不可思議の世界NO.36

京都・亀岡の良く当たる占い師の話

京都でよく当たる占い師は?
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目次

不可思議NO.37

NO.390 夢見で、迷子になるの話(1) 1箇月は経つの、記憶してるの夢の話

NO.389 悪い事も、慶事も、重なるの話(15) 万事、そ云う事、なんやの話

NO.388 悪い事も、慶事も、重なるの話(14) ご先祖様、守護霊の話

NO.387 悪い事も、慶事も、重なるの話(13) さての、次ぎ、慶事であれの話

NO.386 悪い事も、慶事も、重なるの話(12) 名実共の喪が明けるの話

NO.385 悪い事も、慶事も、重なるの話(11) 九死に一生の話

NO.384 悪い事も、慶事も、重なるの話(10) 諸般の心配のタネの話

NO.383 悪い事も、慶事も、重なるの話(9) チョとだけ、祖母の話

NO.382 悪い事も、慶事も、重なるの話(8) 妹の時の話

NO.381 悪い事も、慶事も、重なるの話(7) 叔父を盗られたの話

不可思議NO.35


NO.381 悪い事も、慶事も、重なるの話(7) 叔父を盗られたの話

本日<7月3日・日曜日>、墓参。
朝方、曇天故、その積もりで、出たですが。
「東本願寺祖廟」に着いたの頃から、晴れ間出て。この晴れ間、曲者での、墓掃除等々してるの間、暑うてね。汗タラタラの、コマツタなと。
イヤ、晴れてたなら、帽子でもを、持参する積もりが、ええやろと、持たずに出たは、甘かったなと。
にしてもの、暑いもあるけれどの、当家、墓石までの、道中、しんどおて。足が、上がらんでねえ。ンの、今の、この歳で、そんな事、云うてたら、今後、益々の、大変に成るぞと。

イヤイヤ、これも、健康と、体力、気力の、バロメーターでして。
そらなの、病気してたら、怪我してたら、墓参もままならず。とか、考え出した自分を、ハタと、歳喰たんやなと。
との、この考え、感覚、ゾとするなと。

でや、話、戻るのけどや。
仏光寺時代。
上の叔父が結婚で、家を出てしもての、叔母に、叔父を盗られた的、感覚、覚えたなと。何分の、当方、中学生の時、やしなと。
祖母には、度々の、ミカン等、届けて呉れと、お使い、頼まれて。自転車にて、九条通りの、叔父宅えと。その当時には、アパート暮らし、してたですが。
叔父が寝てたら、叔母、当方に、気ぃ使て。ンの、当方、中学生乍らも、叔母の気持ち、顔見たら、読み取ってもててね。叔母の気持ちをや。

当方から、したらの、実の叔父でして。
遂の昨日、一昨日、先週、先月までは、一緒の屋根の下に暮らしてたんやと。コレ、何を云うてるかと、なればの、叔母よりも、こちの方が、叔父の事、よお、知ってるわと。
奇妙なるの、気ぃ使てもらうの事、あらへんでして。使われてるを、感じるだけで、嫌やったなと。
この感覚、益々の、叔母に、叔父盗られ、叔父が、遠くえ行ってもた、よな、でして。

只なの、叔父が、一度だけ、なれどの。
当方、高校生になったの頃哉の。当時には、叔父、「京都みなみ会館<映画館>」に勤めてて。当時には、「みなみ会館」では無く、「南会館」であったの記憶あるですが。
そんな事よりも、タケオ、ええモン、見せてやると。イヤ、アパートから、「みなみ会館」には、近くてね。歩いて、スグの、そこでね。
まあ、云うたら、裏口から、映画館に入らせてもろての、入ったの場所、事も、あろにの、映写機室。

いやなあ、当時、映画館に休みの日、あらへんが定番なれどの、この時も、実際に、放映してた筈での。現、放映してるの、映写機室に入ってね。ホレ、こんな具合に、やってるんやと。映画をや。
ンの、何の映画かは、全くの、覚えてえへんけどや。少なくともの、成人映画では、無くて。
いやなあの、正直申しの、大体は、京都、中心部の映画館では、成人映画なんか、やらんでねえ。端々に、成れば、成るの程に、その手、映画をやてたですが。
「みなみ会館」でも、一部、一時なら、その手、成人映画も放映してたと、思うのけどや。
まさかの、そんな時に、甥であるの、当方。それも、中学生や、高校生に、叔父たる、見せる事、絶対にあらへんわと。

只なの、何故か、放映してるのに、叔父と、当方以外、ダアレも、居てへんでねえ。居てへん故、入れて呉れたと、思てるですが。ならばの、叔父が、映写機室の担当であったの哉の。ならばの、ならばで、何故に自宅に居たか、当方、連れて、入ったのかが、分からんのけどや。
その時の様子なるは、イヤ、映写機室での、叔父がで。大層、喜んでたわと。そして、高級機器を、一々の、これがなと、何で、何するの機械でと、細々、教えて呉れたですが。当方も、興味津々での。

それもあるし、そもそもがの、当方、感覚的、京都の端の映画館に、入るの事、あらへんです。
そらなの、当時には、我が家から、歩いて行けるの四条大宮には、2つもの、映画館あって。遠の昔に、潰れてもてるのけどや。そこになら、母に連れられ、よお、入ったわと。
要は、チャンバラ物、戦争物、怪獣、怪談物でして。

での、次ぎには、大学生時代、下の叔父が、結婚にての、出てもたですが。
ここも、結婚当初には、百万遍の方。方だけに、止め置くの、ここは、祖母と、一緒にも。母とも、行ってるのけどや。
最初、祖母と、であったの哉の、場所、分からんでねえ。当時、下の叔父も、結婚してから、アパート暮らしなれどです。それまでは、方向、全くの反対の、伏見、上鳥羽の方に間借りして、住んでたたですが。

これは、当方、高校進学してからでして。
結果、2階の部屋、なるが、空いてもての、当方、移動したですが。それまでは、自分の部屋なんか、あらへんわと。
2階に移動も、自分の部屋的、感覚あらへんのけどや。表側には、祖母が、寝てたしなと。真ん中の方、叔父達が居て、2人共、出てもた故、そこを、当方、独占したのだけ。
ついでになら、祖母、骨折で、下の居間に降りてからは、妹が、一緒の部屋に相成ったのけどや。

オッとの、それでや。話、若干の戻しの、百万遍の、下の叔父夫婦の、住むのアパートをば、探すに苦労してねえ。
実は、最初、道に迷いの、入り込んだの、辺り、所謂の部落。とするのか、長屋風の場所での。祖母と、一緒に、コマツタなと。
いやなあ、デカい、とするのか、寺の界隈に、迷い込んでもて。そらなの、当時には、諸般、諸々の、この手、部落か、長屋風のは、そこらに一杯、あったわと。部落と、長屋では、意味、少々、イヤ、可成りの違うのけどや。

話、逸らせてもたら、界隈、異臭放のてるわと。何の匂い、かと、なればの、糞尿。
でや、所謂の、難民キャンプ、或いは、スラムと、称されるの界隈なるは、こんな具合、なんやろと。
そらなの、衛生状態、極悪。水道、排水なるが、適当での。便所も、まとも、なるが、あらへんでして。

トトトの、トットの、叔父の住み出したの、アパートなるは、そちでは、あらへんわと。
只なの、瞬時、疑おたのけどや。小さい、一間、二間の、アパートやと、聞いてた故の。まさかの、なと。ここなら、アパートで無くての、長屋やわと。

でや、やとの事で、アパート見つけ。入るに、鍵、掛かってえへんでね。
とするのか、フック式の超の簡単なるでの。これでは、出しな、掛けられるのけどや。掛けても、こんなモン、倉庫やあるまいにの、中からは、掛けられへんの式での。
とは、当方、記憶、極めての曖昧なれどの、祖母と、コマツタなと。

理由簡単の、我が家でなら、そもそもがの、鍵掛かるの部屋が無く。玄関にしたって、鍵あらへんでして。それでも、泥棒なんか、入らんですが。当時はなと。
叔父の部屋、二階も、一々の、ノックしたりの、一切あらへんの。ノックするのドアが無く。2階に上がったの、そこが、叔父の部屋で、手前、祖母の部屋。その仕切りも、一切の、あらへんわいと。

されどの、アパートの鍵、掛けて無いは、チョと、あかんでと。
我が家<仏光寺の家>とは、違うわと。
云うてる、思たは、我が家なら、誰かが、居てるです。祖母、親父、母、当方、妹でして。この時にはなと。叔父達、出てもた故でして。
祖母とは、言葉にせぬも、あのなあの、新婚夫婦が、戸締まり、悪過ぎるぞと。周辺の状況、期せずしての、知ればの、尚更での。

とかとかの、この時、思たは、鍵掛かって無いは、アカンのけどの。
ノックなり、せねば、ならぬ、なと。
での、コンコンと、ノックすれどの、応答無くて。ンと。
叔父の名呼び、タケオやけどと。お婆ちゃんも、一緒やでと、外から、声掛けの、返事があらへんでね。
かと、申しの、開けて、ええやら、悪いのやらの。従前とは、まるきりの、違うの、気ぃ使て。祖母も、当方もや。あほらしいなと、思いつつの。

そらなの、叔父だけなら、遠慮も、斟酌も、一切の、しやへんの、けどや。
はきりと、申しの、モ1人、有り体には、他人が1人、入ってるわと。
とは、祖母の言。ンの、そやなと、当方、同感。

でや、仕方があらへんしで、再度の、ドア、トントン、コンコンの、やとで、気が付いたか、叔母が出て来てくれて。ドア、開けば、義理のお母さんと、義理の甥がと。
イヤ、予めの、連絡なら、祖母から、してるわと。
ででや、叔父は、部屋の奥の方で、ニコニコしての、嗚呼、来てくれたんかと。嗚呼、来たでと。

まあ、入ってと。入る、入らんも、ここでも、単に、ミカン数個持参でして。
且つは、上がり難うてね。叔母が、はきりと、上がってくださいと、云われんの事にはなと。
そらなの、当方的、叔母に会うは、結婚式の時以来やし、馴染みあらへんわと。

