違て来てるわと。云うたって、区長年齢バラバラも、似たよな、年齢のも、異質でねえ。

オッとの、当方が、「敬老会」に連れてくは、何でもあらへんわと。我が母でありの、同じの組の方での。サンジさんなら、声掛けたって、自分で行くと、返答するし。好きにして戴いたら結構なると。
オトトの、当方なら、サンジさんとは、気楽やでと。最早の、気楽やったの過去形ですが。

モ一発、申すの、我が期以前なら、歴代区長が、「敬老会」に、わざわざの、車で、迎えに来てくれたです。その当時には、参加者、我が母1人。
我が期には、参加者、3名様に相成ったですが。
以降、特段にの、迎えにも、来てくれてえへんし、無関心なんやろと。
そこの宅様に、年寄りも居てへんし。イヤ、そんなモンやでと。

オッとの、我が期以前の区長宅に、年寄り居てへんのも、あったですが。
要は、この事、云える、気が付くは、当方タタの1人哉と。
そらなあ、我が母、「敬老会」参加故に、諸般、分かるです。バチリと、記憶してるです。
さもなくばの、過ぎたるの話、なんか、覚えてるモンかと。自身の親でもあらへんわと。
(16/01/29)


NO.339 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(2)

諸般、葬儀、今期、三連発。
そらなあ、希有なるの事でして。
従前、年に、1件アリや、ナシやの、葬儀でして。葬儀の件数なんか、一々の、数えてえへんけどや。

での、黒のネクタイして、靴も、黒で、紐付きにして。
ンの、12時に、10分前に車に乗って、亀岡シティ・ホールえと、馳せ参じ。

会場、2階でねえ。特段の、1階では、式無かったですが。
階段登れば、ンの、ンンの、当期区長、立礼での。へえと。

そらなあ、正直なるの話、母の時、続いての、同じ組の婆様の時、なるは、区長、単なるの、参列者でして。
それも、通夜だけでして。
イヤ、そと、決まったなら、ソレで結構でして。

イヤイヤ、経緯なるは、当方知らんわの、筋的、母の時には、組長<支部長>に、葬儀の件、伝達しの、後の、一切、組長に託すと、するのか、任せてるわの。多分なら、我が組の面々にての、受付やると、云うたんやろなあと。
コレ、推測の話なれどの、当たらずとも、遠からじと。

いやなあの、ここで、正直なるを、申せば、その受付なるは、町内会、三役が勤めるが、我が町内会の前例、恒例でして。
前例破りなれどの、当方の立場で、何とも早の、口出し不可。そらなあ、町内会のしかるべくの方が考えるの事でして。
再度の、そと、決まれば、それで結構なんやでと。

只なの、三役、三人、受付せずなら、この立礼、区長がやるべきでの、そのよにされてるが故、此度、結構なると。結構なるも、過ぎたるの話の、当家含めの、2件、今期区長、されてえへんでねえ。
こちからしたらの、ンと。
再度の、過ぎたるの話なれどのや。
そらなあ、悪いけど、区長でして。町内会の顔でして。やから、区長職、大変での、誰もが、敬遠するんやわと。それだけ、重いの役職でもあって。

有り体、正直申すの、チョと差、付けられたなと。
三役、受付せず、区長、立礼せずなら、徹すべきと。今期はなと。あちして、こちせず、困るの事よと。

デハの、受付なるは、サンジさんの組の方がされててねえ。これは、これで、結構の。
只なの、組の方の担当、町内会の方での、親族のは、親族がされてるのよでねえ。
まあねえ、どちでも、しかるべくの、その場、その場で、臨機応変で、結構なるの。先の2件なるは、両方、組の面々で、分担したわと。

イヤなあの、当家、母の時、町内会のは、町内会、三役がやると、頭っから、思ててねえ。親族のは、従兄弟にしかるべくの、受付頼むなと、云うてたですが。そらなあ、従前、そでして。
当日、人数的、多いし、組長に尋ねたら、やるでと。親族のもと。
との事で、すみませんねえと、従兄弟には、そのよに伝えたですが。
イヤ、町内会の方が、やってくれやはるしと。助かったですが。

