不可思議の世界NO.29
京都・亀岡の良く当たる占い師の話
<京都でよく当たる占い師は?>
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目次
NO.320 親父の25回忌の話(8)
NO.319 親父の25回忌の話(7)
NO.318 親父の25回忌の話(6)
NO.317 親父の25回忌の話(5)
NO.316 親父の25回忌の話(4)
NO.315 親父の25回忌の話(3)
NO.314 親父の25回忌の話(2)
NO.313 親父の25回忌の話(1)
NO.312 25回忌に向けての話
NO.311 再びの、夢見の話
NO.311 再びの、夢見の話
再びの、夢見の話。
夢見ぬ時には、以前見たがイツの事かの、ン箇月はと。
見ても、大した話に非ずの、スグにも、忘却なれど、です。
このところ、覚えてるの、夢、多々あって。
オッとの、此度も、人物登場なれどの、知り合いに非ずの、まあ云うたら、有名人。まあ、云わんでもの、概ね、誰もが知るの、超有名人でして。
何で、そんな人物が、我が夢に登場か、なんか、当人でさえもが、分からんわと。
誰が出たか、登場したかは、追々にの、スグにも、判明致すですが。
コレ、1日、2日、過ぎてるの夢でして。覚えてるが故に、一発と。
背景、場面、多分ならばの、我が小学校、母校でして。
或いは、中学校哉の。小学校、中学校かは、どちでも結構の、兎に角の、我が母校。
との、認識してるの場でして。
かと、申しの、沢山の人が居てるの雰囲気なれどの、全部が大人での、小中学生時代に戻ったの話に非ずの。単に場面が、学校であると、ダケでして。
我が小学校も、中学校も、遠の昔に、少子化で、廃校でして。とは、云え、敷地、校舎だけは存在してるですが。
中学校なら、名称替えて、存続してるですが。要は、校名消えてるです。
小学校なら、「格致小学校」<油小路、高辻上ル>で、中学なら、「郁文中学校」<大宮、綾小路下ル>と、称するですが。何故に、どちか、分からんかと、なればの、場面なるが、高校、大学での、事で無いは、認識してまして。認識も、夢の中の世界、なれど、です。
兎に角、校舎の廊下でして。薄暗く。明るくは無く。
人は沢山居てるですが。子どもで無いは確かの、知った人、ダアレも居てませんでして。その中に、当方、ポツリと、居てるの状況での。その知った人、ダアレも居てへんの中に、知った人、ポツリの、それが、誰かと、申せば、元米大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースの、ジータ選手<デレク・サンダーソン・ジーター、40歳>でして。
イヤ、別段の、ファンでも、何でも無いわの。知ってるは、知ってるの、ダケの選手でして。松井秀喜選手とも、仲ええなあの、程度での。
米大リーグで大活躍の、スーパー・スターであるは、承知してるですが。大リーグには、左程に興味無く。ナンボの値打ち哉の。日本の選手が、アチラに行っては、故障して、使い捨てにされての、戻って来てと、アホやなと。特には、投手でして。
まともに、通用したは、野茂英雄選手だけ哉と。
松坂大輔選手、田中将大選手、ダルビッシュ有選手も、壊れてもて、ねえ。日本でやってたら、モと長持ちしてるやろにと。
オッとの、田中のマー君、ダルビッシュ選手は、マダ、分からんですが。肩壊したは、事実でして。手術して、果たして、どれだけ、保つのやらと。
中には、日本でも、大した実力もあらへんのに、大リーガーになりたいと。渡米したりのが、居てるですが。
そんな意味でなら、松井秀喜選手も、手首折って、もて。
米国やから、折った、でも、無いけれどや。米国では、悪いけど、只の選手みたいに、思えてねえ。日本での、活躍を見たかった、ですが。
オトトの夢の話なれどの、松井秀喜選手は登場せず。ジータ選手のみ。最早の引退してるが故、選手では、無いですが。
彼が、何故に我が夢に出て来たか、なんか、知るモンかと。
強いてなら、米大リーグで、承知の選手名と、なればの、ジータくらいな、モンでして。後の選手を知らんわと。知った、選手であれどの、ダケの事での。先の通りの、好きでも、嫌いでも、少なくともの、ファンでも無いわと。
それが、何の間違いかの、我が母校にと。当方も、何故に、我が母校にと。
居てるの意味、さっぱりなれどの、理屈、屁理屈、夢の世界で、意味は無く。兎に角、周辺に人集りの、人も、有象無象での、特段ので、ジータだけが、我が知り合いでして。
有象無象も、ジータに注目してるで無いです。何で、居てるも、知らんの、人集りがあるだけでして。
での、何故に、なんか、知らんの、話するの必要性がと。
されどの、自慢や無いの、英語、喋れませんでして。コマツタなと。どせよと。
「ジス・イズ・ペン」では、話に成らずの、「アイ・アム・タケオ・シバタ」も、アホみたいやしと。ジャパニーズ・イングリッシュでは、果たしての、通じるの怪の、さての、何の話をして、どこに案内したら、ええの怪の、コマツタなと。
ども、ジータの知り合い、我輩だけみたいでねえ。他の沢山の面々、居てるも、彼には、無縁での。興味も示してませんの、兎に角、我が知り合い、ジータのみ。
彼、我がソバに来るし、当方をば、頼りにしてるみたいで、ねえ。コマツタなと。
我が英語が通じたら、ええけれど、です。自信あらへんわと。
そもそもがの、日本語でさえが、喋るの苦手の、何を云うたらと。嗚呼、ええ天気ですねえ怪と。
天気はどか知らんの、薄暗いの廊下でして。当方と、ジータだけが、目立って、ねえ。やあやあの、ご機嫌さんは、ええけれどの、コマツタなの、どする兵衛哉の。何とか、してやらんとなの。コマツタなと。
名案、浮かび上がらんで、ねえ。
そらなあ、学校が一緒でも無いけどや。人生の後輩でして。飯おごらんならんやろ。彼の資産、天文学的、桁が幾つも違えど、出させる訳にいかんやろな。
さての、どこがええかの、こっちも、この界隈、詳しいとは、云えどの、最早の、ン十年、知らんわの。
大体が、この界隈の、メシ屋なんか、入った記憶がの。ンの、焼き肉屋があったけどの。当世、マダあるのやろか、なあと。歩いて、連れてくに、どしたモンかの。無かってみい。申し訳無いなあと。
とかとか、接待、熱烈の歓迎するに、その手段、コレと、するが、見つからずの。適当なるの、会話するに、英語が、なで、コマツタなあと。
一生懸命に、何を、英語で、話をするやの、英単語が出て来んで、ねえ。コマツタ、コマツタ、困った、なあと。
上等の肉喰わせるにしたって、懐大丈夫怪の、そんな事も、云うてられんの。兎に角、英語や、英語で、喋ってやらんと、なの。日本語では、意志の疎通が出来ませんの。
ンの彼、自分は、ジータであると、名乗ってくれて。多分なら、日本語なんやろなあの。そのよに、思えたですが。へえの、ご心配無用の、流石は、スーパー・スターのジータ君。
日本語、ペラペラやんかの、大したモンやの、そやから、1人、単独、我が母校に何しに来たかの。我輩に会いにかの。
チャンと、日本語の勉強も、して、なあと。偉い、偉いの、褒めてつかわすの。
で、ほんとに、我輩に会いにだけに、来たの、怪の。そんな筈はの、ンの、そこまでの、知り合いでも、あらへんでと。当方、渡米なんか、した事も無く。
そんな余計なるの、理屈、屁理屈、結構の。
まあ、ジータ君よ、付いて来いと。我が愛車、10年選手の、カローラにでも、乗せてやるわと。
どこか、適当なるの、京都見物でも、させてやろかの。どこでも、云うて頂戴の、任せて頂戴なと。
ンの、車、どこに置いてるやの。しもた、しもたの、亀岡の我が自宅。
とまあ、夢の話、世界で、我が愛車のカローラが云々まで、出て来た、考えたまでは、定かに非ずの、漫画みたいな、夢見たわと。
(15/04/15)
NO.312 25回忌に向けての話
以来、夢見てへんかと、なれば、見たよな、気がしてるです。
されどの、全然の、記憶してませんでして。
コレなんやなあと。
全くの、記憶に残らんの、夢。そやけど、見たと、ダケは記憶してるの夢。記憶に皆目故、思い出すに、思い出せんの夢でして。
コレは、ヤンキースのジータ選手の夢の後でして。
