不可思議の世界NO.30
京都・亀岡の良く当たる占い師の話
<京都でよく当たる占い師は?>
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目次
<番外2>
<番外>
NO.330 我が祖父の話(2)
NO.329 我が祖父の話(1)
NO.328 親父の25回忌の話(16)
NO.327 親父の25回忌の話(15)
NO.326 親父の25回忌の話(14)
NO.325 親父の25回忌の話(13)
NO.324 親父の25回忌の話(12)
NO.323 親父の25回忌の話(11)
NO.322 親父の25回忌の話(10)
NO.321 親父の25回忌の話(9)
NO.321 親父の25回忌の話(9)
そんな事で、会席を始めるに当たっての、挨拶終わったですが。
終われば、施主の当方、礼服の上着も脱ぎまして。黒のネクタイも外しまして。
イヤイヤ、基本、施主が、席に着くなり、くつろぎ過ぎるは、引き締まらんわと。
幾ら、内々、内輪の場、会席でもや。
そらなあ、仲居さんが見てるぞと。見られて、別段の、どて事、あらへんですが。先様、プロです。場慣れもしたはるです。教育も、されたはるです。単に口にはされぬのダケでして。
要は、客のレベルを推し量ったはるです。多分なら、なと。
いやなあ、教育されたはろが、されたはらへん、でも、です。
場慣れと、するのか。日々、何組もの、客相手。数日、一週間、一箇月も、しんでも、です。職場に少々、慣れて来やはったら、こんな事、余程の鈍感、無関心でも、無い限りは、見えるです。
そこらの、ファミリー・レストランでも、飯屋でも、あるまいにと。
「かに家」なるは、一応は、下足番までが、居たはるの、料理屋でして。この手の料理屋にしたら、まあ、一般的なるので、高級料亭とは、チョと、云い難いの、だけでして。
「菊乃井」「いそべ」でと、なんか、云うたら、会席、最低でもと、するのか、幾らか、知らんの、まあ、通例のなら、七千円程度に成るの、哉の、よ、出さんわと。
「いそべ」でなら、過年、年会で、何度か、使てるですが。まあなあ、当方にも、資金的、多少の余裕のあったの、頃でして。
云うとくの、ソレは、料理代でして。
場代とするのか、予約で、部屋取れば、相応にの、飲食代金の、1割とかや。飲み物当然の、別途料金の、話簡単、忘年会、新年会、同窓会での、飲み放題は、あらへんわと。
トトトの、そんな意味なら、です。
ここだけの話の、一度は、「いそべ」ででも、食事をさせてやりたいなあと。とは、思うですが。思てるですが。
オッとの、誰にかと、なれば、嫁共、孫共に、でして。
ここでの、主たるの対象、孫共に非ずの、嫁共でして。
オトトの、もしかしたらの、もしか、して、です。
嫁共、この手、高級料亭の、料理なるは、何度も、入って、知ってるの可能性あるですが。
まあなあ、高級も、「吉兆」の如くの、下手したら、万円台の、超高級のも、あるけれどや。
とりあえずは、我々の身分で、背伸びしたら、入れるのと、なれば、万円以内。
そんな話、するの積もり、無かったですが。「いそべ」の、話を、でして。
ここは、「かに家」での。別段の、仲居さん、ハタ目なんか、気にするの事、あらへんですが。当家は、当家でして。
それこその、飲み放題で、カラオケしたり、踊り出したりの、余所様に絡んだり、悪酔いするの面々、居てませんでして。
元々が、年会で、そんなの居てへんと、思うですが。酒癖の悪いの、親族居たら、ソラ、分からんですが。
我が記憶の範囲、ご幼少のおりからは、相応に変化してるは、あるなあと。
オッとの、酒癖云々なら、元々があらへんですが。忘年会、新年会、会社の、歓送迎会でも、あるまいにと。会社のやったら、あるけどや。そんな事なら、会社での方が、基本、最初だけは、ビシリ、バシリとしてるです。
ビシリ、バシリは、最初だけで、飲み出し、喰い出し、暫くしたら、乱れるですが。ソラ、飲み助、多いし、なあと。
但しの、会社の宴会での、上座は、偉いさんでして。幹事が、下座でして。概ねの、役職、年式で、席が概ね決まってるですが。あくまでもの、概ねなれど、です。それでもなと。
挨拶なり、乾盃の音頭までは、ビシリ、バシリでして。
そらなあ、全員が、社会人でして。
それでも、接待の宴会でも無いの、限りは、社内の面々やしの、内々の、なれど、です。
但しの、但しで、会社のは、云うたら、上司の手前とか、目があって。あっても、乱れる時は、乱れるですが。コレ、あくまでも、終盤でして。
トッとの、斯くしての。
我が真ん前には、長男の嫁。
嫁はん、孫共に誘われ、まあ、云うたら、下座の方え、移動してもて、ねえ。
孫共なら、こっちの、想定、仲居さんが、準備の席に、座らんで、ねえ。まあ、ええかと。席は、絶対に、ここと、決まってえへんしと。正式になら、決まってるですが。
この正式、内々の、内輪との、兼ね合いが、難しく。そら、年会そのものが、分かってえへんのにと。
次回と、なればの、ン年の先でして。当家、「柴田家」の、なら、でして。
そんな次第の、斯くなるでの。
真正面、長男嫁での、丁度良く。
その隣辺りに、次男嫁なら、尚、都合が良かったですが。
孫共の席の都合にての、間が空いてもて。そこに準備されてたですが。孫共、移動してもて、ねえ。
まさかの、次男嫁に、こっちに来いと、わざわざの、移動させての、するの、よな話でも無くて。重要なるの話なら、遠の昔にしてるですが。ならばの、重要でも、無いのかと、問われれば、こんな機会故、するの話、でして。
こんな機会とは、親父の話。親父の年会、25回忌でして。
そこまで、するの積もりは無かったですが。挨拶で、云うてもたですが。そんな事、単なるの、一部で、一端でして。
そもそもがの、親父の話なんか、どれ程の、してるの哉と。
長男嫁にならと、するのか、その結婚披露宴では、チラと、したですが。電機屋でと。
当方も、専攻、電気工学での。長男も、電気工学でして。大学は違うけどや。親子三代、電気屋ですと。
とかとかの、この話なるは、コレ以上は、ここでは、割愛致すですが。
したかったは、どこで他界したか。原因はと。
余り、自慢は出来ぬの、我が両親、夫婦仲悪うて、ねえと。
その前に、です。親父には、申し訳無かったと、思てまして。
何がと、なればの、挨拶での、話では無いです。妹婿殿より、電話での、人工呼吸、2時間にての、先生の限度云々での、もお、結構の、決断、返答については、申し訳無いとは、思てませんでして。
当時の我が認識なら、です。
祖母84歳、親父80歳なら、寿命的、早い、早過ぎるでは、あらへんです。充分とも、申さんですが。まあ、そんなモンならと。
それもあるし、病歴もあって。
ならばの、何に対して、かと、なればの、それを、嫁共に話をしたかったんやと。
果たしての、息子共には、してるか、してへんかは、よお、分からんですが。多分なら、してるの筈と。
(15/05/14)
NO.322 親父の25回忌の話(10)
ついでの話を致すです。
あくまでもの、ついでやでと。どしてもの、話に非ずの意でして。
基本、この手、慣習、慣わし、不文律なるは、知ってて、損しませんです。
むしろの、知らずは、恥描くです。正確には、恥描くの事があるのダケでの、大抵ならばの、真面目な方なら、真面目な分、どしょかと、ドギマギ致すです。
知った上で、場に合わせるは、出来るわと。要は、その場で、突出すなよと。
例えばの話、会席で、宴会で、全員が上着を脱がずに、正座してるのに、です。1人、脱いで、くつろぐは、異様やろな。目立つやろな。
反対に、全員が、上着脱いで、くつろいでるのに、1人、脱がずの、正座もなと。但しの、挨拶、乾盃の音頭するの方は、別途やでと。
その辺り、会社のは、決まってるわの、その場の一番の偉いさんに合わすが、賢明哉と。兎に角、場を読め。自己判断すなと。
大体は、挨拶なり、乾盃の音頭まで、なんやと。その程度の間なら、ビシリ、バシリと、しとけよなと。そらなあ、挨拶したはるのに、くつろいでもての、横向いて、雑談してたり、してたら、失礼の千万。
自分が立場に成っての、挨拶してるのに。乾盃の音頭取ってるのに。そんな事、やられてみいの。腹の立つノリやろなと。
そんなモン、一時間も、二時間も、しやはらへんわの。精々が、数分。ガマンせよと。
この事を、理解しの、読めるが、場慣れと、申すです。
イヤイヤ、この事、不文律での、余程の場で無いの限りは、厳密に非ずやわと。要注意すべきは、他家が参加してるの場でありの、会社のやと。
まあなあ、強いてならの、どんな場でもと。
家族とか、親しい友人ダケの場と、違うならばと。
での、長男嫁が真正面故に、我が話の聞き手にされたの、カモなあと。
されどの、くどいけど、こんな機会にしか、話するの場があらへんです。聞かれん事にはなの。何かの、話のキッカケ、関連でも、無いの限りはなと。
そらなあ、休みの日に、孫共連れて、どこえ行くの相談してるの時に、あのなあの、親父がなあと。こんな事、あったんやと、全くの、無関係なるの話なんか、頭の片隅にも、出て来やへんわと。
オッとの、そんな事で、我が挨拶の中身、内容なるは、本来、解説しな、分からんの話やしなあと。
とは、嫁には、云うてえへん、けどや。
いやなあ、我が家の歴史と、するのか、事については、ええ事も、悪い事、でも、です。家族、身内には、知っといて、もらわんと、なの、気があるです。
云うたら、何かのおり、子ども達<我が孫共>から、親に、ルーツ的なるの事、尋ねられての、へえの、知らんわと。爺ちゃん、婆ちゃん<我々の事>に、聞いて頂戴な。
では、困るわと。
