シバケンの単なる雑談NO.464
| NO.460 | |||||
| NO.410 | NO.420 | NO.430 | NO.440 | NO.450 | |
| NO.300 | NO.350 | NO.400 | NO.450 | |
| NO.50 | NO.100 | NO.150 | NO.200 | NO.250 |
目次
NO.5010 ドーソー会の話(10) 帰りも、座れたの話
NO.5009 ドーソー会の話(9) 諸般の話(3)
NO.5008 ドーソー会の話(8) 諸般の話(2)
NO.5007 ドーソー会の話(7) 諸般の話(1)
NO.5006 ドーソー会の話(6) 梅田の地下の喫茶店の話
NO.5005 ドーソー会の話(5) 「がんこ豆乳ばーむくーへん」を戴くの話
NO.5004 ドーソー会の話(4) 梅田本店から、曾根崎本店に移動の話
NO.5003 ドーソー会の話(3) イオリ君とは、卒業以来の56年ブリの話
NO.5002 ドーソー会の話(2) 姫路行き新快速には無事乗れたの話
NO.5001 ドーソー会の話(1) 順不同の「がんこ」でのボー年会の話
NO.5001 ドーソー会の話(1) 順不同の「がんこ」でのボー年会の話
いやねえ。
本来、ならばの、日時的、堀川高校の、同窓生で、三重に行ったは、先月、11月19日<水>、20日<木>やしねえ。
大阪、梅田の、「がんこ」の件なるは、昨日<12月5日・土>。
まあ、つまり、話するのなら、順番的、三重行きが先。
なれどの、まあ、ええかと。
「がんこ」の話、立命館大学のドーソー会の話を先にするです。
まあ、簡単には、三重のも、梅田のも、諸般あって、ねえ。思い通りには、進まず。
とか、言うても、我々の、個別の、思惑の範疇の話でねえ。天下国家云々には、関係なくて。
とか、言うたら、三重のは、皆の到着バラバラになって、ねえ。京都組3人。当方、ミノル君、マサノリ君なら、近鉄、京都駅の、改札口での、待ち合わせでねえ。時間通りに、会いの、切符購入で、ガラガラでねえ。電車が、特急が。楽して、行けたですが。
松坂からの、アキラ君。道中、電車には、乗ってたですが、信号機の故障でねえ。停車してもての、何時、復旧して、電車が、動き出すのか、わからんと。皆の衆よ、先、予定通りに、進めといて、頂戴なと、連絡あって。LINEで。
での、アツオ君の方。
名張から、乗車で、座席の番号の連絡あって、ねえ。
それなら、当方の並びやなあと。当方が、1号車の、何列目かの、「D」。アツオ君、その号車の、列の、「A」であると。イヤイヤ、「A」「B」で、通路で、「C」「D」なれどの、LINEで連絡あって、ねえ。
がしかしの、名張駅で、アツオ君が、乗車したの気配なく。且つは、その、「A」ねえ。当初より。京都駅より、女性が着席してるです。
名張で、降りるのかと、思いきやの。そらねえ。LINEでの、連絡では、その席でした。がしかしの、その女性、降りずで、そのままで、ねえ。ゲと。おかしいなあと。
同じの、号車の、マサノリ君、LINEで、尋ねたです。アツオ君に、今、どこやと。ならばの、駅、名張駅であると。へえの、あのなあと。
言うは、我々、京都組の予定なるは、LINEで、全員に、知らせてまして。京都駅発の時刻も、明記。
の、上で、アツオ君、1号車の、何列の、「A」と、打電故、当然の、我々と、一緒の列車かと、思てるがな。がしかしの、状況より、おかしいなあと。その座席には、女性がと。
余計なるの話の、座席を間違おてるの可能性もあって、ねえ。
がしかしの、車掌が、何度も巡回で、特段のと。
それ、言うたら、当方の隣。
当方「D」なれどの、「C」に、座るの、若い君、居てねえ。
当方的、不思議に思たは、この列車、がーらがら。まあ、言うたら、一緒に指定取れば、わかるですが。わざわざの、他人さんと、同じの列、並びに、座席を、取らせるの筈がなくの、案の定の、実は、その君、号車間違いしてて、ねえ。
がしかしの、どこであったか、名張の手前の、特急停車駅で、降りたです。車掌に曰くに、その駅まで、ここに居て、構いませんかと。
あのなあの、正直申しの、迷惑なのは、当方。知らんの君が、隣の座席にねえ。フウンの、変やなあと、思てたです。再度の、がーら、がらやのに、なあと。
とかとか、諸般あって。
近鉄の、宇治山田駅には、京都組3人は、一緒に。なれどの、アツオ君、1つ、遅れて、到着。
アキラ君なら、まだまだ、掛かると。結果的、昼飯喰てから、やねえ。合流出来たは。
実は、結果的、当方的の話、なれどの、前回、同様にしたかった、ですが。
中身、「おかげ横町」の、「赤福」本店から、息子共家、出来れば、妹家等々、直送のつもりしてたですが。断念。
まあなあ。
どの範囲と、なればの、送料に寄るなあと。前回、幾らであったか、失念なれど、です。
どちにしろ、「赤福」ねえ。どこであったか、近鉄「賢島」の駅の、コンビニに、売ってて、ねえ。帰りしな、なれどの、まあなあと。
我が家の分のみ、調達したです。
とするのが、三重、伊勢えの、1泊旅行の、超の概要。
まあ、つまり、結果的、無事には、終えたのけれどの、番狂わせ、ばっかり。
での、昨日の、大学の方の、これは、ボー年会やねえ。12月やし。5日なれど。
大阪、梅田の、「がんこ」。店名「梅田本店」
ここでの筈が、諸般、あっての、場所移動でねえ。タクシーで。「がんこ」の、都合故、費用等々、「がんこ」持ちで。
行った先、多分なら、「曾根崎本店」。
理由ねえ。
途中から、概要理解の、とりあえずは、阪急高槻駅から、ノブユキ君、ヒロシ君と、3人で、梅田駅に到着。
一寸、様子がねえ。その駅から、道路に出たらの、警察官が、居てねえ。消防車も、近辺に、居てねえ。フウンの、火事でも、小火でもあったの哉と。
の、程度の感で、ねえ。
そして、「がんこ」の、店に、到着で、ヒデトシ君。そして、此度、初の、イオリ君と、合流してねえ。「がんこ」前で。
での、モ1人、ケンシン君が、来るですが。まだ、見えずでねえ。ケンイチ君なら、風邪引いてまんねんで、欠席すると。残念や、ねえ。
がしかしの、ええ歳でもあるし、インフルエンザも流行ってるし、ねえ。風邪と、インフルエンザの合成も、困るしねえ。
とかとか、店の方から、まだ、時間前なれどの、店内にと、言われてねえ。
様子より、個室と、するのか、その手、宴会の場でなく、まあ、言うたら、予約でもないの客の席に案内されての、ここで、暫く、待ってくださいと。諸般、準備出来るまで。と、言われたかは、定かに非ずの、案外に、時間、喰てねえ。その席、適当なるの、テーブルの席で。
いやねえ。
ケンシン君にも、連絡してねえ。
要は、皆、店内に入ってるし、なと。とかとか、様子的、何やろ怪の、一向に、席、部屋やねえ。に、案内されずで、ねえ。
イヤ、原則、11時半開店でして。その時刻には、なってるのに、ねえ。
ほならの、店の方から、「曾根崎本店」に、移動をお願いしますと。タクシーでと。へえと。
での、店出たならの、タクシーは、到着してての、道路の方の、様子がねえ。少々の、異様。
言うは、警察のパトカー、消防署の、消防車と、消防団員も、そこらに、居てねえ。矢っ張りの、何か、あったんやと。この界隈で。
と、思たですが。
まあ、言うたら、「がんこ」には、直接の関係はなかった、ですが。話的、消防署から、ガスの点検するに、小火発生。
多分なら、その原因究明なりで、諸般、暫く、ガス停止。
に、でも、なったの哉と。とは、こちの、勝手なるの、推測。
とは、推測なれどの、さもなくばの、移動までは、させへんやろと。わざわざの、タクシー呼んでまで、してねえ。
オットの、どちにしろ、「がんこ」の、多分なら、「曾根崎本店」かと、思うですが。聞いてはいたですが。そんな事、右から、左に、抜けてもて。
とかとか、とりあえずの、席に案内されの、着席しての、まずは、ビールで乾杯や、なあと。