モ一発、当方的、矢っ張り、叔父を盗られた的、感覚でして。
だけの話の、結果、上がったのか、上がらぬのままに、そこで、はい、サイナラしたかは、定かに覚えてえへんわと。
状況より、上がりはしたやろの。
されどの、長居せず。
(16/07/04)


NO.382 悪い事も、慶事も、重なるの話(8) 妹の時の話

いやね、テレビのBS放送、映らんよになって。
かれこれ、何日、3週間や、1箇月、経つの哉の。当初には、4チャンネルなり、5チャンネルだけが、画像乱れ。
アンテナ線の接触不具合哉と、抜き差しすれどの、変化無く。
この乱れが、頻繁になりの、過日には、その他、全局、でも無いの。何故か、5チャンネルなり、6チャンネルだけが、画像乱れ乍らも、映るは映ったですが。
時に、雨天で、NHKなんかは、雨天用放送に切り替えると。その雨も、上がり、明くるの日には、ンの全局映り。ンの、パラボラ・アンテナの汚れでもが、雨で、綺麗に洗い流されたの哉と。ヨカツタなと。

と、思いきやの、次回、BSに切り替えたら、今度は、全局、全くの映らずと、相成ってもて。
イヤイヤ、当然の、その間には、パラボラを掃除したり。
いやね、その頃、どこ様、隣家、諸般の工事をされてましての、はきりと申しの、パラボラが、ドス黒くのなてもてて。物干し台から、手伸ばせば、ンの、これでは、ダメで、何を持ち出したか、モップの柄の先に、雑巾付けて、ペット・ボトルに水入れて、そこ目掛けて、水蒔いては、雑巾掛け致したですが。
ンの、正直には、そしたら、チョとだけ、気分的にも、映りが改善されてね。

矢っ張りかと。パラボラの汚れかと。そらなの、可成りの汚れでの。
されどの、一時的な改善だけで、相も変わらずと、相成って。
先の通りの、時に雨天で、雨も止みの、一旦、映って、次ぎからは、全くの映らず故、電気工事屋に、電話一発、斯くの、然でと。時に、金曜日故、2、3日後にと、返事を聞いての、その、3日目の、本日<7月4日・月曜日>の、18時過ぎに、来てくれて。

イヤ、この電気屋、当家、当地に来た時からの、馴染みでの。
親切でねえ。人気、あってねえ。
論より、証拠の、過年、この時には、妹一家、宇治、小倉から、滋賀、大津の、真野の方の、家に引っ越した時なれどの、その近くの家の電気工事してたが、この方での。へえと。
わざわざの、亀岡の工事屋、電気屋が、滋賀の、ここまで、呼ばれてるの怪の、まあなの、分かるですがと。

まあなの、大体は、電気屋、電気工事屋なるは、この手、真面目で、親切な方、多いわと。
云うてるの、当家、親父も、工事屋では無いの、電気屋でして。
ついでになら、当方も、電気屋でして。ンの、電気の修繕も、工事も出来ませぬが。何にも、デキンの、深く潜行、線香花火。

での、本日には、BS信号の強弱、計ってくれての、ンの、届いて無いなあと。弱過ぎるなと。
パラボラまで、見て、角度調整、探索も、信号には、変動なくての、ンの、コンバータ哉の、替えて見るかと。替えて戴いたら、信号正常、テレビも、パと、映ってね。万歳三唱の。
そらなの、パラボラなるは、設置して、何年、何十年哉の、多分なら、三十五年経つなあと。

いやねの、折角の、BSのアンテナ、パラボラ設置も、BS映してるは、一階、居間の、テレビの、一台だけでして。
その昔には、テレビも、当家、一台だけなれどの、過年には、モ一台増設しててね。
とするのか、次男、就職しての、赴任先、富山、高岡から、一旦、こちに、戻ったの際、テレビも一緒に持ち帰ったですが。地上波だけなら、受信は出来るですが。この際と、上等のテレビ、BS対応のに、買い換えて。

オトトの、それは、次男結婚で、そちの方に、持って行ったですが。そら、当人のやしと。
後刻、その部屋にも、それよりは、数段の、小さいけれどの、BS対応テレビをと。

ンの、話、ややこしいけれどの、母には、母の専用テレビが、下の母の部屋には、置いてるですが。これは、余りに、チャンネル数多いも、メタメタの、弄くり回すがための、地上波だけでして。
元々が、BSラインは、居間の一台のみでの。この際と。
イヤ、母の部屋のは、母亡くなってもての、余ってるわと。要は、モ一箇所、BSラインを敷いて戴きまして。見られるに、したいなと。
まあなあ、原則、2階で、テレビ見るは、余り、致しませんでして。ならばの、一階の奥の部屋、元は、母の部屋で。元々は、私共夫婦の部屋なれどの、そこでも、BS放送、見られるのよにと。

理由なるは、当世、プロ野球人気も、陰りがあるのか、地上波では、試合、中継せんよになてもてね。BSでは、中継してるですが。
当家、嫁はん、プロ野球に興味無く。
事程左様の、当方が、別途の部屋のテレビでプロ野球中継見るも、出来んでねえ。プロ野球も、延々の、真剣、凝視してるの番組でも無くて。

話簡単の、下の奥の部屋にも、BSライン敷いて戴きの、どちでも、プロ野球放送、見たいなと。
しかるべくの、電気工事屋に、その旨伝えの、やて戴くにしたですが。
当たり前の、本日なるは、来てくれたが、18時過ぎでの、パラボラ交換で、終わってもての、別途の工事、配線なるは、別途の日にと。
の、別途の日が、イツの事かを、相談、聞くを忘れたもたなと。

オッとの、での、パラボラ替えて戴きましての、CS放送も、映るなと。
云うたって、有料放送なんか、申込むの気、毛頭の、無料のしか、見ませんですが。


とかとかの、余計なるの話を、延々のやてもてね。
されどの、重要での。とか、云うてもたら、やてるの話、本題なるが、身も蓋も無いけどや。

本題にての、申してるは、自身を取り巻くの動きなるは、自身で、調整も、作為も、出来ず。運命と、するのか、天のご意志のままに動くに身を任せるに相成るですが。
そらなの、結婚なんか、旧世紀には、どか、知らんの、当世、日本国では、原則、当人の意思でして。当人に、その意志あったって、相手があっての事やしなと。
相手あっても、その気にならねば、結婚出来んわと。
結婚したって、子どもが授かるかも、天のご意志で以ての。ソラなの、自力で何とも、早の、出来る事、出来ぬ事、人生には、多過ぎるわと。

オッとの、この話、主題で無い故、やるにしたって、別途に致すの。
叔父達、順々にの、結婚したですが。結果、満州にての、戦死の、叔父以外、当家、柴田家の面々、皆、結婚したに成るですが。
その当時、当方的、叔父を盗られたの気分也と、正直、申してるのけどや。コレ、兄的存在でして。的でありの、兄で無いけどや。モと、云うたら、基本の話の、常に、当方の味方してくれるの筈の叔父でして。

次ぎ、身内となればの、妹が結婚したですが。
この時、ご両親と、当人、当家に来られた時、涙したと、申してるですが。叔父の時とは、又、違うわと。こちの、状況、歳も、違うしと。
妹を盗られるの感覚では無いわと。
そらなの、何れは、結婚してくれんの事にはなと。むしろの、ンのコイツも、その歳になてたんやと。

云うてもたらの、当方、親に非ずの、兄でして。
親であるの、母なら、一緒の、親父も居てるものの、我が家に、居てへんでね。宇多野病院でして。
ならばの、一時でもの、親父をと、とは、思えどの、親父が反対する筈も無く。ここで、云うてるの一時とは、親父に外泊でもの、意での。
云うとくの、ここだけの話の、万事、一切、親父には、逐一の、云うてるわと。

更に、云うとくの、ええか。とか、なんか、一切の、親父の意思なるは、尋ねてえへんわと。
こやで、あやでと、状況説明しただけでの、決断と、するのか、返答なるは、当方、親父代行、兄として、長男として、してるわと。
イヤ、再度の、ええも、悪いもあらへんの。当人さえ、宜しいなら、異議あらへんわと。

簡単なるも、婿殿と、するのか、当時なら、相手の男の、実家なら、見聞に出向いてるです。基本、普通なら、ええわと。貧乏、金持ちなんか、どでも結構なると。
云うたって、玉の輿なんか、有り得えへんわと。
オッとの、金持ち、貧乏、どでも結構も、どちにも、限度あるのけどや。当家にしたって、親の時代には、貧乏は、貧乏も、云う程の、極端では、あらへんかったわと。
云う程とは、どしても、金を家に入れずば、生活、喰うに困るの話で無くて。

そなら、貧乏学生自認も、幾ら何でもの、大学になんか、進学出来てるのモンかと。喰うだけ、住むだけの事になら、心配なんか、全然の、してへんわと。
困ってたは、学資等々やと。
それでも、生来の、ノー天気の、相応の学生生活、過ごしたわと。

モと、云うたら、当時、多くが資産家の小倅なれどの、そんな豪華なるの、学生生活、送ってるのなんか、居てへんでね。
豪華とは、奔放の意での、遊び惚けてるのは、居てへんわと。真面目学生ばかりでね。他部は知らんの、少なくともの、理系はなと。
遊び惚けてたら、進級も、卒業も、出来んわと。
上から、ドンドン、落ちて来るのが居てたわと。要は、留年組。

こちは、留年なんか、逆立ちしたて、出来んわと。
オッとの、くれぐれもの、遊び惚けてた故、留年とは、限らんのけどや。
そこには、そこの、諸般の事情あるやろと。
(16/07/05)


NO.383 悪い事も、慶事も、重なるの話(9) チョとだけ、祖母の話

いやね、過日。
過月と、申して、問題の無い程の、過日。
云うたって、本日、7月5日で、月替わって、5日目なれどの、6月の話に非ずの、5月の事。

いやね、右太股と、するのか、右外股の肌が荒れてまして。それが、ドンドンと、広がりの、赤くとするのか、土色にと。
そんな箇所、痒くも、痛くも無くの、特段の、掻いたりもしてへんのにです。
よて、鋭意決断の、近在の皮膚科に出向いたわと。