まあなあ、多少は話が出来て、それ以上の詳しい事は、あっちに聞けは、結構なれど、です。
オトトの、トットの、悪い事なるも、門外不出、墓場まで、持って行くよなは、あらへんわと。世間に顔向け、口外出来ぬ、よなはと。
要は、当家に、犯罪者は居てへんし。新聞沙汰になるよなの、後ろ指指されるのも、居てませんでして。してませんでして。
さりとての、国から、表彰されたりの、一芸突出の、国家的有名人も出てへんけどや。
加えての、申すなら、です。金持ち、貧乏なるは、時の運。
ほんまやでの、親族も、どこまでかと、なればの、血縁者に、変なのが居てへんなら、充分でして。
変も、病気等々、体質等々、これは、なあ、仕方が無いわと。
当方にしたって、持病持ってるわと。別段の、口外しても、構わんの、まずは、耳鳴り症。現在唯今、今も鳴ってると、するのか、耳鳴り聞こえてるです。初期の頃からは、相当に慣れたですが。
耳鳴りに加えての、痔瘻。手術でもの、考えあるですが。恥ずかしいし、邪魔くさいしと。
問題は、更に、十年、十ン年と、経ってみい。大で、尻拭くに、自分で、出来んよに、成って、もてみい。困るなあと。これが、現、最大の悩み哉と。イヤ、冗談に非ずやでと。
よて、早め、惜しまれるの間、年代で、黄泉の世界に行くの方がと。真面目、真剣に考えてるは、事実やわと。
まあなあ、痔瘻のためダケも、変やけど。
トトトの、自分の事を嫁には、申してませんの。親父の事を。
イヤイヤ、肺結核で、入院してまして。当時、法定伝染病での、宇多野病院に隔離入院させられたです。
コレ、祖母他界<1971年・84歳>の直後でねえ。その直後故に、親父入院、59歳哉と。
当方、24歳にての、社会人に成ってましての、影響軽微。
これが、学生時代なら、果たしてのと。どころか、どもならんわと。中退してでも、一家をと。
とは、結果的、成ってえへんしで、左程に深刻な思い、してへんでした、ですが。親父、他界したでも、あらへんしと。
での、我が家に、残ったは、母と、妹でして。
妹とは、七歳違うんやでの、当時、高校一年生なんやと。
再度の、別段にの、深刻には、考えてえへんの。大体が、ノンビリ屋。とりあえずは、上手い具合の、社会人でして。祖母他界で、親父入院も、明日から、どするやの事態に非ずの、助かってるです。
申すの、我が家、資産家に非ずの、無産階級での、貯金なんか、トンでもの。もしかしたら、もしかしての、あった、カモ分からんですが。当方、感知せず。
まあなあ、祖母なら、しっかり者故の、イザ知らずの。親父が貯金なんかと。出来るよなは、稼いでませんでして。
母正直申しの、浪費家でして。
収入以上に、使うの人でして。大晦日になれば、借金取りが、我が家にと。
モと、正直には、事実上、祖母が戴くの、恩給。次男<我が叔父>満州にて、戦死故で。それが、可成りの、家計の足しになってた哉と。
云うとくの、当方、学資、親から、出してもろてえへんわと。かと、申しの、祖母からもと。何度かは、助けてくれた、カモ、分からんですが。覚えてませんでして。そもそもが、金の話、祖母なりに、したは、入学金の事、だけの、後は、一切の、してへんしと。
そらなあ、高校生で、入学金の足しになるよな、金なんか、持ってえへんわと。捻出のしよが、あらへんわと。
オッとの、での、既に、社会人やし、給料あっての、収入がと。
家に幾ら出してたか。
までは、覚えてえへんの。実は、残業、残業での、土曜日、平日の時代で、手取りで、初任給<33500円>の、倍額程もろてて、ねえ。ボーナスにしたって、年に2回の、1回で、当時には、3倍程はあった筈での、コレ、ボーナスなら、全額、自分の、での。我が、収入、懐、潤沢で、ねえ。
よて、月々には、月給手取りの、軽くの、半分以上、手渡してたわと。半分でも、初任給、全額分でして。実際には、我が手元に、1万程度哉と。当時には、1万円なるは、大金でして。現在唯今でも、我がお小遣い、2万円やのに、です。当世の、初任給と、比較で、概ねの金の値打ち、推測出来るやろと。
での、母に手渡せばの、後は、良きに計らえの、多分なら、そこから、妹の学資等々、賄えた筈の。されどの、一切の関与、感知せずの、無関心。
云うたら、朝、こっちが、起きるが早いし。出勤故で。母に、朝食なんか、喰わせてもろたの事、あらへんわと。
昼は、会社の食堂での。夜は、残業、残業やしの、会社の食堂で、喰たり、会社の近所の、焼き肉屋に行ったり、してねえ。兎に角、資金、潤沢でねえ。家では、殆ど、喰て無いけれどの、所謂の飯代<はんだい>として、出してまして。
そらなあ、長男故での、一家、母、妹をば、支えねばと。までの、悲壮感あらへんですが。目算的、飯代にての、充分、賄える筈と。
ンの、この辺りの、金の話なるは、この時、会席の場での、長男嫁には、してませんでして。
金の話、したは、この日の、夜、次男嫁にしたの筈も、チラとだけの、学資は自分でしたぞの、程度哉と。
ででの、真正面の、長男嫁捕まえ、あのなあと。
家なるは、主<あるじ>消えたら、居んよになったら、まさしくの、壊れる、崩壊するなあと。
この家なるは、住んでるの家の事での。そもそもがの、借家でして。古家でして。元々が、雨漏りしてたですが。急激に、大漏れ、壊れ出したわと。
家の中、2階の、我が部屋なんか、天井から、雨漏り、激しくの、家の中で、傘でして。金盥なんか、間に合わずのどしょかの、状況での。
とかは、長男、結婚するの時期、2人で、良く、我が家に来てたし、話したの、覚えあるですが。
ならばの、本命、何の話したかは、順々にと。
親父に申し訳無いの思いの話、なれど、です。
(15/05/15)
NO.323 親父の25回忌の話(11)
真正面に居た、長男嫁捕まえて。
いやなあ、挨拶での話に感情移入し過ぎてて。そこまで、云うの積もり無かったのに、です。結果、まざまざと、当時の状況、蘇り。
そは易々の、平常心には戻れませんでして。
一方的に、話したが、正解哉の。されどの、会席の場での、細々なるは、申してませんですが。
下手して、又、その話怪と、思われるも、なと。そんなに度々は、この手の話、してへん、とは、思てるですが。よお、分からんわと。
での、云うとくの。
当方、無産階級なれどの。されどの、奇妙な事に、金に困った事、あらへんなあと。
この一言にも、解説要するですが。明日、今日、喰うに困った。借金までするの事、までは、してへんの意でして。
当方は、なと。
我が家族で、借金、屁とも、思てないは、母1人だけ。
当方なら、借金となればの、超一般的、住宅ローンと、車を買う際の、ローンのみ。のみとは、云い切れんですが。一度だけ、それ以外で、「京都中央信用金庫」から、借りたの覚えあるですが。
次男産まれたの頃での、その出産費用が要るのに、母、エアコンが欲しいと。贅沢な事、云うて。
されどの、その要求、聞き入れてるです。それがための、借金でして。自分の事で、あらへんわと。
イヤイヤ、例えばの話、次ぎのボーナスで、でも、返済出来るです。
そんな程度、半年そこそこなら、待てと。ガマンせよでも、宜しいですが。若干一名、ガマン出来ぬの人でして。兎に角、我が儘、気儘の、困ったの人、やけど、です。
欲しいモノは、欲しいと、駄々こねるの人でして。されどの、親は、親でして。
まあ、云うたら、云うた者勝ちの面、あるです。
当方、親の要求、基本的、一方的、拒否したの事、あらへんわと。
この辺り、説明、難しいですが。別段の、親なるを、尊敬しては、いませんでして。借金、苦にもせず。我が儘、気儘を押し通すよな、親を、です。
親父にしたって、イザの時、助けては、くれてえへんし、なあと。無いの袖は振れませんと。
かと、申しの、喰うに困ってた、ではあらへんでして。
但しの、喰うとは、まさしくの、喰う、での、三度の食事の事、でして。さりとての、家にオヤツがあるで無く。オモチャが一杯、あるでも無く。
オッとの、基本、衣食住には、困ってません、でして。贅沢、別として、でして。
再度の、くれぐれもの、こんな話、までを、長男嫁には、してへんでと。そんな長々、延々はと。
されどの、従前には、してるの覚えあって、ねえ。孫娘、産まれるの、以前の、家に良く、来てたの頃には、なと。
そらなあ、諸般、我が家族の事、特性、性格なるを、知って欲しいが、あるです。ええ事、悪い事、ひっくるめての、別段にの、後ろめたいの話でも、あらへんわと。嘘、作り話でも、あらへんしと。多少の表現、異なれどの、この話、したら、毎回、一緒やわと。話、する度、コロコロと、替わるであらへんわと。
ほんまやでの、母、サラ金にも、手ぇ出しの。
何度、ボーナス、吹き飛んだかと。要は、返済の肩代わりでして。それで、感謝されてるかと、なればの、当たり前に思われてて、ねえ。嘘か、ホントか、コロリと、忘れてくれてるの、結構なるの、記憶力。
さりとての、こっちも、嫁はん共々、基本、苦にも、してへんわと。
親を尊敬は、してへん、ですが。大切に、思てて、ねえ。
かと、申しの、世に聞くの、子が親えの、感謝の、意の、産んでくれて、ありがとう。なんかは、全然に思てえへんわと。アレ、その言葉、ホンマ哉の、疑念一杯。
オトトの、子を育てるの苦労、気苦労あるは、承知してるですが。当方、1人で、育ったでは、あらへんわと。
あえて、屁理屈申す、なら、です。産んでくれと、頼みはしてませんでして。くれぐれもの、屁理屈やでと。
トッとの、その上での、当方、自信持って、子として、親に、成すべき、成してるわと。
成すべき、成してて、綺麗事云えと。
云うたら、別段にの、当たり前の事、してまして。
とまあ、こんな話、までは、してへんですが。