オトトの、その皆が集まってから、店出てるですが。ケンシン君も、到着してからの話の、イオリ君、半世紀ぶりや、なあと。
握手なり、しは、したけれどの、ンの、その当時の、イメージからは、一寸、違うなと。とか、言うたら、ヒデトシ君曰くに、そかなと。替わらへんでと。当方、そかなあと。まあ、言うたら、その当時には、半世紀昔の風貌なるは、モっと、横幅、あったよな、印象でと。
とか、言うたって、ねえ。
学生時代、そんなに、喋っては、ないなあと。
まあ、つまり、出身地を知らんです。聞いても、ないなあと。
まあねえ。
イオリ君も、当方同然の、余り覚えてないと。そやろなあと。
まあなあ。
とは、言えどの、諸般、ボー年会してるの間には、若干なれどの、何とは、なくの、思い出し。とは、言うたって、元々が、接触少なかった、なあと。
(25/12/07)
NO.5002 ドーソー会の話(2) 姫路行き新快速には無事乗れたの話
そんな事で。
いやねえ。
話は、12月5日<金>の、立命館大学の、理工学部電気工学科卒業生の、ボー年会の話をと。
卒業生ねえ。
には、間違いないの、けれどの、何時の話やと。1946年乃至1947年生まれで、原則22歳で卒業。
実際には、1965年入学で、1969年卒業してるになるです。当年2025年故、言うは、半世紀以上経ってるです。
オットの、そんな事で、話を当日の朝に。
とは、行きしなの話やねえ。
要は、JR並河駅9時16分発の電車にと。乗るに、以前なら、9時丁度程度で、間に合おたですが。まあなあ、正直には、途中、少々妖しいと、思えば、早足、駆け足にてと。
がしかしの、最早の、モ一寸、年月経てばの、80歳やでと。
とは、つくづくの、思い知らされてるが、正直の、体力、気力、脚力。とりあえずは、歩行速度、急速に、低下。
とするのか、早足を続けられんわと。しんどい、わと。
よて、少々の早め。
まあ、言うたら、8時50分、目標にしての、家出るを。
まあなあ、大体は、その辺りで、出た、出るの、つもりで、準備万端の、のど飴、ハンカチ、ポケット・ティッシュ持参でねえ。ついでに、トローチも。
且つは、兎に角、金銭あれば、何とか、なるなあと。成るです。間違いなく。
とかとか、家出ての、予定通りの、9時16分発の電車には、乗れたです。
申せば、迷てたですが。「ICOCA」でも、調達するかと。がしかしの、結果的、手出しせず。
言うは、当方的、何回、使うやと。年に。まあなあ、精々が、2回もあればと。中身、高校と、大学の、ドーソー会程度でねえ。他に、用事なく。
かと、言うて、諸般、実は、三重では、あった方が、楽やなあと。とは、思たです。そらなあ、電車にも乗り、バスにも、乗って。三重で。
その都度、幾らや、幾らやと。券買うに、小銭なり、大銭準備してねえ。特には、バスやねえ。距離あるが故、乗車箇所からの、番号で、料金変動してねえ。
且つは、お釣りは出ませんので、予め、料金を準備してくださいと。両替機は、ありますのでと。
まあなあ。
結果、料金替わるの都度、小銭を増やしてねえ。
まあなあ。
丁度の金額、小銭があって、よかったですが。
とかとか、当方以外の面々なら、「ICOCA」あって、ねえ。ピと、かざして、ハイ、おしまい。出しなも、同様に、ピと、かざして、精算出来て。
がしかしの、まだ、「ICOCA」は、入手しておらずでねえ。
但し、諸般、便利やなあと。とは、思たです。理由、超の簡単の、以前には、JRのみであったのが。近鉄が使えるです。申せば、JRも、私鉄も、使えるになってて、ねえ。
更には、バスでも、有効の、使用可能範囲、増えてるなあと。
まあ、言うたら、梅田行きのための、阪急でも、使えてねえ。
まあ、言うたら、小銭不要。但し、その分、チャージしておかねば、使えませんですが。
オットの、いやねえ。
そんな事で、切符なら、現金で、並河駅で、高槻までのを、購入。770円。
は、結構の、京都駅ねえ。9時39分着で、快速<姫路行き>9時45分発。話、簡単の、その間、6分。
まあなあ、極の普通になら、間に合うと、思うです。トイレに行かずの、一直線なら。インバウンドの、旅行客の、キャスター一杯で、進路、塞がれんの限りは、なと。
実は、前回には、旅行客の、キャスター一杯で、突破困難で、結果的、6分では、行けずと、するのか、丁度の、出発してもてねえ。
ざーん念と。
まあなあ。
時間的、余裕あるが故、間には、合おたですが。それは、ヒロシ君が、JRの高槻駅の改札口で、待っててくれての、要は、阪急高槻駅までの、道順知ってるし、ねえ。どて事、なくの、10時42分の、準急に乗れたですが。ノブユキ君とも、合流出来て。
さての、此度ねえ。
そこが、問題也と。
モ一点なるは、寒波襲来で、さての、嵯峨野線が、走ってるかを、懸念した、ですが。まあなあ、正常に、走っててねえ。ヨカツタなあの。ならばの、京都駅で、姫路行きの新快速に、乗れるかが、問題でしたですが。無事に、乗れてねえ。
且つは、座れて、ねえ。結構なると。
まあ、言うたら、偶々の、飛び乗ったの列車には、優先席あって、ねえ。偶々の、空いててねえ。
偶々と、言うは、結構、若手が独占してるです。幸いしたは、それこその、外国人旅行者が居てねえ。そばに。着席しておらずでねえ。要は、一箇所、一席のみ、空いてたです。ヨカツタなあの、外国人には、ありがと、さんと。イヤ、ほんと。日本語で。も、ほんと。
まあなあ。
当方のために、空けてくれてた、でも、ないのけれどや。真正面の、若手チャンねえ。よりは、数段の常識あるです。
いやねえ。
発車までの、間ねえ。30秒程度であったかと、思うです。危なかった、なあと。がしかしの、これが、限度やねえ。
そらねえ。
嵯峨野線なるは、駅の、北の端。
姫路方面ねえ。
ホームの案内、掲示を見乍らの、嗚呼、ここかと、階段降りて。丁度、着いたのところであったかの、出て来るの客、避けての、避けての、乗り込んで。言うてるの、席一席発見の、そこが、優先席であった、です。
まあなあ。
どちにしろ、以て、軽くの間に合うです。阪急の高槻駅からの、梅田行き準急には、45分もあるです。
まあなあ。
実際には、JR高槻駅の、駅員に、尋ねたです。阪急高槻駅には、どんな具合にと。
返答なるは、あっち方向ですと。そこを真っ直ぐの、右手に行けば、阪急高槻駅の、方向が示されてるですと。距離的には、案外にあるですと。サヨですかと。
まあなあ。
案外にあっても、45分もあれば、余程の事のない限りは、間に合うです。
結果的、10分程度で、着いたかと。
とりあえずは、真っ直ぐの道でなくの、ジグザグと、するのか、やねえ。最短には。
まあなあ。
駅に接近したなら、わかるです。前回も、来てるしねえ。次男の件でも、来てるしねえ。
ここから、梅田までは、290円也。
(25/12/08)
NO.5003 ドーソー会の話(3) イオリ君とは、卒業以来の56年ブリの話
そんな事で。
最終的、伊勢行きでも、大阪、梅田行きでも、往復、座れてるです。結構なると。
いやねえ。
最近、中国との関係悪化で、中国では、日本えの旅行、控え目にと、言うてねえ。危険ですて。日本では、中国人がと。へえと。
そんな話、聞いた事、ないですが。あちらでは、日本人が、殺されたり、してるですが。何分の、1人独裁の国。そんな話、大っぴらには、しやへんの、やろなあと。
反対には、日本では、中国人が、危害加えられると、不安を煽りの、あちらさん、官民で、何でもあり。
オトトの、その話でなくての、電車ねえ。比較的の空いててねえ。
特には、並河から、京都。
中国系がどかと、思たですが。元々が、言う程には、見てませんです。従来より。前回、京都駅で、嵯峨野線から、姫路行きホームに移動するに、キャスター軍団に、阻まれたですが。あれねえ。中国人ではないです。当方的には、西欧人かと。