とは、記憶してるですが。それ以上の事、分からんです。夢には、元々が意味無いのと。何でかなあと、気になるの夢あって。記憶に残らんのは、どしよも無いですが。
いやなあ、夢見るは楽しいわと。
よて、あれこれ、掲載してるですが。意味不明も、意味あるのも、でして。記憶に残れば、でして。
記憶に残り、記録と、するのか、掲載したなら、尚、鮮明に思い出すですが。
での、どちにしたって、祖母は以来、登場してませんでして。
親父の年会の、年が違うの事、やったんやろなあと。
25年、25回忌が正当と、するよに、勘違いと、肝心の、「東大谷祖廟」では、ややこしい事、云われてねえ。
菩提寺の、「光圓寺」では、25回忌も、23回忌と、27回忌をまとめての場合、する事もあると。云うたら、略式やったんやと。
そらなあ、墓参は各自で、して頂戴の、法要は、菩提寺での、手があると。するのか、それが、正当とは、承知してるですが。当家の場合、菩提寺と、墓所異なりまして。
よて、基本、「東大谷祖廟」の墓所での、法要で、年会としてるですが。
しかる後、会席をと。
そんな事で、当初、5月3日<日曜日>に、「東大谷祖廟」の墓所に集合での、法要をと、してた、ですが。
ややこしい事、云われたのと。この日では、10時からしか、空いて無いと。坊さんが、です。
10時に、「東大谷祖廟」では、少々早いのと、どしてもと、申すなら、法要するですが。25年は、正式では無いため、読経ですがと。
どしてもは、どしてもなれどの、どしてもならと、云われて、どしてもとは、云い難く。
ならばと、法要は、菩提寺<松原通リ、西洞院東入ル>で。しかる後、皆で、墓参をと。墓参して、会席をと。会席を予約してるの場所、祇園、「かに家」でして。
但し、菩提寺では、3日はダメで、4日ならと。そしたら、そのよに、致すかと。
どちみちの、内輪の法要でして。
まあなあ、叔父来られず。上の叔父の娘、従兄妹も、来られずで。結果的、ホントの、内輪の、我が一家<息子共全員>と、妹家からと、相成って。
妹家の方、マダ、正確なるの人数、決まってませんですが。
イヤ、妹家の長男<甥>は、妹夫婦と、一緒に参列するですが。姪は、諸般、参列難しくの、その婿殿と、子ども達が、参列するみたいな話があって。ここが、確定してませんでして。
まあなあ、人数なら、菩提寺での方は、急ぐの事も無いですが。会席の方は、予約してるし、なあと。現時点、部屋の予約だけ、なれど、です。
諸般、粗供養なるは、既に、選定してまして。
妹家、息子共家、それぞれに、リクエストがあっての、残余のを、本日<4月19日>、調達に、「高島屋」えと。
してしまわんと、日があらへんわと。次ぎの土曜日、芋煮会で、筍堀りが予定されててねえ。日曜日には、町内会の期首総会がと。
期首総会、夜の、20時から故、どて事無いですが。すべきは、早めに、してまわんとと。
斯くしての、それだけに、「高島屋」えで。にしてもの、朝の10時半に着いたですが。日曜日やのに、客、少ないねえ。
過年の、駐車場に入るだけに、河原町通りを延々の車数珠繋ぎの状況、思えば、雲泥の差の、スと、入れて、駐車が出来て。結構なるは、結構なるも、変な気分。
イヤ、モノは決まってるが故に、サと決めて。注文も、内の一品、数が揃わずの、どしましょかと。別段にの、急ぐでも無くの、揃い次第、発送をと。
いやなあ、当世、中国の方、爆買いで、モノがスグにも、底突く事、多々あるですて。へえと。
ここが決まれば、基本、「高島屋」での、用事終わるですが。ついでやしと。地下の食料品売り場、デパ地下えと。ついでと、するよりも、折角故に、夕食の総菜でもと。オヤツを、でもと。和菓子をと。
買い求めてるの間に、我がケータイに電話一発。
先程の、粗供養調達の担当者から、での、先程、入荷したですて。へえの、今なら、「高島屋」内故、スグ、行くと。
そらなあ、宅急便で、郵送よりも、確実でして。
イヤイヤ、自宅電話番号と、安全見て、我がケータイのも、伝えといたですが。
斯くしての、上手い具合に、揃てもての。その帰りには、「光圓寺」の周辺の駐車場も、見とくにしてて。
菩提寺故、概ねの状況、承知してるですが。その近辺に、駐車するの機会なんか、過去、何度かいなの、数度でして。前回と、なればの、下の叔父の嫁、叔母の1周忌、やったの哉の、時か、なあと。
ならばの、5年経つの哉と。
要は、早々に、菩提寺に用事無く。
盆には、読経に来て戴いてまして。
先の通りの、墓参なら、月参りなれどの、「東大谷祖廟」でして。
その界隈、熟知も、京都離れて、ン十年の、離れてもてからの、年月、2倍近くになてもて、ねえ。
そらなあ、この界隈も、概ねなら、変化無しも、細々とは、変貌してるの。大体が、松原通りなるは、西洞院から、堀川通り。その先も若干のあった哉の、市場でして。
我輩なんか、母のお供で、荷物持ちで、よお、通てた、わと。
オッとの、その当時になんかは、駐車場なんかは、あらへんで、ねえ。
当日、5月4日に、車で来るに、「光圓寺」には、車、入れませんでして。駐められへんで、ねえ。門前に、一台なら、何とかと、聞いてるですが。ほんまかと。
駐められて、軽自動車やないかいなあと。その辺りも、下見にと。
向かえば、駐車場なら、記憶通りの場所にあっての、嗚呼、良かったなあと。あっても、大駐車場に非ずの、小さな、コイン駐車場でして。よお、見たら、向かい同士にあって。その先に、「光圓寺」で、矢っ張りなあと。無理したら、門前に、駐められんの事も、無いですが。止めといたの方が、無難の広さでねえ。
安全のため、西洞院の先も、下見した、ですが。あったなあ。駐車場がで、これだけあったら、2台や、3台なら、何とか、なるやろと。
妹家が、果たして、車か、電車かは、分からんですが。
イザと、なればの、我が愛車も出せばと。事前に、分からんと、困るですが。そらなあ、何台もの、車を連ねるよりはと。
そんな事で、本日<4月19日>、一応の、粗供養到達。下見も、無事に出来まして。
話、ころりの、にしてもの、現在、四条の、烏丸通りから、河原町通りまでの、車道を狭くの、人道、広くの工事してるですが。
誰様の、発案かは、分からんの、狂気の沙汰也と。
話では、観光客が動き易く、店にも入り易くと、でして。
そのため、原則、片側二車線を、一車線えの、工事をしてるですが。当方、墓参するに、基本、四条通り、真っ直ぐでして。
ここを、そんな事、されたら、大迷惑の、この間、突破に、どれ程の時間要するかが、計算出来ひんでねえ。そもそもがの、東進の場合、烏丸通り、突破が、大仕事。
当面、様子見し乍らの対応せねば、ならぬなと。
イヤ、烏丸から、河原町の混み具合を、でして。ども成らずなら、御池通りから、河原町を下って、四条通りを祇園えの、迂回案もあるですが。
観光客のためと、申すに、道路が狭いも、一興の。錦小路の市場なんか、狭い、狭いの道でして。
それは、それで、市場らしく。
四条通りにしたって、その昔より、ソレでして。道路を、人道を、人、一杯で、動けえへんなんかの、経験あらへんわと。
(15/04/20)
NO.313 親父の25回忌の話(1)
そんな事で、5月4日<月曜日>。
明日ですが。連休のド真ん中なれど、です。
親父の25回忌を執り行うになったです。
5月2日には、長男一家、こっちの方に来てまして。嫁と、孫共、嫁の実家えと。長男、こっちで、寝泊まりをと。
3日の夜には、皆、こっちで、明日、早朝と、するのか、朝一番には、菩提寺、「光圓寺」に向かうになるです。
イヤイヤ、嫁の実家から、戻った時には、孫共、寝てまして。即の、寝床えと。
当日には、「光圓寺」で、法要をで。
終われば、全員で、墓参のため、「東大谷祖廟」。
墓参を済ませたら、祇園、「かに家」で、会席をと。
予定では、当家、全員、次男一家は、当日、「光圓寺」で。
妹夫婦と、その長男<甥>と、姪夫婦と、その子2人も、「光圓寺」で。
都合の、何名や。当家、総勢、10名。大人6名、子ども、2名。妹の方が、大人5名、子ども2名。
やから、大人が、16名で、子どもが、6名に相成るなあと。