親父に申し訳無いと、思てるは、この話の、最初、冒頭、親の夫婦仲悪くと、申したですが。
母とは、ズと、同居で、我が儘、気儘、聞き入れてるですが。自分等の事、少々の、犠牲にして、でも、でして。
くどいけどの、別段の、あくまでもの、少々でして。出来ぬの事、出来ひんし。出来るの範囲でして。そらなあ、ええモン喰わせよ、ええ服買おてくれと。そんな無茶なるの、話なるは、無視してるわと。
ほならの、エアコンは、何故にと、成るの、贅沢品かと、なればの、母以外の部屋にエアコン無くとも、母だけにはの、毎日、毎日、嗚呼、暑い、寒いと、云われてみい。
聞かされるだけでも、嫁はん、大変でして。
母には、そんな事まで、してる、のに、です。
親父にしてやれへん、かったが心残りで、ねえ。
いやなあ、京都に居た頃、親父、肺結核<当時、法定伝染病指定>で、宇多野病院に隔離入院させられた、ですが。
結果的、祖母を、親父を、失おたも、同然でして。親父は、生きてるですが。事実上、家には、居てませんの、退院、イツになるやらの。
忽ちにしての、我が家、日に、日に、崩壊の。コレは、表現的で無く、家、そのものが、壊れ出し。申してるの、雨降れば、家の中で、傘指すの状態でして。柱も、腐り出しの、どもならずの、漏電して、ねえ。
漏電ねえ。
親父の職業、電気屋での。我が家、電気屋でして。
加えての、当方、痩せても、枯れてもの、電気工学専攻やでと。正直なるは、複雑怪奇なるの、気分での。
電気工学専攻も、電気工事士の資格持ってえへんし。電気工事出来るの、電気屋はんに、頼んで、配線してもろた、ですが。恰好悪いなと。穴があったら、入りたいの、気分。
工事屋はんに、自身、電気工学専攻也と、なんか、口避けても、云えませんでして。
かと、申しの、云うたら、大学では、その手、実技は、してませんでして。諸般の、実験なら、してるですが。電気工事には、無関係での。要は、理論が主。電検なら、取れるですが。関西電気保安協会に就職するの積もり無く。
当時には、その手、資格に興味無く。今、思えば、しもた、なあと。頭、柔軟なるの、若い頃、取っといたら、良かったのにと。今時、皆目の、分からんわと。
オッとの、又もやの、話、逸れ出した、ですが。
家の話も、結構、面白いですが。後回しの。
兎にも、角にも、母、我が儘、気儘の、云いたい放題の。それでも、何とか、してた、ですが。
京都の家、借家での。出てくに成って。出たの先が、宇治槇島でして。ここは、中古住宅での、住宅ローンで、買えたですが。コレ、入社、2年目でして。1年目なら、ローンなんか、組めへんですが。昨年度の、年収なんか、あらへんしと。
結果的、運任せの、成り行き任せの、万事、綱渡り的、時代やった、なと、云えるですが。
くれぐれもの、深刻には、考えてえへんの、何とか、成ると。
ソラなあ、正直、当世と、異なりの、将来には、希望がと。
オトトの、それでや。親父の話。
退院したなら、その家にと。小さくともの、正々堂々の、我が家でして。いやなあ、13坪なれど、です。そらなあ、入社、2年目やでと。これが、借金出来るの最大限の、目一杯。
親父を、迎えるの積もりの、家でして。
そやけれどの、ここで、大問題の、母、親父と一緒の部屋では、絶対に嫌の。そもそもがの、同じの屋根の下に、暮らすは、嫌と。無茶云うて。
そらなあ、13坪やし、なあと。両親、部屋別々のと、そんな贅沢なんか、出来ひんし。同じ屋根の下に暮らすは嫌の、そんな事なら、家、出てくと。へえと。
トトトの、実際に退院なるは、当方、結婚してから、なれどの、ソラなあの、一緒に暮らしてるの、母の方の主張が通るわと。
結果的、親父、宇治の莵道、明星園<老人ホーム>に入所と、相成ったですが。
この辺りより、親父には、申し訳無いと。
申し訳無いは、まだまだ、あるですが。
(15/05/16)
NO.324 親父の25回忌の話(12)
この話、どこまでをが、あってねえ。
オッとの、長男嫁に話をしたは、極の一部。
会席の場で、延々の話をしたら、聞かされるの方にしたって、喰てられへんやろな。
こっちも、喋りっ放しでは、喰えへんわと。それで、のても、次々、料理が運ばれて来て。特に、蟹なんか、喰うに、大変でして。当方、不器用故、尚更でして。
での、くれぐれもの、ここに掲載の、一部しか、話はしてませんです。
諸般の背景、抜きの話故、多分ならばの、嫁も、よお、分からんかった、やろなあと。適当に相づちなら、打ってた、けどや。
ででの、それで、何を云うたか、話をしたか。
親父が退院しの、家に戻るになっての、母、一緒に暮らすは嫌と、家出てもてと。出たと、云うたか、出ると、云うたかが、あるですが。
出ると、云うてで、止めたかもの。実際には、家出たです。
帰宅して、嫁はんから、聞いて、ビクリの仰天。イヤ、家出て、戻って来いひんし。どこにと。
まあなあ、大体は、分かるの、母の兄宅でして。兄も、2人故の、長男宅哉と。事実、電話で尋ねたらの、そこに居たですが。戻って来いも、聞き入れず。
イヤイヤ、こんな事、までは、会席の場では、云うてえへんの。以前になら、チラと、してるの筈なれど、です。
はきりと、申しの、そこも、従兄弟が結婚したてで、長男として、親父<伯父嫁他界してたです>と、一緒に暮らしてまして。そこに、叔母が、居候してみい。云うまでも、無いの、迷惑千万也でして。
まあなあ、家出期間、数日なれど、です。
それでもなの、こっちが、気を使うわと。従兄弟に対してでして。その辺り、全くの、理解せずの、自分本位の母でして。一事が万事の、この調子の、思たの事、前後、考えずの、ハタの事、斟酌せずの、やてまうの、母でして。或る意味、幸せなるの、性格でして。
この性癖に、どれ程、振り回された哉と。私共夫婦がです。周囲が、です。特には、嫁はんが、でして。
イヤ、当方の構想なら、です。
狭くともの、我が家にと。親父を迎えるの積もりでして。
但し、そとなればの、両親、妹、嫁はん、当方の、5人やしなと。土地、13坪の家やしなと。親は、一室でと、考えてた、ですが。それも、正直、自分等の、思うの部屋でと。
ほんまやでの、万事、親、最優先でして。
されどの、そんな事で、どしょかと。
どするも、こするも、親父帰って来るなら、母出てくと。出たの先も、大迷惑なれど、です。従兄弟夫婦がなと。そこも、似たよな、家でして。13坪程哉と。
イヤイヤ、自身で、どこかのアパートでも、借りて、独り生活するの意の、出てくは無いです。そんな資金、あらへんわと。
とりあえずは、従兄弟も、結婚したて故に、子どもは、マダ出来て無かったですが。
出来てても、出来てんでも、諸般、非常識に過ぎるわと。母の行動、考え方が、です。
当たり前の、そこの従兄弟<長男>にしても、気が優しいわと。
の、程度で、止め置くですが。
結果、困ったなあと。
入院先の宇多野病院<京都市・西北>に相談致しまして。そのままの現状、伝えまして。ならばと、宇治、莵道<京都の、南東>の、老人ホーム、明星園を紹介されて。当時、我が方、宇治・槇島在住故で。近くの方えと。
そこなら、車で、20分、30分哉と。
この明星園に入所してたの事、会席の挨拶にて、触れたですが。皆、知ってる筈でして。
ここで、申せば、宇多野病院に、見舞いにと、するのか、面会には、当方1人、行ってたわと。
所謂の、結核病院と、するのか、病棟故に、嫁はんは、伴わず。母は、見舞いになんか、行かへんし。明星園になら、息子共を伴い、面会に行ったりと。
そらなあ、自分等の、祖父を記憶せよと。親父には、孫を見せるがためでして。
基本、主には、当方1人が、出来れば、1週間に1回。仕事の都合にての、行けずなら、間隔空くの、ソラなあ、残業、休日出勤、出張なら、ザラでして。
母も、年に1回はと。されどの、コレ、部屋に行ったで無いの。先様より、呼び出しあっての、話を聞きにの、我が同伴でして。
母1人で、行った事、あらへんわと。
親父に、申し訳無いの思い、この事でも無いです。
一緒に暮らすに、暮らせんかったは、心苦しいの思いは、あるですが。コレ、母のせいでして。
正直になら、一緒に暮らせて、たら、です。モっと、色々してやれた、のにの、思い、あるですが。
実は、正月かに、外泊にての、明星園から、戻った事あって。宇治槇島時代にも、戻ってるですが。
戻れば、母、家出。家出も、出先、分かってまして。
オッとの、幾ら何でもの、正月元旦から、家出で、家出の先様に、迷惑もで、正月と、するよりは、1月にの、方、正解なれど、です。
亀岡の新宅にも、何度か、戻ってまして。
この時、亀岡の家の、玄関先で、転けて。右大腿部、骨折したです。亀岡なるは、冬場、寒くの、積雪、よおあって。
兎に角、雪か、凍結かで、滑って、もて。入院先、桂の、「シミズ病院」でして。
コレ、幸いにしての、母方、叔母が、付き添いに行ってくれて。母、行かずのためも、あったの哉の。ここは、ロームの近く、でも、無いけれどの、国道9号線沿いでの、当方、通勤の道中でして。
嫁はんも、ソレ思いの、病院選定してくれたですが。
残業遅くで無く、宿泊伴うの出張で無いの限りは、日参までは、してへんですが。叔母が付き添いしてくれてるも、あって。ほっとけへんわと、頻繁にと。
余計なるの話、なれどの、この叔母、当方をば、大切に思てくれて。「タケオちゃん、タケオちゃん」と。
更なるの、余計なるの、話、なれどの、ここ、長男をば、早くに亡くしてまして。早くも、小学生に上がったばかりの時期哉の。以下、娘ばかりの、何人哉と。この早世の従兄弟、年齢、ホボ、同じの、1歳、2歳、下やったの哉と。