此度、優先席が一席空いててねえ。遠慮なく、座ったですが。その横手で、立ってたの君、どこの国の、やろ怪の、西欧的と、見えたです。
少なくともの、亜細亜系ではないです。
言うは、当方的には、中国系は、余り見ませんです。
オットの、そんな事で、早くに、阪急高槻駅に着いて、ねえ。
かと、言うて、これから、やしねえ。ボー年会は。何か買い物でも。てな訳にも、なと。
イヤイヤ、買いたいのは、お土産的、お菓子類を。
とかとか、高槻駅構内。改札口からは、入っておらずの、かと、言うて、ええ加減にと。切符を買いの、290円で。改札に入って、ねえ。
そやなあと、トイレにも、行って。がしかしの、時間、有り過ぎでして。
まあ、言うたら、梅田行き方面の、最後尾にと。待ち合わせ場所が。その準急に乗るになっててねえ。
まあ、言うたら、プラット・ホームで、ウロウロと。暇で、ねえ。
とか、してたら、ンの、ヒロシ君、到着。無事に着いたかと、尋ねられの、まあなあと。余裕十分やしねえ。
とかとか、待合い室に入って、腰掛けて。暫くしたら、ノブユキ君、現れて。以て、阪急高槻駅から、梅田方面の3人、揃て、ねえ。
結構なると。
いやねえ。
ここから、梅田も、がらがらでして。まあなあ。平日でもあるし、ねえ。
真正面には、外国人カップルが。これも、亜細亜系に非ずの、白人系。
とかとか、ここからが、結構時間掛かるですが。梅田の駅に着いて、道路に出たら、言うてるの、警察官が居てねえ。何か、あったのやろ怪と。
イヤ、全くの、わかるの筈なくの、ンの、消防車も居てねえ。消防署の方も、居てねえ。パトカーも、見てねえ。要は、何か、的なるが、あったのやろなあと。
とは、わかるです。
先日には、京都の先斗町で、小火騒ぎがあったの、みたいでねえ。
梅田で、あっても、不思議でなくて。
イヤイヤ、状況的、ダケの話の、「がんこ」の、「梅田本店」には、無事に到着で、前回には、丁度の、ヒデトシ君が現れたですが。
此度も、ンの、前方見たらの、ヒデトシ君と、モ一名、見えて、ねえ。
言うは、それが、此度初参加の、イオリ君かと。結果、正解であった、です。
店に入る前に、握手して。での、当方の事、わかるかと、問えば、わからんですて。そらなあ。
卒業して以来でして。何年経ってるやの、56年や、ねえ。そら、わからんわの、言うの、イオリ君ねえ。風貌、体型なるが、当時の、印象、イメージから、ズレあって。
そらねえ。
再度の、57年ブリやしねえ。一緒の筈がなく。
言うてるの、この君ねえ。
そらねえ、4年間一緒やしで、何かで、顔も、見てるし、会話の、一回や、二回。してて、当たり前。
言うは、高校なり、大学で、苦手のなり、気が合わんのなんか、皆無。
中学校、小学校では、あった、なあと。
現在、町内会にも、若干の、1名だけやねえ。居てるですが。
まあ、言うたら、高校、大学ねえ。目的一緒やしねえ。大学なら、何かの、ご縁で、一緒になって、ねえ。それも、立命館大学理工学部電気工学科でして。
何言うてるかと、なればの、学科的、1学年150名。これが、全国から、集まってるです。北なら、北海道から。南なら、九州から。
での、この君、イオリ君ねえ。
どこ出身か、知らんでねえ。
現住所も、知らんし、ねえ。諸般の話、あっての、この界隈かと、思てたです。
と、言うのも、ヒデトシ君の誘いで、此度、初参加なれどの、病院<通院>が、どのこのと。その通院あっての、一時には、参加出来ずと、連絡あって。
がしかしに、先生から、病院で、1泊せずで、済むと、言われたが故、来る、参加が出来ると。
てな話故、そかと。所謂の、検査だけ、終えたら、梅田に、来るが出来るのかと。まあ、言うたら、どこの病院か、知らんけれどの、この近くなんやと。
さもなくばの、無理やろと。
と、思ててねえ。
での、諸般、よっく、聞けばの、住所、現住所、金沢ですて。ゲと。
まあ、言うたら、兼六園のソバですて。へえと。
言うてもたらの、「兼六温泉」の、店主してるですて。さよかと。経営者なんやと。
要は、金沢から、来たんかと。
での、ここだけの話。
でも、ないの、そらなあ、喋ってるの内には、じわじわと、思い出しはしたのけれどの、矢張り、当たり前は、当たり前の、当時、学生時代とは、風貌違うなと。
いやねえ。
正直申しの、品があるなあと。品を、感じるなあと。
モと、言うたら、何ちゅうかの、男前。
イヤ、ほんと。
(25/12/09)
NO.5004 ドーソー会の話(4) 梅田本店から、曾根崎本店に移動の話
いやねえ。
ボー年会。
と、するのか、ドーソー会であるのか。どちでも、結構の、偶々の、年末12月になったのダケでして。多分。
と、するのか、幹事君、この場合、選手交代かの、ヒロシ君の筈が、途中から、と、するのか、場所なり、集合時刻、概ねの費用の連絡なるは、ケンイチ君から、でして。電子メールで。
そのケンイチ君、直前と、するのか、何時であったか、2、3日前やねえ。よて、1日、2日の辺りで、風邪引いてもてと。
要は、欠席すると。へえと。
まあなあ。
当世、インフルエンザも流行ってるし、ねえ。風邪に加えての、インフルエンザになってもたら、どもならず。
どちにしろ、ええ歳やしねえ。安全見た方がと。とするのか、欠席と、連絡あったが故、確定なんやと。結果的、ややこしいけれどの、言い出しっぺの、ヒロシ君が代行かと。代行も変なれど、です。当方的には、突如の、ケンイチ君に替わっただけ。
どちにしろ、一名増えて、一名減って。6名にと、相成って。
まあ、言うたら、金沢からの、イオリ君ねえ。当日、12月5日の、主賓。イヤ、ほんと。
言うてるの通りの、当方なら、卒業以来でして。そんなモン、わかるの筈がなく。がしかしの、ヒデトシ君、提供の、断捨離の写真。学生時代の。
の、写真の、こいつかなあと、思しきのがあって、ねえ。イヤ、映っててねえ。
まあ、言うたら、卒業アルバムを見たら、わかるですが。邪魔くさいねえ。
結果的、ヒデトシ君のなら、当方の、「シバケンの天国」に、掲載したです。さもないと、写真では、どこかに、仕舞えば、まあ、見るもせず。
それ言うたら、当方の、ご幼少時代からの、写真ねえ。アルバム何冊か、あるですが。
これを、何とかせねばと。とは、思いの、そのままに、ほったらかし。それこその、ヒデトシ君みたいに、断捨離的、整理整頓、処分したり、何したり、せねばと、思いつつの、そのまんま。
いやねえ。
当方的には、プリンターの、スキャナーで、パソコンに取込の、「シバケンの天国」に、貼り付けるかと。とは、思てるですが。再度の、面倒やしねえ。手着かず。
いやねえ。
そらねえ。
アルバムでは、昔の、分厚いの、アルバムでは、まあ、見やへんわと。そもそもがの、出すに、引っ張り出すに、難儀、難儀の、面倒、面倒。
がしかしの、HP上に貼り付けたら、アップ・ロードしたら、気が向けばの、何時でも、見るが出来るです。
申せば、過年には、そんな写真ねえ。自身のも、学友なりの、でも、HPにねえ。公開ねえ。個人情報云々と、言うのも、居てるしねえ。
それも、あるし、ねえ。
の、以前の、当方自身、その昔より、その手のは、掲載せずと。自己紹介のファイルにも、写真なく。
そらねえ。
開設当時の、何歳やの、27年経つが故、27年昔の、あるいは、それ以前の写真なんか、掲載しててみい。年月経てば、実年齢との、差異生じてねえ。その内には、10年、20年経ってもてみい、詐欺かと。嘘やろと。
ましてやの、若き時代のを、公開しててみい。大嘘になったり、してねえ。がしかしの、その旨、何歳の時のと、明記しとけば、結構かと、思たりも、してねえ。
オットの、どちにしろ、堀川高校と、立命館大学の、ドーソー生の、写真ねえ。
については、公開し、出したです。
理由、超の簡単の、この歳やしねえ。モ、暫くしたら、80歳。こんな爺さんの、写真なんか、誰が、真剣に見るのかと。
見るは、当事者だけ。イヤ、ほんと。