いやなあ、下の叔父にも、声掛けたですが。諸般、高齢もあっての欠席でして。上の叔父<故人>の方にも、声掛けたですが。諸般で、欠席でして。
声掛けたは、そこまででして。
実は、ここらが、難しく。基本、内々の年会でして。内々とは、どこまでを、内々哉と。まあ、ここまで、やろなあと。
での、親父を知る者、誰かとなればの、嫁共、孫共は、当たり前に、知らんやろと。
甥、姪も、果たして、どなん哉と。
まあ、知らんやろと。
とかとか、考えたら、死んでもたら、虚しいねえ。存在、知るの面々、年々、数少のなてねえ。
知ってても、高齢化等々、諸般で、年会に出席も、ままならず。
我が母にしたって、出るは無理でして。
オッとの、そんな次第の、斯くなるでの。
本日<5月3日>、早くに寝ませんと、明日が大変。当方、施主でして。「菩提寺」に行くに、遅刻もなと。
明日は、年会で。
終われば、息子共、全員、我が家に戻り、皆、一泊するの予定での。
となればの、パソコン、起動してるの間があるやろか、なあと。
起動させたら、孫共の邪魔が入るし、なあと。
(15/05/04)
NO.314 親父の25回忌の話(2)
さての、5月4日<みどりの日>。
親父の、25回忌を執り行うの日。
朝の、10時より、菩提寺、「光圓寺」にての、法要でして。終われば、「東大谷祖廟」。コレ、祇園さんの方でして。通例なら、車で、15分も掛かるやろかの、距離なれど、です。
墓参をしてから、皆で、会席なるは、祇園、「かに家」を予定してるですが。
とりあえず、連休の真っ直中でして。
車の渋滞等々、予測不可。
まあなあ、「光圓寺」そのものは、観光地でも無いですが。むしろの、地図上でなら、京都のド真ん中、なれど、です。松原通リ、西洞院東入ルでして。当方、産まれ育ったの地、仏光寺通リ、油小路西入ルからなら、歩いて、概ね、5分程度哉でして。
周辺の状況、熟知してるですが。
ソラ、細々なら、家並等々、変貌してるですが。変貌しの、さっぱりの程で無く。云うてるは、巨大ビル、マンションが建ったり、ショッピング・モールで、様変わりの話はあらへんわと。
かと、申しの、くどいけどの、細々なるは、知らんですが。
いやなあ、皆が、起きて無い。揃わん等々、遅れそなら、私共夫婦だけで、でも、8時半に家出るの積もり、してたですが。その8時半には、皆揃いまして。
ならばと、長男一家と共に、家出発。
まだまだ、朝方、時刻も早めにての、比較的、順調に、お寺には到着したです。
イヤイヤ、近在の駐車場も、空いてまして。駐車場から、1分も掛かるやろかの、人数多い分、子どもも居てる故、1分は掛かるですが。
兎に角、9時20分頃に到着しまして。
早い分には、別段にと。特には、施主が遅刻では、洒落に成らず。
施主で無くともの、他家の、法事にでも、私共、最低でも、30分前には、着くにしてるです。概ね、30分前には、皆揃てまして。
概ね故、少々、遅めに着くのも居てるですが。遅れるなら、遅れると、当世、便利な、ケータイあって。連絡一発、するですが。オッとの、当方、遅刻なんか、あらへんわと。
大抵ならばの、他家の菩提寺えの、道が分からんよになったり、でして。何度も、行ってる、とは、云えどの、数年、十数年に一度やしなと。それこその、周辺の光景、一寸、替われば、えとなって。
それでも、遅刻皆無。
いやなあ、他家のは、京都も、郊外でして。郊外となればの、光景替わるが、頻繁でして。
云うたら、「京都時間」なるを聞くですが。
コレ、意味合いをはき違えしてるで無いの怪と。
待ち合わせの時間に少々、遅れるの、待ち合わせの場所、目的等々にも、寄りまして。
基本、多くの面々、待ち合わせるに遅刻は、時間にルーズなダケでして。コレを、「京都時間」とは、申さんゾと。
余計なるの話、「京都時間」とは、他家に訪問の際に、どするか、でして。
これも又、その先様にも寄りまして。自身の考え方にもと。
他家訪問に、余りに早くは、失礼でして。と、考えるです。時間、ピタリか、早くても、5分前哉と。少々、遅くて、5分哉の。意味なるは、他家の場合、先様によりの、目的によりの、準備もあるやろしと。
準備とは、通すの、入って戴くの、部屋の、道中の、整理整頓清掃でして。
その所要時間を考慮の話でして。
そらまあ、客人来られるなら、準備万端、されてると、思うですが。案外に、直前になっての、見落とし等々、見つかって、ねえ。
云うてるの、「京都時間」とは、訪問者が、先様えの、この手、配慮を意味してるです。
余りに早くは遠慮せよと。
これと、遅刻常習の、だらしないのを、一緒にすなよと。
或いはの、早過ぎるも、先様えの、配慮がと。遅いも、30分も、1時間もは、問題外での、それは、先様を心配させるに成るが故、約束の時刻の、5分前後が理想哉と。
ならばの、菩提寺えの、予定の時刻、30分も、40分もの早くは、どかと、なればの、これは、遠慮無用の、「寺」でして。
寺でも、法要とならばの、準備があるですが。くどいけどの、寺でして。一般の家、屋敷に非ず、でして。
庭先、玄関先等々、部屋の掃除なら、遠の早くに終わってるわと。法要の準備は、マダでも、でして。施主を初めの、皆様が集まって戴くの部屋さえが、準備万端の、掃除されてたら、充分でして。
そんな次第の、コレ、我が考えでして。他は知らんわと。
での、30分、40分前での、寺の門、潜れば、庭先の一角にての、老婦人が。年齢からしての、先代の奥様やろと。
見るとするのか、会うは久しぶりでねえ。ン十年ブリでねえ。前回の、叔父嫁の法事の時には、見掛けてませんでして。
「柴田ですが。」と、声掛けたら、「嗚呼、あちらから、上がって下さい。」と。「上がって、左手です。」と。ハイ、承知と。
その程度なら、承知してるですが。客間とするのか、待合いの部屋、そっち側でして。
靴脱ぎ、そっち側に行けば、左手の本堂には、住職居てまして。
イヤイヤ、本堂の掃除方々、法事のための、椅子を並べておられてるの、最中でして。イヤ、結構でして。お世話になりますと、一声掛けて。
まあなあ、お盆には、読経に来て戴いてましての、既に、3回、4回哉と。先代住職、今年初め哉に亡くなって。ソレ以前より、事実上、現住職に替わってたですが。
そらなあ、ご高齢故、来て戴くに、こっちが、気ぃ使うわと。足元、不如意でして。
当方、その先代の、更なるの先代より、承知してるです故、現住職なるは、三代目。何歳なんやろねえ。多分なら、40代。
オトトの、での、住職曰くに、お茶等々、そこにありますので、セルフで御願いしますと。ハイ、承知と。
これで、充分でしての、コレがマダ準備中やてみい。困るの事よ、なれど、です。まあ、無いやろと。
とかとか、やてるの間には、次男一家到着。結構なると。
イツまでに来い、とは、申してませんですが。
そして、妹夫婦と、その長男到着での。ここまでは、心配してへんですが。そらなあ、次男には、駐車場の件、場所も、伝えてまして。イヤ、次男は、ここを、初めてでは、無いものの、そんなに度々はの、駐車場の事まで、知らんしと。
妹は、電車で、でしての。又、一緒にこの界隈に住んでたわと。まあ、云うたら、その昔の、地元でして。
されどの、妹の娘、姪一家も参列なれどの、そこは、ここの菩提寺、初の筈での。
ここ、姪一家なるは、諸般、妹なりに、任せるしか、手は無くて。尋ねられたら、教えるですが。駐車場の事を、でして。車で来るの予定でして。
されどの、当世、インターネットで、地図検索出来るし、カー・ナビゲーションもありまして。我が愛車には、標準装備してへんですが。
問題は、駐車場の事での、コレ、案外に分からんぞと。
要は、京都市内の、この界隈なるは、通り、通りが、一方通行でして。場所分かったって、すんなりとは、行けませんの。駐車場と、寺の位置関係もあって、ねえ。
とは云えどの、その昔、姪も、この界隈の近所。とは、異なるの、表現なれどの、少々、離れてるですが、勤めてたの時期あって。
全くの、知らず。でも、無くて。
かと、申しの、産まれ、育ったの地では無く。
とかとかの、基本、任せとかな、仕方が無いですが。そらなあ、どこまでを、分かってるかが、分からんでして。