モと、余計なるの話の、亡骸をば、見にの、表現、意なれどの、見に行ったは、まざまざと、その情景、記憶してるです。当方も、子ども乍らの、残念でもありの、叔母の顔、まともに、見られんでねえ。
憔悴し切ってまして。
イヤイヤ、当時、同じの京都市内でして。云うたら、殆どの親族、京都市内でして。叔母の家になら、自転車でと。多くは、歩いてでも、行けるの距離でして。
こんな事、までは、嫁共にも、多分なら、従前にも、話はしてへんですが。こんな、とは、叔母が、親父入院の際の、付き添いしてくれたの話をでして。
オッとの、での、本命の話。
コレ、挨拶にても、ホンのチラとは、触れてるですが。チラでして。誰が、記憶してるの哉と。まあ、してへんやろと。
兎に角、親父、この時、骨折入院。年齢忘れたですが、75歳辺りやった、やろかの、モと、後やった、哉の、以来、杖。
プレートなら、取れずの、そのままでして。年齢的、取るは無理がためでして。
この不自由なるが、当方、余り、理解出来てえへんでねえ。この当時、ソラ、40代。
祖母も、足骨折にての、以来、寝た切りになっての、他界したですが。
祖母なるは、他界したは、84歳でして。親父なら、杖も、歩けてて。
これは、自分が成って、分かるです。
当方、45歳頃、骨折したですが。再度の入院、プレートを外すの入院なれどの、その入院中に、親父他界したですが。
イヤイヤ、云うとくの、入院中も、明星園に、面会には、行ってたんやでと。それこその、その時、入院先、我が家の先、八木の、「公立南丹病院」より、宇治、莵道の、概ね、50キロ哉と。
ソラなあ、亀岡から、宇治でして。先刻の通りの、病院も、鷹揚でして。入院患者の車置くを許してて。
かと、申しの、骨折して、術後、1週間、2週間、1箇月程は、外出もしてへん、出来ひんけどや。こっちも、骨折での、ギブスが取れて、装具が出来て。先生から、外出許可出てからやと。
オッとの、とっとの、申し訳無いは、骨折にての、その不自由さ加減なるが、理解出来て無かった事を、です。
正確には、充分にはと。
背景には、親は常に、元気であって欲しいの、気、希望もあったですが。
そらなあ、杖の身分で、シャキシャキの、歩けるとは、思てえへんけどや。
思うと、体験、実感とは、雲泥の差也と。
思うダケなら、誰にも、出来るですが。行動なるは、誰もは、出来ひんわと。
(15/05/17)
NO.325 親父の25回忌の話(13)
申し訳無い。
それは、あの歳になって、骨折しまして。
不自由なりに、杖で歩いてたですが。歩くにどこまで、手助けしたらが、当方、その当時には、分からんでして。
現在、母なら、高齢、92歳なれどの、車椅子での移動でして。トイレも大変、寝起きも大変。よて、所謂の、リハビリ・センターに入所<中期入所>しの。自宅復帰、目指しの、リハビリしてるですが。
コレ又、冷静には、現実的自宅復帰無理哉と。
いやなあ、母に対しては、当人の、希望通りに、事、進めてるですが。
親父には、それが、出来てませんでして。
それもあるし、59歳から、肺結核での、隔離入院で。そのまま、老人ホームでの、結果的、80歳まで、家に戻れず。
当方からしたら、残念でねえ。
母の状況、つぶさに見てるが故に、尚更でねえ。
親父の時、その不自由さに対するの、理解の不足が、でして。こんな事、親父には、してやれてえへんなあと。
イヤ、くどいけど、離れてましても、出来る事、やってるは、やってるですが。
コレ、母に対するの、千分の一、万分の一哉と。そらなあ、同居と、分かれてては、出来るの事、雲泥の差の、比較対象無茶でして。
コレ又、説明加えるの、母車椅子なるは、ここ数年での。親父他界、25年経ち。時期異なるですが。
母の状況なるは、常に見てるし、現在唯今なら、リハビリ・センター入所故に、洗濯モノの回収、収納での、週2回、「こもれび」に出向いてるですが。嫁はんと、交代交代にて、でして。
母の状況にあわせの、こっちも、学習出来ててねえ。
親父の時には、常が一緒と違うしなあ。不自由さ、加減、程度が分かってえへんで。くどいけど、骨折承知の、杖使用故に、皆目の理解出来てえへん、では、無いけれどや。
モっと、理解してやれて、たらと。
実は、亀岡に引っ越したの際、親父も亀岡の施設にと。
考え、しかるべくの施設を検討の、見学にも行ったですが。その当時、どことは、申さんの、亀岡のは、施設の雰囲気、劣悪でして。
止めたですが。
止めて、正解、不正解、分からんですが。
そらなあ、亀岡から、宇治莵道までは、年々、しんどくなるです。土曜日、日曜日なんか、車、大渋滞。行くだけで、一仕事で、長い時間、構てられへんでして。
行ったら、帰らんならんしなあ。
での、偶には、親父と一緒に、昼食をと。
大した話に非ずの、明星園の近くに、店はと、探したですが。喫茶店しか、あらへんでねえ。その当時には、でして。
喫茶店に入って、親父に、コーヒーと、サンドイッチをと。当方、何を注文したかは、忘れたですが。この店入るに、階段でして。この階段、どするやの、しもた、なあと。
されどの、親父、登ってくれて。
まあなあ、思えば、狭い階段での、手摺りがあっての、登れたですが。こっちは、下から、イザの時、受けるの体制での、登り切り。オッとの、数段なれど、です。
問題は、食事の状況での、親父、食べるのサンドイッチをぽろぽろ、こぼして。慌てて、食べるが故も、あって、でして。
コレ又、困ったなあと。
準備が無いわと。準備とは、落ちた、パン等々を拾うは出来ても、それを、収納するのポリ袋なりの、準備がでして。
店主には、申し訳ありませんと、謝罪致しまして。店主、嗚呼、結構ですよ、気にしてもらわんでもと。そのままでと。有り難いの、返答戴いて。
そして、店出るに、大丈夫ですか。手伝いましょかと、尋ねられ。
イヤ、結構です。有り難う、御座いますと、お断り致して。
されどの、店主、わざわざの、見送って戴いて。嗚呼、有り難う御座いますと。
そらなあ、転けられたら、大変もあるですが。見送って戴いてるの様子から、分かるです。万事、チョっとしたの、表情にての、一発でして。この店主、微塵のと。
全くの、親切心から、でして。
ほんまやでの、チラの、嫌そな表情されてみい。ホンのチラも、分かるわと。気の無いの返事も、されたら、一発、察知、出来るわと。
これもなあ、店主には、感謝なれどの、親父に対し、階段はなと。
モっと、調査、探索しとくの、べきやったなと。当世が如くの、インターネットがあった、なら、です。園の近辺の適当なるの店、探せるですが。そんな時代と、違うです。
そももがの、園えの、道、熟知も、店なんか、近くに、あらへんでねえ。少々、遠出をしたら、あるですが。そんなにも、遠くはなと。
又、余りに客の入り、多くの店も、憚るです。正直、ハタ迷惑でして。親父も気を使うやろと。
その時の、その店の客、当方2人だけでして。
オッとの、この話、してへんです。
してへんの、この手の事、親父が、モと、若い頃、するのべきやったなと。
思たって、時<とき>は、戻らんでして。
只なあ、この時、当方、寂しかったわと。そんなに慌てて、喰わんでもと。それも、あるし、大体が、歯がなあ。沢山、抜けててねえ。元々が、隔離入院以前から、抜けてたですが。
云い出したら、祖母も、でして。
当時の人、歯抜け、多かったですが。珍しくも無くの。その歯の間から、口にしたの、パンが、ぽろぽろでして。
いやなあ、親父、歳喰たなあと、その喫茶店で、一緒に、飯と、するのか、食事で、実感でして。
そんな次第の、斯くなるでの。
申し訳無いは、不自由さ加減を理解出来てませんでして。理解は出来てても、こっちの、対応がと。
モ一発、当然の、残念無念があるですが。
これは、一緒に暮らせえへんかった事でして。当方の意志で無いにしても、です。
経過から、したって、親父なるは、突然の入院やでと。
頭っから、病気なるは、治れば、戻るです。戻れるです。我が家に、でして。我が家は、申し訳無いけれどの、その時には、宇治・槇島でして。ここが、「柴田」の家でして。他に戻るの家あらへんわと。
それこその、母にしたって、親父にしたって、独り暮らし出来るの、経済力、資金力なんか、あらへんわと。
当方にあるかと、なればの、あらへんけどや。
基本、住み処があれば、1つ屋根の下に暮らせば、何とか、なるわと。
思てたけれどの、母の家出事件、想定外。
(15/05/18)
NO.326 親父の25回忌の話(14)
親父に、申し訳無い。
これを、解説、説明するに、延々の記載してるですが。
何故か、しっくり、来ませんでして。何で哉と、思てたですが、ハタと。
親父の大腿部骨折。杖で歩いてたですが。自身、足骨折したと、申し乍らの、1つの場面、一緒に昼食のため、親父連れ出し、喫茶店えの話をしたですが。
この場面、鮮明に記憶してるですが。店主の応対、親父がパンをぽろぽろとと。階段云々の、寂しい思いをと。
記載し乍ら、これだけやったの哉と。
ここで、大事な事、忘れてたです。
まずは、この場面、結果的、親父と食事の最後でしたです。
且つは、当方自身、骨折入院中でしたです。
いやなあ、コレ、骨折の左足には、ギブスと、するのか、装具付けて。松葉杖で、行ってたです。
イヤイヤ、オート・マチック車、故、右足で、アクセルも、ブレーキも踏めるです。松葉杖は、後部座席にでも、トランク・ルームにでも、積み込みまして。
入院中、何故に、南丹市、八木<当時、園部市八木>の、「公立南丹病院」から、「明星園」に出向いたかは、忘れたですが。
単純に、面会にか、園からの要請哉と。
イヤ、親父の散髪には、家族が、連れてくになっててねえ。園から、電話連絡あっての、出向きの、明星園近在の、散髪屋に連れてったり、してたですが。この時には、当然の、散髪に、では無いです。