只なの、場所が、場所だけに、最低限、ズボンを脱がんとなと。先生、男やけれどの、看護師、女性。
ンの、マの、その程度、慣れたはると、思うのけどや。皮膚科故、その箇所の、皮膚見せねば、診察も出来ずやしと。
での、出向いて、ンの、過年にも、この医院には、訪れたですが。当時には、満員御礼状態。とまでは、申さんの、医院では、客で無くの、患者やねえ。患者も、相応の人数居たですが。
よて、待たされるが嫌での、鋭意決断もあったですが。

待合いには、精算待ちの老夫婦が一組だけで、即の、呼ばれの、先生には、宜しく、お願いしますで、での、どんな具合なんですかと、問われの、右外股がと。荒れてましてと。
ンの、見せて戴けますかで、ハイと、ズボン脱ぎ。
当然の、看護師も居てるですが。最早の無視。この歳、ええ歳して、恥ずかしがてるの場合に非ずの。先生、チラ見で、成る程の荒れてるですねえと。広さから、云うて、相当な期間掛かって、ここまで、広がってるですと。

ンの、確かに、昨日、今日の話で無くの、1箇月は、これ哉と。
痒いからと、掻いてはいけませんよと。ンの、痒くは無く、掻いてませんですが。下手な事、云わんとこと。グと、愚の、我慢して。
ほならの先生、申すに、長く掛かって、ここまで、広がってますので、塗り薬も、長期間、塗るの必要あるですと。ステロイド系塗り薬を出しますので、日に三回。朝昼晩、塗って下さいねの、掻いたり、しては、いけませんと。
ハイと。掻いては、無いけどや。
風呂に入って、そこを、ごしごし、擦るも、いけませのでねと。ハイと。

ものの、数分で、終わってもてね。
塗り薬、2本。「アンテペード軟膏0.05%・10g」なるのを、2本。
持ち帰りの、朝昼晩の、日に3度。塗って、塗っての、塗りまくりの、どれ程の期間であったか、遠の昔に治ってもてるわと。


とかとか、又、脱線してもたですが。
この、荒れ、何やったんやろねえ。掻いても無いし、擦っても、いてへんのにね。されどの、処方して戴いたの、塗り薬、軟膏にて、サと、治ってもたです。結構なると。
イヤ、流石は、専門医也と。

オトトの、そんな事での、本題。
叔父達が、結婚で、家出てもての。
特には、下の叔父の時には、祖母、大変でねえ。
式場、神式なれどの、式場に来てるのに、式場に行く。祭壇に向かうは、嫌と、駄々こねて。
ほんまやでの、当方、必死に、説得したり。

イヤ、そらなの、祖母の気持ちなら、重々の理解出来てたわと。当方も、小学生、中学生、高校生に非ずの、大学生になっててね。
ンの礼服なるは、持ってえへんしで、正々堂々の、学生服。コレ、一丁、一着にて、何でも御座れの、葬式にでも、コレ一着。
イヤ、構わへんのやでの、学生服なるは、正々堂々の、礼服でして。
この式場が、どこであったかは、皆目の失念。

兎に角、祖母にしたらの、一番に可愛いと、するのか、末の子での。
只なの、祖母も、こんな具合の、自分の気持ちに、素直で、正直での。余り、飾るをしやへんでねえ。まあなあ、したってなと。
孫の当方に説得されて。この時には、東京の叔母も、その長男、従兄弟なれどの、来てたわと。コイツは、服装どであったか、までは、記憶してませんでして。多分なら、コイツも、大学生での、学生服と、思うのけどや。
イヤ、年齢、一歳の上。従兄弟の中では、この1人だけが、当方より、年長での。

とりあえず、頑として、式場に背中向けてもての、控え室から、出ずで。
ワテは、反対やと。
お婆ちゃん、そんな事、云わんと、出よなと。
まさかの、抱っこして、抱えて、背負ての、式場には、行けへんわと。説得して、説得してるの間にも、巫女やろかの、定かに覚えて無いの、催促されて。席に着いてくださいと。
なあ、お婆ちゃん、云うたはるで、行かんとなと。ここで、多分なら、重い腰、上げたと、思うわと。

まあなあ、当方、数多くの結婚式、披露宴等々、参列、参加、させて戴いてるですが。控え室での、祖母のは、前代未聞。
イヤ、再度の、重々の気持ちなら、理解してるです。
又、下の叔父も、親思いでね。結婚してからも、度々の我が家、仏光寺の家なれどの、来ては、小遣いをば、渡してたわと。へえの、結婚したら、親に小遣い渡すのかと。渡さんならんのかと。
イヤイヤ、そんな子と、するのか、方、多かったは事実で、祖母も、もろたら、涙してたですが。

ここで、思たは、叔父と、親父で、立場違うなと。当方も、同じくの、親父と一緒の立場での。
まあなあ、後年、初月給なりでは、祖母には、お小遣い、そと、手渡したのけどや。祖母からは、その数倍の、自動車教習所の費用、くれて。へえと。

オッとの、実際には、当方、自分で云うも、何やけれどの、有形、無形の、祖母には、諸般してるわと。
コレ、特段の、婆孝行とも、思てえへんでね。

イヤイヤ、特段の、特段での、あれこれ、云い出したら、切りあらへんでね。基本、日常茶飯での。一々の、婆孝行と、なんか、意識せず。それで、涙された事もあらへんでね。
よて、叔父夫婦が来ての、お小遣い手渡して、祖母涙するは、ンの、へえと。余程に嬉しいのやなと。叔父は、ええ事、したなあと。えらいなと。
とは、思たですが。
皮肉でも、何でもあらへんの、そのままでの。只、長男、損やなと。ンの、マの、親父が、母であるの、祖母にお小遣いなんか、手渡すの事、場面、知らんのけどや。
当方、金銭的なるは、無関心でね。関与せず。

オッとの、何の話、してるの怪の。
当世、基本的、結婚式のやり方、なるは、概ね一緒での。
又、参列者、参加者も、常識を弁えてると、するのか、まあな、そで無いのも、居てるのけどや。
とするも、語弊あるの、形式も、千差万別での。只なの、数ある中には、へえと、ビクリするの、何ちゅうかの、新郎新婦に、参列者も居たですが。ここで、記載は、チョと憚るのも、居たぞと。
ンの、云うてるの、祖母のは、別段にの、イザとなて、我慢溜まらんの、正直なるの、気持ちをば、態度に現しただけでの、異常でもあらへんわと。ある種、祖母が、子どもみたいになてもたダケと。

そらなの、常々の、日常の、祖母、承知故で。
そらなの、家族思いやわと。
又、家で、一番のえらい人。でも、あって。

ンの、正確にはや。
常に、親父が一番也と。叔父が、当方が、兄に、親父に、口答えでも、してみい。兄に向かって、何事ぞと。親に何を云うかと、雷落ちたわと。
コレ、親父の云うてるが、少々の間違いでもや。
反対には、親父も、叔父も、母であるの、祖母の指示には、絶対的での。
オッとの、下の叔父の結婚式場での、親族控え室での話は、少々のと、違うしなと。

これが、当世、出来んのやと。
皆が、賢くに、なり過ぎて。バカになれへんでして。バカも、適切なるの形容で無いけどの。そのくせ、身勝手でね。
よて、モンスター現れるです。

ンの、又、話、逸れてもて。
コマツタなと。
ン、ンの、完全に逸れたで、無いけどや。
(16/07/06)


NO.384 悪い事も、慶事も、重なるの話(10) 諸般の心配のタネの話

二三日前、遂に、とするのか、今頃になって、扇風機出して。
我慢、たまらず、冷茶、ガブ飲み。
当たり前の、七月に入れば、矢っ張り、七月なんやなと。

夕方、17時頃より、嫁はんの座椅子、古いのを、分解。新しいの、上等のを、買おてるの故での。
分解も、周囲の、布、ウレタンのクッションを剥がして、骨組みの、鉄パイプに分離しただけなれどです。
これだけの作業で、汗タラタラ。

イヤ、当方のも、新しいの、上等のを、買いの、遠の昔、云うても、先月なれどの、分解したですが。
そらなの、狭いの我が家。2人だけやし、座椅子も、2組あれば、宜しくて。さもなくばの、折角の、母の部屋。とするのか、旧の我々の部屋も、イツの間にやら、物置き場状態と化し。
何してるの事怪と。
座椅子を処分して、追い着くの様でも、あらへんですが。まあ、順々にと。急ぐの事も、あらへんわと。


での、話も、あちに、こちにと、方々の話を、一緒クタにしてるですが。
ほんとはなの、もと、脱線したいんやと。常には、申せんの、当家、当方知るの範囲の歴史、出来事でして。
意図して、振り返らん事には、思い出さんわと。
一つの事、思い出せば、又、別途の事、思い出しの、次々にと、相成って。

そんな事で、当方、息子世代、要は次世代のが、あちこち、結婚し出し。結婚したら、孫世代がと。孫世代とは、次々世代の事でして。
当方の目より、これは、誰に似てるなと。イヤ、顔付きの話で無くて、性格が、でして。
云うたって、当方の知るの直系、傍系、親族の数知れてるですが。

幸いにしての、犯罪者は居てへんし。挙動、チョと変のも、居てへんし。
さりとての、高名、有名人、特殊、特異なるの才能あるのも、居てへんのけどや。残念乍らの、歴史的人物も、居てへんのけどや。ンの、そらなの、当方、知らんだけで、遡れば、居てる鴨の。
その遡るの手立てがあらへんわと。

でや、息子共世代、姪、甥辺りの結婚ラッシュ、出産ラッシュで、これも、マダ、結婚してへんのも、居てるですが。
そらなの、そこまでの、綺麗に絵に描いたよには、なと。

ででや、その手、慶事連発での。
ここから、少々の間、空いて。
昨年、母6月8日に亡くなって。9月に、そして、当年、1月にはの。この、9月、1月のは、直接には、当家に関係無いのけどや。単に、町内会の方でして。
とは、云えどの、期せずしての、当方、区長当時、敬老会に参加の、3名様でして。町内会から、参加の方、そのものが、この3名様でして。