その、当事者も、妖しくて。イヤ、ほんと。
言うは、今更やしねえ。
個人情報、云々ねえ。
妙齢の美女でも、紅顔の美青年、美少年でも、あるまいにと。
再度の、後期高齢者。やでと。
下手に、見てみい。第三者が。ゲと、吐き気の、嘔吐するです。風邪引くです。インフルエンザに掛かるです。腸捻転起こしたり、引きつけ誘発するです。可哀想にと。
まあ、つまり。
そんな風に考えて、ねえ。最早の誰様が、まともに、閲覧するやと、まあ、居てませんの、当事者以外には。その当事者でさえ、この、面々、ドーソー生では、妖しいのにと。イヤ、閲覧するやろ怪と。
まあ、言うたら、そ、言う事。
再度、申すの、後期高齢者になったの頃、そんな風に、思てねえ。遠慮配慮、無用と。
それこその、ユーメー人でも、資産家でも、あらへんわと。資産については、他の面々の状況、知らんですが。
モ、あるし、この、HPから、掲載の写真の面々の、個人情報、判明しての、諸般の、犯罪に影響、関係するよなら、問題なれど、です。
言うてもたらの、管理運営責任者であるの、当方でさえ、その手の事、皆無。それこその、開設以来の、27年やでと。
オトトの、何の話をしたかったの怪と。
いやねえ。
集合は、「がんこ」の、「梅田本店」。
界隈の様子、何か、あった、なあと。とは、思えどの、特段の、自身が影響受けるとなんか、夢にも、思ておらずでねえ。
とりあえず、店内にと、案内されて。テーブル席で、座って、待って。待つは、席の準備出来るまでの、間と、思てたですが。
別途の、団体客。我々みたいな、ドーソー会か、何かの、仲間の、やろなあと。
結構なるの、年配の面々。どれが、どのグループか、わからんですが。結構集まって、来てねえ。人数までは、数えてませんですが。
そして、突如、移動をと、言われてねえ。店の方から。
での、タクシーに乗ってくれと。そして、「がんこ」の、「曾根崎本店」にと、送りますと。へえと。
まあなあ。
こちにしたら、どこでも、結構なるの、只なの、「梅田本店」で、何故に、出来ぬかも、わからんがままにの、タクシーで、「曾根崎本店」に。
但しの、その場所まで、タクシーで、行ったでなくての、よ、わからんの、大通りで、タクシー降りて。降りたら、「がんこ」の店員が店まで、案内してくれたのか、なあと。
要は、皆が、行くの先に、ついてった、ダケ。
そしたら、「がんこ」があったが故、嗚呼、ここかと。
(25/12/10)
NO.5005 ドーソー会の話(5) 「がんこ豆乳ばーむくーへん」を戴くの話
いやねえ。
大阪、梅田。そのものは、何度も、行ってるですが。阪急梅田の、そばの、「がんこ」には、昨年が初。
諸般、あっての、詳しくは、知る訳、あらへんの、誘導、案内、指示されるがままに、タクシーで、分乗して、着いたの先、「がんこ」の、「曾根崎本店」。
当然の、初でして。
いやねえ。
6名様、通された、案内されたの、部屋、まあなあ、適当なるの、本来的10名の部屋なれどの、そこに、6人。結構なると。
がしかしの、何ちゅうかの、すかすかでして。
言うは、寒うてねえ。風通し、良すぎて、ねえ。
何ちゅうても、12月5日でして。師走。
そして、乾杯で、ビール、中ジョッキ飲んで。多分、中と、思うですが。可成り、小さいなあと。とは、当方印象。
なれどの、下戸の、当方的には、この程度で、結構なるの、本当なら、モ一杯、どかなあと、思いはしたけれどの、当方なんか、飲んでも、年何回。1、2、3回程度かと。
そやねえ。
前回なら、11月の、19日、20日の、高校の、やねえ。三重県で。1泊の先の、旅館、民宿の、「魚勘」と、称するの宿。伊勢エビ、鮑が、凄くてねえ。
堪能したです。
オトトの、ビールの話。
では、その時、以来やねえ。その前ねえ。多分なら、真夏の暑い時期。これねえ。町内会から、「夏祭り」実施せずで、お菓子と、ビールを配ってくれたのか、なあと。
そのビール。この場合、缶ビールなれどの、嫁はんと、半分ずつやねえ。で、十分。
ほならの、モ一回飲んでるです。矢っ張りの、夏場に。暑いしねえ。にも、関わらずの、焼肉でもと。喰たのかなあの、時。
オトトの、モ一回あるなあと。正月元旦の、お屠蘇。これは、日本酒。
いやねえ。
当方なんか、その程度。
要は、全くのダメでもあらへんですが。さりとての、がぶがぶと、飲めるでなくて。まあ、言うたら、自分から、飲むねえ。のは、真夏の、1回程度かと。
後は、正月、元旦であったり、ドーソー会で、やねえ。
おまけで、町内会の、「夏祭り」の、代用の缶ビールやねえ。
まあ、言うたら、年に、数えるが出来るの程度の、回数。
オットの、いやねえ。
その昔なら、ドーソー会の話。なれどの、夜の部なりで、所謂の、飲み放題にしてたですが。さもないと、飲み代、大変でして。それで、割り勘にでも、しててみい。当方なんか、飲んで、中ジョッキ2杯やしねえ。勘定合わず。
まあなあ。
それも、年々、加齢と共にの、皆、飲む言うても、知れてるし、ねえ。飲み放題なんか、付けても、勿体ないだけでして。
モ、あるし、夜遅いも、電車なり、帰宅するに大変も、あるし、ねえ。何も、わざわざの、夜の部、飲み放題付きにしんでもと。
要は、昼食<昼の部>に集合で、まあ、言うたら、2時間も、居たら、十分に、過ぎるしねえ。の、上で、二次会なるは、喫茶店でもと。
が、大学の方の、定番になった、なあと。
どちにしろ、当方的には、片道、概ねの、2時間掛かるし、ねえ。梅田の場合の話やでと。並河駅まで、又は、から、徒歩なら、20分、25分の加算やしねえ。自宅まで。
での、喰いモノも、粗方の無くなったの頃、多分なら、「梅田本店」の、チーフ。とか、ヒロシ君、言うてたですが。要は、あちらから、「曾根崎本店」の方に案内してくれたの、「さん」。妙齢の。
が、荷物になるですがと、皆に、手土産、くれて、ねえ。へえと。
要は、諸般、ご迷惑おかけ致しましてと。
くれたのは、何と、まの、「がんこ豆乳ばーむくーへん」。要は、「がんこ」製の、豆乳で、製造の、「ばーむくーへん」。
イヤイヤ、店頭で、売ってたです。1個1080円也でねえ。へえと。
そのチーフ、曰くの通りの、諸般、荷物には、なったのけれどの、ええ、お土産が出来た、なあと。
いやねえ。
店出ての、道中。紙袋ねえ。「ばーむくーへん」入りの。持参の、似たよな、年格好のが、我々以外にも、結構、居てねえ。
要は、あの時、「梅田本店」に居たの面々やろと。皆様、手土産戴いて、結構なるの、ンの、よっく、見たなら、過年の、集合場所であったの、「そねざき警察署」が見えて、ねえ。へえと。
いやねえ。
実際には、地下の方なれどの、広報室か、何かの、辺りで、集合なれどの、懐かしいなあと。
まあなあ。
「曾根崎本店」故、の、近辺かと、思いはしたけれどの、何分の、不案内でねえ。大阪が。
とかとか、過年の場所、シャッターで、閉められてたですが。
オトトの、その近くに、宝くじ売り場、あって、ねえ。ノブユキ君、買わへんかと、言うが故。とするのか、当方的、その昔、この辺りでの、集合の時には、上の方に、売り場があっての、そこで、買おてたですが。
下にあったは、知らんでねえ。
とするのか、諸般、工事、工事でねえ。
売り場の場所、替わったの可能性も、あるなあと。
いやねえ。
前回なら、帰りしなの、京都駅の、地下の改札口前に、売り場があっての、そこで、買おた事、あっての、そこでと、思たですが。
その前回には、京都駅の、その辺り、工事中でねえ。売り場発見出来ずで、断念したですが。
オトトの、言うは、「そねざき」警察署の地下の、そばに、宝くじ売り場ねえ。
どちにしろ、ご縁やなあと、買おて、ねえ。イヤ、ほんと。
ノブユキ君も、買おて、ねえ。イヤ、ほんと。
この君、以前には、どであったか、知らんなと。イヤ、宝くじを、買うの、方やったか、なあと。多分なら、以前には、興味なかったみたいに、思てたですが。
での、地下街ねえ。