当世なら、その手、福祉施設に入所なら、です。散髪屋が来て、やってくれるですが。当時には、トンでも、でして。
入院中にも、入院、2度での。
手術と、手術で、取り付けられたの、プレート外すのためと。
1度め、3箇月で、1年半程開けて、2度目の外すの手術で、3箇月でして。
親父は、その2度目の手術で、入院中に他界したですが。
昼食には、何故に連れ出したか、よお、分からんですが。
もしかしての、もしかして、コレ、所謂の、虫の知らせ哉と、たった今、ハタと。全然の意識して無かったですが。
親父に申し訳無しの、云々以前の、この場面、一番に記憶してるです。
オッとの、当方、松葉杖でも、この時、使たの哉の、多分なら、使わずの。親父、杖で。喫茶店での、昼食で、コーヒーと、サンドイッチなれど、です。朝食なら、分かるですが。腹の足しになるのが、この程度であったの哉と。
イヤイヤ、親父、喜んでたです。何がええ。何でもええで。
何でもも、玉子サンド、ハム・サンドに、ミックス・サンドでして。ミックス・サンドを注文した筈でして。
更に、思い出したは、親父、口から、ぽろぽろも、当方、膝折り、テーブルの下に潜り込みの、拾うを挑戦努力した、ですが。よ、考えたら、ギブス装着にての、左足、まま成らず。
こちから、すみませんと、声掛けたか、店主、その光景見ての、慌てて、結構ですよ。そのままで、そのままでと。大丈夫ですよと。云われた哉の、細々、までは、正直、覚えてえへんですが。
そんなよな、会話、場面あったです。
イヤ、別段にの、テーブル下に潜り込むは、当方、全くの、意に介さんですが。
考えたら、拾たって、処分が出来ませんし。先刻の通りの、ポリ袋等々、準備が無いです。
コレ、多分なら、松葉杖は準備も、使ては無かった哉と。ギブスなら、ズボンの裾に隠れてまして。第三者には、分からんでして。
要は、喫茶店に入るに、店の方<かた>に、余計なるの、心配掛けんがため、でして。
2度目の入院中故、骨なら、充分に、くっついてるです。松葉杖なんか、安全のためでして。
自身、骨折にての、その不自由さ加減、身に染みて、理解の。親父の大腿部骨折の大変さをと。
よて、入院中にも、親父連れ出し、一緒に昼食でもと、考えたので無い怪と。
コレも、変な話、なれど、です。足の悪いのが、足の悪いのを、連れ出して。階段、数段でもの、喫茶店でして。冷静になら、一寸は、状況、考えたらと、相成るですが。
計画練っての事で、あらへんでして。ハタと、思い付いたの、行動でして。申し訳無いの、気持ちからでの。
親父と一緒に飯をと。それも、結果的、飯で無くの、サンドイッチやでと。そこしか、店あらへんも、あるですが。
ここで、この店、喫茶店で、よかった、です。
店主がしかり。客、偶々で、あれどの、2人だけ。
当然の、場所柄、明星園のと、分かるです。追記的、店主、60代哉の、表情、誠に以ての、柔和な方での、安心出来たです。
コレが、結果的、親父との、最後の食事での。しかも、2人っ切りでして。
イヤイヤ、大した会話してませんです。おいしいか、ン、ンの、程度でして。喜んで、喰てくれさえしたら、充分でして。
ここから、親父、急激に、足腰、弱ってもて。
車椅子になって、もてて。車椅子では、老人ホームでは、面倒見られませんのでと。
明星園内、新設の、特別養護老人ホームに移動をと。イヤ、併設なったばかりの、新館でして。寄付も、多少はしてたですが。
食事の次ぎに行ったは、その移動のための、付き添いと、するのか、身の回りの、モノを整理の、新しい場所に持ち込むの時。云うたって、真向かいでして。
新館の、親父の場所に、同行での、そこは、仮ですと。早急に、正式なるの、部屋に、移動してもらいますと、担当者から、聞いたですが。
よて、親父の私物なるは、仮置きでして。
只なあ、新館は、新館での、新しいですが。何故か、陰気に感じてねえ。全体的、暗いも、あった、ですが。照明の具合もあった、ですが。
での、帰って、何日後哉の、早朝と、するのか、未明に、入院先に電話一発。
親父、黄檗病院にと。危篤であると、えと。
詳細、肺に穴がで、人工呼吸云々での。
ンの、コレ、分かるの、親父の病歴、肺結核での、隔離入院してたです。
それもあるし、従前の、老人ホームから、新設、併設、とは、云えどの、特別養護老人ホームに移動が、です。
コレ、環境の変化での、年寄りには、少々辛いモノがの、程度、薄々なら、承知の。これが、問題やった、哉と。
思えどの、結果論でありの、園からの要請での、当方には、ども出来ず。
にしてもの、数段であれどの、階段をば、登れるの間。
直前では、あったですが。偶々でも、あった、ですが。一緒に飯では、無いですが、食事して。
よて、虫の知らせ哉の。こんな事が、当方には、よ、あって。
オッとの、虫の知らせ、なるは、頭の中、記憶をば、整理整頓しの、経過的、事実関係並べての、ホンの今、たった今、唯今、ハタと。
何と、まの、25年も経っての、25回忌も、無事に執り行いの、過ぎてて、ねえ。
今頃になって、ハタと、哉と。
(15/05/19)
NO.327 親父の25回忌の話(15)
この手の話。
断片的、場面、場面、鮮明に覚えてるですが。覚えてるも、細々は、なと。
且つは、時系列的なるが、曖昧でして。
正直なるは、その辺り、自身で、考え、考え、掲載してるですが。よて、同じよな、話を毎回、毎回、繰り返すになってるです。
その度、若干の、追記的なるを、記載してまして。
いやなあ、喫茶店の話、なるは、嫁はんも、息子共も、知らんやろと。
ソレ、云い出したら、基本、宇多野病院にも、明星園にも、当方、1人が、出向いてまして。そんな事、一々の、自身でさえ、覚えてえへんわと。
されどの、親父との、共有の時間とは、云えるですが。
まあなあ、そんな意味でなら、喫茶店の話は、親父と、当方だけの、想い出でして。
強いてなら、店主もと、なるですが。あちら様からは、単なるの、客でして。どの店か、再度、訪問も、分からんやろと。とは、云え、当時、あの近辺にては、そこだけでして。
只なあ、店主も、最早の、80代、90代でして。店やてられへん、やろと。
実は、諸般、この手の事、掲載、記載するに、四苦八苦してるです。
何分の、25年は、経つの話でして。時系列的なるも、極めての、曖昧でして。
且つは、宇多野病院、明星園と、親父、59歳から、80歳の話でして。その間、入院も、一度で無いわと。オッとの、宇多野病院なら、入院での、肺結核以外の、傷病あらば、そこで、診てくれ、治療をと。
明星園は、病院ではあらへんしで、病気になれば、病院でして。
コレ又、何度か、あった、ですが、ある度、園より、連絡あっての、付き添いにと。下手したら、そこから、出社、出勤も、あったなあと。
ほんまやでの、明星園入所の時には、我が家えの、外泊、外出も、母、一緒は嫌と、出てくに、初回は、家出なれどの、以降、こっちが、出先に送り届けまして。迎えにもと。
要は、送迎でして。
母方、上の伯父宅<当時、宇治・大久保>であったり、下の伯父<下京・黒門、仏光寺>の場合も有りでして。
親父の方も、同様での、送迎でして。ここは、宇治・莵道。
とりあえずは、年に1回、2回か、それも、忘れたですが。両親共、送迎せねば、ならぬわの。手間の掛かるの、親でして。さりとての、自分でと、云うたって、なあ。
加えての、申すなら、です。
母方、叔母が、桂の、シミズ病院に、付き添いしてくれたですが。
コレ、叔母、当時には、宇治の先、城陽市富野荘<とのしょう>でして。
とか、云うたって、方向感、距離感、京都のモノで無ければ、分からんですが。京都から、云えば、奈良に近く。叔母も、車なんか、運転出来ず、所有もせずの、電車等々にての、大変でして。
よお、やってくれた、なあと。今更乍らの、感謝。
オッとの、泊まり込みなれどで、尚更でして。
イヤイヤ、そんな恩義も、重々感じてるですが。
叔母婿殿の葬儀には、我が叔父嫁の葬儀に重なれどの、幸いにしての、全くの、方向違う、でも無くて。時間も、若干のズレあっての、梯子が出来た、ですが。
いやなあ、恩義云々以前の、矢張り、我が考えからも、立場からも、梯子してるですが。
葬儀の梯子に同行の、嫁はん、大変なれど、です。
オッとの、そんな事で、この手の話、一気、話するも、無理でして。
云う方、思い出し、思い出しの、時系列、バラバラになるやろしと。
それもあるし、当時の、この手、福祉施設と、するのか、老人ホームと、最近のと、では、やり方と、するのか、制度が違うです。概念、イメージも、異なるです。
よて、余計なるの話に相成るですが。
基本的、老人ホームなるは、身寄りの無い老人が、入所するの、福祉施設。家族が居ても、諸般、一緒に暮らせぬの場合も、入所出来るですが。
あくまでもの、当時の制度では、です。入所者が、年収<年金等>に応じた、応分の負担。家族が居れば、家族も、年収<所得税>からの、応分の負担をと。
それこその、細かくは、覚えて無いの。多分なら、親父の年金、月4万円程度でして。半分程度を負担してたの哉の。当方なら、1万円、2万円見当哉と。
当然の、医療費控除等々、確定申告しての、負担額、減らすの努力した、ですが。
これを、毎月、支払いに、行ってまして。明星園に、です。
更なるの、余計な話の。親父は、母とは、違いの、性格的、大人しく。
無駄使い、する人で無く。コレ、反対には、無駄も、必要なるも、自身で、出費する人で無い。とも、云えるですが。有り体には、そこまでの、資金力が、とも、成るですが。所謂の、シブチンと、云えるですが。
そらなあ、年金にしたって、月4万円でして。