母なら、93歳にての、大往生の。
他の、2名様、83歳やでと。チョと、早いわと。早くともの、その晩年、諸般あっての、万全の方が、突然に、では無くて。色んな病、体調崩されてての、家族も大変やった、やろと。思えるの方々での。
只なの、その上での、偶然も、偶然に過ぎるなと。

そして、更には、この、5月14日<土曜日>には、妹婿母が亡くなって。
これもなの、脳梗塞や、ホレ、骨折と。
姻戚故、その都度、見舞いに行ってるですが。
介護認定、「2」や、「3」や、とかで、最終的、「特別養護老人ホーム」に入所されたですが。結果的、癌で、入院で、そのままでと。

この、通夜には、当家、息子共も、参列致し。そら、姻戚故で。
オッとの、母では無いの、町内会の方々のは、当方、参列してるのけどや。9月の方なら、組も一緒故、受付させて戴いたですが。コレ、頼まれたで無く、当方より、組長にしかるべくの、申し出の、挙手してるわと。
1月の方のは、その手、僭越なるは、してへんですが。そらなの、組が違うわと。受付なら、その方の、両隣の宅様、されてまして。向かいの方、までは、されてえへんですが。
云うてるは、基本、この手の事、向かい三軒両隣が、協力するですが。手が足れば、向かい三軒までは、なと。

イヤイヤ、当方、挙手したの、宅様なるは、一つに、同じの組の方であり。2つに、母と、懇意にして戴いてたの婆様での。1月のは、爺様なれどの、当方区長時代、諸般、手助けして戴いたの方での。
只なの、組、違えば、受付等々、僭越なるは、致さんわと。

そして、妹婿母の葬儀、5月14日から、4日経たの、18日朝、長男、バイクにての、出勤途上、事故られて。事故られたの、中身、再掲載致さんのけどや。
過失割合、「100対0」で、全面的、あっち。
これが、この、一連の話、掲載するの、発端やわと。
そらなの、記載の通りの、少々、弔事、連発に過ぎて。されどの、骨折で済んでると、云えば、済んでるのけどや。最悪の事態の、死亡なり、再起不能で無くて、五体満足、頭も打ってえへんしと。

モと、云うたら、長男事故りの、相手あった。相手、怪我させた。怪我で済まんかったの、最悪の、最悪の事態では無くて。
最悪とか、最悪の最悪なら、こんな事、掲載してられんわと。
居ても、立っても、いてられんわと。

いやなの、家族が増えると、云う事なるは、ええ事、ばかりと、違うわと。
常に、この手の事、起こらんよにと、念じてるわと。念じて、起こらんなら、結構なれどや。
人数、増えれば、増えるの程に、心配のタネも増えるわと。

息子共が結婚したら、その嫁、要は、我が娘共の事も、諸般、心配致すわと。ここで、孫出来、増えたら、その分、諸般諸々の、心配するわと。
簡単になら、事故らんよに、事故られんよに。怪我しんよに、させんよにと。病気、怪我なら、孫世代、日常茶飯なれどの、コレ又、最悪の事態に成らんの事をと。
云うとくわの、離れてるが故、尚更ぞと。心配がや。

当然の、家族の数、増えたの分、楽しみもあるのけどや。或る意味、ソレ以上、心配してるわと。心配してたって、現実問題、どしょもあらへんけどや。
そらなの、孫の事なら、我々爺婆よりも、親の方が、気に掛け、命賭けの、必死、なれどです。
そんな事、云われんでも、分かってるわと。
(16/07/07)


NO.385 悪い事も、慶事も、重なるの話(11) 九死に一生の話

<参考=「不可思議の世界NO.3」九死に一生><2002年3月>

上記<参考>、「九死に一生」なるは、長男、大学卒業、就職するの直前の事件。
とするのか、事故ったの話。
幸いにしての、物損のみ。

されどの、事故現場見て、ビックリしたです。
まあ、一言、運が良かったなあと。
現場の様子、解るに連れの、益々の、よくぞの、物損のみで済んだなと。

まあ、云うたら、「湯ノ花」に向かうの道中での、まあまあ、ド田舎道。
よて、スピード出した。出し過ぎもあるですが。車は、田圃の真ん中辺りまで、飛んでもてての、ひっくり反ってての、大破。
カーブを曲がり切れずに、スピンしたですが。スピンは、当人の言での、タイヤ痕からは、電柱と、それを支えるの電線のド真ん中通過で、田圃えと。
その横手には、川でして。

イヤイヤ、事故ったは、夕方でして。
思えば、通行人無く、対向車無くの、家無くて、良かったわと。家に住人居たはてみい。想像するだに、ゾとするわと。
飛び込んだの先、コンクリート面やてみい。クッションに成らず、さあ、どんな事に成ってたかは、想像するだに、ゾとするわと。

現場、知れば、知る程にの、ゾとする、ゾとするの連発でして。
或る意味、命助かる時には、こんなモン哉と。助からん時にも、そんなモン哉と。
要は、後、1センチ、2センチ。下手したら、センチで無く、実際には、触れて、擦れてもてても、擦れるの範囲で、結果的の、命にまでは、関わらずと。
運、不運の、電柱に激突なら、なと。どもならず。

何よりも、偶々の、偶々の、偶然の、車の飛んだの先に、余所様居て無かったが、運でして。
且つは、田圃であるが、幸いして。
結果の、結果、そらなの、車は大破で、スクラップなれどの、当人、車から脱出の際の、指先をガラスで、チョと、切ったの程度での。それこその、骨折も、何も無し。
そらなの、田圃の土なるは、入れ替えでして。ソラ、ガソリンが、蒔かれてもての、それにも、火が点かずに良かったわと。

地主も、ええ方での、息子に、我々にも、怪我せずに、良かったなあと。
イヤ、ほんとでして。その一言で、こちも、安堵したわと。
イヤイヤ、事故ったの直後には、周辺の方々、見物にの、事態でして。誰様か、分からんの方が、地主をと、呼びに行って戴いて。

実は、その時、お世話になったの自動車屋。
自動車保険もされてましての、当家、当時、全て、そこ。この自動車屋も、ええ人での、全面的、任せてもて。何事も無くの、解決出来たわと。
以来、その自動車屋とは、当方、長あい、付き合いになってるわと。

結果の、結果、我が愛車。先代、スプリンターを、息子にで。当方、現カローラを買うの羽目にと、相成ったですが。そのカローラからが、その自動車屋でして。
まあなの、そのスプリンターも、13年選手であったの哉と。
そらなの、次ぎから、次ぎえの、数年にての、新車買えるの身分に非ず。

それで、長あい、お付き合いも、異なれどの、車検から、調子云々まで、そこでして。
そらなの、初期には、諸般、歩いて、5分、10分の、「トヨタ・カローラ」にも、持ち込んだのけどや。
自動車保険も、ロームの団体割引にての、25%も安くなりの、その自動車屋からは、外れたの、けどや。車検等々、そこでして。
結果、当方の車、ややこしい事になってるのけどや。

それでや、この当時、当方周辺、何かあったかと、なればの、特段の承知の範囲、何も無し。

ででや、何の話からか、妹婿母の葬儀の、通夜<6月14日>には、我々夫婦と、息子共2人の、4人で、参列したですが。
その明くるの、告別式には、息子共は、モええやろと、我々夫婦のみでと。

そして、当日には、余裕見ての、ソラ、遅刻は失礼故で、14時からの告別式やのに、1時間以上もの、早くに葬儀会館に着いてもての。大体が、この手の事には、その程度の早くに、着くにしてるのけどや。
着けば、妹の娘、姪なれどの。その一家<4人>が居ての、チョと、何か、喰わへんかの、近くに、マクドナルドがあるしと。
そらなの、はきりと、申しの、中途半端な時刻でね。告別式がや。昼飯も、そこそこにの、当初より、マクドナルドにでもと、積もりをしてて。

でや、話なるは、姪と、その、「九死に一生」の、事故ったの話が出たわと。
この、事故ったの話なんか、2002年の事<こと>故、最早の、遠い昔のと、するのか、話題にも、成らずの。そらなの、努々、忘れはせぬものの、話に出るの事でも無くなってもてたですが。
イヤイヤ、何故に、その話が出たか、したか、完全、失念の。まさかの、その、4日後に、事故られるなんか、夢にもの。姪との話で、出たの事、だけは、覚えてるのけどや。

ン、ンの、前日の話、から哉の、通夜終わって、次男を送り届けの、我が家に帰宅も、遅なってもての。
神戸に戻るになったが、午前様になったの話、でもしてたの哉の。1時間半程で、帰ったの報あったで、夜道、スピード出してるなと。そんな話から、やったの鴨と。
当方なら、2時間半、掛けてるのけどや。

そらなの、そらなで、息子共、我が家にも、帰るにも、事故らんよにと、思てるわと。
次男家なら、マダ、同じの京都で、高速使えば、30分程かで、下道なら、1時間哉の。神戸は、そらなの、遠いわと。コースによりの、山道、くねくね道もあってね。
当方、この歳故、夜道の、その手、山道、くねくね道なんか、嫌で、嫌でと。
大体が、夜に出るの用事無く。そもそもがの、夜に、出るの用事、作らんわと。

オッとの、葬儀なるは、仕方が無いけどや。
通夜は、基本夜で、告別式も、14時からでは、ンの、帰宅するは、まあ、夜中。
当方、慣れぬの道の、夜の運転、怖いわと。先が、見えんし、読めへんしと。

オトトの、クレグレもの、ここ最近、葬儀続きの、特には、妹婿母のが、長男事故られるに、目に見えぬの諸般の、関係なるは、毛頭のと。
血縁でも、何でも、あらへんわと。
云うたら、当方なら、黄檗の家にも、滋賀に婿母、転入も、その他、白内障手術。この時には、我が母も一緒に入院先に行ったですが。脳溢血での半身不随の時にも、その後の骨折入院の際にも、此度、胃癌で、入院にも、嫁はんとは、見舞いに行ってるですが。
婿母なら、先刻の姪が誕生にての、里帰りしてたの時、これは、槇島の家での、2度、3度、当家に来られてるですが。亀岡の当家には、一度も来たはらへんわと。
まあなの、用事、あらへんけどなと。
(16/07/08)