とは、云えどの、単に、駐車場なら、この界隈には、方々にあって。只なの、位置関係的、便利な場所はと、なればの、我々が駐めたの、コイン駐車場でして。とか、云うたって、別の駐車場でなら、トンでもの、状態でも、あらへんわと。
兎に角、寺に駐車出来るの場所は無く。無理したら、出来ぬ事も無いけれどの。無理して、車を擦りでもしたら、大変でして。
イヤ、住職、門前に駐めても、構わんですと。
とは、申されてるですが。当たり前の、敷地内で無ければ、駐車違反でして。
オトトの、そんな次第の、斯くなるでの。
定刻、予定の時刻、10時には、全員集まりまして。
嗚呼、良かったなあと。
(15/05/07)
NO.315 親父の25回忌の話(3)
そらなあ、当方、施主故、諸般、気が気で無いわと。
表面に、出さんだけでの、皆が揃うまではなと。
その間にも、住職とは、雑談致しまして。
イヤ、単に、親父の話と、法要の際の、席順の事での、確認でして。
確認せずとも、承知なれど、です。
只なの、厳密な寺と、そでないのがあって。寺が厳密でも無いですが。親族と、故人の関係、分かりませんでして。
ならばの、施主がと、なるですが。
そらなあ、厳密にと、云うたって、家族構成あって、ねえ。
それでも、基本、席順なるは、厳密にすべきでして。但しの、くどいけどの、基本でして。基本承知の上での、崩すは結構也と。知ってと、知らずは、雲泥の差也と。
イヤイヤ、住職曰くに、施主の席は重要也と。
そんな事、聞いてえへんですが。
更に、曰くに、施主以外、適当でもと。適当云われてもなと。焼香の順番なるは、決まってまして。
思うに、考えるに、コレ、場数もあって。年会、葬儀等々、確かに、施主がドンと、着席で、あとは、適当の家もあったりしてるですが。
案外に、我が母方のは、厳密にしてるです。
当方なんか、母方叔母の親族、参列せぬ限りは、一番の末席でして。
コレ、当方、従兄弟では、一番の年長なれど、です。親族の序列なら、末席承知で、云われんでもの、スと、末席に陣取るですが。とするのか、人数数えて、嗚呼、あそこやなと、目算してるです。
ここに、分かって無いのが、適当に着席の、従兄弟の誰かが、誰も、ソラ、場数踏んでるの、下の伯父の長男でして。誰が、ここで、次ぎ、誰でと、指示したり。
指示されん事には、座るの席順あるを、知らんのがなと。
知って、どて事、無いけれどや。
知らずも、場数で、分かって来るですが。場数も、年会に参列しての事での、早々に年会なんか、あらへんです。
オッとの、当方、母方の年会では、その手の話、一切、致さんわと。聞かれん限りはなと。
只なの、母方のも、ややこしいなって、ねえ。
上の伯父は遠の昔に他界での。そこの長男<従兄弟>も故人と成りの。その嫁、諸般で、仏壇、墓守なるを、しと無いと。次男に譲ってねえ。そこにも、その息子が居てるですが。
年会なんかに、出た事が無く。
結果、嫁と、娘が参列なれどの、施主で無く。
云うてるは、その両親なりの、年会でして。本来的、長男家が施主と、成るべきなれど、です。そこが、墓守せぬで、次男家がと。
なればの、席順、異なってもて、ねえ。次男が施主なら、その子ども達、云うても、成人での、結婚もしてるですが。その次男家が、席順、上席と成りの、長男嫁、娘なるは、その下にと。
後は、下の伯父の家族で、当方でして。
どちにしたって、末席でして。気楽やでと。
<参考=「不可思議の世界NO.17、NO.18」閑話休題・他家の話>
法要終わって、墓参も、一番の最後で、結構でして。
問題は、会席の席での、当方、一番の上座。云うたら、法事の反対でして。
更なるの問題、ここだけの話の、他言結構の、従兄弟連中、我がソバに集まってもて。理由、当方、一番の年長者での、諸般、重き存在でして。それで、何が問題かと、なればの、施主までが、こっちにと。
あのなあと。
とは、申さんの、施主のご自由で結構の、只なの、上座、下座、分かってるの怪と。
イヤイヤ、諸般の状況よりの、多分なら、分かってませんでして。
理由、超の簡単の、施主、真っ先に上座に鎮座の、「タケちゃん、タケちゃん、こっち、こっち。」と、手招きして、ねえ。「タケちゃん」とは、当方の事での、皆、上座に鎮座。
まあなあ、従兄弟連中が集まるのほが、話も弾むですが。
それ以外の、施主の娘婿殿、孫殿には、馴染みが無くて。
云うとくの、上座、下座、云々よりも、法事を執り行うが最重要でして。
且つは、何度でも、申すの、法事なるは、基本、内々で結構の。その内々の範疇がと。施主の従兄弟であるの、当方にまで、声掛けてくれて。
ソラ、参列するは、邪魔くさいけれどの、ソラソラの、それ以上に、有り難く。
声掛けられて、欠席するは、あらへんわと。当方は、なと。立場がある故にと。
「柴田家長男家」故でして。距離的、遠くでも、あらへんしと。
それもあるし、その昔には、皆、近在でして。幼き時より、遊ぶと、するのか、交流あって。
そらなあ、長男家が参列ならばの、次男家等々、特段のと。参列するが、丁寧、立派なれど、です。コレ、反対の、次男家参列で、長男家、欠席では、ども成らず。
オッとの、次男家、立派也と。
その上での、法事を執り行うが最重要と、申してるですが。
それこその、ここだけの話の、他言結構の。
施主なるは、相応の出費がと。そらなあ、住職えの、「御布施」「御膳料」等々、出すです。参列者には、「粗供養」「会席」をと。
参列者からは、「お供物料」「お供物」を戴くですが。まあ、足らんわと。
足らんで、結構の、それが施主の立場での。
どこからが、大袈裟と成るのか、内輪か、分からんですが。親族招かずの、家族のみで、墓参で、済ませるも、あるですが。墓参で、坊様に法要をして戴けば、会席せずともの、紛れ無くの、法事でして。
ここだけの話の、当家が如くの、「菩提寺」に墓無くの、「東本願寺祖廟」の法要なら、です。料金、5000円也で、済むですが。
この方が、施主も、参列者も、楽は、楽。
オッとの、此度なるは、諸般の理由にての、「菩提寺」にての、法要。「東大谷祖廟」に墓参。そして、「かに家」で、会席と、相成ったですが。
これが、正式と、云えば、正式なれど、です。
「東大谷祖廟」でも、法要なら、してくれまして。目的なるは、故人に対するの、法要でして。
云うたら、参列の、特には、我が長男、次男の嫁共、孫共には、当家、「菩提寺」なるを、知らしめるも、大きな目的に相成って。
そらなあ、嫁、孫が、「菩提寺」を知らんは、どもならずの、そこに墓あるなら、墓参で分かるですが。墓は、別でして。
当方にしたって、そんなに度々には、「菩提寺」には、用事無くの。お盆には、毎年の、住職に、読経に来て戴いてまして。この地、引っ越してからの、ン十年で、菩提寺、「光圓寺」を訪問なるは、何回哉の、回数でして。
何回ねえ。ソラなあ、10回は、来てるですが。この地を出て、何十年は、40年以上が経ってて、ねえ。
(15/05/08)
NO.316 親父の25回忌の話(4)
ほんまになあ。
その昔には、時代劇で、チャンバラで、日本の風習、慣わしなるは、教えられたです。
よて、特段の、親から、教わらずともの、映画で、見てて。フウンと。
映画も、テレビで、やってたですが。
任侠映画、例えばの話、「清水の次郎長」でも、その辺り、ビシリと決まってまして。伝えてまして。
当たり前に、親分なるが、最優先でして。親分なるは、子分を思い。
祭礼にしたって、中心、親分でして。葬儀も、年会も、墓参も一緒。応用問題でして。施主、親分でして。子分なりが、手筈整えるですが。
親分を立てる、子分が、立派に見えるです。
親分を押し退け、子分が目立つと、前に出ると、一家崩壊致すです。これを、内部抗争と称するですが。
イヤ、当人、見えてませんでして。分かってませんでして。
一家、家族も一緒でして。
親をないがしろにしてたら、一家がダメでして。当人、軽く見られるわと。
当世、その、「家<いえ>」が、崩壊してるよに、見えるです。事実、崩壊してるです。
親が子に教えて無いが問題なれどの、そもそもがの、そんな事まで、教えるの怪と。教えよが、あらへんぞと。
親にしたって、そんな細々までは、目が届かんの。事、あってから、嗚呼と。要は手遅れでして。
基本、子が、親よりも、先にと、前に出るの行為、そのものが、間違いでして。イヤ、親が先にと、促せば、なれど、です。