オッとの、先刻、散髪には、家族が、連れてくになってたと、申してるですが。散髪代、当方出費してた、なあと。これは、もしかしたらの、当人、出費するの積もりあっても、散髪屋がこっちに、請求する故でして。
散髪代は別途の話での、要は、親父、母とは、金銭感覚、正反対でして。
自身の収入以上の出費せず。母なるは、欲しいモノは、欲しいで、ガマンせず。どちが、ええのか、分からんですが。只なあ、借金してまでの、ハタ迷惑でして。
これも、母は、我々夫婦なりが、何とか、するの気があったのやろと。実際問題、こっちにしたって、ほっとけへんわと。ほっといたら、借金、雪だるま式に増えるわと。最終的、こっちに掛かるは、目に見えてての、処理出来るの間にと。
そんな事で、諸般、親父の話も、どこまでをと。
年会、会席での、挨拶にて、モ1つ、申したですが。
イヤ、触れて無かったかなあと。イヤイヤ、触れた、やろか、なあと。
よ、覚えてませんの事。
覚えて無いとは、挨拶にて、触れたか、触れて無いかの、明星園には、妹婿、一度か、二度、親父に面会に行ってくれてまして。
コレ、妹一家、当時、宇治・小倉に在住の頃でして。明星園にも、近いの頃でして。
園の方に云われたかの、親父入浴のお手伝いをと。聞いて、へえと、ビクリしたですが。当方になら、分かるも、妹婿にかいなと。偶々の、面会の時、入浴の時間やったのかと。
イヤ、有り難うと。
事程左様の、諸般、婿殿、親父にご縁、結構あって。
そもそもがの、黄檗病院での、臨終の際にも、立ち会おてたり。こっちは、遅れた、のに、です。
何故か、早くに着いてて、ねえ。その訳、疑念に思いつつの、今だ、聞いてえへんで、ねえ。この当時<現在、京都・伏見>には、滋賀の、簡単に説明なら、琵琶湖大橋の方に在住の頃でして。
即の、出られるの状態やったん、やろなあと。
対して、こっちは、既載の通りの、入院中でして。只なの、病院には、車を置いてましての、家に帰った時には、妹夫婦は、黄檗病院に居てましての、我が家に電話をしてくれて。
その時、先生、人工呼吸を2時間してくれたはっての、最早の限界哉と。
兄さん、どしますかと。
人工呼吸を続けてもらうか、止めてもの、決断を、でして。
コレ、当方、親父の病歴承知の、肺結核での、肺に穴がで、嗚呼、無理哉の、親父を苦しめるよりはと。
モ結構也と、返答致したですが。
コレ又、表現的、そなるだけでの、電話での話に、即答するも、決断責任重大でして。
さりとての、なと。婿殿が、妹が、決断不可の。
するは、当然の、当方、責務也と。
にしても、コレ、25年の昔での。ケータイでは無いの、固定電話での。オッとの、場所柄、公衆電話やったやろと。
偶々の、当方、家に着いたの時での。一旦、家、出てもてたら、到着するまで、連絡取れてえへんです。
(15/05/20)
NO.328 親父の25回忌の話(16)
親父に対し、申し訳無いの、気持ち。
同時には、何故か、一番に記憶してて、想い出すが、喫茶店での、ミックスサンドの事でして。
時系列的、整理整頓、沈思黙考したら、です。
するも、せんも、大体が、親父の大腿部骨折の時期をよお、覚えてませんでして。
自身の、足骨折の時期でさえ、でして。
云えるは、「公立南丹病院」に、2度目<プレートの取り外し>の、入院中でして。親父の危篤の報。そして、他界が、でして。
親父、他界、平成3年<1988年>でして。25回忌<1年を加える>やしなと。
この、喫茶店の時、自身、入院中であったを、全くの、重きに考えてませんでして。親父の、パン、ぽろぽろの印象、記憶が鮮明に過ぎて。自分の事なんか、飛んでもてて。よ、考えたら、その時期やったんやの、程度でして。
まあなあ、2度目ので、気楽な入院でも、あったですが。
入院なるは、約の、3箇月やしなと。
その間に、喫茶店で、特別養護老人ホームに移動で、他界でして。
そらなあ、危篤で、臨終の日の事なるは、超の鮮明なれど、です。病院のベッドで、寝てたら、看護婦に起こされて。家から、電話ですよと。
大急ぎで、家に帰って、支度して。してるの間に、妹婿からの、電話一発。人工呼吸の事をと。
そこから、黄檗病院え、家族全員、母、嫁はん、息子2人を乗せて、行くの道中、前、見えてたの哉と。
イヤ、涙、涙でして。頭の中、グシャ、グシャの、愚者でして。道順、よ間違えんと、病院に、着いたなあと。病室に入れば、ベッドの親父、既に、他界で、鼻の穴、口には、詰め物してあって。
では、あっても、穏やか、安らかなるの、顔してて。或る意味、ホとした、ですが。
少々、落ち着きの、この病室内、周辺、見たら、沢山のベッドが置いてあっての、まあ、正直には、最早の、臨終間際のと。するのか、その手の老人ばっかり、でして。
嗚呼、ここは、その手の病室哉と。
余計なるの話。
そらなあ、ン箇月もの期間、総合病院に、入院してたら、概ねの、内輪の話も、分かるわと。
どこの病室の方、某さん、大部屋なれどの、そこから、個室に替わったと。その方の、病状より、分かるです。嗚呼、モ、あかんのやと。この病院での、個室選択、考えモンやなあと。
そんな資力、あらへんけどや。方々の患者から、情報、入って、ねえ。
ここなら、こんな病室に入れられたら、おしまい、なんかいなと。
そらなあ、他界されたの、部屋と知れば、そんな病室で、闘病生活なんか、しとは、無いわと。ましてやの、個室はなと。夜、寝てられへんぞと。モノ音1つで、ギクリで、真夜中、看護婦、ソと、入室にての、ギヤアと、悲鳴、卒倒哉の。
知らぬ間に、枕元にでも、立たれてみい。発狂するです。想像するだに、うなされるです。悪い夢見るです。
夢なら、ええけどや。
オトトの、会席での、真向かいの長男嫁に、そんな話、全然のしてへんわと。
したは、親族の臨終には、立ち会えたの事、無いなあと。
この時、親父のも、しかりで、記載の通りの、終わってまして。
祖母の時、毎朝、出勤時には、行って参りますと、挨拶してたですが。その日も、挨拶致して、祖母、ンと、頷いたと、するのか、布団に横たわっての、こっちを向いてるの、状態故、応答も、会釈程度なれど、です。
この時も、目を開きの、会釈したと、思てたですが。少なくともの、そのよに、見えてたですが。
会社に着いたら、アシスタント的女性より、この女性、誰であったか、皆目の、覚えて無いの、家から、電話ですよと。出たら、祖母がと。
コレ又、どやって、帰ったの哉の。この当時には、単車の、HONDAの、スーパー・カブやったのか。中古の、HONDAの、NVやったかを、覚えて無いですが。家えの戻るの、道中、涙、涙でねえ。
での、聞けば、もしかして、もしかしたらの、当方、行って参りますの、挨拶したの時には、亡くなってたの、可能性がと。へえと。
そらなあ、会釈したとか、してへん、とかとか、これは、基本、毎日の挨拶でして。祖母の、応答でして。
死ぬなんか、毛頭の、想定なんか、してへんわと。
時には、気ぃ付けて、行ってきぃやと、返答あったり、してた、ですが。次第、次第にの、会釈だけと、なって、ねえ。それが、元気無くなって来たとは、全くの、解釈してへんわと。
と、までは、云うては無いの。一部は、云うた、ですが。
話としてなら、祖母とは、申しては、無いの、「お婆ちゃん」でして。
お婆ちゃんが、お婆ちゃんがと、申してた、ならです。ソバに居てるの、長男曰くに、誰にと、云えば、嫁にで。要は、こっちの方に、お婆ちゃんは、お父さんの、お婆ちゃんやでと。
補足的、解説してねえ。
嗚呼、そやなあと。嫁からは、我が嫁はんが、お婆ちゃんでして。
イヤイヤ、基本、孫基準でして。
オッとの、嫁が、当方には、お父さんなれど、です。孫<子>に対しては、お爺ちゃんに、云いなさい。とかとかに、相成ってての、少々、ややこしく。
ついでにならばの、当方、嫁はんも、です。
嫁から、息子共から、諸般の都合にての、お爺ちゃん、お婆ちゃんとの、呼称、全くの、違和感持ってえへんです。孫基準で、当然の呼称也と。
イヤイヤ、時には、それ、云われるを、嫌うの方、あるらしく。
オッとの、そんな次第の、真向かい、真正面の、嫁捕まえて。
概ねの、そんなよな、話、してた、ですが。孫世代、喰い終わってもての、動き出し。あっちに、こちにと、騒がしく。大人のには、デザートで、アイスが付いてるですが。子どものには、付いてえへんし、注文してやってと、嫁はんにと。
それも、喰い終わればの。
ではと、〆の挨拶をの、立ち上がりましての、「本日、有り難う、御座いました。」
次回、親父の、33回忌なるは、8年後。祖母のは、5年したら、50回忌ですと。
果たしての、8年、5年では、一緒にして、良いのか、悪いの哉の。
菩提寺、「光圓寺」住職にでも、尋ねな、仕方が無いなあと。
ソラ、基本、1年、2年なら、なれどの、3年なるは、微妙やなと。
(15/05/21)
NO.329 我が祖父の話(1)
そんな事で、会席の解散宣言、挨拶致しまして。
皆、それぞれに、退席の、階下えと。部屋、2階故でして。
嫁はんは、おあいそ、精算のため、ササと、出てったですが。
こっちは、施主として、忘れモノはと、見渡しまして。嗚呼、無いなあと。最後に部屋出て、階の中央部に行けば、長男、タバコ吸うててねえ。イヤ、休憩場所と、するのか、喫煙場所が設けられてまして。
部屋でも、吸えるですが。子ども達、女性が居たら、吸うのもなと。部屋では吸うてませんでして。
オッとの、そやなあと。吸うてから、出るかと。
一服してたら、仲居さん、リーダー格のが、現れて。
コレが、上座にと、手渡されたは、ハンカチ一枚。
オッとの、トットの、見回った筈が、見落としあったんかと。多分なら、背もたれと、するのか、座椅子で隠れてたん、やろなあと。