NO.386 悪い事も、慶事も、重なるの話(12) 名実共の喪が明けるの話

再度の超簡潔に、まとめてみよかと。

当方、就職。これは、慶事の部類と、思うですが。
新製品<抵抗器>の製造間に合わずの、応援、応援での、過労。三日間、徹夜があっての、倒れた事、あったですが。倒れたも、入院に非ずの、会社<現ローム、当時東洋電具>の和室で、寝かされたですが。

そして、入社二年目になって、祖母、交通事故に遭遇で、大腿部骨折にて、入院。そのまま、寝た切りになってもての、明くるの年、亡くなって。
その直後には、親父、結核にての、強制隔離入院。
要は、当方にしたら、家族、2人を一気、無くしたになるです。イヤ、親父は、死んでは無いけどや。

そこしてる内、仏光寺の家、壊れ出し。
結果的、宇治、槇島に引っ越したですが。
今、思えば、綱渡り的でして。ズレてたらの、そこからの人生、どなってたかは、分からんわと。その人生、送ってませんでして。

何を云うてるかと、なればの、大学卒業しの、就職しの、2年、3年経ってるわと。
イヤ、3年もは、経ってえへんなあと。家買うに、ローン組むに、前年度の所得証明なるが、あって、組めたですが。昭和44年度<1969年>のなら、卒業、就職の年故、4月から、12月の9箇月分の収入故、とてもや無いの、借りるに、所得が届かんわと。

45年度のなら、1年間分故、何とかと。
それで、借りるが出来るの限度、最高額でも、小倉駅の駅のソバ、線路のソバの新築のなんか、遙か遠く。イヤ、当時、700万円也と、記憶してるですが。
イヤイヤ、云うたら、何やけれどの、不動産バブルの走りの頃故、買えてたら、儲かってるわと。その分、他の物件も、高くになってるのけどや。
この当時、方々、見聞での、相応の知識得たけれど。家、土地のや。走りの時代の、凄まじさを、でして。

オッとの、兎にも、角にも、家族を守らんならんわと。
その時の家族とは、母、妹でして。親父が中途半端なれどです。ソラ、入院してまして。守るの意識無かったなと。とするよりも、アテに出来ずで、当方がと。任せて頂戴と、までの、意気込みも、悲壮感もあらへんのけどや。
ソラなの、既に、就職してるがな。こ、云うてもたらの失礼千万の、元々が親父に対し、金銭的、アテにしてへんでして。

そして、槇島では、慶事の連発。
当方結婚、妹結婚。妹夫婦に、長女が出来て。当方にも、息子2人が出来て。
家、手狭になるが、想定出来るが故、コレ又、方々、土地、家屋の見聞、探索にと。
結果的、次男が出来ての、そんなにゆっくりも、考えてられぬし、借りるが出来るの限度にての、相応の間取りので、亀岡も、可成りの、田舎の家に相成ったのけどや。
そらなの、その当時には、周辺、田圃が多いわと。並河駅も、鈍行でさえが、パスするのが、あった程の、ド田舎やと。

そして、次ぎ、墓を新調して。ソラなの、墓石が欠け出して。
その時、東京の叔母が来てくれて。その明くる年哉に、癌で入院。その明くる年には、亡くなってもてねえ。
当方、骨折で、入院での。2度目の入院<金具取り外し>の時、親父が亡くなり。又、叔父がと。
こんな事の連発でして。

ででの、今度は、息子共、妹の娘が、四国、嫁はんの姉の子等々、結婚ラッシュと、出産ラッシュで、慶事ばかりの連続での。
トトトの、順番なるは、あるけれどの、細々なるは、省略やと。
オっとの、その直前、2005年には、嫁はんの、四国の里の、親父様が亡くなってるのけどや。

ンの、当方、中心になら、血縁で無く。義理の父での。
されどの、当家息子共、四国の、甥、姪なら、母方祖父に成るですが。要は、血縁親族也と。
での、四国の甥なら、その辺りやねえ。結婚なり、子が出来たが、でして。但しの、直系に非ず。とも、云えて。
直系とは、云うまでも無いの、万事、原則、基本、父方であるの、男系を云うわと。姓を継いでるの方也と。

この、結婚、出産ラッシュを経て、昨年の、母亡くなり。
まあなあ、この時にも、諸般あったわと。
あったも、コレ、当方のみ、なれどです。

何がと、申せば、夢見の話。
これも、事、細かくには、既載してるのけどや。
まずは、そんな事、それこその、夢にも、思てえへんの時、枕元に、祖母の気配がと。
そして、仏光寺の家で、寝てるの夢での。明らかに、仏光寺の家の構造での。只、寝てるが、ベッドで、天蓋付きでの。こんな事、仏光寺の家では、有り得ぬ、してへんの事での。そこに、祖母が、日本髪で、和服で、当方のソバを、素通りしたと。

そのままに、台所の方に行き、影だけが見えての、そもそもがの、そっちとの境には、障子で無く、襖での。その襖も、常には、閉めてえへんでねえ。
よて、影と、するのか、シルエットが見えるの訳が無いけどや。
構造的、台所から、敲き<たたき>に降りて、敲きより、裏庭に回れるの構造での。仏光寺の家の話やでの。又、来るかと、必死で、ケータイを探すに、取るに、チカラ、入らんでねえ。
手が、腕が、フニャフニャの、フニャ状態での。所謂の、金縛りとは、反対現象。

イヤイヤ、でや、夢見た時には、頭っから、祖母と、解釈してたのけどや。
夢に出たの、婆様がや。
よくよくの、考えたら、母ではと。
その、日本髪は別としての、和服がなと。送り出すの、服装なるが、コレ、嫁はんの提案での、当方、関知せずの、選択したが、母一番のお気に入りの、和服。

云うてもたらの、その和服で、嫁はんの里えの、挨拶の際、訪問したを、嫁はん、記憶してて。
日本髪と、してるの、その日本髪とは、角隠ししての姿での。コレ、母と、結婚式の嫁はんの角隠しの、合成怪と。
オトトの、トットの、あくまでもの、当時の夢見の記憶をば、関連付けての話やでと。

その夢見より、間も無くしての、「こもれび」のケア・マネージャーより、「特別養護老人ホーム」の話を聞かされて。
当方的、抵抗感あるが故、その時期になれば、云うてくださいと。ボチボチの、しかるべくの、介護施設でもを、見学に行くですと。返事したの矢先、「こもれび」の、理事長、Dr.でもあるですが。
着替え等々の交換に、出向いたの際、話あると、呼び出され。

ほんまやでの、夢見たの頃には、毛頭のと。
そらなの、母も、ええ歳故、後、5年も、10年もは、考えてえへんのけどや。考えずとも、可能性なら、あるわと。要は、先の分からんの、介護生活やったんやと。
結果的、母、「特別養護老人ホーム」には、入所せずに済んだわと。こちも、入所させずに、済んだなと。

オトトのや。
母の一周忌なるが、少々、早いけれどの、ソラ、命日、6月8日での。1箇月早いの、5月3日にしたですが。連休故、皆が集まり易いやろと。
その、一週間経ったの、5月14日に、妹婿母でして。

その前日<13日>、真夜中、2時頃、固定電話の呼び鈴、リンと。
出るの暇あらへんわの、明くるの日<14日>、訃報がと。
亡くなったは、2時頃と。ンと。
この一連の話も、諸般してるのけどの、ダアレも関心、示して呉れんわと。
云うたら、誰1人、再度の、聞いても、呉れんわと。当家の面々も、妹家の面々にしてもなと。
問われたって、これだけの話でありの、辛いのお。

ででや、その通夜、告別式の、4日後の、18日、長男出勤途上で、事故られて。
当方、諸般、可成りのご立腹での。何に対してか、までは、具体的には、申さんの。チョとだけ申せば、不可思議の世界えの事での。

ええ加減にせよと。
云うたって、当方に何が出来るであらへんわの。何の能力、霊感無くの。過日、丁度良しの、6月30日、「夏越の茅の輪潜り」に、嫁はんと、共にの、参加致し。
コレ、当家、氏神様、「大井神社」にての、お祓い、しまくりの。

丁度、本日<7月8日>なるは、母亡くなりの、13箇月。
コレ、父母に対するの場合の、喪に服すの期間也。
名実共にの、喪も明けの、適当なるの、日にでも、「出雲大神宮」にでも、参拝致すかと。
(16/07/09)


NO.387 悪い事も、慶事も、重なるの話(13) さての、次ぎ、慶事であれの話

そらね、基本、葬儀、怪我なるは、良い事で無いわと。
怪我も、程度と、中身に寄るですが。
葬儀も、自身との、関係の深さもあるですが。

結婚、出産、入学、卒業、籤に当たる等々、良い事やと。
籤に当たるも、程度と、中身に寄るけどや。

これこその、こじつけの類と、思うのけどや。
当方、町内会の区長には、阿弥陀籤でして。組の輪番で、我が組から、区長出すの番での、細かくは申さんの、何度も掲載してるの故での、無茶なるの、決め方でね。
当組、14軒。内の、4軒、既に、輪番の役職、歴任されてましての、残10軒にての、阿弥陀籤で、お見事、当たってもたですが。

ンの、まの、何ちゅうかの、内の2軒様、賢いとするのか、諸般、別途の役の時、立候補されてまして。後の2軒なるは、阿弥陀籤なれどの、まあ、云うたら、区長職でもあらへんでして。流れのままに、当たってもたの、宅様でして。
当方にしたって、その役に当たってたら、区長選出の時、一抜けたになるけどや。