当方なんか、この界隈では、いつも、方向感覚妖しくなっての、迷子常習。
まあなあ。
ヒデトシ君が、ここら、詳しいみたいでねえ。諸般、案内してくれるも、どの店も。イヤ、喫茶店を探してるですが。喫茶店なら、あるには、あるのけれどの、6人分の、席と、なると、難しく。
とかとか、言い乍らも、あって、ねえ。但し、横一列で。
まあ、ええかと。
(25/12/11)
NO.5006 ドーソー会の話(6) 梅田の地下の喫茶店の話
いやねえ。
「がんこ」の、「曾根崎本店」出て。
ブラブラと、あてもなく。と、するのか、二次会の喫茶店やねえ。そこらに、ないかと。
平日、5日<金>なれどの、ないねえ。
適当に、「そねざき警察署」の地下の方にと、行って、懐かしいなあと。過年には、この辺りで、集合でして。エイジ君が、幹事でねえ。
イヤ、この君、その手、得意でねえ。上手く、探してくれるです。
当世、ネットで、でも、出来るしねえ。
言うたら、来年の、ドーソー会。実際には、今年に、ヨテーしてたですが。先が、工事中とやらで、ねえ。
イヤイヤ、ヒロシ君の提案で、有馬温泉をば、計画してましての、それを、ほっきゃーどーの、エイジ君が、諸般、検索、探索でと、なっててねえ。
と、するのか、本来なら、今年であった、ですが。先の通りの、工事中故、来年にと。その時には、幹事のエイジ君も参加するですが。そら、幹事やしねえ。
これ、再度の、言い出しっぺは、ヒロシ君。なんやけれどの、結果的、エイジ君が、引き受けて、くれて。
まだ、有馬温泉でと、言うだけで、何にも、決まってませんですが。
まあなあ。暖かくになったの、4月、5月辺りか、なあと、予測してるですが。
どちにしろ、それは、来年の話。
さての、当面、今々には、喫茶店やねえ。
がしかしの、言うてるの、1人、2人、3人程度なら、苦労せずとも、探せるし、あるですが。6人ともなればの、そは、易々の、見つからず。
まあ、言うたら、この界隈、地下街やのに、ねえ。ヒデトシ君、詳しいのらしくてねえ。あっちなら、そっちならと、地下街を探しまくりの、あった、なあ。
但し、6人が1つのテーブルで、輪になって。てな、上手い具合には、なと。横一列故、喋り難い事。
とか、言うよりは、当方的、皆も、なれどの、喉が渇いてねえ。
喫茶店での、コーヒー一杯、美味しく、戴けて。
かと、言うて、横一線では、話の、し難い事。
まあなあ。
偶々なれどの、横手に、イオリ君。
兼六温泉店主の。
言うてるの、この君、学生時代ねえ。イメージ的、覚えてるですが。風貌がねえ。違うです。
違う、言うても、面影なら、あって、ねえ。変な話の、この君、多分、あの君や、なあと。体型、風貌、違うけれどの、それ以外に該当なくて。
での、言うてるの、4年間、一緒やしねえ。
それも、高がの、150名でして。全員と、親しくは、喋ったりは、してませんですが。何等かで、接触はしてるです。
よて、ヒデトシ君の、当時、学生時代の、写真、見ても、嗚呼、これは、あれや、なあと。苗字程度、出て来てねえ。がしかしの、言うてるの、全員と、親しくは、無理。
そらねえ。
学生時代に、実家に行ったり、下宿先に、押し入ったり、してたですが。
此度の、面々なら、ノブユキ君ねえ。学生時代には、そんなに、なれどの、話、簡単の、ロームで、一緒になって、ねえ。
晩年には、一緒の部署やったり、してねえ。奇縁やねえ。
イヤイヤ、この君が、広島出身であるは、学生時代には、知ってたです。下宿先までは、知らんですが。
ヒデトシ君ねえ。
よっく、承知も、出身地知らず。
イヤイヤ、電友会会長をば、10年やった、です。そして、前期で、以て、退任してるです。東芝に居てたも、承知でねえ。
がしかしの、変な話の、現住所知らず。
ヒロシ君ねえ。
学生時代、実家に訪問してるです。大阪のどこであったか、覚えてませんですが。有り体、親父さんと、一緒でねえ。結構、年配の、であったと。記憶。
とか、言うたって、1回だけ、やしねえ。訪問は。
ここだけの話の、他言、どでも、結構の、その訪問の際、彼女と、思うですが。来てて、ねえ。フウンと。だけで、その後は知らず。
ケンシン君ねえ。
京都でねえ。
北野天満宮の近くでねえ。
まあ、言うたら、立命館大学えの、通学路、途上でも、あって、ねえ。かと、言うて、1回だけ、やねえ。訪問したですが。当人不在で、お母さんと、話をしたを、覚えてるです。
当人、否定するですが。
お母さんの話では、当時、市電が走っててねえ。子どもの時、その音だけで、何番の電車か、言い当てたと。
聞いたですが。それを、当人に言うと、それは、兄貴の事やでと。あのなあと。とは、当方反論の、ケンシン君の学友が訪問して、お兄さんの話なんか、聞いてはないわと。貴君の事に、決まってると。
まあなあ。
ここまでで、ヒデトシ君、ケンシン君なら、母校、立命館大学で、先生しててねえ。数年前まで。多分なら、後期高齢者になったの辺りで、退職したのか、なあと。
そして、此度、参加はしてませんですが。
エイジ君ねえ。ほっきゃーどーの。札幌の。
この君ねえ。下宿先が、JR<当時国鉄>の、花園駅の近くでねえ。要は、大学にも、近くてねえ。広い邸宅、お屋敷でして。の、一室やしねえ。気楽でねえ。よっく、行ってるです。
での、ケンイチ君なら、これ又、当時には、実家、大阪の、どこやったのかの、中心部でねえ。学生時代に、その実家に、何人かで、訪問してるです。
いやねえ。この君の、親父さんねえ。立命館大学理工学部電気工学科卒やしねえ。まあ、言うたら、大先輩。
まあ、言うたら、教科書なり。英文のがあっての、その翻訳本まで、所有してて、ねえ。ターマンの本なれどの、ええなあと。
まあ、言うたら、我々の、親世代で、大学ねえ。大したモンです。その親も、大したモンです。相応の資産家であると、言えるです。
そらねえ。
基本、尋常小学校の時代やわと。
高校でも、出てみい。だけでも、立派でねえ。言うたら、中学校でさえ、行けずの時代に、大学やでと。
オトトの、過年、亡くなったですが。ヨシロウ君。
この君ねえ。実は、2浪でねえ。結果、2歳上になるですが。きさくでねえ。独特で、ねえ。イヤ、結構、賢くて、ねえ。
音響にも、趣味あったり、してねえ。色々、教えてくれたり、してねえ。
この君なら、お母さんとの、所謂の、母子家庭。母親と、当人の2人だけ。とか、言うたって、当時、その手、何の珍しくもなくて、ねえ。そこらに、一杯。イヤ、ほんと。
にしたって、大したモンです。の、状況で、この君、大学卒業やしねえ。
言うは、この君、アルバイトなんか、してへんわと。且つは、再度の、2浪。よお、やらせて、くれた、ねえ。
イヤイヤ、ここだけの話。
でもないの、同期の面々で、アルバイト三昧ねえ。してたの、当方のみ。イヤ、ほんと。
(25/12/12)
NO.5007 ドーソー会の話(7) 諸般の話(1)
いやねえ。
とかとか、立命館大学のドーソー生の話、してたら、当時の事、思い出すです。
いやねえ。
エイジ君。
言うてるの、JRの花園駅の近くの、お屋敷やねえ。下宿先が。一室、あてがわれての、6畳一間のええ部屋で、ねえ。
言うてるの、よっく、行ったです。バイクで。スーパー・カブで。
での、君の話の、そこには、お嬢さん、居たはって、ねえ。優秀でねえ。
京都大学生と、聞いてたです。へえと。立派やねえ。何学部までは、聞いたか、聞いてはないか、忘れたですが。多分なら、右から、左かと。
そのご尊顔ねえ。拝した、よな、拝しては、ない、よーなの、極めての、ええ加減。多分なら、現物、間近では、見てはないのかなあと。用事もあらへんし。
オットの、いやねえ。
基本、地方から、京都で、大学通学ねえ。
実家的、内実知らんですが。当方感覚では、相応のと。資産ないなら、親が、相当に頑張らはったんやと。
そらねえ。
地方からでは、衣食住、別途にいるです。別途とは、学資以外に。これ、大変ぞと。