時代劇とは、別途の、その昔には、場を仕切るの小父さん、小母さんなりが、居たですが。当世、居てへんなあ。下手したらの、その小父さん、小母さんも、諸般、知らんかったりの、情けないの時代に相成って。
云うてるは、その昔の年寄り、年配者なるは、世間の常識を弁えてたです。若手に、教えたですが。
そらなあ、親が子に、よりも、伝え易く。子も、聞き易く。
子が親をないがしろは、自身に降りかかるですが。その子も、又、しかりと、見てるです。
オッとの、当方、云うたら、何ですが。
親を押し退けの事、した事あらへんわと。親を悪し様に、云うた覚えも、あらへんわと。所謂の、親に、口答えした事、あらへんです。
正直に、諸般、面倒掛けさせられたですが。掛けさせられてるですが。
但しの、勿論の、愚痴なら、こぼすですが。
当家、当方程、親を大切にしてるの夫婦なんか、あらへんぞと。全力投球の、何でも、当人の云うがまま、思うがまま、最優先にしてるわと。
正々堂々の、そのよに、云えるわと。世間見渡したって、当方の如くには、僅少ぞと。承知の範囲では、あらへんわと。
がしかしの、コレ、当然也と。コレとは、当家、当方の事を申してるですが。それで、何か、ええ事あるかと、なればの、一切の無いですが。ええ事をの、目的で、してるで無いですが。
但し、自信持って、親大切にしてると、云えるわと。
オトトの何の話哉の、年会の話。
年会なるは、故人を偲び、子々孫々にその存在、伝えるの事哉と。こんな機会、無ければ、当世、ナカナカに伝えるの間無く。
年会してたって、その手の話、延々の話なんか、致しませんですが。云い出したら、切りが無くの、そらなあ、基本、一緒に暮らしてまして。一々の、何から、申すやと。
1つ云い出したら、その関連のと、なってもての、話、逸れに、逸れての、ンの、何の話哉と。分からんよになるですが。
イヤイヤ、次男嫁、我が祖父の事を聞いてくれてねえ。この、5月4日の年会終わってからの、夜の事。
オッとの、我が親父の年会済んでの、その親父で無くの、祖父の事、なれど、です。
ところがや、祖父とは、年代、ズレててねえ。祖父他界、終戦の年の、昭和20年<1945年>。当方、産まれたは、その2年後でして。戦後でして。
実像知らんでねえ。
この件、この話、年会のを、どこまで、掲載するかが、あるですが。出来れば、次男嫁にしたのを、掲載したいなと。
云うても、少々、酔おててねえ。缶酎ハイ、チビリ、チビチビで、ええ気分になってもての。下戸故の。一缶飲んでえへん、のにです。
途中で、ハタと、実は、嫁の最初の質問からは、ズレにズレてるの話してて、ねえ。それに、気が付くだけ、マシなれど、です。
事程左様の、問われん事には、話もなと。
兎に角の、嫁から、その辺り、聞いてくれて、嬉しい事。ついついの、我が話も、ドンと、広がってもて、ねえ。年代、ズレての、知らんなりにもの。ソラなあ、祖母なりから、多少は聞いてるわと。
祖母とは、一緒に暮らしてたし、なあと。
ほんまやでの、話するに、聞いてくれての、出来まして。
真剣に聞いて、くれれば、それなりにと。適当なら、適当に、中断致してるわと。そらなあ、真剣に聞いてくれてるかは、分かるしと。
何故に、そんな話をしたかとなればの、次男、酒に強おてねえ。1つには、何ででしょねえと。我が、「柴田家」家系的、その傾向あるの哉と。その親、当方、下戸やのに、です。
それに関連して哉の、我が祖父の事を問われたが故でして。
そらなあ、嫁にしたらの、義理の、曾祖父でして。
イヤイヤ、ほんまやでの、我が親族の事をです。
嫁から、問われたら、ソラ、嬉しいわと。少なくともの、関心持って、くれてるが分かるわと。
これが、一切の問われんでみい。寂しいゾと。
ほんまやでの、本来ならばの、孫共に、ソレを伝えるの役目、当方なりに、存在致すですが。孫以前に、嫁でして。孫に今、伝えるに、幼くての、理解難しくの、機会僅少のと。
ででの、です。
この手の話、法事等々、万事、手順でして。
当方、熟知、精通してるで無いけれどや。殆ど、知らんが、本当でして。その家々で、多少は違うやろしと。違うも、基本は一緒と、思うですが。
その基本、承知と、知らぬでは、雲泥の差也の。知らぬが仏の世界でもあるですが。知ってる方からしたって、ナカナカに、申せませんでして。その場で、諸般、申せば、角が立ち。
まあ、ええかで、済ませて仕舞うが落ちでして。
済ませて、後刻も、変でして。聞き手の、問題もと。
そらなあ、法律の世界で無くの、多少の違いで、命取られるでもあらへんでして。
席が違う、順番がと。
思たって、ねえ。当方以外、ダアレも、分かってえへんなら、恥でも無くて。歳喰てるからと、場数踏んでえへんかったら、分からんの事でもあっての。場数踏んでたって、その辺り、考えずの、分かってえへんかたらの、何とも、思わんでして。
間違いも、自然に見えて。
この辺り、意識して、注視致しませんと、分からんわと。
この手の話、誠に厄介の。インターネットで、探索したって、掲載者によりの、違うの事もありで、フウンと。
そんな意味ならば、です。
年会、法事なりの、この手の行事では、です。施主なり、その奥方様になり、伺うなりの、指示に従うが、安全でして。勝手に判断しの、先行すなと。
ほんまやでの、この、独自判断での、先行されるが、厄介でして。あのなあと、とも云えず。云う程の事でもあらへんでして。
イヤ、先刻の、母方の年会にしたって、施主が、こちにと、促せば、本来ならと、要らぬ事、申すべきで無くの、その指示に従うが儀礼やわと。一切の先行せぬの、独断しんが、無難やわと。
ならばの、その施主、他家での席順なり、順番はと、成るですが。
申せば、先様、施主の指示に従うで結構でして。それを、勝手に振る舞えばの、問題でして。家々のやり方に、施主の考えに従えと。
これぞ、場数でして。
大原則でして。
この大原則が、分かってるよで、分かってえへんわと。
オトトの、他家のなら、基本、末席でと。
当家なら、産まれ順なれどの、女で、嫁げば、当家、末席になるの哉と。
当たり前に、「家」の事での、跡継ぎ、優先でして。
席順なるは、その順位でして。大した家柄で、無くともやと。誇りを持てと。
当家、余所様より、後ろ指指されるの、家で無く。
指されるよな、事、してへんしと。
(15/05/09)
NO.317 親父の25回忌の話(5)
さての、定刻、10時には、全員集合。
では、ボチボチと、本堂に入りましての、当方、一応の指示致し。
イヤ、席順の事での、施主なるは、場所明確の、先頭でして。
席も当世、楽になってるです。椅子が準備されててねえ。
来た時、住職掃除方々、並べてたですが。
その昔には、こんな事、してもろてませんでして。座布団でして。正座させられ、シビレが切れるし、難儀したですが。
祖母より、修行や、修行と、云われたですが。椅子なら、シビレの心配あらへんなあと。
オッとの、その席順なれどの、先頭も、基本、どこが、一番等々、記載されてませんですが。
常識的、本堂、ご本尊様に向かいの、最前列、左側が先頭でして。施主なるは、そこでして。以下、順々に着席致すですが。
基本、施主の奥様、以下、長男家、次男家等々でして。妹家は、その後に成るですが。
その基本、分かった上で、家族構成と、椅子の並び、数もあるし、なあ。
ソラ、出来れば、家族単位で、着席した方がと。都合宜しかろと。
よて、当方、そのよに、皆に伝えまして。基本は、こであると。その上で、そのままに、皆の都合のええよにと。
そらなあ、孫世代が、ええ歳なら、です。親と、少々離れても、どて事無いですが。小さいしと。
着席したなら、住職より、教本にて、ここ、ここを読経で、ここは、概ね、20分ですと。ここは、ご唱和されたしと。出来るのならと。どしてもと、云うでは無いですがと。
説明聞けば、全部で、1時間程度、掛かるなと。へえと。
盆の読経なら、20分程度哉と。法要故、相応の時間要するですが。
或る意味、読経も長い方が、有り難く。さりとての、長いは、小さいのが、耐えられるの哉と。七五三、初宮参りなら、お祓いも、20分から、30分でして。