そんな事は結構の、こんな籤には、当たるんやと。しかも、確率、10分の1。やのになと。
そんな事も、結構の、我が期、大変なるの、期でして。コレ又、既載してる故、再度の、申さんですが。
お陰様で、人の裏表、人間性を思い知ったわと。当方なんか、所謂の、ド真面目、糞真面目の、人が良過ぎる、まともに過ぎるの、バカ正直に過ぎるわと。

オッとの、それで、宜しいと、信じてるですが。
裏と、表があっての、人が悪い、身勝手に過ぎるのなんか、信用出来んわと。人間故、多少の裏表、人の悪さ、身勝手もするのけどや。
多少であるのべきと。
見え、見えの、身勝手、裏と、表、人が悪過ぎるのなんか、それこその、地獄に堕ちるぞと。

何で、そんな話、してるかと、なればの、当世、この手の、多過ぎて。そこらに、ウジャウジャ居てるが、当方、区長して、初めてと、云うも、情け無いけれどの、見えたわと。
それまでは、町内会の面々の事なんか、表面的のみ、見てて、単純明快の、そのままの方と、ええ人やと。
ソラ、表面的にしか、見えへんし、裏まで、見えるよな、お付き合いも、してへんかったわと。

それが、なと。
イザとなればの、全然の違うんやと。イザと、ならんでも、違うんやと。そんな事、知ってる人、知ったはるんやねえ。知らぬは、当方だけ、やったりしてね。そんな人とは、頭っから、思てえへんかったんやと。こちが、余りに、人が良過ぎたと。とも、云えて。まあ、云うたら、阿呆。
とかとか、当時の事、余りにクドクド止めまして。

この年なんやなあ。
嫁はんの四国の父、亡くなったのが、でして。要は、当方、区長してたの、2005年。
そらなの、正直、大変やったわと。
葬儀に参列と、するのか、行くに、他の面々の協力得るが出来ずで、ギリギリまで、諸般の、行事、これは、区、町内会のでは無く、自治会の、でして。頼まれたの事、やってから、愛車カローラで、出発して。
葬儀、終わって、即の、京都、亀岡に戻りの、行事の後始末の手伝いにと。
コレ、「町民祭」と、称するの行事での、テントを沢山張ってての、その後始末。

イヤ、基本、不義理せぬよにでして。当町内会は、何にもしてくれへんと、影で、云われんよに、でして。
さりとて、行事、そのものは、参加出来てえへんのけどや。ソラ、四国の義父の葬儀故。
当然の、しかるべくの、面々には、その旨、理由、伝えてるのけどや。
反対には、最初と、最後のみ、顔出し、手伝い出来たに成るのけどや。
この、顔出し、そのものが、区長たる、重要なると、心得ててね。そら、町内会の顔、代表でして。

そらなの、区長が居れば、副区長、会計等々、諸般の役目の方、居てるのけどや。
ハイ、そですかと、易々の、応援、支援、してくれへんわと。この手の事、頼めるの範囲もありまして。

いやなあの、この、区長職歴任なるは、吉事か、凶事かと、なればの、吉事の類と、信じてるのけどや。
お陰様の、当方的、人間的、一皮剥けたわと。諸般、有り過ぎての、人の、見る目、養えたわと。オッとの、当時には、相応の年齢故、それ、相応の人を見る目なら、出来てると、思てたの、けどや。

実は、ローム社内なり、なら、業務通じの、為人なんか、一発、分かるんやと。
接するのは、よお、接してるし、世間話だけと、違うわと。基本、業務故に、実務やわと。
されどの、町内会なるは、基本、世間話が主でありの、一緒に何か、するも、行事を通じての話での。そんなにはの、損得勘定あらへんわと。行事に出るの人は、出るし、出えへんの人、出えへんし。
調子のええ人、ええし、表面的のも、頑張るのも、居てるけど。これ、分かり易いなと。

でや、これ、イツの事かと、なればの、2005年は既に、申してるの、「町民祭」なるは、11月の行事。
そして、区長任期、明くるの年、2006年3月末での、その年、2006年末、長男より、結婚云々の話出て。

とかとか、時系列的には、そんな事になるなの、そこから、2007年には、結婚しての、孫娘誕生になっての、孫君1号がと。
そして、次男も、結婚の話出ての、次々の、慶事、連発。
いやなの、申してるは、葬儀、そのものは、ええ事無いけどや。この義父、我慢強いの方での。その葬儀も、羨ましいと。との、表現も、異なれどの、情緒あるの葬儀でね。

理想的なる、でして。
当世、無理難題なれどの、こんな葬儀、して欲しいなと。
はきりと、申しの、都会の葬儀、つまらんなと。そらなの、数々の、葬儀、見聞の表現、コレ又、異なれどの、万事、見聞、勉強、経験での。
そらなの、義父のは、親戚縁者、近在の方々の応援、支援での。当方、申すの、互助の精神、そのものでの。人情、暖かさ、感じるわと。皆で、送ってやるの、精神での。

コレ又、その時の、葬儀のや。
当方の立場、状況、別途の、当方的、ええ経験したなと。見聞させて戴いたなと、心底、思たわと。
区長経験にしたって、諸般、あったのけどや。一皮剥けたし、為人の、見る目、多少は、向上したし。この向上なるは、残念なるも、あるのけどや。自身の、度胸と、するのか。元々が、左程に、狭量でもあらへんの、積もりなれどの、そらなの、人前で、喋るなるは、苦手の部類が、町内会の面々前にしての、諸般の会議等々、行事で、等々、挨拶なり、申すに、そらなの、コレ又、ロームでなりの、経験なら、してるのけどの。これは、業務やわの。

町内会のとでは、意味合い、可成りの違うわの。
喋る、挨拶するの文言にしてもの、錬りに、錬りの、反復して、反復しての、結果的、本番、省略して、省略しての、片っ端から、コレ、止めよの、一言、二言で、済ますのけどや。くれぐれもの、最近はなと。
イヤ、挨拶の文言も、場に寄るの。そもそもがの、長いがええでは、あらへんわの。ビシリ、バシリの、思てるの事、云うべき事、正直なるの、真意、一言、二言で、表現出来れば、それで、充分やと。
の、心境に辿りの、着いてるわと。

オッとの、何が云いたいの怪と、なればの、諸般、万事、人生通じの経験也と。
そんな意味ならばの、当方、この歳になりても、マダ、多少の人生、残存してての、経験と、思てるわの。骨折も、入院も、経験の内やわと。
むしろの、問題、ここから先。
現在唯今、この時の、この、次ぎの瞬間の事、誰にも、分からんでね。

当家、10名、居てましての、さての、次ぎ、誰が、吉報、慶事、もたらして呉れるの怪と。
慶事あれば、慶事連発するしなと。
ここまでの、経過、時系列的、経験上はや。
(16/07/10)


NO.388 悪い事も、慶事も、重なるの話(14) ご先祖様、守護霊の話

さての、ボチボチの、この話も終焉する哉と。
そこで、申すです。
慶事なるは、より多くの面々、一家、一族郎党にて、祝うが宜しく。
慶事続けば、興隆也と、その勢いに乗れば良く。単純明快の、人数増えれば、増える程に、益々の、心強く。
対して、弔事なるは、人数減るを意味しの、衰退也。

かと、申しの、弔事、避けるは出来んわと。人間、いつか、死ぬるわと。永遠には、無理でして。
それでも、当世、寿命が長くになってるですが。これも、自由に、動けて、方々行けて。旨いモノ、喰て、旨いと、成るが宜しくて。単に生きてるは、ツマランのお。
とか、云うたって、自分で、自分の寿命決めるも出来ず。

オッとの、又、話、逸れ出したですが。
この慶事も、弔事も、意図して、出来るの事に非ず。
当方の骨折にしたって、避けられんわと。偶々の運、悪くなれどの、これを、どんな具合に解釈するかと、なればの、少々、話、飛躍するに成るですが。
一つの考えなら、守護霊なるが、チョと、余所見したになるです。
その上で、諸般、この程度で、済んでるなと。解釈した方がと。

そら、そやでの、振り返っての、運、不運。
総合的になら、上出来也と。ハタ目からも、羨ましがられるの人生、過ごしてるになるなと。
イヤ、基本、普通やわと。この、普通の人生、極めての、難しいわと。これも、意図してへんのけどや。結果的なるの話。又、その人生しか、知らんのや。
問題は、ここから先での。それこその、神に非ずの、予言者でも無いの、当方が、知るの訳無いわと。

での、守護霊の話、出したですが。
守護霊とは、何ぞやと。コレ又、当方、その道、不可思議の世界の、研究家、専門家でもあるまいにの、正確なるを、知るモンかと。
元々が、この手の話、個々人の解釈次第と、思てるわの。ならばの、当方的になら、ご先祖様也と。

この、守護霊、ご先祖様との、会話なんか、した事、あらへんのけどや。見た事も無いけどや。ンの、まの、こちから、あちえの、一方的になら、常々の、会話してるのけどや。
そして、諸般、身近には、感じてるわと。感じてるが故、一方的会話してるわの、その中身なるは、何度も、何度もの、掲載してるわと。
結果的、得体不明の何かに、守られてるの感、してるわと。
理由、超の簡単、万事、最悪の事態、には、成ってえへんでねえ。嗚呼、ここで、収まったかの範疇での。


での、まずは、息子共、産まれて、結構。
だけでは、あらへんわと。最低限、五体満足、普通であれと。加えての、普通の知能であれと。そらなの、上見たら、切り無く。下見ても、切りあらへんの、普通にと。
これが、如何に、難題であるかは、重々の承知。
そして、怪我せず、無事に成長せよと。これも、当たり前みたい、なれどの、難題での。怪我も、切り傷、擦り傷、打撲に、捻挫なんか、怪我は、怪我なれどの、云うてるの怪我の範疇に非ずの、まあ、云うたら、大怪我の類の、取り返しの着かんの怪我せぬよにと。

結婚するにしたって、こちにも、最低限の希望なら、あるわと。
最低限ねえ。コレ又、表現、難しいけどの。そらなの、美人、不美人なら、美人がええに決まってるわと。されどの、見掛けの、美人よりは、気性、品性、人品の美人が、ええに決まってるわと。
息子共夫婦の中身、実体なんか、分からんのけどや。そら、一緒に生活なんか、してへんしと。
云うてるは、喧嘩ばっかりされててみい、困るの事よで、済まんぞと。
実体、分からんのけれどの、見掛け、まあ、上手い事、行ってるの哉と。