当方なら、何度も、言うの、京都在住故、通えたです。
何度でも、言うの、入学金こそは、親なり、祖母か、なあと。実は、よお、覚えてませんです。親からは、出せへんと。諸般、方々に、売り掛け金あるが故、それを、集金して来いと、言われてねえ。幾ら受けるも、全くの、知らずがままに、行って、ねえ。
そかと、易々の、金なんか、出るのもんかと。
あくまでも、後日の話の、再度の、幾ら、幾らの金銭をと、回収をと。知らんと、からにの、よお、行った、なあ。行かされた、なあと。
当然の、当方では、一件も、一銭も、回収出来ずでねえ。困ったなあと。何度も、確認あっての、大学からの。入金の催促やねえ。
いついつまでに、入金ないなら、入学辞退と、判断すると。当方的には、待って、くれと、調達中と。イヤ、ほんと。
結果的、期限なら、切れてたですが。最後の最後で、間に合おて、ねえ。そこで、ダメなら、ダメと。
この資金、入学金が、どして、揃たかが、思い出せず。
言うは、ドロボーしたでなく。叔父、叔母からは。伯父でもや。そんなモン、出る筈がなくての、親なり、祖母からに、決まってるです。
いやねえ。
運がよかったと、思ててねえ。
定職的、家庭教師の口があって。これは、元々が、京都大学に合格の、親友の、シゲヒロ君からの、紹介でして。そっちに、行ったの、口なれどの、3人で、9000円<一人3000円>でして。京都府立桂高校生でして。
当方には、足、スーパー・カブがあったし、ねえ。受けるが出来たです。
そもそもがの、諸般、足があったが故、方々のアルバイトも、出来て、ねえ。
単発なら、エキストラ、祭礼が、あって、ねえ。京都故、尚更でして。夏、春の長期の、なら、相応に、長期、言うても、休みの期間だけ、なれどの、行った、なあと。
余計なるの話の、基本、家庭教師のアルバイト代だけで、授業料なら、賄えるですが。
何分の、金銭感覚、薄くてねえ。
ノー天気でねえ。教科書も買わずに、日本文学、思想書なり、歴史小説、海外文学等々、読み漁ってねえ。イザ、試験に入るに、オトトの、教科書をと。アルバイトせねばと。徹夜のに、行って、ねえ。千円手に、家に帰って、親、母親から、今日の、オカズ代がないと。言われてねえ。その千円、サと、出した、なあと。
この心境なるは、当方的、長男。
親父も、居てるですが。言うてるの、大学の、授業料、電車賃、教科書代等々も、出してくれへんのにと。
とは、言うたって、一家の生活が掛かって来てる。でも、なくての、気楽は、気楽。家長ではあらへんわと。あくまでも、長男。
とは、親父で、ダメな時には、当方がと。
別途の言い方なら、高校卒業して、即の、就職で、家計、一家を養わんならんの、程の、まあ、言うたら、ビンボーでも、なくて、ねえ。
言うたら、中途半端なるの、無産家。
イヤイヤ、京都なんか、貧富の差、激しくて、ねえ。地域にも、寄るのけれどや。まあ、言うたら、中学校卒業したら、即の、就職なんか、何の珍しいの時代でも、なくて。
言うてるの、当方的、高校進学の時。滑り止めで、京都商業高校受験に行くの時、親父が言うに、公立高校以外、授業料出せへんでと。
結果的、堀川高校受験なるは、背水の陣。イヤ、ほんと。
高校でそんな話やし、なと。
大学の授業料なんか、親から、出るのモンかは、覚悟してたです。
いやねえ。
そんな事で、足なら、スーパー・カブがあったしねえ。何ちゅうても、京都市内在住でして。エキストラなら、太秦もあるし。祭礼なんか、京都には、神社仏閣沢山あるです。
言うは、この手のは、実入りがよくて、ねえ。
余計なるの話の、通常、アルバイト代なるは、時間100円が、この手のは、数時間、3時間、4時間で、千円戴けたです。結構なるの、この手のは、競争激しくて、ねえ。学生課で、募集の張り紙出たら、即の、申込みせねばと。
オットの、当方、言うてるは、立命館大学なるは、当時、ビンボー人のと、なってたけれどの、既に、状況違うわと。
何度でも、言うの、アルバイト三昧と、言う程ではないけれどや。そらねえ。
休み以外なり、所謂の授業があるの日まで、休んで、アルバイトなんかは、余程の時でして。とは、言えどの、あったは、あったのけれどや。
金ないし。家庭教師の定職なければ、通学は、無理であった、なあと。
言うたら、理工学部では、アルバイト三昧では、卒業出来ませんです。失礼乍らの、文系なら、可能かと。
どちにしろ、言うは、裕福でもないと、思えるの君でも、当方みたいに、アルバイトなんか、してるの、居てへんわと。
祭礼、エキストラに、1回。2回はないの、程度の、偶々のなら、学友で、一緒のが、居たですが。シゲアキ君やねえ。彼、大阪の会社に勤めたですが。ドーソー会にも、顔出してたですが。数回。
何回目、何年経つやの、20年はと、思うですが。ドーソー会終えて、帰りの道中で消えて、ねえ。言うは、ドーソー会なるは、当時大阪、梅田やしねえ。彼、シゲアキ君なら、土地勘あっての、詳しい筈の、当方とは違うしねえ。ダアレも、心配せず。
で、あった、ですが。後刻、後日、後年、亡くなったと、風の便りで。
結果的、そのフラフラと、消えたのドーソー会が、最後になった、なあと。
この君とは、エキストラやねえ。
一緒に行ったを、覚えてるです。但し、1回だけ。
出身地、九州、宮崎の君で、一浪と、聞いてたです。まあなあ。実家がどのこのの、話は知らんです。単に、一寸、オコズカイがの程度であったかと。その手、アルバイトを、当方みたいに、探してはないです。そもそもがの、夏、春の、休みでは、帰郷してるし、ねえ。
再度の、地方から、京都に来て、下宿なり、してるの身で、何のアルバイトもせずに、ねえ。全面的、親元からの、仕送りになるねえ。親、大変やねえ。
がしかし、四年間、保ったんやと。親が。
まあなあ。
地方ではなくの、下宿でなくの、大阪からの、毎日の通学でも、大変ぞと。
この場合、長期休日の間でないと、アルバイトなんか、出来ませんですが。大学の斡旋では、大阪までは、ないやろ、なあと。
言うは、遠方なら、休みになって、帰郷するにも、電車賃バカには、ならんわと。
何の話をと。
いやねえ。
諸般、聞く、聞かされる事、あるのけれどの、概ねなら、一緒にアルバイトなんか、してへんの面々、実家が、学資工面してるのやろと。
その余裕と、申せば、何やけれどの、あるの親元なんやと。
オットの、さりとての、当方的、悲壮感なんか、あらへんわと。
幸いにして、定職あったし、ねえ。元々が、計画性ないの、金銭的ノー天気故。
この歳になっても、今だ、一緒。万事、嫁はん任せ。
(25/12/13)
NO.5008 ドーソー会の話(8) 諸般の話(2)
いやねえ。
イオリ君。
金沢、兼六園の、兼六温泉店長。
いつから、かは、聞いたか、聞いてはないかは、失念。
とりあえず、親がやってたと。結果的、それを、継いだんやねえ。がしかし、定年してから、やろか、なあと。そんなに、詳しくは、聞いてませんでして。
聞いてても、正直、歳やしねえ。聞いたの都度、右から、左にと、スと、抜けるです。
抜けても、何とも、思てもおらずの、それこその、歳やなあで、済ますです。
いやねえ。
彼、えらい、ねえ。
反面では、親、資産家で、よかった、ねえ。
イヤ、ほんと。
オットの、親の借金あってと、聞いたです。彼自身は、しかるべくの、会社に就職して、ねえ。
どんな具合には、とりあえず、一家の生活するの、なるは、彼の勤め先の、給料でと。
まあなあ、それは、誰しもの、一緒の、当たり前。
での、その借金ねえ。親の、なれどの、それは、その温泉、屋号、そのままの、「兼六温泉」。イヤ、後刻、先日、HPなら、検索、探索、閲覧したです。
何種かの、HPなり、紹介あっての、店主の紹介も、されてるのが、あって、ねえ。写真で、嗚呼、彼やと。
言うは、その借金、当然の返済したと。風呂からの、収益は、全て、返済に充てたと、聞いて、ねえ。大したモンやと。イヤ、ほんと。