孫共、良く耐えたですが。
いやなあ、この手の儀式なるは、孫共、小さいなりに、良く理解してまして。
孫娘なら、一番の年長故、理解も出来てるですが。孫君なんか、常平生、大人しくなんか、してへんですが。その手、雰囲気では、耐えてるです。
コレ、不思議やなと。感心致すですが。
そんな事で、法要、読経が始まりましての、しかるべくの、焼香でして。
住職より、促されの、当方、施主より、始めるですが。この焼香の順番も、基本、決まってるです。まあ、云うたら、先の席順でして。事、細かくなら、です。
但しの、どしても、そのよに、せねばならぬ、でも無いですが。
兎に角、施主が一番にで。仏教の世界、世間の慣わしなら、「家」の序列の順番でして。
云うたら、話簡単の、そのご先祖様を守る、祀るの、順番でして。
イヤ、基本、長男家なれどの、長男家、何事かが、あれば、次男家でして。必ずや、長男家がと、とは、限ってえへんわと。
どこ様と、なればの、我が母方、上の伯父方、そなってもて。長男他界で、その嫁も、そこの、長男も、墓守、先祖を守るをしませんでして。次男家に譲ってるです。
ここだけの話でも、無いの。その次男家、子どもは、女の子ばかりでして。3人姉妹で、2人は、嫁いでるですが。残ったの、娘<当時、未婚>が、継ぐの哉の。他家の事、乍らの、次男家受けるは結構の、その先、どするやは、その、「家」が、決めるの事でして。
三男までは、居てへんしと。
少々の、話、逸れるですが。この手、事例、山程あるです。
むしろの、ハタ目、あの家。どしゃはるの哉の方が、多い哉と。
男の子、居たって、独身やったり。離婚してもたりの、子ども、嫁の方が引き取ったり。
いやなあ、何故か、当世、その方が多いみたいで、へえと、感心致すですが。
そもそもがの、何故に結婚しの、離婚しの。嫁に、子どもの親権譲るかと。その、家々の、夫婦の、事情あるですが。これぞ、ハタ目に分からんですが。
よて、申すの、当世、「家」の概念、希薄、崩壊してるなと。コレ、その一端でして。
他にも、種々、雑多の事例存在致すの、ここでは、本題に非ずの割愛致すですが。摩訶不思議の現象也と。されどの、その親も、立ち入れぬの事情があるの、やろなあと。
まあ、つまり、口では、子々孫々にと、簡単に云えるですが。最後の最期まで、分からんでして。
これがなあ、所謂の名門と、称されるの家なら、です。
家系、親族、血縁者から、養子を取っても。そこからが、無理なら、他家からでも、養子を取って、家守るを画策してた、ですが。
コレ、可成りの、資産あっての、出来るの事での。無産階級では、出来ませんでして。出来ぬ事も、無いけれどの、「家」の概念の、しっかりと、してるの地域で、「家」で、無ければなと。
での、「地域」でと、したですが。むしろの、都会よりも、地方の方が、この辺り、しっかりしてるよに、伺われ。
「家」を守るの概念が、です。
しっかりしてたって、どしょも無い事もあるですが。出て来るですが。
いやなあ、当方、祖母に連れられ、墓参に、菩提寺に、親族の年会に、等々、引き回されて。
母に連れられ、母方親族の、年会に、菩提寺にと、等々、引き回されて。
引き回されての、表現、異なれどの、立場上、当方、長男家長男故に、重々理解してまして。
とするのか、自然に理解致すわと。同時に、他家の様子、内実も、分かるしと。
親世代、祖母世代の話も、自然に聞こえて、ねえ。
当時、分からずともの、自身、相応の年代、立場に成ればの、嫌と、云う程、分かるわと。その分、余所様よりも、理解度深い、やろなあと。世間の実情、承知してる、やろなあと。
イヤイヤ、世間も広いし、我が理解を超すの実例、あるカモなと。
斯くなる次第の、斯くなるでの。
住職に促されの、焼香も、我が方、施主より、順々、順調にと。ソラ、自然、皆、分かってるわと。順番をと。
コレ、そのままに、墓参の順番でして。この面々、集まればの、話、なれど、です。
あくまでもの、基本は、なと。万事、基本が、分かっての、理解しての、事でして。
ソラ、施主であるの、当方なるが、現在唯今、ご先祖様を祀りの、守ってまして。具体的になら、仏壇を我が家に備えの、墓を守ってるです。
云うたら、月参りしてるわと。
コレ、我が家族、一族郎党の、安寧を願い。
コレ、ご先祖様に、子々孫々を守れ、加護せよと。
さもなくばの、絶えるぞと。
ほんまやでと。
当方、諸般あっての、我が親見習うの事無くの、尊敬もしてません、ですが。
それと、親をないがしろとは、別問題での、大切に思いの、心底、してるわと。同時に、見知らぬの、ご先祖様をと。
よて、墓参、月参りも、疑念無くの、役目としての、自然の、してるです。
コレ又、口にするは、容易く、実行なるは、相応にと。
されどの、やてるの方、居られたならばの、安堵するです。へえと、感心されたら、こっちも、へえと。
(15/05/10)
NO.318 親父の25回忌の話(6)
そんな事で、約の、1時間。
住職の読経、法要も、終わりまして。
ンの、珍しくの、説教されまして。住職が、です。
簡単には、親父の、「法名」の事での、東本願寺派<真宗>では、「釈」が付くですが。コレ、「釈尊」の弟子也を意味すると。
弟子となり、釈迦の教えを子々孫々に伝えると。
云われてみれば、そんなよな事、聞いたの覚えあるなあと。
又、このよに、法事を行って戴き、故人も、喜んで居られますと。そやろなあと。
死すれば、万事、無であれどの、所謂の、魂、霊魂、存在するなら、です。子孫なりが、集まってくれて、法要営んでくれれば、ソラ、嬉しいやろと。
単純、素朴、明快、同感でして。理屈、屁理屈、不要でして。
そらねえ、死の世界、黄泉の世界を知らんわと。
知った時には、あっち、でして。原則、あっちは、あっちで、こっちは、こっち。
輪廻転生も、転生以前の記憶無ければ、意味あらへんわと。前世での、記憶、学力、知識持っての、転生なら、です。世の中、天才ばかりで、失敗を知らんです。天の邪鬼は、別として。
この世、一寸先は、闇と、するのか、未知の世界。
故に、面白い。とも、云えまして。先の事が分かれば、どなんやろなあと。都合のええ事もあるし、悪いの事もと。
自身、振り返って、どなんやろなあと。思えどの、別途の人生、知らんし、なあと。分岐点とか、入り口だけなら、分かるですが。その先が分からんわと。行ってません、でして。
欲を云うたら、兎にも、角にもの、金運がと。
特段の、メタメタとも、云わんけど。無いは、無いなりに、相応にの、守銭奴では、無いし、執着心も、左程で無くて。どちかとなればの、そっち方面、無頓着。
ほんまやでの、自分の事、置いといての、自分以外の家族であるとか、余所様に、でも、です。そっち、優先にしてまして。金銭のみで、あらへんですが。何事に、つけても、です。
正直、諸般、算術、計算なら、重々出来てるわと。足し算、引き算、出来ぬ程の、でも、あらへんわと。むしろの、瞬時、計算程度、検算まで、してるわと。
その上で、まあ、ええかと。ええやろと。
結果、明日から、喰うに困る。路頭に迷う、でも、あらへん、でして。
まあなあ、我々が、出来る範囲なんか、知れてるわと。
まあ、云うたら、出来るの範囲の、精一杯の。無い袖、振るに、振れへんわと。
オトトの、何の話、してるの怪の、法事の話の積もりが、ついついにと。脱線ばかり、してるですが。
法要終われば、墓参なれど、です。
さての、備えられたの供物をどするやと。どするも、参列者、家単位に分配でして。
他家は、知らんの、当家、そのよにしてまして。
家々より、備えてくれたの、菓子類をば、です。要は、どこで、分配するやの話でして。分配なるは、家々に、でして。お供え、されて無くともの、そこ様にも、分配致すですが。
当家のは、お寺さんにと。手渡してるですが。菩提寺にての、法要故で。
やけど、分配して欲しく。
そらなあ、ここだけの話、でも無いの、それも、楽しみやでと。
色んな菓子類、戴けて。本来ならばの、故人えの、お供えなれどの、生き仏様で無ければ、食するが、出来ひんわと。代行にて、胃袋えと。
これもなあ、家々でと、申したですが。異なるです。
お供物、不要の場合もあっての。