嫁共にしたって、頭の中、何考えてるか、なんか、当方、何度でも申すの、予言者、神、仏、キリスト様でもあるまいにの、分かるの筈あらへんわの。
されどの、そらなの、結婚した当初からは、日、月、年数経ちの、こちも、次第、次第に慣れて来てね。
ンの、誤解されぬよに、申し添えるの、そらなの、当方、男。あちは、女で、思考回路等々、男女で、違うわの。大体が、娘を育ててえへんわと。
再度の、誤解畏れずの、云うてもたらの、結婚したの当初、そら、現在でもや。扱い方、分からんでね。

その上での話の、女の子は、可愛らしいねえ。
当方にも、実の娘が欲しかったわと。これが、真意とも、云えるですが。姪も、可愛く思てるわと。姪も、あちと、こちに、2人、居てるのけどや。要は、血の繋がりあるのと、無いのがや。
あっても、無くとも、可愛いなと。
もと、云うたら、いつまでも、可愛くあって欲しいなと。
ンの、嫁共にしたって、姪共にしったて、当方からしたらの、娘世代で、娘同様。

但し、姪は、姪でして。
ンの、コレ又、説明要するの、当家の子と、違うんやと。子、子と、申してるですが、これは、永遠に、子なんやと。
ほならの、孫娘なるは、そらなの、可愛いわと。
ここでも、説明要するの、男の子は、男の子らしくの、女の子は、女の子らしくあれと。当世の、女の子、逞しいのけれどや。男、顔負けのが、多いのけどや。それが、全面に出てもたら、損するぞと。

オッとの、云うてるの話、なるは、嗚呼、ヨカツタなと。
万事、当方のヨカツタなの、範疇での。
これ、人知、自力で、何とも早の、制御も、調整も、出来ぬの事なんやと。要は運任せ。

なれどの、そこが、守護霊哉と。
守護霊とは、ご先祖様であり。ご先祖様なるは、基本、子々孫々を守るです。
コレ又の、守護霊自身、守るの、子々孫々、絶えてみい。守護霊の行き場、無くなるわと。

ほんまやでの、当方、痛感してるわの。
月参りの、墓参の都度、他家の墓石に張られてるの標識。コレ、10年間、管理費、支払わずの使用者の、でして。
10年経てば、寺、「東本願寺祖廟」の管理下と、するのか、帰属するに成るです。さすれば、抽選で、該当墓地の使用権なるが、販売されるになってね。

これの、多い事。
ここ最近、益々の増えてるのよに、見えるですが。要は、そこの墓地を守るの、墓参するの方が、居てへんを意味してるわと。これが、10年も、やでと。
現時点、我々夫婦、月参り、してるですが。
その度、当家、誰々を、宜しくと。守れと。
又、あや、こやと、承知の範囲の事しか、報告出来んのけどや。ソラ、知らぬ事まで、報告出来んわと。
ご先祖様には、報告も、してるんやと。
この事で、ご先祖様、守護霊なるが、子々孫々をば、しかるべくの、守り、守護してると。
明確には、守護せよと。一方的に申してるわと。会話までは、出来ぬ故。
(16/07/11)


NO.389 悪い事も、慶事も、重なるの話(15) 万事、そ云う事、なんやの話

さての、ボチボチの、この話も終焉する哉と。
とか、申し乍らの、モ一発。
理由、なるは、何か、しっくり、行かんでねえ。
手を替え、品替え、申してるですが。今一、ンと、頷けんでねえ。

まずは、大きく、この手の話、信じる、信じないがあるなあと。
当方、そのものが、正直なるの話、よ、分からんでして。
何度も、申してるの、不可思議なるの、体験、体現なら、してるですが。さりとての、黄泉の世界、死後の世界、霊魂なるを、信じてるの怪と、問われたならばの、その手のを、この目で見た事あらへんわと。

見てるは、夢見での話で、枕元に、祖母、或いは、母がと。居たも、そのよに、感じただけの話で、見たで無いわと。
かと、申しの、この感覚なるは、そは、度々の、経験も、してへんの、その一度のみ。
ンの、マの、幾ら、親族。しかも、祖母でありの、母であろともの、実際に現れてみい。祖母なら、遠の昔に、旅立ってましての、母なら、当時、生きてるわと。
夢にもの、母が、挨拶に来た、何か、云いに来たなんか、到底、心底の、思わんわと。
よて、可能性として、その様子、姿、形からしての、祖母哉と、当時には、思たのダケでして。

いやなの、その手の、経験、体現、東京の叔母の時、なるが、初。
これは、当方、感嘆、感動、涙したと、申してるわと。嗚呼、そ云うたら、1年かと。わざわざの、招いて呉れたんかと。ピタリと、その季節に間に合うよにと。
叔母の葬儀の日、申し訳無いけどの、覚えて無いけどの。もしかしての、もしかしたら、東京営業所の営業車で、通過したの、その日、ピタリの、一年後であるの鴨なと。
そこまでの、検証、しよが無くの、してへんのけどや。

悩ましいは、叔母が、当家に来て呉れたの時、諸般、話、聞いたですが。
口が裂けても、指先、滑っても、掲載出来ぬ事でして。叔母も、遠く離れたの、我々故に、チョと、愚痴っただけの話での。
イヤ、当たり前の、鮮明にと。話の中身、覚えてるわの。さもありなんと。

事程左様の、掲載も、するに、出来ぬ事、一杯あってね。
そらね、ご主人の、実家の方の話ならばの、チラと、なら、出来るですが。当方、それが、どこかも、そら、地名なら、聞いてるのけどの。行った事もあらへんし。用事もあらへんし。
一度だけ、叔母婿の、親父様と、そこの孫娘が、当家、その当時なら、仏光寺の家なれどの、来られた事、あったですが。
この、孫娘なるは、当然の、当方と、同世代。云うたって、コレ又、苗字承知も、名を知らず。
又、叔母の愚痴りも、そこの話、かは、知らんでね。

イヤ、事実のみなら、掲載してるですが。
事実とは、墓開きの儀、会席終わって、親父に、会おて呉れる怪と、尋ねたならばの、ええと。その日は、モ一泊、我が家に泊まりの、明日にも、大阪の方に行くと。
イヤイヤ、叔母の話、なるは、そのまま、親戚筋を訪問にての、帰るわと。よて、暫く会えんねえと。

と、云うてたのが、その日、当方、勤務先、ロームなれどの、帰宅したら、ンの、息子共と、ン、ンの、瞬時には、祖母怪と。
見間違う程に、祖母と似たのが、玄関先で、お帰りなさいと、当方迎えて呉れて。えと。ゲと。
よ、見たら、叔母やんかと。
よも、そらなの、瞬時の、瞬時で、祖母は、遠の昔にの話の、母娘やねえ。それ程に酷似してたわと。この時も、チラと、涙したわと。

にしてもの、何でやと。
叔母故、熱烈の歓迎も、これで、暫く、会えんなと、云うてたのが、何故に、居てるんやと。
その時に、叔母、申したが、自分が嫁に出たは、柴田の、この家からやと。

この、言葉の、意味なるが重要での。
明々白々の、亀岡の家から、叔母が、嫁に出たであらへんわと。仏光寺の家に決まってるわと。
その当時に、当方、影も、形も、あれへん故、どんな具合にして、嫁に、出た。嫁入りか、までは、知らんのけどや。
本筋の話、するのを、チョと、待っての、この、叔母、格致小学校、郁文中学校の総代で、送辞、答辞を読んだんやと。
当世とは、違うぞの、ジャンケン、挙手で、決まるのお役目で無いぞの、成績優秀やったんやと。先生からの、ご指名ぞと。
とは、祖母から、聞いたの話やでと。当人、そんな話、致さんですが。ンの、成る程の、しっかりした叔母やったわと。

イヤイヤ、正直なるの話、美人系でね。ハイカラでね。古風でね。
ご主人に対し、常に、立てたはったわと。何があってもやと。徹頭徹尾の、徹底的やわと。確かに、その値打ち、あるのご主人でして。
そらなの、その当時に、息子3人、大学に入れたんやでと。これは、大変な事やわと。

且つは、祖母の葬儀の時には、東京から、自家用車で、一家全員、来やはったわと。
ン、ンの、当方、小学生時代には、梅田在住なれどの、自家用車も、トラックも、持ったはったし、運転したはったわと。
コレも、大変なるの、事なんやでと。

電話でさえが、ステータス・シンボルの時代やわと。
やのに、何故か、電話、我が家にあったのけどや。不思議やねえと。まあな、電気屋してたが、あるのけどや。
その上で、小学生の同級生、50名<1クラス>で、家に自家用車があるなんか、1人だけ。の、時代やわと。
当世なら、1人、1台の時代なれどです。
余計なるの話、その叔母婿なるは、当家、実際には、実物知らんの、祖父のよな人でなかったの哉と、勝手に思てるわと。

でや、実際には、その日、叔母、大阪のご主人の親戚筋の、方々、挨拶回り哉の。そのままに、東京に帰ると、してたのがや。
帰宅したら、居てるが故に、ビクリしたけどや。
当方、その理由、細々なるは、知らんの、叔母も口にはせずの、只、一言、私は、ここから、嫁に出たんやと。
再度の、実際には、亀岡から、出たで無いけどや。確かに、当家から、嫁に出やはったんやと。何の遠慮も、損慮も、気兼ねもいらんわと。

そらなの、叔母の来たの日なるは、当家初、でも無いけどの。あれこれ、これあれ、練って、練っての、手巻き寿司にしたわと。
思い出すの、ネタを、並河駅のソバの寿司屋、「誠寿司」に、当時に、5000円分頼んだけどや。ネタ、ンの、こんなに少ないの怪の量での。オヤジ申すの、申し訳無いけどの、ネタだけなら、こんなモンなんやと。へえと。