再度の、只なあ、三役で、出てるが、区長だけでねえ。立礼なら、区長で結構なるも、大体は、立礼役あらへんでねえ。
くどいけどの、従前はなと。
してくれても、当方の立場からなら、したはった。の、過去系に相成るですが。今後の事は、知らんしと。我が組の2件のなんか、そやなかったしと。

でや、ででや、香典については、お断り致す。
とは、配りモノの、訃報には、記載無く。よて、袱紗に包みの、しかるべくの、持参してるですが。
香典の件、受付のどこにも、書いてえへんし。ンの、記帳台の一隅には、香典袋、置いてあっての、左様<さよ>かと。
それで、結構なるの、内ポケットから、出して、記帳して。

ここだけの話、でも無いの当方、字が下手でねえ。苦手でねえ。氏名だけで、ええやろと。住所割愛。
そらなあ、書いてたって、町内会の面々なんか、分かってまして。特段の、一々の、御礼にも、回りませんでして。香典返しも、いらんわと。
そもそもがの、粗供養なるは、その場で、戴けて。それで、オシマイやろと。

思てたら、受付担当の、某さん、柴田はん、チョと待ってなあと。渡すモノがあると。へえと。
待てば、粗供養に加えの、モ一点、葬儀社の袋に入れてくれたです。ンの、これが、香典返しなんやろと。
この方が埒空いて結構でして。

いやなあ、当家、丁寧過ぎてるわと。
親族については、香典戴いたですが。粗供養は当然の、香典返しも、金額に応じてなれどの、全員にと。細かなるの話、金額によては、いらんかったなあと。
細かも、数あれば、結構なるの金額に相成るわと。


でや、ここで申すの、葬儀なるは、相応の年齢になれば、相応、真剣、観察してるです。
理由、超の簡単、自分の時の事、想定してるです。自分の時の意なるは、自身のみに非ずの、家族を含むの自家<じけ>より、葬儀出すの時の、参考でして。表現異も、学習でして。
そらなあ、町内会のと、親族、知人の葬儀あっての、町内会のは、場所、概ね、一緒の、自身のでして。再度の、自身とは、自家。
親族、知人のは、葬儀場所異なる故、コレ又、別途の参考での。

云い出したら、全部、覚えてるわと。あの時は、こで、この時はと。こんな手、あんな手があるなあと。
只なの、こちの、年齢によりの、観察の度合い、箇所なるが、真剣になて来るです。細々になるです。若い時なんかなら、受付の事まで、見て無かったり。
対して、町内会のなら、受付誰かは、一発、分かるわと。

ででや、ここ数年、香典お断り、流行ってたと、するのか、そんな慣わしになてもてて。
当家、母のも、前例に習いの、そのよにしたですが。そんな意味からも、サンジさんのご家族、勇気あるなあと。イヤイヤ、結構なると。
ほんまやでの、香典一つ、されどの、香典なるは、重要なるの、互助の精神也と、当方、理解してるですが。お断りが継続しててみい、これを、打ち破るは、大変ぞと。
それ云い出したら、ここで、自宅の葬儀をやてみい、家族、家大変も、隣近所にも、お世話にならんならんですが。コレが、本来の葬儀での。
されどの、そこまではと、思いもするですが。

当世、それどころか、「直葬」で、葬儀社で無くの、家で、でも無くの。家は家なれどの、祭壇設けずの、葬儀も、身近な親族のみでの、納棺、そのままに、火葬場にと。そんなのもあるの、らしく。
云うたら、坊主まで、インターネットで、申し込んでの、費用も、3万円見当で、済ませるの、まであって。
そらなあ、葬儀で、坊主費用、3万円見当なら、一桁安くで済むですが。
祭壇設けずなら、葬儀費用総額の、半分の、100万円からの、節約になてねえ。そらなあ、料理までは、知らんの、ン十万円もあれば、葬儀出来るですが。