ほならの、方針と、するのか、お言葉に、従いの、持参せず。そらなあ、突出も、出来ませんです。そもそもがの、そんな場合、誰が来るかも、聞かされませんでして。概ねの推測なら、するですが。出来るですが。
いやなあ、当家の場合、どこが、誰が、参列するかは、申してる、です。
数的、その軒数に行き渡るよに、して頂戴の意図あって。さもなくばの、数、足らんでみい。困るの事よと。
そらなあ、きちりと、分配出来ませんですが。不足なら、施主の当家の分、減らせばと。当然でして。
での、どこ様とは、申さんの、法事でも無いけれどや。
諸般、例えばの話の、慣例に従いの、お盆に、です。供物、お供えすれどの、だけの、家も、あって、ねえ。
ここだけの話の、あれ、どしゃはるの、やろなあと。そこの家だけで、胃袋に、哉と。にしたら、可成りの、量に成るけど、なと。それ以上の、詮索無用なれど、です。そこ様は、そこ様、での、ハタが、とやかく、申せませんでして。
正直、当方、甘党での。甘い菓子なら、欲しいなあと。思えどの、コレ、請求出来ませんでして。先様、故人えの、お供えでして。先様の、方針、お好きなよにで、結構でして。
オッとの、そんな事での。
当家で、なら、です。
基本、そのよに、分配でして。どこで、するか、だけの話の、これより、墓参で、会席にと、向かうですが。
ここ、お寺で、やてまうかと。嫁はんの判断での、それで、結構でして。
嫁2人の、3人にての、分配してくれて。
要は、家々に、お土産、出来たんやと。本来の、粗供養なら、家々に別々でして。別途に、送ってたり、手渡してたり、してるです。ここにまでは、持ち込んでませんでして。持ち込んでる時も、あった、ですが。
いやなあ、長男、嫁なら、イツであったか、誰の年会の時かの、結婚したての時での。嫁はんと、一緒にやて、くれて。此度、2度目の、法事でして。
次男嫁は、当家、法事、初参加での、一緒になって、やて、くれれば、宜しくて。
くどいけどの、当家、この方針故でして。方針も、大袈裟なれどの、家々に、分配でして。
云うたら、嫁共の、実家での、慣わしなるは、知らんですが。当方から、したらの、余計なるの、話になるけどの、他家でして。当家では、お供物、持参で、生き仏様に、分配也と。
何か、文句ありますかと。
我が承知の範囲なら、です。どちかとなればの、そのよにしてるの家の方が、やや、多数。
モ一発、ここだけの話の。他言、構いませんの。
菩提寺では無くの、家の方、仏壇なりに、お供えした、供物をです。その場で、分配も、憚ると、考えるの家も、あって、ねえ。
かと、申しの、諸般、お盆で、等々、訪問するは、予めの分かってまして。先方様には、です。連絡してるが故で。
ならばの、別途の、粗供養として、です。準備されてるの宅様も、あるです。
コレ又、家々の考えで、結構でして。
それもあるし、お盆なりでは、訪問客も、日も、時間も、バラバラでの。分配も、ままならずの故、数揃い出せば、適当にの、そこからなり、別途のであったり、されるの事がと。
当然の、家々での、ご自由でして。再度の、ハタがとやかくの、申すは失礼の、千万也と。
只なの、お供ええの、返礼の意も、斟酌をと。
いやなあ、方々えと、諸般にての、訪問して、たら、です。
家々の違いも、よお、分かって、ねえ。
当方、ご幼少のおりより、場数踏んでて、ねえ。特には、その当時、子どもの頃、当たり前の、お菓子、戴けたら、嬉しいわと。そんな宅様えの、方がと。
現在唯今、まだまだ、嬉しいわと。
よて、ここだけの話の、当家の慣わし、これで、結構なると、自負してるです。
(15/05/11)
NO.319 親父の25回忌の話(7)
オッとの、この手、話をしてたら、親父の年会、25回忌の話が、進まんですが。
マ、ええ哉と。
云うたら、ご先祖様にお供えして戴いたの菓子類なるは、お下がりとして、有り難くと。
生き仏様であるの、皆に別けて、戴くですと。
イヤイヤ、当家では、そしてるです。
法事で無くの、単に、息子共一家が、手土産にての、我が家に、持参してくれたの菓子類も、同様でして。
そらなあ、要冷凍でもの、無いの限りは、仏壇にお供え致すです。ご先祖様、一番でして。鈴一発、仏壇に手を合わせの、ご挨拶致せば、諸般、仏壇の戸を開けてたでは、邪魔故、そこそこで、手土産なるは、下げての、戸は閉めの、台所なりに、移すですが。
当然の、皆で、三時のおやつとして、戴くですが。
トトトの、ついでになら、です。
日常的、スーパーで買い求めたの、私共の、おやつにするの、饅頭とかの、和菓子でも、です。
この場合、邪魔にも、成らぬが故、そのままに、食べるまでは、仏壇にお供えしてるです。要は、ご先祖様、一番での、お下がりを戴くになるです。
まあなあ、洋菓子類の、チョコレートなんかは、お供え致さんですが。
更なるの、ついでになら、仏壇に供えるの、仏飯<ぶっぱん>なるは、その昔、祖母の時代なら、です。殆ど、一日、お供えしてたですが。それを、祖母、下げて、茶漬けにでも、して、喰てたです。
当世、電気釜で、保温出来るの時代でして。
比較的の速やかに、下げて、電気釜の残余のご飯と一緒にと。
速やかも、我等が、食事するの間は、そのままなれど、です。基本、一緒に戴くの感覚でして。ご先祖様と、共にある、居てるの感覚故でして。早くに下げるは、そらなあ、固くなてもたでは、不味いわと。
折角なら、固くならぬ間、美味しく戴けるの間に下げて、保温するの方がと。
何故に、こんな事まで、掲載し出したかと、なれば、です。
当世、云うたら、この程度の事も、知らんの、教わって無いの、面々多く。
我等が、特段の、あや、こやと、教わってえへん、けどや。日常の事、故、見て、知ってるのダケでの。それを、当世風に合わせの、やてるだけ。
がしかし、です。
他家の事までは、注意しての、見てへんわと。見えるの事も、見えんの事も、あって、ねえ。そもそもが、仏壇無ければ、見えへんわと。
ンの、まの、仏壇あれば、注意して、見てへんも、変でして。正確には、見えるの場合、意識せずとも、見えてるです。
されどの、それで、どの、このは無く。他家は、他家での、千差万別、お好きなよにで。
そんな話まで、した事が無く。
そもそもがの、こすべき、あするの、べきのと、云々する事で、無く。家々で、やり易い、やられてるの方法で、結構やと。
目的なるは、ご先祖様を大切にで、後は、その家々での方法でして。時代、時代でも、異なるわと。
何なら、家々の、菩提寺、住職にでも、尋ねられたらと。
事程左様の、先々代、先代、現住職でも、諸般、微妙に異なってまして。
云い出せば、この手、年会等々、他家のにも、参列の、坊様によりの、違うわと。違うも、基本、一緒でして。これを、一々の、ここが、あそこがも、余計なるの、話でして。
とかとか、他家が云々も、無いけれど。
余程に、フウンの上手いこと、やらはるなあと。大いなるの、参考、考えさせられるの場面でも、あれば、なれどの、まあ、あらへんわと。
何度でも、申すの、法律でも、規則でも、あらへんでして。
但しの、トンでも作法だけは、なと。
そこで、インターネットなり、その手の作法本拝読も、事細かくに記載、掲載も、です。
供物は、持参して、どのよにと、お供えするは、あっても、その供物をどするやが、漏れててねえ。
記載されてても、家の者が、食べればと。云われたって、家族、多けりゃ、なれどの、多くとも、です。年会ならばの、折角ならの、参列の、家々に分配した方がと。するが、当家の考えでありの、方法でして。
ででの、法要もつつがなく。
珍しくも、住職の説教も、ありまして。へえと。
終われば、別室にての、嫁はん、嫁共、手分けしての、供物、分配の、軒数で、分けてくれての、結構なると。
住職、タクシーでも、呼びますかと。
イヤイヤ、車3台でして。適当にと。
姪一家は、車で、でして。そこの一家がそのままでして。
長男の車<8人乗り>で、私共夫婦は、一緒に来てての、妹一家、3人なるは、歩いてと、するのか、電車で来てるが故、次男の車<7人乗り>に乗ればと。
墓参の、東大谷祖廟に行けるです。
ここで、問題なるは、姪でして。
運転するは、姪婿なれどの、東大谷祖廟駐車場を知ってるの、哉と。