当方の場合なら、その手、資産なく。家、借家やったし、ねえ。借金も、ないけれどや。
家は、大変ぞと。
まあなあ。
その昔でなくての、一定の収入あれば、ローンで、家、買う、建てるは出来るですが。まあ、言うたら、ン十年、基本、25年、30年、35年でして。返済出来るのが。
当家も、何年経つやの、25年であったかの、55歳辺りやねえ。家のローンなら、返済して、現在なら、銀行の抵当権外れてるです。
まあ、つまり、完全なるの、当方所有。
オットの、とっとの、余計なるの話の、その喫茶店での話の、我々の親世代なら、戦時中には、軽くの成人してるです。
言うは、当方なら、戦後生まれ。なれどの、1947年やし、なと。終戦なるは、1945年<昭和20年>。
当家、親父なるは、戦争には、行ってませんですが。長男故。
次男、政治郎が、徴兵され、満州で、戦死。相手国、まさしくの、ソ連。不可侵条約破って、ねえ。ソ連であれ、ロシアであれ、一緒。
オットの、政治郎は、未婚で、徴兵で、満州にて、戦死でねえ。家族居らずが故、当家で、守ってるです。当家、墓地にと。但し、遺骨はないです。何もないです。
書類のみ。
言うは、イオリ君の親、父親も、満州に行ってたですて。兵士としてでなく。当時なら、「理想郷満州国」とも、言われてて、ねえ。
何をされてたかは、知らんですが。現地では、町長みたいな事、させられてた、とか。
で、問題は、ソ連軍が、押し寄せまして。イオリ君の、お父さん、負傷したですて。焼夷弾で、手の指、失ったと。へえの、大変やったんやと。
とかとか、言うても、命あれば、結構なると。の、状況でして。当時の、満州国からの、疎開は。
と言うも、我が家、叔父、次男ねえ。戦死してるです。
がしかしの、変な話の、戦死故、その親、我が祖母やねえ。は、恩給を戴いてるです。結構なるの、額であったかと。その額までは、当方的、知らんですが。
言うたって、終戦1945年<昭和20年>で、戦死云々、認められたは、その7年後の、1952年。
その間、全くと、までは、言わんですが。
生死不明でねえ。
言うは、母方の、下の伯父の場合、シベリアに抑留されてたですて。よお、生きて、戻れた、なあと。
とは、思うですが。何分の、多くの兵士、捕虜になりの、シベリアで、強制労働で、亡くなってるの方、多くてねえ。
がしかしの、伯父は、その話、全くのせず。
聞いてたは、足に、銃弾が、入ってて、そのまんまと。その箇所、見せられたの事、あったの、けれどの、当たり前の、既に、傷ふさがっててねえ。一寸した、傷跡だけ。
いやねえ。
何れにせよ、京都で、徴兵されたの面々なるは、満州やったんやと。満州故、捕虜は、シベリア。
当家、叔父は、戦死故、戻れずで、恩給が、親に支給されたです。結果的には、一番に親孝行なるの、息子になった、なあと。
イヤ、当たり前に、親であれ、当方的、血縁親族の、真意なるは、生きて、戻って、くれてたら、なあと。これが、本音なれどの、実際には、戦死でねえ。
戻れずでの、結果、恩給が、親にで、親的には、資金が出来たになるです。
さもなくばの、親、言うても、何の収入もなく。恩給戴き、息が出来たになるなあと。
そらねえ。
余程に、稼ぎがないと、親に、オコズカイなんか、出せず。
がしかしの、その当時なら、子が、親を養おて、当たり前。当世みたいな、一人前になれば。とするのか、学校出たら、親元離れるねえ。
結婚しても、別居ねえ。所謂の、核家族ねえ。珍しいの事、やった、なあと。
いやねえ。
イオリ君家の、詳しい話なんか、知らんですが。
要点のみなら、要は、イオリ君、勤め先の収入で、一家が生活をして。温泉<銭湯>の、収益なるは、全額、借金返済にと。えらい、ねえ。
但し、その資産があるの分、ええなあと。
とは、無産階級の、当方印象。
イヤイヤ、言うは、結果的、イオリ君の場合、生まれて、育ったの地に住み続けるが出来て。
当方なら、何分の、借家であったが故、居てられず。当然の、売って頂戴なと、家主に、交渉したの、けれどの、青二才で、無産、無貯金では、お話にならず。
(25/12/14)
NO.5009 ドーソー会の話(9) 諸般の話(3)
いやねえ。
何度でもの、イオリ君。
何度でもの、言うの、男前でねえ。気品があって、ねえ。人相的の、受けるの印象が。
当然の、あくまでもの、当方、評価。
がしかしの、基本、基準なるは、好みも、あると、思うですが。概ね一緒ではと。
反対には、気品の全くの、ないのが、居てるですが。これが、多いんや、なあと。
まあなあ。フツーで、結構。
まあなあ。大抵ならばの、個々人の判断、評価基準で、多くを判断、分類されてると、思うです。かと、言うて、あんた、品がないなあ。下品やなあ。とは、面と、向かっては言えず。余程でないと。
さての、イオリ君の話で、思い出すは、焼夷弾とか、傷痍軍人。
変な話の、戦死なら、その親族に、恩給支給。がしかしの、負傷では、一銭も、出ませんです。この差、大きくて。
いやねえ。
焼夷弾でと、イオリ君から、聞いて、ねえ。我が、ご幼少時代には、焼夷弾が、焼夷弾がと、聞いたです。とか、言うても、京都は、空襲受けておらず。
話は、映画なり、テレビでの事。
要は、戦闘員、非戦闘員と、区別なく、空襲では、焼夷弾が、バラまかれたですて。結果、火災が発生したり、死傷したり。足を、手をやられたり、してねえ。
非戦闘員では、死んでも、負傷しても、一銭も出ませんでして。
よて、ある意味、当家、叔父、政治郎は、戦死で、親孝行したと。当然の、誰しもの、生きて帰還して欲しいと、心底思てるですが。これ又、正直、負傷の度合いもあるです。
足を、手を、腕を無くした方、多く。
特には、兵士で、その手の方の場合、帰還しても、働くが出来ずでねえ。
有り体、申せば、四条大橋で、その手の方、物乞いしてたです。まあ、言うたら、乞食やねえ。あの、四条大橋の両側に、一杯。
中には、本物の乞食が居たり。それと、傷痍軍人が、混ざって、物乞いしてたです。
当方、子どもでも、それ、見たら、オコズカイなんか、あらへんのに、なけなしの、1円、10円をと。イヤ、ほんと。
当方的、その手の事には、弱くてねえ。何かと。役に、手助けしたいと。
とは、別途の、家にも、来たです。傷痍軍人が。杖突いて。片足で。
来られたら、五月蠅いとか、出てけ。とも、言えずで、それこその、親なり、祖母に言うて、1円、5円。
オトトの、言うておくの、その当時の、1円、5円なるは、相応の額でして。もしかしたらの、50倍、100倍かと。当世の。
ならばの、そんな高額、出してえへんなあと。1銭、10銭、かも、なあと。まあ、言うたら、当方的、小学生時代までは、辺りまでは、銭が、立派に使えてたです。
オトトの、乞食ねえ。
当世、ホーム・レスとも、称するですが。基本的、四条大橋では、見ずとなり、半世紀近く、経つなあと。
がしかし、京都駅の八条口の方の、地下の入口附近には、諸般、目立つの事もあったですが。
そこは、概ねの、30年程やねえ。経つの、頃まで、やねえ。乞食と、までは、申さんの、ホーム・レスを。
ンの、ホーム・レスと、乞食とで、何が違うかと、言うたら、乞食には、別途、住処があるです。物乞いしてるは、人の集まるの場所の、言うてるの、四条大橋なら、通行人多くてねえ。
時には、当方みたいな、その手のに、弱いのが、小銭投入してくれるかもと。
対して、ホーム・レスは、基本、物乞いなんか、しておらず。雨露、しのげるの、地下街とか、場合により、公園なりに、小屋設営したり、してねえ。段ボールとか、ブルー・シートとか、適当に集めて、ねえ。
当然の、詳しくは、知らんですが。
必ずしもの、金がない。とも、言えずでねえ。あくまでもの、家がないと。但し、雨露しのげるの、場所は確保してるかと。
これは、時代の背景と、共にも、発生したり、消滅したり。まあなあ、絶えるはないかと。