明くるの日には、母と、息子共2人と、共にの、保津川下りも、してもろて。墓開き、当日には、叔母の頼みで、「わら天神」に、腹帯をと。コレ、三男坊、我が従兄弟なれどの、孫出来るの準備ですて。へえの、目出度いなと。
正直、申しの、「わら天神」なるは、金閣寺の方での、京都の、北東。
当家、墓地、墓所なるは、「東本願寺祖廟」での、京都の、東のドン突きでの。まあ、云うたら、遠回りなれどの、ええでと。
ええも、悪いも、祖母、その程度、京都で、産まれの育ちの、重々の承知。

とかとかの、叔母は、大阪の事、何も、申して無いが故、中身、知らんの、当方知るの、覚えてるの、事、以上やわと。
云うとくの、母なるは、兄嫁での。義理の姉での、祖母なら、遠の昔に居てへんし。
されどの、嫁はん、よお、して呉れての。手巻き寿司の案、嫁はんでね。云うてもたらの、保津川下りも、手配等々、諸般万事、皆、嫁はんでして。

オトトの、そんな事で、叔母の一番の血縁、縁者、当方でして。二番手なら、息子共になるわと。
血縁、縁者で無くともの、基本、当家、熱烈の歓迎致すのけどや。
での、何やと、問われたならばの、万事、そ云う事やと。
(16/07/12)


NO.390 夢見で、迷子になるの話(1) 1箇月は経つの、記憶してるの夢の話

祖父は、写真でしか、知らんです。
戦死の叔父も、写真のみ。
ここまでの、人生でなら、一番に長くに一緒に暮らしてたは、母でして。二番手、嫁はんで、三番手、親父でして。
その次ぎ、次男で、長男で、妹に成るなあと。その又、続いて、下の叔父で、上の叔父。
一番に短いは、東京の叔母。されどの、東京以前には、当方、小学生時代までは、梅田でして。従兄弟も居たし、良く、往来してたわと。云うたって、夏休み、とかの程度なれどです。

そらなの、叔母、叔父、当方をば、大切にして呉れたと、実感してるわと。
有り体になら、親父よりも、尊重して呉れたの感あるです。

それでや。
良く聞くの話で、死期近づいて来たら、何故か、会いたい人に、会いに行くと。
叔母が、わざわざの、東京から、京都に、墓開きの儀、したは、したけれどの、良くぞ、来て呉れたなと。その当時には、叔母婿亡くなってるし。三人の息子は、結婚しての、独立してもてるしで、1人暮らし、でも、あったのけどや。
イヤ、多分なら、なと。そんな細々なるの話、してへんけどや、住所違えば、違うやろな。
但しの、その当時には、三男坊なるは、同じの団地に住んでたですが。

要は、基本的、夫を送り、息子共は、独立して。
まあ、云うたら、自由なるの身になったは事実。成ったは、成ったけれどの、短い人生やったなと。今、思えばの話。享年64歳やでと。
ンの、現当方の年齢よりも、若くして、亡くなったんやと。

それを云うたら、満州にて、戦死の叔父なら、27歳。上の叔父、67歳で、当方、その歳、突破。
更になら、祖父、69歳での。ンの、ン、ンの、この歳怪と。その次ぎなら、親父の、80歳と、相成って。母の93歳までは、どでもええなあと。

その上で、下の叔父をば、一番に可愛く思てたは事実なれどの。何ちゅうたって、京都やわと。住んでたがの、時偶なら、仏光寺の家には、来て呉れてたし。
対して、1人娘、大阪でありの、東京えと。寂しかったやろなあと。
ほんとなら、一度で結構、死ぬるまでには、行きたかったやろと。東京にや。今なら、思うし、分かるわと。一度たりともの、口には、してへんのけどや。祖母がや。

オッとの、ここまでにしとこ怪と。
話、本題から、逸れてもたわと。
只、云えるの事、祖母も、叔母も、婿殿の里、実家の事、大切にしてたわと。とは、分かってたわと。大切にするは、至っての、当然なれどです。


ででの、久しブリの夢見の話をと。
イヤ、奇怪なるで無いわと。

イツ見たかと、なればの、もしかして、もしかしたらの、1箇月、経つの哉と。
要は、記憶に残るの夢、久しぶりでして。母か、祖母かが、仏光寺の家で、現れたの夢、以来哉と。ほならの、母、亡くなるの以前故、軽くの、1年以上、経ってるですが。
イヤ、記憶に残るの夢見がや。
よて、可成りの曖昧、ええ加減なるの話に成るのけどや。元々が、夢なるは、辻褄全然の合わんけどの。この夢も、全然の合わんわと。

粗筋、云うてもたらの、迷子に成るの話やわと。
当方、現<うつつ>の世界でも、時偶には、迷子になるのけどや。この歳で、迷子の、「子」は、異なれどです。ほならの、迷爺怪と。
自分で、爺も変やけど。
ほんとになの、イツ頃、から、やろかねえ。爺ちゃんと、云われて、抵抗感、全くの無く。コレ、孫娘が産まれてから、哉と。孫出来たら、事実、爺ちゃんでして。

オッとの、そんな話をするであらへんわの。1箇月も経ってからの、夢見の世界の話。
何やったんやろねえ。
とりあえず、見知らぬの土地、地方、地に行って。実際には、モ1人、一緒でね。
行ったがや。

それは、感覚的にそであっての、実際には、夢には、出て来いひんですが。
とりあえず、迷子になって。且つは、一緒に来たの仲間とも、はぐれてもてね。コレ、男。
男でも、女でも、筋には、関係無いのけどや。この仲間も、途中、何人かに、替わってたよでね。その何人かが、思い出さんの、1人だけ、確実に、コイツと、明言出来るは、ローム入社同期の、ツトム君でして。

イヤ、現在唯今、その当時の仲間と、「芋煮会」で会おてるですが。
この、ツトム君も、昨年の末、辺り哉から、仲間に加わって。結果、入社同期のが、4名、5名。総勢、15名の内のやでと。

このツトム君なるは、コレ、云うてもたらの、分かるのヤツには、一発、分かってまうの、「京都工芸繊維大学」出身者。「芋煮会」なるは、亀岡なれどの、わざわざの、城陽の寺田から、来てまして。
まあな、当世、道路網、整備で、高速使えば、早いのらしいけど。金掛かるなと。
得意、趣味なるは、連珠でありの、知恵の輪。毎回、毎回の、「芋煮会」に、色んな知恵の輪、持って来やがてね。出来る怪と、ニタニタして、見てやがるですが。結構、難しいねえ。

まずは、それがあるですが。
入社当時、この、ツトム君と、フサオ君に誘われ、産まれて、初めての、スキーえと。
イヤイヤ、会社仲間で、バス、チャーターでして。会社から、出発でして。

いやね、云うてるの当方、スキーなんか、初めてでして。ほならの、そのままで来たらええと。皆、貸して呉れると。スキー用具等々一式をと。
心配すなの、手取りの、足取り、基本の、基本から、スキー教えてやると。
申す故に、そのままに、そのままの恰好で、行ったわと。そのままの恰好とは、余所行きの服は、服なれどの、防寒具で無く。靴も、革靴でね。あのなあの、常識の範囲、なるが、あるやろと。
云われたってね。持ってえへんわと。

での、この2人に両脇抱えられの、しかるべくの場所えと、向こたですが。要は、貸しスキー屋なりでして。
そして、心配すなの、スキー教えてやると、云うてたのに、スキー場に着いたら、アと、云う間に消えてもて。理由なるは、スキー場に着けば、コイツ等、スキー得意で、早速にも、滑りに行ってもたわと。

当方、仕方があらへんしで、転け、転け、滑り、滑りの、乍らに、時間掛け、何とか、やっとで、小高い場所まで、辿り着きの。そこから、下に滑るに、コレ又、転け、転け、バウンドしては、胸強打したりの、今なら、この歳なら、骨折してるわの。あの世行きやわの、酷い状態で、元の場所えの、覚え、思い出あるですが。

ンの、これは、夢では無いの、先の通りの、思い出での。
モと、云うたら、ツトム君からの、誘いで、日本海の方え、海水浴にと。彼、既に、愛車に乗ってましての、車で、でして。
夜中に出発、適当なるの場所で、車中泊してたら。ンの、車の周辺、異様なるの世界に相成りの。
いやなの、云うたら、オカマ軍団に囲まれててね。

外から、車の中、覗かれててね。
コレ、未明やったか、真夜中であったの哉の、よ、覚えてえへんけどの。
ツトム君と、こそこその、寝たフリ、しとこと。実際には、一度、起きて、周辺見てるのけどや。とりあえず、相手せずの、ほっとけと。
この手、所謂の、ヤンキーみたいのなら、怖いけど。こちが、アベックなら、又、怖いけど。野郎2人やわと。

結果的、寝たフリ、要は、チラ見的のみの、無視故、スグにも、退散したですが。
海水浴場なるは、この手、変態、奇妙、珍妙なるのが、ウジャ、ウジャしてるなと。

彼、ツトム君とは、モ一回。今度は、当方、免許取得で、HONDAのNV、中古なれどの、購入にての、日本海えと。
残念乍らと、するのか、その時には、変態、異常者集団に囲まれずに、済んだですが。
オッとの、当然の、前回、遭遇したの辺りには、車は駐めずの、別途の場所、なれどです。別段にの、その界隈、詳しくも無いのけどや。

いやなの、その当時には、日本海に行くも、大変でね。道は整備されておらずの、ガタガタ道。要は、コンクリートでも、アスファルトでもあらへんの、砂埃の立つの道でして。
且つは、園部から、亀岡の辺り、老いの坂もや。車、大渋滞の、何時間掛かるやの、状況での。そら、京都縦貫道なんか、影も形もの。脇道も知らんしなと。
そんな道故、夜中に出発の車中泊でして。
現在なら、当方、亀岡在住故の、多少ならばの、脇道承知してるのけどや。承知した頃には、日本海えも、行かんなと。

オトトの、夢見の話は、その事ではあらへんわと。
ここまでは、ツトム君との、話をしたのだけ。
(16/07/13)