確かにです。
葬儀なるは、待ったナシ。
即の、ン百万円也。単純、標準的になら、200万円を即刻の、2、3日で、用意せよに、相成って。

遺族が調達出来るなら、なれどです。
当家、母の時には、諸般、準備はしてたの、万端と、までは、申さんの。想定内の費用やったですが。
云うとくの、母は一銭の貯金も、資産もあらへんわと。残してえへんかったわと。それも、想定内での、嫁はんの努力の成果で、葬儀本番も、費用についてなら、ドンと、構えてたですが。
まあなあ、遺品として、貴金属で、数万円あったですが。
(16/01/30)


NO.340 <異例>町内会訃報三連発の希しきのご縁の話(3)

このところ、便秘症状。
イヤ、朝、朝食、パンとコーヒーなれどの。加えての、便秘対策にての、食べるヨーグルトを1カップ、喰てるですが。余り、効果あらへんでねえ。
腹、苦しくなるが故、「マグミット」をと。
コレ、服用にて、数日、出るですが。数日で、又、便秘で、その繰り返しでして。
いやなあ、基本、薬飲んでの、出すは、チョとなあと。避けるにしてまして。避けて、数日経てば、又、便秘でねえ。困るの事よと。

でや、果たしての、3人様。
母、他家婆様、サンジさんの、3人様。
2005年の、当方、区長時代に、「敬老会」に参加は、承知してるですが。ソラ、区長故。
それ以前より、母が参加も承知してるですが。ソラ、時々の区長が車で、わざわざの、お迎えして戴きまして、感謝してるですし。嫁はんも、会場であるの、小学校に、迎えに出向いたり。
当方も、出向いてまして。

以降、どであったの哉は、定かに覚えてませんです。
少なくとも、お迎えはして戴いてませんですが。されどの、参加、出席出来るの状態やったの怪と。
この年、当家、屋内改造致し。コレ、「大井神社」の、神輿の日、「秋祭り」の時、壁塗りしてまして。幕とするのか、足場を組んでたり、してまして。よっく、記憶してるですが。

イヤ、壁塗りだけで無いの、台所、風呂場も、改造、新しいキッチン、床、浴槽にしてまして。床は当然の、母の部屋との、バリア・フリーでして。
そ云うたら、車も、現カローラにしてたなと。
よお、そんな資金あったなの、風呂場の改造もした故、風呂が使えずの、湯ノ花温泉の方に、3人して、通たですが。この、3人なるは、我が一家。母、嫁はん、当方の3人でして。

いやなあの、温泉の駐車場に車を駐めて、帰りしな、車がどこにか、分からんでねえ。
新車だけに、盗まれたかと、大慌ての、焦りまくった記憶がと。
イヤイヤ、単に、場所を失念と、するのか、勘違いしたのだけでして。車は無事に見つかりの、安堵したですが。
ソラ、その温泉、この時、初めてでして。

「敬老会」なるは、本来の、「敬老の日」の、9月15日の前後でして。とりあえず、9月の、第3月曜日でして。
「大井神社」の、「秋祭り」なるは、10月16日と、決まってまして。
での、この年の、神輿なるは、子供御輿でして。当方、本御輿には、マダ、参加してませんでしたですが。この当時には、本御輿など、無縁の世界の話でして。自身参加で、ご奉仕なんか、考え及ばんの、話もあらへんしと。

何を云うてるかと、なればの、新しくなったの風呂に、母、何回、何箇月入れたの怪と。
いやなあの、諸般、母のためと、風呂場に手摺りを何箇所か、取り付けてるです。
以前のは、手摺りなんか、あらへんでして。年々の足腰、弱くなりての、風呂場で、転けられたら、大変と。それで、母の部屋と、キッチンの間も、バリア・フリーにしたですが。

でや、母、何回、何箇月の話の、それは、少々、イヤ、可成りの、大袈裟なれどの。
2007年、7月、母、転倒致し。この時には、裂傷で済んだだすが。又、8月にも、転倒での、骨折での。この辺りより、転倒癖付いての、骨折、入院、退院の繰り返しで、介護認定受けたですが。

結果、2006年の、「敬老会」には、参加出来てるなと。
2007年のは、出来てえへんなあと。
以降、入退院の繰り返しの、要介護度も、上がってる故に、参加出来ずが故、3人揃ての、参加、2005年と、2006年の2度だけ哉と。