ハイ、有り難う御座いますと、受け取ったですが。
での、上座ねえ、矢っ張り、忘れモノ等々、しかりと、見たはると、するのか、当たり前に、上座、下座は、常識でして。
忘れモノがありましたと、ダケで、手渡されたら、どの辺りですかと、尋ねるですが。上座と、されたら、概ね、一発、分かるです。上座にも、諸般、席順あるけれど、です。
実は、こ云う事なんやと。仲居たる、上座、下座をば、チャンと、承知で、諸般、見て、聞いたはるんやと。
コレ、落とし主、妹でして。
まあなあ、持ち主に、戻れば、結構なるの。
後は、施主として、です。他家の方々の、お見送りを、でして。コレ又、当たり前でして。適当に、ハイ、さいなら、とはなと。
コレ又、どこまでの、丁寧にが、あるけれどや。とりあえずは、当方、夫婦で、お見送りをと。云うたら、施主夫婦でして。
ででの、妹夫婦と、その長男なるは、伏見でして。京阪電車、祇園四条駅からで、駅には、歩いて、行くと。ンの、祇園四条駅ねえ。イツから、そんな名称になったの哉の、従前なら、京阪の四条駅と、云うてたですが。コレ、通称やったの怪の、まあなあ、分かれば、結構なるの。
姪一家は、車で来てましての、お見送りでの、有り難うなあと。
以て、親父の年会、25回忌も、無事にと。
無事も、皆が、チャンと、帰っての、事でして。
こっちは、こっちで、久しぶりに、我が家で、全員集合の、一泊でして。正月なるは、次男家、泊まれませんでして。嫁の実家えで、弟さんの結婚云々での、皆が揃ての、食事をと。
家に戻って、一泊して。
それで、明くるの日、何をするか、何処かえ、行くかは、決まってえへんでねえ。
決まってたは、皆で、母に入所先、「こもれび」に面会に、行くと、だけでして。後は、夕食には、「さと」でと。
ついでになら、昼は、「マクドナルド」に、でもと。どこの、とは、決めてませんですが。
斯くなる次第の、斯くなるでの。
その日の、夕食なるは、カレー・ライス。昼が、豪華に、蟹料理故に、お茶漬けでも、良かったですが。そも出来ず。
での、です。
夕食も終わって、皆でと、するのか、麦酒とか、缶酎ハイ等々、適当なるの、菓子類喰てるの時。
もしかしたら、この時、長男嫁は、子ども達を寝かしてたのか、なあと。
イヤイヤ、次男嫁が、夫であるの、次男が、です。お爺さんの事を、余り、知らんみたいですと。云うてくれて。
<参考=NO.316 親父の25回忌の話(4)>
オッとの、ここで、今、ハタと。
又もやの、ハタと。
いやなあ、当方、嫁より、お爺さんの事をと、聞いたが故に、我が祖父の話をしたですが。ハタの、ハタとは、次男夫婦からの、云うの、お爺さんとは、我が親父の事や、なあと。
大いなるの勘違いしてもての、我が祖父の事をば、延々、したですが。別段にの、我が祖父の話をと、聞いたでは無いと、とは、云わへんでねえ。ズと、勘違い哉の、話をしたですが。
この話も、あっちに、こっちにと、飛び火しての、支離滅裂、バラバラの話でねえ。
そらなあ、我が家、親族の事を、問われれば、嬉しいわと。ルーツやしと。
云うたってなあ。嫁には、冒頭に、申したです。
我が祖父と、当方とは、年代、ズレててねえと。実像、実体、知らんの、会おてえへんしと。
との、話、冒頭にした故、お爺さんとは、我が祖父の事で、良かったの哉の、よお、分からんですが。
イヤイヤ、それで、話、進めの、諸般、興味津々で、聞いてくれての、質問も、されたわと。質問されたら、調子に乗っての、又、あの話、この話をの。我が祖父なんか、見てへし、話も、してへん、のにです。
よて、冒頭、加えての、祖母なりから、聞いたの話やでと。この祖母も、当方から、見ての、祖母でして。次男夫婦世代からは、曾祖母と、成るですが。そんな説明一切せずの。まあ、云うたら、自分中心の話でして。
オトトの、ソかと。
話、少々戻しての。年会なるは、我が親父の、25回忌でして。息子共にしたら、お爺ちゃんの25回忌でして。
されどの、既載の通りの、結婚以前に、肺結核にての、「宇多野病院」に、隔離入院<強制入院>でして。治って、戻るに、母拒否、家出したりの、そのままに、老人ホームの、「明星園」でして。
息子共、誕生にての、何度かは、「明星園」に連れてってるですが。親父に、孫見せるのと、息子共には、お爺ちゃんを知らしめるがため、でして。
コレ、何度か、でして。
親父、我が家に、戻るはあっても、外泊、外出での、年2回もあったの、哉の話での。
要は、一緒には、暮らしてえへんしで、残念乍らの、そんなモンやろと。
イヤ、どんな人やったか、知らんで、当然でして。知ってても、馴染み薄く。これが、お爺ちゃんやでと、聞いても、なと。
云うたら、お年玉1つ、くれた、でも無くて。余計に哉と。
我が母、お婆ちゃんなら、同居してるし、重々の承知。
では、あれどの、当方の、祖母の感覚と、息子共にとっての、お婆ちゃん、我が母の、では、相当に違うのではと。そもそもがの、物事に対するの、考え方が、一々の、全くの、違うわと。
まあなあ、明治の祖母と、大正の母でして。
祖母なるは、自分は二の次、三の次ぎで、家族を大切にした人でして。家族大事で、あったですが。
まあ、云うたら、明治の考え方、そのままでして。古い考えでの、厳格、質素倹約。当方、古い考え、正解と、思てるです。
又、長男たるの、我が親父を支えてたです。必ずや、祖父<夫>をも、支えてた筈の。オッとの、嫁姑の問題、話も、あるですが。そんな事、重々承知してるわと。祖母も、母も、産まれたの時から、ズと、一緒なんやでと。
オトトの、次男嫁には、そんな話、までは、してへんですが。
基本、我が祖父の話やわと。多分なら、親父と、祖父を、勘違いした、みたいなれど、です。
(15/05/22)
NO.330 我が祖父の話(2)
そんな事で、5月4日、親父の、25回忌したの、夜。
次男夫婦相手に、祖父の話。
後刻、今頃になっての、良く、良くの、よ考えたら、我が親父の事、尋ねられたみたい、なれどです。
嫁から、お爺さんの事、よ知らんと、夫であるの、次男が云うてると。聞いて、お爺さんねえと、自分の祖父の事と、勘違いして。
我が話の、初っ端から、話、変と、思たやろにの。
冒頭、自分も、祖父の事、実体、よお、知らんのやと。産まれた時には、居てへんしと。あっちは、終戦の年に。こっちは、終戦後の産まれやしと。2年ズレててねえと。
ここで、次男夫婦、当方、勘違いは、分かると、思うですが。そのままの、フン、フンと、耳傾けてくれて。
こっちも、缶酎ハイ飲みつつの、少々、アルコールも入ってもての、赤い顔して、延々のと。元々が、下戸での、次男とは、大違いでして。
次男、何故か、アルコールに強く。
それと、薬剤師してての、その辺りの事かいなあと、勝手に解釈も、致しまして。
いやなあ、実は、次男には、祖父の事、その関係の話なら、してるの積もりでねえ。嫁にも、したの積もりなれどの、多分なら、ホンのチラ哉と。
結果的、祖父の話と、するよりは、我が祖父母の話に相成ってるですが。そらなあ、当方にしても、祖父とは、話出来てませんの、主として、祖母からの、伝聞でして。それも、断片的なるの話でして。
まずは、我が親族で、医療関係となればの、全くのご縁無いかと、なればの、あるです。くどいけど、次男には、薬学志望の件、聞いた時、云うてるですが。
祖母、江州<ごうしゅう>は、滋賀、彦根の出、でして。
その、祖母<二世代昔>の、祖母<四世代昔>なるは、井伊直弼の、孫娘と、同級生でしたと、聞いてると。
その当時、とは、どの当時か、定かに非ずの、祖母の、祖母時代哉の。とは、云うたって、その、どの、当時かが、分からんの。そこまで、聞いてませんの、御典医であったか、単に医者であったのか。
どちにしろの、医者であるとは、聞いててねえ。どの当時なるは、祖母の、祖母の、旦那であるのか。祖母の父親が、医者なんかを、知らんです。もしかしての、代々、医者やったの哉と。
にしたら、何故に、祖母、江州、彦根から、京都に嫁いだかを、知らんわと。
祖母、三姉妹の、長女でして。三姉妹共に、京都に嫁いでるです。当たり前に、2人の妹も、良く、良くの、承知してるです。下の妹、我が家、菩提寺、「光圓寺」の近くでして。松原通りでは、無いの、万寿寺通りなれど、です。
上の妹なら、北大路は、大徳寺の真向かいでして。当時はなと。
実は、その大徳寺の長男。我が親父の、従兄弟に成るですが。コレが、酒豪。コレとは、少々、失礼なるの、呼び方になるですが。
この妹<祖母の>も、親父の従兄弟も、我が家に、よお、来やはったわと。
妹、姉に、愚痴こぼしにで。従兄弟<親父の>は、伯母さんに、何を云いに来てるかと、文句と、までは、申さんの、されどの、矢っ張り、文句哉と。云いに、でして。これが、酒飲んで、酔っぱろおたの状態で、来てねえ。我が家にや。
云うとくの、当時の親戚付き合いなるは、こんな具合の、親密でして。
特に、我が家なるは、色んな方が、よお、来やはったです。
そもそもがの、祖母、長女。親父は、長男。
祖父は、どやったの哉の、よお、知らんでねえ。多分なら、長男やったん、やろなあと。
当家、現、「東大谷祖廟」の、墓地、墓石なるは、祖父の代の、入手でして。ここだけの話の、こんな場所に、所有と、するのか、墓地は、借地権なれどの、入手するに、相応の資力要するです。
莫大でも、無いですが。
大正年代の、入手故に、生前より、入手してるです故、自身の親が墓に入ったの、最初なんやろと。
オッとの、そんな話、までは、してへんですが。
要は、次男の進路、特性に、影響してるの哉の、我が親族からの、類推、説明でして。