がしかしの、所謂の、町に、その手のが、その手の姿、格好で、現れるは、まあ、ないなあと。当世では。がしかしの、30年経つの辺りまでは、言うてるの、駅の辺りでは、見掛けた、なあと。
ンの、何の話ねえ。
傷痍軍人も、見たは、方々に訪れたは、当方的、精々が、小学生辺り、まで、やねえ。とか、言うたら、13歳で、終戦からは、15年になるです。
15年もは、四条大橋で、物乞いしてられへんわと。
基本、どこかに、収容されたか、死に絶えたのか。落ち着き先出来たのかは、知らんですが。急速に、見ずになった、なあと。
がしかしの、反対には、ホーム・レスがと。
での、その昔、当方的、ご幼少時代には、四条大橋で、一番に辛く見たのは、母子で、子が、赤ちゃんでねえ。まあ、言うたら、夏場は結構も、冬場に、寒いの格好で、毛布一枚、橋は、コンクリートやのに、寝かされてたり、してねえ。お母さんと、思しきも、その毛布一枚、汚いのに、寝てたり、してねえ。
それ言うたら、その四条大橋の下。鴨川やねえ。堤防には、穴あって。排水のと、思うですが。そこで、生活してるのが、居てねえ。
正直言うて、大雨降ったら、どするのかと。鴨川は、水嵩増えるし、穴ねえ。土管ねえ。排水の、やしねえ。水が流れて来たら、大変やでと。
まあなあ。
監視してるでないですが。その手、大雨あったの、後日には、注視したですが。嗚呼の、まだ、居てるなと。変な具合に、安心したり。
これも、概ねの、半世紀の昔には、消えてるです。どこか、施設に収容されたか、死に絶えたか、別の先、見付けたのかと。
いやねえ。
少々、話、逸れるですが。
当世なら、高齢の、男女多くてねえ。高齢とは、当方世代、後期高齢者辺り。或いは、それ以上を言うてるですが。
兎に角、多いねえ。
どこに、行っても、目立つねえ。人数的。
そこで、言うは、当方、我々世代が、若い頃。まだまだ、若造の頃に、なんか、所謂の、お爺さんなんか、珍しかった、かと。
少なくともの、我が町内、喜吉荒神町には、居てへんかった、なあと。
格致小学校区を眺めても、居てたのか、なあと。居ては、いても、極めての、少数であったかと。その点、お婆さんなら、結構居てたです。
現に、当家、祖母居たし、ねえ。骨折するまでは、元気、元気で、杖もなくの、歩いてたです。
がしかしの、再度の、お爺さんねえ。当家、祖父なら、当方、生まれるの2年前。69歳で。
申せば、この、69歳ねえ。男としたら、長寿の方かと。そらねえ。概ねの、70歳でして。
当方、承知は、狭いの範囲なれどの、むしろの、学友には、母子家庭多く。言うておくの、当方世代、戦後の生まれでして。終戦から、2年経過。故に、父親が亡くなってるは、戦争ではないです。
そこから、考えた、ならばの、当世、学友ねえ。78歳、79歳、80歳やしねえ。
当家、祖父よりも、10年長くの生存してるです。
まあ、言うたら、立派。
しかも、ドーソー会に、参加出来てるです。凄いなと。
思うの反面、そんなのが、結構居てるですが。それは、動いてる、動けてるのが、目立ってるのだけでねえ。あくまでもの、健康寿命なら、72歳辺りで、平均寿命では、82歳。
ならばの、後、数年かと。イヤ、ほんと。
数字上、トーケー的には。
(25/12/15)
NO.5010 ドーソー会の話(10) 帰りも、座れたの話
いやねえ。
当方世代、なるは、何度でも言うの、戦後の生まれ。
終戦、1945年で、当方なら、1947年やし、なと。戦争体験してませんです。
がしかしの、その痕跡、臭いなるは、漂おてたです。
言うは、四条大橋に行けば、傷痍軍人が、白い衣服、病院服なんやねえ。多分。着て、基本的には、立ってたです。足が、腕が、無くて、ねえ。
或いは、時には、家まで、来たです。物乞いに。
申せば、托鉢僧が。禅宗の、修行僧が。この手、傷痍軍人が、家々を回ってたです。それが、京都の市内の状況。且つは、中心部やねえ。
端々では、家もまばらやし、ねえ。中心部なら、密集してまして。
映画、漫画でも、その手のが、多くてねえ。自身、体験なんか、してませんですが。戦争は、悲惨やったんやと。
日本の戦争映画で、勇敢に、云々のは、少なくて。勇敢云々求めるの、ならばの、チャンバラやねえ。
丹下左膳、鞍馬天狗、月形半平太、月形龍之介等々の、竜之介は、俳優ですが。
てな、具合に、並べても、当世では、通用しやへんのか、なあと。イヤ、それ、誰と。知らんでと。
オットの、てな話で、時過ぎて。
さての、ぼちぼちの、解散するかと。何分の、当方なら、2時間掛かるしねえ。我が家まで。最寄りの駅、並河駅から、徒歩概ねの、20分やしねえ。
いやねえ。
とかとか、喫茶店出て、諸般、又なあと、お暇してねえ。
さての、イオリ君は、来年の、有馬温泉に参加するかは、わからんですが。何分の、金沢やしねえ。温泉屋店主やしねえ。がしかしの、余所を知るも、宜しいかと。
オットの、いやねえ。
当方的、前回ねえ。帰途ねえ。乗り換えたの記憶は無くて。言うは、阪急は、乗ってえへんなあと。JRで、一発に、帰ってるなあと。京都駅までは。
当然の、そこから、嵯峨野線に乗り換えなれど、です。
とか、言うても、この場、現在地ねえ。当方的、右も、左も、全くのと。よて、一緒に来たの、ノブユキ君、ヒロシ君に、大阪駅までは、一緒にと。
いやなあの、高槻なら、JRでも、阪急でも、どちでも、ええのなら、JRで、帰って頂戴なと。
まあ、言うたら、高槻まで、一緒してくれと。イヤ、ほんと。
の、程に、道知らんでねえ。言うてるの、大阪なんか、精々が、年1回。それも、昨年と、その前なんか、何時の事かの、二十年は経つなあと。そらなあ。
エイジ君が、大阪に居たの時でして。ほっきゃーどーに帰ってからは、用事もあらへんわと。単に昨年に、大阪、梅田の、「がんこ」になったのダケでして。
オトトの、そんな次第で、大阪駅ねえ。JRの。
には、到着で、当方なら、「ICOCA」を所有せずで、券売機で、切符を買わねばの、こんな場合、一々の不便やねえ。
がしかしの、券売機に集まってるの面々、結構、多いねえ。
てな、状況にての、大阪駅から、並河ねえ。たっかい、ねえ。1170円ですて。ゲと。
は、結構の、ヒロシ君、諸般あっての、商業センター、何タラに用事あっての、行くしと。サヨかと。
結果、ノブユキ君と、高槻までは、一緒やなあと。
は、結構の、改札が、何ちゅうかの、切符が出来ずでねえ。その、改札口では。言うは、ノブユキ君、「ICOCA」所有故、ピと、かざしての、通過でねえ。
当方的、そこの全台、見たけれどの、要は、「ICカード」専用ですて。切符ダメと。へえの、ど、せえの、それ、出来るの箇所、改札口探さねばの、仕方がないの、その隣、横手にあっての、ホと、安堵の、そこに、ノブユキ君も、居てて、くれて、ねえ。
曰くに、あそこは、切符はアカンのやなあと。そなんやと。当世、アナログ世代、アナログ人間は、閉め出されるんやなあと。
かと、言うて、尚、現時点、「ICOCA」の調達、悩むですが。
とかとか、京都線のホームに行けば、何ちゅうかの、新快速、快速とか、種々あって、ねえ。
まあ、言うたら、新快速なら、高槻に停まりの、次ぎ、京都。但しの、座れるか、どかや、なあと。とは、ノブユキ君。
まあなあ、早く京都に着くの方がと、新快速にしたですが。
いやねえ。
着いて、即の、乗れば、あった、なあ。席2つ。
ノブユキ君と、ヨカツタなあと。ほんまやなあと。
それにしても、大入り満車でねえ。
とかとか、結果的には、此度、大阪、梅田行きも、往復、座れてねえ。結構なると。
イヤイヤ、その昔なら、ズと、立ってたですが。立つも、苦には、ならずでねえ。とは、60歳、65歳辺りまでかと。所謂の、前期高齢者になってからは、基本、座るにしてるです。
そらなあ、しんどいわと。
ましてやの、現在唯今、後期高齢者。何の遠慮がいるのモンかと。とは、空いて、たらの話、なれど、です。
(25/12/16)