イヤイヤ、実は、2006年、「敬老会」の記念品を当家に、持って来て戴いたを記憶してるです。
何故か、2日連続での、区長、副区長が、1回ずつでして。
何故かの意なるは、我が期では、1度に2つの記念品が配付されてまして。不参加様宅に持参したです。参加者には、会場にて配付で、不参加者には、区長なりが、届けるになってまして。

でや。
「敬老会」の参加資格、72歳と、思てたですが。イヤイヤ、当初、70歳からでしたです。
当時なら、70歳でも、人数知れてまして。只、年々、高齢者の数、増え出し、1歳ずつ、加算で、75歳の、後期高齢者年齢で、引き上げ終わったです。
但し、3人様、参加は、何回哉と。我が期以前にも、送ったり、迎えにも、母のみの、記憶がと。
イヤ、そらなあ、それ以前の区長、皆が、迎えに来てくれたではあらへんでして。

どちにしろ、我が町内会からの、「敬老会」参加者、この、3人様だけでして。
云うてるは、参加出来てるの時にはの話の、以降、参加出来ずで、ゼロではない怪と。
大体が、「敬老会」年齢に達しの、参加資格出来ての、招待状持参で、へえの、モ、そんな歳になってもた怪と。どちかと云うたら、嫌がられるです。

下手したら、その場で、行かへんと、招待状、つっ返されたりの、、けんもほろろの方もあったです。
それからしたら、この、参加してくれるの、3人様、区長たる、有り難い事でして。

その3人様が、当期、三連発で、亡くなったに相成って。へえと。
我が期、一期前の区長。誰様と、覚えてるの。そらなあ、我が期、組長でして。この方が迎えに来て戴いたは、鮮明記憶でして。他は、ボヤとでして。
どちにしたって、この事、3人様の事、「敬老会」繋がりの件、分かってるは、当方1人。では無い怪と。

いやなあ、そらなあ、婆様2人なら、同じの組であるの、共通点、誰もが分かるですが。サンジさんなら、違いまして。
参加、不参加なるは、区長が知るです。区長が、役員会で、報告も、役員の誰が、そんな事、覚えてるの怪と。3日も経ったら、忘れるわと。自身の家族でもあらへんでして。

そんな事で、記帳しの、粗供養戴き、ホール内え、なれどの、ンの沢山の参列者でねえ。結構なると。
空いてるの席、瞬時、見渡しの、ンの、某さん、前期、同じの組長居てねえ。区長経験者でもあってねえ。同じの年齢でも、あってねえ。
こんな場、場が場だけに、やあやあと、明るいの声出すも出来ずで、小声で、久しぶりと、声掛けて。嗚呼と、返事で、隣の席に着席致し。

ンの、祭壇見たら、サンジさんの写真、コレ、50台の頃のと、違うの怪の、髪の毛黒々の、若い写真でねえ。
まあなあ、晩年の姿、承知してる故、分かるですが。晩年も、ここ、2、3年は見てへんですが。その、2、3年前、春か、秋かの、「環境衛生行事」。要は、草刈りの日、なれどの、公園の雑草を刈ってるの時、ベンチで、座ってたは、見てるですが。
当方、声掛け、元気無いなあ。サンジさん、ニコとしの、ン、チョとなあと、返事あったですが。

そんな光景、見た事も無く。イヤ、ベンチに座ってるの、サンジさんの姿を、でして。多分なら、カラダがしんどいのやろなあと。
只なの、それ程に、町内会行事には、積極的参加、してるの方でして。
総会にも、必ずの出席での、何か、一言、思うの事、発言してたですが。これも、この、2、3年、出席してへんでねえ。サンジさんの具合、心配してたですが。
そこに、訃報でねえ。

でや、それとも無くの、チラチラの、出席者状況、散見の、ンの、男性なら、基本なれどの、区長経験者多く。
ソラ、当方も、隣の某さんもで、以外に、4名様怪と。告別式での話の、前夜、通夜は、知らんですが。
イヤイヤ、それ程に、大抵の、区長たる、サンジさんのお世話になってるわと。
ご援助戴いてるわと。
(16/02/02)