その祖母の中手の妹<次女>の長男<親父の従兄弟>の、長男なるは、麻酔関係の医者してると、聞いてるですが。この長男なるは、数歳年長での、当方、小中学生時代にしか、会おてませんでして。
当時、良く、遊んでくれたですが。そのソバの、船岡山公園の、中腹には、池あって。その池で、手作りの、船、スクリュー付きの模型なれどの、浮かばせ、動かしたり。
オトトの、当方作でして。当世のよな、出来合、組立、簡単なるのと、違うぞの。木製の、セメダインで、貼り合わせるの式での、モーター付けて、電池で、スクリュー動かすの式。
木製故、隙間だらけで、スグにも、水侵入で、傾きましての、電池も、モーターも、濡れてもての。動かんよになるわと。
当時の、模型は、そんなモンでして。作るに四苦八苦の、難儀の、イザ、実践で、一発、おしまい。
イヤイヤ、そんな話、までは、してへんですが。
酒飲みと、なればの、この、祖母の妹<次女>の、長男をば、思うです。土木屋でして。自身、大工と、申してた、ですが。一級建築士でして。大学の先輩でも、あるですが。
云うとくの、飲んで、暴れる、では無いです。
我が親父とは、性格異なりの、大人しくは無くの、豪放磊落の、まあ、云うたら、一言でならの、ええ人でして。
酔おたの、勢いにての、文句云いに、来てるは事実なれどの、笑い乍らでして。
何故に、文句かと、なればの、母親の愚痴こぼしに、来てるに、対する、でして。この愚痴、自分に対するの、愚痴でして。中身までは、当方、知らんわと。基本、聞いて、聞かぬ振りの。実際にも、子どもの身分で、大人のしてるの話の理解、不可。
そこの、親父様、祖母の中手の妹のご主人なるは、知らんです。早くに他界でして。
話簡単の、酒豪の親父の従兄弟も、長男での。母親と、一緒に暮らしたはったです。下には、妹居てましての、皆同居。ソ云うたら、その方の奥様、早くに、他界でして。当方、矢っ張り、知らんのやと。
家庭の概要よりの、母親、妹2人やった、哉の、子も含めの、それを、1人で、養おたはったんやでと。よ考えたら、なと。立派也と。
当然の、妹なるは、結婚で、出てった、ですが。
イヤイヤ、当時、どこ様も、そんなモンでして。我が家も、同様での。
長男たる、責任重大、親、弟妹、一家、家族、全部を、背負ててねえ。我が親父も、諸般、云われてるですが。全面的、否定はしやへんですが。
甲斐性無かったは、認めるですが。そやけどなの、母親、弟2人も、同居やでと。少なくともの、住み処提供の、飯喰わしてた、ですが。
されどの、長男として、弟達、妹にも、です。充分には、出来て無いが故に、弟からは、ぼろくそ、ケチョンの、ケチョンでして。
ここで、思うの、充分なる、とは、どこまで哉と。
オトトの、トットの、そんな話、までは、次男夫婦にしてへんわと。
したは、酒豪と、なればの、その方哉と。医療関係と、なればの、どの代か、までは、よお、知らんの、祖母の血統に医者筋居たなあと。麻酔医もと。
ならばの、我が祖父はと、なればの、染料屋。
出生、丹波の篠山と、聞いてるですが。コレ、ホントか、どかが、定かに非ずの、叔父から、聞いててねえ。
ここだけの話、でも無いの。大体が、この上の叔父、冗談多く。今更乍らの、親父、祖母に、その辺りの真相、聞いてえへんを、後悔してるです。
イヤイヤ、チョと、待ての、下の叔父、存命中にでも、聞いとこかいなと。
そらなあ、諸般、当方も、祖母、親父なりから、柴田家の話、祖父の事、聞いてるよで、聞いてえへんで、ねえ。
概ねなら、聞いてるですが。肝心の事、知らんなと。イツでも、聞けるの気で、今日<こんにち>に至ってるです。
下の叔父になら、時々には、会いに行ってるですが。そんな話、までは、してへんで、ねえ。別の話で、終始しての、ほなら、さいならの、又、来るわで、終わってるです。
とかとか、現在唯今、今、思てても、イザ、会えば、聞くを、すかりと、忘れてるが常でして。
(15/05/23)
<番外>
諸般、諸々の、です。
明日<5月24日・日曜日>、町内会の、「春の環境衛生」行事の日でして。要は、草刈りの事、なれど、です。
朝8時集合での、早めに起きんならんわと。
イヤ、常平生、その時間になら、起きてるけれどや。ならばの、正確には、下手して、寝過ごし出来ませんでして。
オッとの、常平生なら、寝過ごしもしやへんけどや。土日には、周辺、静かでねえ。物音、1つ、せぬがあって、ねえ。この物音で、朝の早くに、目を覚まされるが、多く。
イヤイヤ、下手な、云い訳せずの。
余りに、遅くまで、起きてたら、ソラ、寝過ごすの可能性有りでして。
基本、町内会行事には、全て、参加を旨としの。今期、諸般あっての、快くは思てませんですが。それは、それでの、当方、協力出来るは、当然の、協力致すの主義でして。
少々、早めなれどの、寝るに致すです。
ででの、一言のみ、記載なら、です。
我が祖父、昭和20年<1945年5月23日>、69歳にての、他界と、過去帳にと。
ンの、ならばの、本日命日やったんやと。
ゲの、供養してやらんと、なと。今、気が付いたわと。
での、69歳ねえ。コレ、数え年での、ンの、ンンの、誰かの、現年齢と、一緒やでと。
(15/05/24)
<番外2>
本日<5月24日・日曜日>、町内会の、「春の環境衛生」行事の日。
実体、草刈りなれど、です。
イヤイヤ、チャンと、起きられ、集合時間の、8時の、15分前には、指定の場所、会議所前には、到着してたです。
寝過ごしも、6時には、一旦、目を覚ましの、少々早いなと、寝直して。7時には、起床で、朝飯喰いまして。
いやなあ、家出たら、隣のご主人とバッタリの、ほならの、ご一緒にと。での、その時刻になっての、区長挨拶、聞きましての、さあ、自分の組に戻りの、草刈りをと、思いきやの、とあるの宅様、ご主人、土嚢袋を手に、さあと、当方に手渡すし、何事かと。
土嚢袋の目的、溝掃除でして。そんな話、聞いてえへんしで、何事かと。
過年、当方より、溝掃除をしよと、提案したなら、諸般、数名様よりの、反対されて。
実際には、溝掃除は、したですが。諸般の、諸般で、二度とは、こんな、提案なんか、しやへんわと。決心してる、のにです。へえと。
事実、昨年度、当方、組長の時には、一言も、云うてえへんで、ねえ。やろと、なんか、断じて、云わんの、口避けても、申さんが故、やてへんですが。
ほならの、過日、今期になってからの、組の寄り合い、支部会にて、そんな事が決まったですて。
とは、別のご主人から、聞いて、へえの、その会には、当方、出席してませんでして。
理由、出席するも、せんも、その寄り合いの主たるの目的、ゴミ集積場所の件でして。当家には、無関係が故に、呼ばれてえへんで、ねえ。全然の、知らんがな。
云うとくの、やるなら、やるで、やぶさかでは無いです。
しんでも、とかの、反対したり、嫌なるの顔、一切の致しませんですが。
むしろの、過年の事、重々、記憶してるの、承知の上での、積極的、協力致すですが。
突然に、ホイと、土嚢を手渡されてもなあ。まあなあ、多分なら、その方、当方提案と、勘違いしてたの哉と。先様、思うは勝手の、その、ホイと、手渡されてもの、嫌な顔、一切のしやへん、してへん、ですが。
むしろの、ニコリと致しの、受け取りの。何ですのんと。
まさかの、溝掃除を、その方の提案にての、するになるは、夢想だにもの、事でして。事実、違た、ですが。今期、組長提案でして。
再度の、別件での、支部会故に、当家、呼ばれてませんの、出席してませんでして。
での、です。
兎に角、汗ダクダクで、主としての、余所様の溝掃除を積極的、協力致しの、自身のは、真裏手のご主人がやてくれやはって。
嗚呼、すみません。有り難う、御座いますと。最後の少々のみ、手伝うと、するのか、やった、ですが。ソラ、我が家の場所でして。
での、手伝おたの先様、数軒、そこで、溝掃除は、オシマイでして。まあなあ、こっち、我が家の方、比較的、泥も、少なくて。概ね、終盤なれどのと。真裏手のご主人が、やてくれやはったが、故でして。
とは、云うたって、なあと。気持ちや、気持ちの世界でして。
ここだけの、話の、諸般、諸々の、です。
何か、一言、あっても、えやないかと。当方、諸般で、靴から、服から、手からの、ドロドロになって、るんやでと。溝掃除の恰好してへんしと。最低限、長靴履けばよかった、ですが。やてるの最中、ハタと、思た、ですが。ソラ、溝掃除やし、なあと。
最早の、遅かりしの、由良の助、状態でして。
とかとかの、当、「不可思議の世界」の話とは、縁遠く。ここでは、コレ以上の話、割愛致すですが。
にしても、当方も、歳やねえ。
結構、疲れたわと。溝掃除でねえ。諸般諸々の、余計に、疲れたわと。
次ぎ、話あったら、いの一番、我が家の溝をで、余所様なるは、余力あらばの、範疇でと。それで、当たり前やのにと。当方、アホや、なと。
さもなくばの、誰様が手伝おて、くれやはる、やと。真裏手のご主人だけ、でして。そして、当方、自分の場所、ほったらかしでの、余所様のを、やてたでは、全く以ての、ド阿呆。
の、範疇にての、止め置くですが。
コレ、終わって、その、当日には、次男一家、3人で、我が家えと。
結構なるの、嫁に、尋ねたです。
過日、お爺さんの事をの、このお爺さんとは、当方から、見ての、お爺さんで、良かったの怪と。その話をした故でして。
もしかして、もしかしたらの、次男夫婦からしたの、お爺さんとは、我が親父になるし、なあと。
結果、我が解釈の、我がお爺さんの話を、聞きたかったんやと。
へえの、ならばの、結構なると。
又、その話を繰り返しの、致したり。
ででの、本日、溝掃除等々、正直、草臥れたです。歳やなあと。
話は、明日にでもと。
(15/05/25)