コレ又、当世、カー・ナビゲーションなるが、あるですが。我が愛車、カローラには、付けてませんですが。オッとの、これは、此度、乗って来てへんけどや。
での、姪問うに、どんな具合にと。
ンの、どこまでを、承知してるかが、分からんでねえ。
妹婿なら、何度も、来てくれてるですが。妹は、当たり前に承知してての、要は、親が、どこまで、娘に、教えてるかが、分からんで、ねえ。
そんなに事、細かくもで。四条通り、ドン突き、祇園さん、石段下を右手にと。一筋目を左手に行けばと。そこまで、云うたら、そかと。
ンの、この程度で、分かったのやろか、なあと。
まあなあ、当家、墓地、全くの、初めて、では、無いにしろの、駐車場までは、知らんと、思うですが。
では、あれどの、この子、姪なるは、結構、しっかりしてての、ここだけの話の、親以上。
問題は、この日、5月4日<みどりの日>、小雨でして。
傘差すも、微妙なるの、小雨での。
出来れば、墓参の間、降ってくれるなよと。孫共世代、小さいのが、居てるしと。
雨、本降り、傘いるよなら、親世代、大変でして。
階段、段数、多くは無いけれどの、東山の中腹、当家墓地、墓石、やや上の方やしなあと。
(15/05/12)
NO.320 親父の25回忌の話(8)
この手の話、何が正しく、何が正しく無いは、あらへんですが。
その家の当主、主<あるじ>が、決めたら、ええ事でして。
決めたら、一家、親族、それに従うの、べきでして。勝手な事、したり、云うたり、するのが居たら、収まらんです。ビシリと、決まらんです。
要は、施主、当主を立てなさいと、申してるです。立ててたら、施主なりが、引き立ち、引き立った分、自身も立派に見て戴けるです。
まあなあ、余程の、大間違い無ければなと。
そらなあ、親族の事、種々、耳に入れど、当人に、あんたなあと、説教なり、するには、相応の親しい、してな、云えへんわと。
その辺り、当世、極めての、関係希薄でして。
矢張り、遠慮致すし、伝えるにも、遠慮すべきの事、あって。
オトトの、何の話哉の、斯くしての、法要終わって、住職がわざわざの、見送りに出て戴き。
次なるの予定、墓参えと。
まあ、云うたら、「東大谷祖廟」の駐車場に集合に成るですが。皆が、駐車場を承知なら、「寺務所」でも、宜しいですが。
案の定と、するのか、姪が、駐車場を分からんでねえ。妹婿がケータイで、指示してたですが。すぐの、そこまで、来てるみたいやと。そかと。任せとかな、仕方無く。
とか、云うてるの間にも、駐車場に到着の、全員揃たです。
いやなあ、相応に、こっちは、こっちで、場所が分かってるのか。事故に遭遇すなよと、心配致すわと。
ほんまやでの、親族の、結婚式に参列の、その帰りしなに、大事故で、死亡者ン名とかのニュース見たら、嗚呼、アの、あと。
新郎新婦、一気、責任感じの、どしょかの。どするも、こするも、出来ませんでして。出来ぬだけに、幸せの絶頂で、大悲劇で、一生、悔い、残るわと。
事は違え、法要でも、一緒やわと。
施主たる、顔にも、言葉にも、せんでも、その辺りの事を、一番に心配してまして。只々、無事に終わり、皆、何事も無くの、ご自宅に、ご帰還をと。
いやなあの、余計なるの話、片道、どれ程が、長距離になるかは、個々人の判断なれどの。
当方、例えばの、神戸の長男宅。四国・香川の、義母宅なり、義姉宅よりの、我が家に戻れば、無事帰宅と、一報入れてるです。
反対も、しかりの、連絡あるまで、気が気で無くて。
での、この日、墓参で雨困るなと、思てたですが。左程で無くて。全員集合、当家、墓地に向こたです。
問題は、会席を予約の、「かに家」えは、若干の遅れるの見込みと、相成って。そらなあ、当家、10名、妹家、7名の総勢、17名。中に、小さいの、孫世代が居てましての、菩提寺出発も、トイレが、云々してたら、その分、時間も喰うわと。
イヤ、「かに家」には、しかるべくの、少々遅れるの一報入れれば、事、足りるですが。キャンセルでも、あるまいにと。
ででの、墓参も、先の通りの、法要、焼香の順番と一緒の、お参りすれば、宜しくて。一々の申さんですが。
オッとの、この墓参の真っ最中から、雨が、ややと、するのか、降り出して。傘が要るか、要らんかの、微妙なるの。人数、多い分、どかなあと、思てるの間にも、終わって、ホと、安堵の、桶、柄杓を甥が持って行くと。へえの、有り難さんと。
いやなあ、行きは、息子共が持って、上がってくれたですが。帰りは、小さいのは、早々に、降りてくれと。雨本降りを心配しての、事での。
斯くしての、雨に降られはしたですが。影響する程の、でもなくて。墓参も無事に終了の、です。
「かに家」にも、遅れはしても、5分程度でねえ。
されどの、一応は、一報をと、嫁はん、ケータイにての、その旨伝え。
そんな事で、「かに家」での、会席なれどの。
これは、なあ。
施主が参列者に対するの、御礼でして。
大原則、施主下座で、表現的、当家、当方、施主に近い者より、順々にの、話簡単には、妹家が上座でして。要は、法要、墓参の席、順番の、正反対なれど、です。
まあなあ、小さいのが居てたら、相応の、臨機応変でして。
当たり前に、当方、皆にそのよに、伝えまして。本来なら、こであると。
孫共には、コレを、どの段階で、教えるかが、あるですが。現時点、まあ、ええかと。
さりとての、大原則、施主が、一番の下座に座せねば、事、収まらんわと。当たり前でして。
簡単なるも、一言、挨拶せねばの、事、始まらんわと。
やのに、これが、ゴチャゴチャしてねえ。場がナカナカに収まらんでねえ。あっちや、こっちやと。まあ、宜しいですが。内々の年会でして。されどの、こっちは、挨拶してしまうまでは、礼服脱げへんし。
ほんまやでの、挨拶するの身にもなって頂戴なと。
とも、云えへんし。
実はなあ、諸般、文言考えてたですが。
場が落ち着き、全員揃うまで、待ってるの間に、ンの、何を云うかを、積もりであったか、忘れてもて。
かと、申しの、省略も出来ずの。
モ一発、ほんまやでの、ではと、第一声、「お忙しいところ、親父、亀太郎の25回忌に、参列賜りまして、有り難う御座いました。」
ンの、何やった哉の。そおそお、イツに、どんな具合にと、ええ機会故に、その時の事をと。
平成3年、5月31日、黄檗病院にて、80歳で、他界したですが。
実は、明くるの、6月1日、親父の誕生日でして。
この事、菩提寺、住職にも、雑談的、伝えの、住職も、法要の前にチラと、触れてるですが。まあ、ええやろと。
実は、実はの、当時、当方、「公立南丹病院」に入院してましてと。左足、骨折にてで。入院も、足に埋め込まれたの、プレートを外すの手術での。術語で、外してたですが。
病院で、その報、親父危篤の報、聞きまして。即刻の、帰宅の、病院に向かうに、先に、妹夫婦が到着してて。丁度、その時、家に戻った時にです。婿殿より、電話が掛かって来まして。
その当時に、ケータイは、持ってませんの、25年の昔やしと。
<注=当時には、病院も鷹揚でして、入院患者の車を病院駐車場に置かせてくれてたです。>
イヤイヤ、婿殿からの、電話の内容なるは、先生が、2時間も人工呼吸したはると。止めやはると、呼吸が止まると。
理由、肺に穴がで、塞ぎよが無くて。
とまでの、肺の事までは、挨拶では、申してませんですが。
最早の先生の体力もで、兄さん、どしますかと。
と、伝えられの、決断、モ結構ですと。
この返答の結果は、重々覚悟の。
と、までを申しの。オッとの、ここまで、挨拶で云うの積もりがあらへん、でした、ですが。
この辺りの詳細なるは、会席の食事でも、し乍らの、周辺に、当家の面々、居てるを前提での、この機会にと、話するの積もり、やって、ねえ。
それを、挨拶で、云うてもたモンやから、ゲの、当方、感情移入、当時、その時、決断した時の情景、思いの、まざまざの、蘇ってもて。
正直申すの、万感、こみ上げるモノあっての、言葉、詰まってもての。
ンの、まの、親父他界が、昨日や、今日の。1周忌でも無いの。25年経ってるのにと。
本当は、言葉、超の簡単、誕生日の前日に、80歳で他界の事のみ、挨拶でと。
しての、デハ、皆様、乾盃と、申すの積もりが、以上ですと。
乾盃の言葉、飛んでもたですが。
まあ、ええけどや。
(15/05/13)